« 緊急のお知らせです! | トップページ | 緊急アンケートです! »

2009.10.01

夏への扉

東京は、今日、久しぶりの雨だった。昨日から、ポツポツと降ったり止んだりはしてたんだけど、今日は、朝からずっと、シトシトシトシト降り続いてて、まるで、サキエルとシャムシエルとイスラフェルとサハクィエルが一緒に攻めて来たような感じだった‥‥って、そりゃあ「使徒使徒使徒使徒」だろが!‥‥って、久しぶりの雨だったので、久しぶりのノリツッコミも披露しつつ、今日も元気に行ってみよ~♪

で、雨って言っても、「drizzle」的な霧雨みたいなのから、「cats and dogs」的な土砂降りみたいなのまで、ピンからキリまであるワケだけど、今日の雨は、シトシトピッチャン、シトピッチャン‥‥シトシトピッチャン、シトピッチャン‥‥って、文字通り、「child taking wolf (子連れ狼)」的な雨だった。あたしは、雨の日には雨を楽しむようにしてるので、雨はそんなにイヤじゃないんだけど、ひとつだけ気になるのが、猫たちのことだ。猫は頭がいいから、みんな雨に濡れないようにしてるけど、それでも、いつも歩いてる地面が濡れてると、肉球が濡れちゃうからイヤなのだ。特に、地面が土の場合は、アスファルトと違って、足の裏がドロドロになっちゃう。猫たちは、できるだけ濡れてない場所を歩くようにしてるけど、それでも、人間の歩く道路と違って「猫の道」は狭いから、道いっぱいが水たまりだったりで、どうしようもない場所もある。それでも、猫たちは、被害が最小限になる場所をピンポイントにピョンピョンと跳んでくので、あたしは、いつも感心してる。

あたしが住んでるマンションの周りは、どこもすべてアスファルトやコンクリートで舗装されてて、多摩川の土手にでも行かない限り、土の上を歩くことなんてない。だけど、それは、人間だけの話だ。猫たちは、みんな、人間の使ってる道路とは別の「猫の道」を使ってるから、ブロック塀の上だったり、縁の下だったり、屋根の上だったり、植え込みの中だったりと、忍者のような場所を移動してる。だから、当然、土の上も歩くワケで、あたしがご飯をあげてる猫たちも、うちの駐車場に来るまでの「猫の道」には、それぞれ土の場所が何ヶ所かある。そして、最後に植え込みの中を通って駐車場に到着するから、どんなに猫たちが気をつけて歩いて来てくれても、雨の日に猫を抱くと、あたしのスカートには梅の花の形の足跡がついちゃう今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、うちの猫たちは、植え込みの中を通って来る他に、もうひとつ、駐車場の出入り口から外へ出て、マンションのすぐ脇の人間が通れないような40センチくらいの隙間を通って来る時もある。あたしは通れないから、実際に試してみたワケじゃないけど、たぶん、マンションの裏手にあるお家との境のブロック塀の上を通って来て、ピョンと飛び下り、この細い通路を通って来るんだと思う。で、この通路は、普通は人間は通らないけど、40センチくらいの幅があるので、人間でも横を向けば通ることができる。

それでだと思うんだけど、空き巣とか変質者とかが通らないように、一応、アルミの柵みたいのが作られてる。でも、これは、あくまでも「対人間用最終決戦兵器サクゲリオン」だから、40センチくらいの隙間に、2本の棒が立ってるだけで、猫はその間を通ることができる。ただ、ここは、地面が土なのだ。それで、日も当たらないような塀と壁との隙間なのに、多摩川からいろんな草花の種が飛んで来るから、いつでも雑草が生えてる。そして、そこを猫たちが通るから、雑草の真ん中に「猫の道」が出来てるのだ。

