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2009.09.04

歌謡曲の功罪

吉田拓郎の何十年も前の古い歌で、「旅の宿」っていう温泉の素みたいなタイトルの歌がある。「浴衣の君は~芒の簪~熱燗徳利の首つまんで~♪」って歌で、漢字も空気も読めないフロッピー麻生のために書いとくと、「浴衣(ゆかた)」「芒(すすき)」「簪(かんざし)」「熱燗(あつかん)」「徳利(とっくり)」って読む。「すすき」に関しては、他にも「薄」とか「尾花」とか書く場合もあるけど、俳句をやってるあたしとしては、漢字で書く場合には「芒」の字を好んで使ってる。

 

で、「俳句」って言えば、この「旅の宿」って歌の中には、「ああ風流だなんて~ひとつ俳句でもひねって~♪」って歌詞が出て来る。だけど、「浴衣」は夏の季語だし、「芒」は秋の季語だし、「熱燗」は冬の季語だから、この歌は季感がメチャクチャで、いったいぜんたい「いつ」の歌だか分かんない。それで、この歌の歌詞を検索してぜんぶを読んでみたら、後半に「上弦の月だったっけ~久しぶりだね月見るなんて~♪」ってのがあった。「月」はもちろん秋を代表する季語だから、歌い出しの部分の「芒」と合わせて考えると、この歌は秋の歌ってことになる。さらに言えば、「上弦の月」なんだから、9月の下旬か10月の下旬てことになる。

 

そして、「旅の宿」ってタイトルから考えれば、この「浴衣」だって、夏をイメージさせるキレイな浴衣じゃなくて、旅館の名前やマークが入った、夜の熱海とかをウロウロしてるオッサンたちが着てる、季感のない例の浴衣だってことが分かる。今でこそ、ちょっと気の利いた温泉宿なら、女性のためにキレイな浴衣と帯をとりそろえてて、どれでも好きなものを選んで着ることができるようになった。だけど、この歌がリリースされたのは、1972年、あたしが生まれた年で、今から36年も前なのだ。こんな昔に、女性用にキレイな浴衣を用意してる旅館なんてアリエナイザーで、家族で旅館に泊まれば、男性用も女性用も子供用も、すべておんなじ柄で、その旅館の名前やマークの入った味気ないものだった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、吉田拓郎と言えば、ほとんどの楽曲を自分で作詞作曲してるけど、この「旅の宿」は、岡本おさみの作詞だ。そして、この「旅の宿」とおんなじに、作詞が岡本おさみ、作曲が吉田拓郎っていう組み合わせだと、森進一の「襟裳岬(えりもみさき)」が有名だ。それで、これまた歌詞を検索して読んでみたら、この「襟裳岬」も、季感がメチャクチャで、よく分からない歌だった。だって、歌い出しのとこでは、「北の町ではもう~悲しみを暖炉で~燃やし始めてるらしい~♪」ってなってるから、この部分からは、「北海道以外ではまだ暖房をつけるような季節じゃないのに、襟裳岬のほうの町では早々と暖炉を使ってる」ってふうに解釈できる。つまり、普通に考えたら、まだ冬になる前の季節で、秋ってことになる。だけど、この歌は、このあと、「襟裳の春は~何もない春です~♪」ってなってるのだ。

 

「北の町では悲しみを暖炉で燃やしている」ってのなら、何も問題はない。この書き方なら、秋でも冬でも春でも成り立つ。だけど、この文章に「もう」と「始める」が加えられて、「北の町では、もう、悲しみを暖炉で燃やし始めている」ってなると、ここには、「まだ暖炉を使うような季節じゃないのに」って意味が付加されるから、普通のニポン語の解釈をすれば、これは冬に入る前の秋ってことになる。だから、襟裳が何もない閑散とした町なのかどうかは別問題として、このあとに続く「襟裳の春は何もない春です」って部分は、正しくは「襟裳の秋は何もない秋です」ってなってないとツジツマが合わない。

 

そして、結論の「襟裳の春は何もない春です」のほうに季感を統一するのなら、歌い出しの「北の町ではもう悲しみを暖炉で燃やし始めてるらしい」の部分を直さなきゃなんない。この部分の「もう」を「まだ」に変えて、「始める」を「続ける」に変えて、「北の町ではまだ悲しみを暖炉で燃やし続けてるらしい」に直せば、このあとに「襟裳の春は何もない春です」って歌詞が出て来ても、「まだまだ寒い早春の景」として成り立つし、季感に一貫性が生まれる。「旅の宿」のほうは、「浴衣」を「宿の浴衣」、「熱燗」を「個人の好み」ってことにすれば、何とか「秋の景」として成り立つけど、こっちの「襟裳岬」のほうは、文法的に問題があるワケだから、直さないと通じない。

 

