「襟裳岬」再び!
2ヶ月も前のことでキョーシュクだけど、あたしは、森進一の「襟裳岬」の歌詞がおかしいと思う‥‥ってことを書いた。で、ひとまずは終結させたんだけど、その後も、たくさんの人からいろんなメールが届き続けてた。そして、その中には、とっても重要な情報の書かれたメールも含まれてて、いろんな新事実が分かって来たから、今日は、その辺のことをぜんぶマトメて書きたいと思う。とにかく、「旅好きおじさん」からいただいた2通のメールの情報による前回のマトメは、あたし自身も「岡本おさみさんが何を表現したかったのかってことだけは、何となく分かったような気がする」っていうフェードアウト風味の終わり方だったので、皆さんの中にも、明確には納得できなかった人が多かったと思う。
最初に、前回の流れだけを簡単に説明させてもらうと、まず、9月4日の日記、「歌謡曲の功罪」であたしは、吉田拓郎の「旅の宿」って歌は季感がメチャクチャだってことを指摘して、そこから、おんなじ岡本おさみの作詞した「襟裳岬」の歌詞もおかしいってことを書いた。そして、他にも、とまりれんの「氷雨」や、さだまさしの「秋桜」の歌詞も季感がおかしいってことを指摘した。そしたら、たくさんの人から、「私はこう思う」「私はこう解釈してる」ってメールが届いたので、9月7日の日記、「岬めぐり」で、その中から何通かのメールを紹介しつつ、最後に、実際に作者の岡本おさみが自己解説してる当事の新聞記事の内容を教えてくださった「旅好きおじさん」のメールを紹介して、それを「正解」として話題を終結させた。
だけど、最後に「正解が分かったのに納得できないっていう残尿感が入り混じったミョ~な結果になっちゃった」って書いてるように、あたしは、どうもシックリ来なかった。そしたら、旅好きおじさんから、前回のメールの内容は記憶違いで、当時のことが書いてある本を調べてみたら、岡本おさみが襟裳岬を訪ねたのは「初秋」じゃなくて「春」だった‥‥っていう訂正のメールが届いた。それで、あたしは、9月14日の日記、「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」で、旅好きおじさんの訂正のメールを紹介しつつ、再度、マトメを書いてみた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、最初の日記で、「旅の宿」「襟裳岬」「氷雨」「秋桜」の4曲の歌詞にツッコミを入れたんだけど、この中で「襟裳岬」だけが話題になったのには、ちゃんと理由がある。他の3曲は、すべて単語(季語)の使い方を間違えてるんだから、言うなれば理系の問題なワケで、「1+1=3」ていう間違いに対して、「1+1=2」っていう正解を提示すればいいだけの話だ。たとえば、「氷雨」は、夏に降る「雹(ひょう)」のことなのに、それを「冬に降る氷のように冷たい雨」のことだと思い込んで誤用してるんだから、正否の判定は明確だ。
だけど、「襟裳岬」の場合は、単語の使い方には何も問題はない。ただ、頭から歌詞を読んでくと、流れとして「?」な部分があって、いったいぜんたいどの季節のことを歌ってんだか分からなくなっちゃう。具体的に言えば、最初の日記の繰り返しになっちゃうけど、歌い出しのとこは「北の町ではもう~悲しみを暖炉で~燃やし始めてるらしい~♪」ってなってるから、「北海道以外ではまだ暖房をつけるような季節じゃないのに、襟裳岬のほうの町では早々と暖炉を使ってる」って解釈になる。つまり、普通に考えたら、まだ冬になる前の季節で、秋ってことになる。それなのに、このあと「襟裳の春は~何もない春です~♪」ってなるもんだから、季節のツジツマが合わなくなっちゃうのだ。