そんなこんなで、今朝のこと、ご飯を食べ終わった猫たちは、それぞれ帰ってったんだけど、もんじゃだけが、みんなよりも遅れて来た。それで、あとから来たもんじゃに、大好物のカリカリを食べさせて、お水も飲ませて、さて、あたしはお仕事に行こうかと思ったら、シトシト雨のセイなのか、ご飯を食べ終わっても、なかなかもんじゃは帰らない。変な顔して、あたしのことをジッと見てる。だから、少しだけ遊んであげてから、ムリヤリにバイバイをしたら、去ってくもんじゃの後ろ姿がしぐれてて、山頭火のように侘びしかった。それがちょっと気になったので、あたしは、もんじゃのあとをソッと着いてってみた。

そしたら、今朝は、駐車場の出入り口から外へ出て、あの40センチくらいの隙間へと消えて行った‥‥と思ったのもトコノマ、もんじゃは、困って立ち止まっちゃったのだ。ここには、普通の雑草だけじゃなくて、例のアルミの柵にツル科の植物が巻きついてる。たぶん、ヤブカラシだと思うんだけど、ものすごい繁殖力で、青々とした葉っぱをワサワサとさせてる。それで、いつもなら、その葉っぱを居酒屋さんのノレンのように、頭で押して柵をくぐってくのに、今朝は、葉っぱが雨でビショ濡れだったのだ。だから、そんなとこを強引に進んだら、もんじゃは、頭も体も濡れちゃう。

それで、もんじゃは、ビショ濡れの葉っぱのノレンを前にして、進もうかどうしようか躊躇しまくってる。進もうとして顔を前に出すと、濡れた葉っぱがヒゲに触るので、ビクッとして後ずさる。でも、進むしかないから、意を決して前に出るんだけど、やっぱり濡れた葉っぱが気になって一歩を踏み出せない。だけど、このままここで悩んでたら、上から降って来てる雨で濡れちゃうし‥‥ってワケで、一度にいろんなことを同時に考えるのが苦手な猫だから、プチパニック状態みたいになっちゃった。しまいには、「進む」「やめる」「進む」「やめる」「進む」「やめる」ってふうになっちゃったみたいで、濡れた葉っぱに鼻先を近づけて、ビクッとして引っ込める‥‥って動作を高速で繰り返しはじめて、首を前後に振るハトみたいになっちゃった(笑)

あ~~~これ、文章で伝えるのは至難のワザだけど、分かってくれたかな? ビデオカメラでも持ってたら撮影したかったんだけど、とにかく、濡れた葉っぱにビビッて前へ進めないもんじゃの葛藤が、手に取るように分かって、もう、可愛いし、面白いし、いじらしいし、思わず抱きしめたくなっちゃったよ。もちろん、お仕事に行くお洋服を着てたから、抱き上げるワケには行かなかったけど、とにかく、あたしは、朝から、何とも言えない楽しい気分になれた。そして、さんざん迷った挙げ句に、思い切って濡れた葉っぱのノレンに突っ込んでったもんじゃを見て、あたしは、自分の子供の「はじめてのおつかい」を観たお母さんのように、とっても嬉しい気分になれた。

‥‥そんなワケで、今までに何度も取り上げて来たけど、あたしの最愛のSF小説、ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」は、主人公の飼い猫のピートが、あまりにも可愛くて、猫好きにはたまらない1冊だ。猫なのに、ミルクよりもジンジャエールが好きだってのもサイコーだけど、何よりもステキなのが、「夏への扉」を探すピートの描写だ。冒頭の部分に書かれてるんだけど、寒い冬が苦手な猫のピートは、毎年、冬になると、家中の扉をあちこち開けて歩き回る。それは、どれかの扉が、きっと夏へと通じてると思ってるからだ。たくさんある扉のうちのどれかが夏へと通じてて、その向こうには暖かい夏の世界があるって信じてるのだ。