‥‥そんなワケで、こんな意味の通らない歌詞の歌でも、有名な歌手が歌うとレコード大賞を獲れちゃうんだから、ニポンの歌謡曲の世界って、歌詞に関してはイイカゲンなんだと思う。これが、もしも俳句だったとしたら、「著名な俳人がデタラメな季語の句を詠んだ」ってことになるから、作者が松尾芭蕉であろうと正岡子規であろうと、絶対に大きな賞を受賞することはできない。俳句の世界では、悪い俳句を批評する時の言い回しとして、「まるで歌謡曲の歌詞のようだ」とか「まるで演歌の歌詞のようだ」とかって言うんだけど、もちろんこれはホメ言葉じゃなくて、「デタラメだ」とか「安直だ」って意味として使われてる。

 

たとえば、「氷雨」って歌がある。「飲ませて~ください~もう少し~♪ 今夜は~帰れない~帰りたくない~♪」って歌で、「とまりれん」ていう作詞家が書いた歌だ。この歌の中には、「氷雨」って言葉は出て来ないけど、「外は冬の雨~まだ止まぬ~♪」ってフレーズが出て来るから、この歌は「冬の景」として書かれたことは間違いない。だけど、正しいニポン語的には、「氷雨」ってのは「冷たい雨」のことじゃないのだ。「氷雨」ってのは、「雹(ひょう)」のことを指す言葉で、夏の季語なのだ。真夏に、突然バラバラと降って来る「雹」のことをニポンでは古来から「氷雨」と呼んでて、「氷のように冷たい雨」じゃなくて、「氷そのものが雨のように降って来ること」を指す。

 

もっと語源にあたると、冬に降る「霰(あられ)」のことも、昔は「氷雨」って呼んでた。ようするに、いつの季節であっても、「雨」でもなく「雪」でもなく、「氷」が降って来ることを「氷雨」って呼んでたのだ。でも、冬は雪も降るから、「霰」が降ってもそんなに驚かない。そこで、夏に降る「雹」のほうを主に「氷雨」って呼ぶようになり、冬に降る「霰」とは区別するようになった。これが「氷雨」って言葉のルーツだから、ニポン語の成り立ちを大切に考えてる俳句では、古人にならって「氷雨」を夏の季語としてる。だけど、この「氷雨」って歌の流行によって、ニポン中に「氷雨」を「冷たい雨」だと思い込む人たちが増殖しちゃったみたいで、とうとう「大辞林」の第二版には、「氷雨」の第2の意味として、こんなことが書き加えられちゃった。

 

 

【氷雨】
(1)雹(ひよう)。あられ。[季]夏。
(2)晩秋・初冬の冷たい雨。

 

 

歌の「氷雨」は、とまりれんが1977年に作詞作曲して、5年後の1982年に大ヒットして、翌年の1983年にレコード大賞のロングセラー賞を始め、いろんな賞を獲ったそうだ。そして、「大辞林」の第二版は、「氷雨」のヒットから13年後の1995年に発行されてる。これを考えれば、本来は夏に降る「雹」のことを意味してた「氷雨」って言葉なのに、世の中の間違った認識のほうがあまりにも人口に膾炙(かいしゃ)しちゃったために、辞書までもが、その間違った意味を掲載せざるをえなくなっちゃった‥‥ってふうに考えられる。「晩秋、初冬の冷たい雨」のことは、何百年も前から「時雨(しぐれ)」っていう美しい言葉で呼ばれてるのに、「大辞林」てアホじゃないの? そして、また歴史ある美しいニポン語が1つ、デタラメな歌謡曲のセイで消えて行くのであった‥‥。

 

歴史ある美しいニポン語を大切にしてる俳人のハシクレとしては、こうしたケースって、とっても悲しい。歌謡曲なんて、どうせ聴くほうも「所詮は歌謡曲なんだから」ってことで、そんなに細かい部分までは気にせずに聴いてるんだろうけど、あたしは、そうした聴き手のイイカゲンな姿勢が、作り手のテキトーさを助長させてるようにも思う。たとえば、さだまさしが作詞作曲した山口百恵の「秋桜(コスモス)」って歌にしても、歌詞のテキトーさが、あたしにはシックリ来ない。歌い出しは「薄紅のコスモスが秋の日の~なにげない陽だまりに揺れている~♪」ってなってて、「コスモス」にしてもわざわざ「秋桜」って書いてるんだから、どう見たって「秋の景」を書いたものだと思う。それなのに、途中にこんなフレーズが出て来るのだ。

 

 

「こんな小春日和の~穏やかな日は~あなたの優しさが~しみてくる~♪」

 

 

「きっこの日記」の愛読者なら、この「小春日和」ってのが、冬の季語だってことはご存知だと思うけど、あたしが言いたいのは、そんな「重箱の隅」的なことじゃなくて、もっと本質の部分だ。「コスモス」は仲秋の季語で、「小春日和」は初冬の季語だから、少しムリをすれば重ねることはできる。だから、「冬の小春日和に秋のコスモスが揺れてる」って景は、現実的にもアリエールだ。だけど、「コスモス」と「小春日和」っていう季語の持つそれぞれ本質を考えた場合には、この取り合わせは、あまりにも無節操でセンスのカケラもないことが分かるのだ。

