アブラゼミはあたしのトラウマ
今朝、お仕事に行こうと思ってドアを開けたら、この夏、3回目の「猫のお土産」が置いてあった。「猫のお土産」ってのは、猫のマックスが、あたしのために、虫とかトカゲとかを捕まえて、マンションの2階まで階段を上って来て、あたしのお部屋のドアの前に置いてってくれる恐怖のお土産のことだ。だけど、1回目と2回目がアブラゼミだったのに対して、3回目の今日はツクツクボウシだったから、あたしは、ビビリながらも「秋だなあ~」って思った。
ツクツクボウシは、お腹を上にして微動だにしてなかったけど、だからって安心することはできない。セミ関連のお土産は、ぜんぜん動かないから完全に死んでるもんだと思っても、割箸でつまんだ瞬間に「ビビビビビーッ!」って鳴き出して、あたしはその場に尻もちをつくことが何度もあった。だから、あたしは、セミ関連のお土産の時は、必ず、まずは離れた場所からホウキとかでチョンチョンと突っついてみて、それでも鳴いたり動いたりしなかった場合に、初めて割箸でつまんで、ティッシュにくるんで、駐車場の植え込みに埋めるようにしてる。
で、今日のセミ関連のお土産は、アリガタイザーなことに、ホウキで突っついても動かなかった。それで、あたしは、指でつまんで、ティッシュにくるんだ。それで、駐車場の植え込みのとこにしゃがんで、落ちてた枝で穴を掘ってたら、後ろから「ナ~ン! ナ~ン!」っていう声が近づいて来た。マックスだ。マックスは、あたしの足にスリスリしながら、あたしの左手のティッシュの包みと右手の枝を見て、疑い深そうな目で、「ナ~ン? ナ~ン?」って質問気味に語尾を上げて鳴いた。それは、まるで、あたしに対して、「何をしてるのにゃ? まさかボクのお土産を埋めようとしてるんじゃないだろうにゃ?」って詰問されてるみたいで、あたしは、肩身の狭い思いをしながらツクツクボウシを埋めた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、こうした「猫のお土産」だけど、あたしは、最初は、猫が自分の捕った獲物を見せたくて持ってくるのかと思ってた。だけど、タマタマの偶然なのかもしれないけど、あたしがマックスに特別なことをしてあげると、その翌日か翌々日の朝、ドアの前に、瀕死のセミとかバッタとかトカゲとかヤモリとかが置かれてるのだ。たとえば、この夏なら、7月の半ばころに、スーパーのお魚コーナーで、カツオやタイやいろんなお魚のアラが500gくらい入ってるパックが105円だったから、それを2個買って来て、大きなお鍋で煮て、身の部分をほぐして集めて、猫たちに振る舞った。みんな大喜びで食べてたけど、特にマックスは、「ウニャ‥‥ウニャ‥‥ウニャ‥‥」って鳴きながら食べてたから、よっぽど美味しかったんだと思う。そして、その次の日の朝、ドアの前にアブラゼミが置いてあった。
それから、8月の終わりころ、30日の歴史的な政権交代の前祝いとして、夜の駐車場で、猫たちにマタタビを振る舞った。みんな夏バテっぽかったから、少しでも元気になってもらおうと思って、いつものマタタビの枝だけじゃなくて、マタタビの実を粉末にしたスペシャルバージョンもゴチソウした。猫にマタタビをあげたことのある人なら分かると思うけど、人間にもお酒の強い人と弱い人がいるように、猫にもマタタビの効きやすい子と効きにくい子がいる。うちの猫たちの中だと、マックスとマイケルがマタタビが大好きで、ペペロンチーノとジジともんじゃがまあまあで、他の子たちはそんなに好きじゃない。一応は、興味を示してウニャウニャするんだけど、中川昭一みたいな泥酔状態にはならない。
だけど、マックスとマイケルは、もうヨダレをダラダラと垂らしながら、両手でマタタビの枝を上手に持って、噛んだり顔にこすりつけたりしながら、地面をゴロゴロと転がり続ける。こんな状態でG7の世界金融サミットに出席させたら、世界中から笑い者になって、財務大臣を更迭された上に、衆院選で惨敗しちゃうだろう。だけど、親の七光なんか使わずに自分の力で生きてる立派な猫たちは、中川昭一みたいに無責任なことはしない。誰にも迷惑をかけないようにマタタビを楽しみ、次の日には、マタタビをゴチソウになったあたしのお部屋のドアの前に、ちゃんとお礼のアブラゼミを持って来たくれた。