なんてステキな感覚なんだろう。これを人間がやったら「無知な人」で片づけられちゃうけど、猫だから「ステキな感覚」になるワケで、あたしが、中学生の時に買ったこの文庫本を未だに大切にしてて、未だに時々読み返すのも、猫ならではの「ステキな感覚」の魅力と、最後の大感動が内角高めのツボにストライクだからだ。もしも、猫が好きなのに、まだ「夏への扉」を読んだことのない人がいたら、絶対に1日も早く読んだほうがいい。文庫本だから、新品でも750円くらいだし、ユーズド品なら200円くらいからある。アマゾンは、今なら「本全品 送料無料セール」をやってるから、1500円以下の本でも、本の値段だけで自宅まで届けてくれる‥‥って、ナニゲに宣伝も織り込みつつ、あたしが「夏への扉」のことを思い出したのも、今朝、もんじゃの愉快な行動を目撃したからだ。

あの柵のとこにあった「濡れた葉っぱ」は、もんじゃにとって、大切などこかへの「扉」だったんじゃないかって思う。いつもの晴れた日なら、何も考えずに通ってた葉っぱのノレンなのに、雨に濡れたことによって、そこを通過するかどうか、もんじゃはしばらく考えた。つまり、もんじゃは、葉っぱの存在を「意識した」ってことで、これは、とっても大きなことだ。学校でも職場でも、それまで気にしてなかった人に対して、何かのキッカケで好意を持つようになると、急にその人のことを意識するようになる。そのトタン、日常が非日常へと変わっちゃう。今までは普通にアイサツをしてたのに、恥ずかしくて顔も見れなくなっちゃう。その人のすることが、いちいち気になっちゃう。

もちろん、これは、人間に対してだけの気持ちじゃない。相手が動物でも、植物でも、無機物でも、自分が意識したトタンに周りの世界が変わっちゃうのだ。たとえば、世田谷区の羽根木公園の梅林には、あたしの梅の木がある。これは、別に、あたしが植えたワケでもないし、あたしの所有物でもない。子供のころ、母さんが梅を見に連れてってくれた時に、「自分の梅の木を決めておくと、また次に来た時に楽しいわよ」って教えてくれたから、あたしは、1本の白梅の木を「あたしの梅の木」って決めたのだ。だから、あたしは、羽根木公園に行くたびに、梅が咲いてない季節でも、自分の梅の木を見に行って、幹に触ることにしてる。他人から見たら、他の梅の木と何も変わらない単なる1本の木だけど、その木のことを意識してるあたしにとっては、どんなに遠くからでも一瞬で見分けることができる特別の木なのだ。

これが、「意識する」っていうパワーで、あたしは、羽根木公園の自分の梅の木に触れると、ちっちゃかったころへタイムスリップしたように、当時のことを鮮明に思い出す。つまり、この梅の木は、あたしにとっての「夏への扉」のひとつなのだ。だから、何も、ドアの形をしてなきゃいけないワケじゃない。ひと口、食べたり飲んだりしただけで、懐かしい出来事を思い出すような食べ物や飲み物だって、その人にとっての「夏への扉」なのだ。音楽でも、映画でも、本でも、自分の大切な場所へと連れてってくれる媒体なら、それが「夏への扉」なのだ。

‥‥そんなワケで、体が濡れることを何よりも嫌う猫のもんじゃが、意を決してくぐった「濡れた葉っぱ」という扉は、いったい、どこへ通じてたんだろう? もんじゃを始め、他の猫たちも、1日に2回、朝と夜、うちのマンションの駐車場にご飯を食べに来ることしか、あたしは知らない。時々は、駐車場で遊んでるとこも見かけるし、もんじゃが好きな空き地も知ってるし、思いがけない場所でバッタリと出会うこともあるけど、そんなのは猫たちの生活のホンの一部であって、猫たちがどこで何をしてるのか、あたしはほとんど知らない。だけど、これだけは言えるのが、あたしたち人間が好き勝手に生きてるこの世界と、猫たちが生きてる猫たちの世界とが、わずかな部分でリンクしてるってことだ。それが、朝と夜のご飯の時間なのだ。だから、あたしは、もんじゃが意を決してくぐった扉は、あたしたち人間とは一線を画した「猫の世界」へ戻るための扉だったんじゃないかと思ってる。そんなことをふと思った今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いしま~す♪
  ↓


|

« 緊急のお知らせです! | トップページ | 緊急アンケートです! »