つまり、これは、文系の問題ってワケだ。おんなじ本を読んでも、読んだ人の数だけ感想があり、そのどれもが正解であるように、文系の問題の場合は、「1+1=3」でも正解になる。だからこそ、「私はこう思う」「私はこう解釈してる」ってメールがたくさん届いたワケだし、そのどれもが「なるほど」って思える内容だったワケだ‥‥ってことで、ここまでが前置きなんだけど、新たに分かった情報を紹介する前に、前回、「旅好きおじさん」が教えてくださった情報のポイントを挙げておくと、次の3点になる。
1.岡本おさみは、実際に襟裳岬を訪ね、老夫婦が営む民宿に宿泊し、その時の体験を元に歌詞を書いた。
2.その時、民宿のご主人と、「おじさん、襟裳って春は何があるの?」「う~ん…春は何も無いね~…」というやりとりがあり、ここから「襟裳の春は何もない春です」というフレーズが生まれた。
3.岡本おさみが襟裳岬を訪ねたのは「春」である。
‥‥ってことだった。そして、これらの情報は、旅好きおじさんが、昔、北海道ツーリングで襟裳岬のその民宿に泊まった時に、食堂の壁に貼ってあった新聞記事の切り抜きに書いてあったものだそうだ。そして、旅好きおじさんは、この記事と同様の内容が、「だきしめ北海道/村野雅義 著」(情報センター出版局)という昭和61年に発行された本にも収められてるってことも、確認して報告してくれた。これが、前回の時点で分かってたことで、実際に岡本おさみが泊まった民宿に、この記事が貼ってあったり、北海道を紹介する本にも掲載されてるんだから、この内容に間違いはないだろう‥‥って、普通は思うよね?
でも、これから紹介する新情報は、これまでの情報をことごとく粉砕しちゃう最終兵器的な破壊力のあるモノなのだ。まず、第1弾のミサイルは、貴重な音源によるもので、岡本おさみ本人が「襟裳岬」を書いた時のことを話してる。今から25年ほど前に、NHK-FMの「ふたりの部屋」って番組の中で、岡本おさみの「旅に唄あり」っていう著書を元にして、全5回の放送があったそうで、その第1回(1983年2月21日)で、この「襟裳岬」を取り上げてる。すごく短いので、興味のある人はこちらの音源を聴いてもらうとして、フランク・ザッパにマトメると、岡本おさみ本人は、次の3点を明言してる。
1.岡本おさみは、襟裳岬の近くまでは行ったことがあったが、襟裳岬には行ったことのない状況で「襟裳岬」の歌詞を書いた。
2.岡本おさみが初めて襟裳岬を訪ねたのは、「襟裳岬」の歌詞を書いてから7年後である。
3.当時は、「襟裳の春は何もない春です」と書いたことで、襟裳の人たちから多くのクレームがあった。
ま、3番目に関しては、今回の検証に直接は関係ないことだけど、前回、この「襟裳の春は何もない春です」ってフレーズや、このフレーズに至るまでの歌詞の意味について、「襟裳の人たちの思いがナンタラカンタラ」的な様々な解釈があったので、一応、取り上げておいた。とにかく、「青天のヘキレキ」とまで行かないにしろ、なかなかビックル一気飲みな内容の音源で、何よりの破壊力は、誰かが書いた記事とかじゃなくて、岡本おさみ本人が話してる点だ。どこの誰がどんなふうに反論しようとも、旧ソ連の女子バレーボールチームの「鉄のブロック」のように、すべての攻撃を跳ね返しちゃうことウケアイだ。
ちなみに、この音源の存在を教えてくださったのは、他にも重要な情報を教えてくださった「ensho」さんという人で、メールが長すぎて受信システムが弾いちゃってたけど、あとから短いメールをくださったので、弾いたメールも見つけることができた。enshoさん、貴重な情報と丁寧なメールをありがとうございました♪‥‥ってことで、続いての情報は、enshoさんの他にも、とんびさん、ミキヒコさん、martinさんからも同様のメールをいただいたんだけど、端的に言っちゃえば、「襟裳岬」の歌詞は、岡本おさみが襟裳岬をイメージして書いた「焚火1」っていう詩を元にして作られてる‥‥って内容だ。enshoさん、とんびさん、ミキヒコさん、martinさん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、一番詳しく説明してくださってるenshoさんのメールの一部を抜粋すると、こんなことだそうだ。