 

「コスモス」は、6月ころから咲き始めて、10月には終わりを迎える。場所によっては、それこそ11月の初冬に入っても咲いてるけど、漢字で「秋桜」って書くことからも分かるように、その本意は「秋」だ。「秋の風」は、別名「色なき風」とも言うけど、これは、秋の風を「白色(無色)」とした中国の感覚に基づくもので、「寂しさ」を表わしてる。それも、単純な「寂しさ」じゃなくて、「爽やかさ」を含んだ「寂しさ」ってことだ。たとえば、恋人との別れなら、別れてから泣き続けたり後悔したりする「あとを引く別れ」じゃなくて、別れたことは悲しいけど、どこかサッパリとした別れってことになる。ずっと繋がれてた風船が、ようやく糸を切って自由に大空を飛べるようになったような、そんな爽やかさがあるのが、「秋の風」を始めとした秋の季語の本意なのだ。

 

そして、6月ころから咲き始める「コスモス」が、何で夏の花じゃなくて秋の花とされてて、その上、「秋桜」なんてアテ字までつけられちゃって、秋を代表する花の1つに挙げられてるのかっていうと、それは、花びらが細くて可憐な花なのに、細長い茎がシッカリしてて、「秋の風」に揺れる姿に風情があるからだ。風ってものは、自分がその風に吹かれて肌で体感する以外には、目で見たり耳で聞いたりすることはできない。でも、その風の干渉を受ける何かがあれば、目や耳で確認することができる。窓から風に揺れてるコスモスを見れば、そこに秋の風が吹いてることが分かるし、夜中に強風が鳴らす電線の音を聞こえれば、外に台風が来てることが分かる。

 

つまり、ひと夏を咲いてる「コスモス」をあえて秋の花としてるのは、花のイメージだけじゃなくて、「色なき風」と呼ばれてる無色の秋の風を視覚的に感じさせてくれる媒体としての意味もあるワケだ。そして、さだまさしの「秋桜」の歌い出しの部分、「薄紅のコスモスが秋の日の~なにげない陽だまりに揺れている~♪」ってのは、さだまさしだけに、まさしく「秋の風」を感じさせてくれる表現であり、わざわざ「秋の日」なんて念を押す必要もないほど、秋っていう季感を的確にとらえた秀逸な表現てことになる。

 

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って、やっぱり五七五で嘆いちゃうけど、そのあとの「こんな小春日和の~穏やかな日は~♪」ってフレーズのデタラメさだ。「小春日和」は初冬の季語だけど、その背景には、「冬の気候」がある。11月の頭の立冬を過ぎ、北から寒気団が南下して来て、気温も風も一気に冬めいて来ると、街にはコートやブーツの姿が目立つようになる。そんな中で、移動性高気圧の影響で、数日間だけ、まるで春のように暖かくなることがあって、これが「小春日和」だ。つまり、通常が「冬の気候」になってるからこそ、この「小春日和」の暖かさが際立つワケで、まだ「秋の風」が吹いてるような状況下とは、まったく季感が違うのだ。ようするに、さだまさしは、「小春日和」って言葉の本意を深く考えずに、単に語呂として「使ってみたい言葉だったから使ってみた」ってふうに、あたしは感じてる。

 

‥‥そんなワケで、あたしは、季感のメチャクチャな歌謡曲の歌詞から、最近のヤタラと説教くさい似たり寄ったりのニポンのレゲエやラップの歌詞に至るまで、なんだかなぁ~って思ってるんだけど、そんな曲がヒットしてる現実を見れば、悪いのは作ってる側じゃなくて、聴いてる側のレベルの低さだってことは一目瞭然だ。ニポン語の美しさが分からず、言葉そのものの本意どころか、その言葉の表面上の意味さえも知らない人が作ったデタラメな歌が、こんなふうにヒットしてる現実を見れば、漢字の読めない総理大臣を笑うことはできないと思う。「ブスにはブスの生き方がある」や「尾崎んちのババア」とかでオナジミの元「まりちゃんズ」の藤巻直哉‥‥って言っても分かる人は少ないと思うから、「崖の上のポニョ」の「大橋のぞみと藤岡藤巻」の藤巻って言い直すけど、その藤巻直哉が「あまりにも吉田拓郎のインパクトが凄くて、僕ら拓郎世代からすると、その後の長渕剛や尾崎豊とかは拓郎の亜流に見える。それなら拓郎を聴いた方がいい」って言ってるように、今、一部のファンから神格化されてる尾崎豊だって亜流なんだし、その元になってる吉田拓郎だって所詮はボブ・ディランの亜流だろう。だけど、こうした亜流が売れちゃう背景には、ニポン人全体の感性の低レベル化があるんだと思うし、それに合わせて辞書までもが言葉の意味を変更しちゃう大衆迎合っぷりを目の当たりにしちゃうと、あたしみたいな「古くからあるニポン人の感性を大切にしたい」っていうマイノリティーは、完全にダッフンしちゃう今日この頃なのだ。

 

 

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