‥‥そんなワケで、昼間は暑い日もあるけど、朝晩は涼しくなって来た今の時期は、猫たちはそろそろ夏毛も終わるので、ここんとこ、順番に本格的なブラッシングをしてた。一度に全員はできないから、気づいた時に1匹ずつブラッシングをしてるんだけど、昨日はマックスの番だった。細かい目のブラシで全体をザッとブラッシングしてから、今度はノミ取り用の金属のコームでノミ取りをして、それから丁寧に仕上げのブラッシングをする。白黒ブチのマックスはシングルコートだからラクだけど、マイケルやペペロンチーノみたいにダブルコートの子は、なかなか手間が掛かる。
それで、昨日は、マックスをブラッシングしたんだけど、あたしの発見した「猫の特徴」の1つに、「マタタビの好きな猫はブラッシングも好き」ってのがある。マックスにしても、マイケルにしても、マタタビもブラッシングも両方とも好きで、逆に、そんなにマタタビが好きじゃないカルボナーラや小林君は、ブラッシングも嫌がるのだ。ようするに、マックスやマイケルは「気持ちいいことが好き」ってことなんだろうけど、マックスは、ブラッシングしてても、目を細めてグルグル言い出して、しまいには口を半開きにしてヨダレを垂らし始めちゃう。だから、マタタビとブラッシングを同時にしたら、きっと大変なことになっちゃうと思う(笑)
ま、この辺のことはいいとして、あたしが言いたかったことは、昨日、マックスをブラッシングしてあげたら、今朝、ツクツクボウシがドアの前に置かれてたってことだ。そして、それをあたしが埋めてたら、「何をしてるのにゃ?」って鳴かれちゃったのだ。だから、こんなにも偶然が続くと、マックスがあたしに「お礼」として、セミとかトカゲとかを獲って来てくれてるとしか思えないのだ。猫はお金を持ってないから、お礼に缶コーヒーを買って来たりはできない。だけど、お金を持ってない猫でも、あたしのために何かできることはないかって考えてくれて、一生懸命にセミやトカゲを捕まえて、わざわざマンションの階段を上がり、2階のあたしのお部屋の前まで持って来てくれるなんて、その気持ちが嬉しいし、もう、たまんないほどいじらしい。
だけど、ホントに気持ちは嬉しいし、ホントにたまんないほどいじらしいと感じてることに嘘はないんだけど、虫が苦手なあたしとしては、こういうお土産って、ある意味、嫌がらせに近い部分もある。特に、完全に死んでるように見えるのに、触った瞬間に「ビビビビビーッ!」って動くセミなんて、一種のビックリ箱だ。それでも、今日はツクツクボウシだったから指で拾えたけど、他のセミの場合は、トラウマがあって指で触れないから、完全に死んでても、割箸で拾うしかない。
あたしが小学校の低学年の時、夏休みに近所の公園で2~3人の同級生の女の子たちと遊んでたら、そこにクラスの男の子たちがやって来た。みんな虫捕り網と虫カゴを持ってて、セミを捕りに来たって言う。その公園は、周りが森っぽくなってて、セミがいっぱい鳴いてたのだ。それで、あたしは、そのころはそんなに虫が恐くはなかったから、他の女の子たちと一緒に、男の子たちのセミ捕りを見に行った。でも、いくらセミがいっぱいいるって言っても、それは東京の渋谷のど真ん中だから、いるのはほとんどがアブラゼミで、鳴き声的にもビジュアル的にはイマイチだった。
それで、男の子たちは次々とアブラゼミを捕って、肩から提げた虫カゴに入れてったんだけど、ひとしきりセミ捕りをしたら、1人の男の子が、自分の捕まえたアブラゼミを1匹、虫カゴが取り出して、持って来た絹糸をそのセミの胴体に結んで、飛ばして始めたのだ。セミの胴体に2mくらいの糸を結び、その糸の端を持った手を高く上げると、そのセミはブンブンと円を描いて飛び始めた。それで、他の男の子たちもマネをして、みんなでセミをグルグルと飛ばして遊び初めて、そのうち、1人の男の子が、女の子にも「やってみる?」って感じで糸を渡したのだ。
女の子たちも、キャーキャー言いながらセミを飛ばしてるから、あたしもやってみたくなって、何番目からやらせてもらった。でも、そのころになると、セミも疲れて来たのか、自力で飛ばなくてすぐに落ちちゃうようになった。それで、あたしが、男の子に糸を返したら、その子は、疲れきってるセミをムリヤリに飛ばそうと、腕をブンブンと回し始めたのだ。セミは飛ぶ気がないから、しばらくは羽ばたかないんだけど、ムリヤリにブンブンと回してると、仕方なくちょっとだけ羽ばたいたりした。だけど、疲れも限界なのか、またすぐに羽ばたくのをやめて、そのまま落下しちゃう。