(前略)
最初に結論から言うと、歌詞「襟裳岬」は、「襟裳岬」と題された幾つかの詩の中の「焚火1」という作品を中核に、作曲者・吉田拓郎との共同作業の過程で別々に書かれた二つの詩が「歌うための歌詞」として、合体されたものなのです。そこまでの関心があるかどうかは分かりませんが、1973年に岡本おさみさんの対談や詩を収めた「ビートルズが教えてくれた」(自由国民社)という本が出版されていて、この本に、一連の詩がオリジナルの形で収録されており、内容を確認することも可能です。また「旅に唄あり」というエッセイの中でも、この共同作業についての記述があり、詩の一部や語尾を、歌詞として歌い易くするため変更する、また内容についても、テレビについて触れた部分が、森進一が歌う事を前提にしている以上、なじまないとの問題から、両者のやりとりの上で割愛された事情などについて触れている箇所があります。
(後略)
で、その「焚火1」って詩は、「北の街では もう悲しみを 暖炉で燃やしはじめてるらしい 理由のわからないことで 悩んでいるうちに 老いぼれてしまうから~」って、ほとんど「襟裳岬」の歌詞とおんなじなんだけど、一番大きく違う点は、例の「襟裳の春は何もない春です」ってフレーズが見当たらない点だ。そして、これとは別に「焚火2」って詩があるんだけど、こっちは、「わずらわしさをひとまとめにくるんで さあ急いでかきあつめなくちゃあ 人間くささって奴をかきあつめて ひょいと裏返しにして炎にすてる~」ってもので、「襟裳岬」の歌詞とはぜんぜん違うけど、根底に流れてるイメージは通じるものがあると思う。
そして、何よりも問題なのが、これらの「焚火1」と「焚火2」の前提として書かれてる「襟裳岬」って詩なのだ。この詩も、「こうして鈍行列車にゆられながら したためた短い便りは 電話の鳴り続ける忙しいきみの机に 名も知らぬ配達夫が届けるだろう~」ってもので、「焚火2」と同様に、完成された「襟裳岬」とはまったく違う。だけど、この詩には、途中に、こんなフレーズが登場するのだ。
「襟裳の秋はなにもない秋です」
そう! これこそが、あたしが違和感を持った根本的な部分の「答え」なのだ! どう考えても「秋」の景なのに、どうして突然、半年もワープして、「襟裳の春は~何もない春です~♪」ってなっちゃうワケ? 「襟裳の秋はなにもない秋です」なら、すべてのツジツマが合うのに、何で「春」なの?‥‥ってのが、あたしの最大の疑問だったワケだ。だから、あたしは、もともとのこのフレーズを知って、最大の疑問が氷解した。岡本おさみ本人も、ちゃんと「秋」だって言ってたのだ。それが、何らかの理由で、あとから「春」に変えられちゃってたのだ。そして、これらの点を指摘したenshoさんは、次のように分析してる。
(前略)
歌詞「襟裳岬」は、岡本おさみが別々の詩として書いたものを、曲を付ける際に「歌」として成立させる過程で(おそらくは主に作曲者・吉田拓郎要請により)強引に継ぎ接ぎされたものです。言葉を書いた岡本おさみさんがこんな接ぎ木をするとは思えませんから、これはメロディーを付ける作業の中で、拓郎側から出された案でしょう。言葉としての詩だけ読めば、それまでの流れを無視して、突如として飛び出す、「襟裳の春は何もない春です」が、とんでもない飛躍と感じられるのは当然です。俳句を20年以上もやっておられるきっこさんが、この唄の季節感の齟齬に引っかかるのは当然だとも思えます。「言葉だけで読めば明らかに飛躍がある」のは当然だし、それは間違いないのです。もともと別の詩として書かれたものなのですから。しかし、サビのメロディにのせて歌われると、ある種の飛躍を自然に納得させられてしまい、聞き手の想像力の中でそれを強引な継ぎ接ぎとは感じさせぬまま繋げさせてしまう。だからこそ、きっこさんがメールを紹介していた人たちのように、あのようないろいろな解釈も出てくるのでしょう。理屈から辿れば明らかに無理があっても、受け手の感じ方に無理や不自然さを感じさせないのは、芸というものでしょう。それがメロディを伴う歌の歌詞というものの特質なのですから、言葉の詩と、歌うことを前提とした歌詞とは、おのずから分けて考えるべきものではないでしょうか。
(中略)
きっこさんのブログにいろいろな意見を寄せていた方々も、これらの原詩をご覧になれば、誰しも「あっ!」と思われるでしょう。そして、「秋」を「春」に書き換えて末尾に置いたのは、エッセイでも述べられている通り、「日々の暮らしはいやでも~」を受ける形で、メロディがついた「焚火1」を、サビのメロディと併せてこのような詩でまとめあげる、その段階で「秋」が「春」に置き換えられた。それが、吉田拓郎との共同作業の中で、作者・岡本おさみ本人が選択した言葉だったことは、もはや疑いようはありません。読む、または見る詩ではなく、うたことば「襟裳岬」がこのような過程から生まれた。これが事実をふまえた結論です。全ての議論は、こうした事実を踏まえた上で行うべきでしょう。
(後略)
このenshoさんの分析は、9月14日の日記、「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」り中で紹介したHMさんのメールの内容とも合致する。HMさんは、「実は以前、岡本氏が詞のかなりの部分を拓郎にいじられた旨の発言をしておりました。具体的にどこをどうしたのかはわかりませんが、きっこさんの感じる残尿感はまさにこれが原因ではないでしょうか。いきなり春に飛躍してしまうのもおそらく拓郎のせいだと想像できます。(ちなみに自分は拓郎ファンであり、拓郎ファンは普通に彼を批判します。)」って書いてる。
‥‥そんなワケで、前回の結論、つまり、旅好きおじさんからの情報から到達した結論とは、ぜんぜん違う結論になっちゃったけど、今回の情報は、岡本おさみ本人が話してることであり、岡本おさみ本人が書いてることなのだ。だから、情報の信頼性としては、雲泥の差がある。そして、今回、紹介した岡本おさみ本人の発言が真実だとすれば、旅好きおじさんが教えてくださった新聞記事や本に書かれてることは、「どこかの誰かが創作した話」ってことになっちゃう。だって、岡本おさみ本人が「襟裳岬を訪ねたのは歌詞を書いてから7年後だ」って言ってるからだ。だけど、あたしは、「犯人探し」みたいなことには興味はない。体育の授業の間に、机に入れといた誰かの給食費がなくなったって大騒ぎになり、先生が生徒を1人ずつ尋問してって、クラス中がイヤ~な雰囲気になる。そんな時に限って、なくなったと思ってた給食費が、ランドセルの奥のほうに入ってたことに気づく。だけど、今さら言い出せなくて‥‥って流れが耐えられないのだ。可能性だけで言えば、岡本おさみが、襟裳岬から離れた場所の民宿に泊まった時のことを話したものが、伝聞されてくうちに「襟裳岬の民宿での体験」として新聞に書かれちゃったとか、いくらでも考えることができる。だから、あたしは、そんなことよりも、「襟裳の春は何もない春です」ってフレーズから感じた自分の違和感が「間違ってなかった」って分かっただけで満足だし、残尿感もなくなってスッキリしたし、「特捜戦隊デカレンジャー」的に言えば、「これにて、一件、コンプリート!」って感じの今日この頃なのだ♪
| 固定リンク