それで、その男の子は、今までよりもすごい勢いでセミをブンブンと回し始めたから、あたしは内心で「もうやめればいいのに」って思った瞬間、そのセミが「ビビッ!」っと短く鳴いて、2つの物体が飛んでって、遠くの地面に落ちたのだ。みんなが駆け寄ってみたら、糸を結んでたとこからセミの胴体が真っ二つに切断されてて、羽根をバタバタさせてのたうち回ってる上半身と、ビミョ~にピクピクしてるお腹から下の部分が落ちてて、あたしは気絶しそうになった。糸を普通に結んだんじゃなくて、引っぱると縮まる輪にして、それをセミの胴体にはめてから糸を引いて固定してたので、あんまりブンブンと回したもんだから、遠心力で輪が閉まってセミの胴体を切断しちゃったみたいなのだ。
‥‥そんなワケで、その時の光景は、完全にあたしのトラウマになった。百歩ゆずって、切断されたセミが即死してたとしたら、こんなに何十年も悩まされることはなかったと思う。だけど、羽根のついてる胸から上は狂ったようにバタバタしてたし、サナギみたいなお腹から下の部分もピクピクしてたし、さらには、それを拾った男の子の人が、「セミの中って空っぽだぜ!」って言いながら、胴体の中が空洞になってることをあたしたちに見せて回ったもんだから、あたしは「ひぃ~!」って貧血っぽくなって、あとちょっとでホントに気絶するとこだった。
そして、それから何年かが過ぎて、外国に「ギロチン」ていう恐ろしい死刑があったことや、ニポンでも昔は人の首を刀で斬り落とす斬首刑があったってことを知った時に、このセミのことをすぐに思い出した。あたしは、想像力が暴走しちゃうタイプだから、「首を斬り落とされた人間はどうなるんだろう?」って想像しちゃって、小学生の時に見たアブラゼミのように、胴体だけが手足をバタバタさせてたり、頭だけがピクピクしてたりする光景を想像しちゃって、夜も眠れなくなるほどの恐怖に襲われた。
死刑は、もちろん残酷な刑だけど、それでも、即死する銃殺刑と比べたら、ギロチンの恐怖は喩えようがないほど恐ろしいと思った。だって、どう考えても、首を斬り落とされてから、数秒間は意識があるハズだからだ。「X51.ORG」の「斬首/切断された人間の頭部は意識を有するか」っていうエントリーによると、ギロチン刑になった死刑囚の中には、首を斬り落とされた瞬間に即死したケースがある一方、首だけになってから30秒間もマバタキを続けてたケースもあるそうだ。そして、それを「死後のケイレン」で片づけられればいいんだけど、首だけになった死刑囚の名前を呼んだら、その声を聞いて目を開けたってケースも報告されてるから、やっぱり、首だけになっても、数秒間は、目や耳と脳みそとが動いてるんだと思う。
さらには、この「X51.ORG」では、首がないまま18ヶ月も生存したニワトリのケースも紹介されてる。「奇跡の首無し鶏マイクの残したもの」っていうエントリーで、今から60年ほど前、アメリカのコロラド州の農家の人が、自分の飼ってるニワトリの中の1羽を食べようと思い、首を斬り落としたところ、そのニワトリは死なずに、そのまま歩いて自分の小屋へと戻って行ったそうだ。それで、農家の人は、そのニワトリに「マイク」って名前をつけて、切断された首の食道からスポイトでお水やエサを与えてたら、頭のない胴体だけのニワトリなのに、そのまま18ヶ月も生き続けて、首を斬った時には2ポンドしかなかった体重が、4倍の8ポンドになるまで成長したという。そしたら、ギロチンで首を斬り落とされた人も、首から栄養を与えてたら、胴体だけは何日かは生き延びるのか?‥‥って思っちゃう。
‥‥そんなワケで、あたしは、殴られたり蹴られたりする痛みには強いんだけど、鋭利な刃物でスパッと斬られるような状況が苦手だ。もちろん、今までに鋭利な刃物で斬られた経験はないけど、刃物で斬られるとしても、サバイバルナイフや刀とかは、そんなに恐くない。それよりも、カミソリやカッターみたいに薄い刃物が恐いし、レポート用紙で指を切ったりするのも恐い。だから、この感覚も、小学生の時に、糸で真っ二つに切断されたセミを見たトラウマなんだと思う。だから、オトトシのお正月に、100円ショップで買って来た薄い刃のパン切り包丁で、左手に持った夏みかんを切ったら、その下の自分の手の指までスパッと切っちゃって、左手の人差し指が骨まで見えるほど深いキズで、ものすごい大流血になっちゃった時は、マジで失神しそうになった。ま、その時のことは、2007年1月9日の日記、「キッコゲリオン活動限界」に詳しく書いてあるから、スプラッタ系がお好きな人は読んでみて欲しいと思う今日この頃なのだ。
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