輝ける闇
昨日、12月8日は、ジョン・レノンの命日だったから、武道館でのスーパーライブに行って楽しんで来た人もいると思うし、自宅でジョンの歌を聴いた人もいると思う。ラジオからもジョンの歌がたくさん流れてたから、多くの人が、平和について、愛について、ちょっとだけでも考える日になったと思う。あたしは、車の運転をしながらTOKYO FMを聴いてたら、何度となくジョンの歌が流れて来て、いろんなことを考えるキッカケになった。
そして、今日、12月9日は、開高健の命日だ。今年は開高健の没後20年てことで、代表作の「輝ける闇」を始めとした名作の数々が最注目されてるから、今年初めて開高健の作品を手にした人もいると思うし、何十年も前に読んだ作品を久しぶりに読み直した人も多いと思う。念のために書いとくと、開高健は、「かいこう けん」じゃなくて「かいこう たけし」って読む。あたしと同世代の30代の人なら、「私の釣魚大全」や「フィッシュ・オン」や「オーパ!」などの魚釣りに関する作品のほうがオナジミかもしれないし、あたしより年上でも、本を読まない人なら、サントリーウイスキーのCMでしか開高健を知らない人もいるかもしれない。
で、数日前のこと、車の運転をしながらTOKYO FMを聴いてたら、ちょうど開高健の「輝ける闇」のことを話してた。あたしは、急いで移動してる最中で、断片的にしか聴けなかったので、何の番組で誰が話してたのかは分からないけど、ゲストの女性は、開高健が「輝ける闇」を執筆してる時に、約2年間、ずっと自宅にこもって小説を書き続けてて、その間、原稿を書く机と寝床の往復しかしてなくて、1日に300mも歩かない日が続いてた。それで、足腰が弱っちゃったので、健康のために釣りを始めた‥‥っていう、ワリと有名な話をしてた。
そして、「輝ける闇」の中の、徴兵を受けた若者が自分の右手の指を切り落とすシーンについて、「徴兵から逃れるために指を切り落としたんじゃなくて、人殺しをしたくないから、銃のヒキガネを引く指を切り落としたのだ」って言った。あたしは、この言葉を聴いて、20年も前の高校時代に読んだ「輝ける闇」のことを薄っすらと思い出し、もう一度読んでみようと思い、さっそく、図書館に借りに行った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、20年以上ぶりに、開高健の「輝ける闇」を読んだんだけど、まるで初めて読んだように感じられて、強い衝撃を受けた。もちろん、ストーリー的なことは、読みながら思い出したりもしたんだけど、高校時代と今とでは、あたし自身の感性も知識も状況も大きく変わってるから、当時は気づかなかったことに気づいたり、当時はサラッと流してたようなシーンに目が止まったりもしたし、何よりも、登場人物それぞれの言葉にならない言葉を感じることができた。そして、あらためて、戦争というものが、人類が作り出した史上最悪の愚行だってことを心に刻んだ。
開高健は、34才の時、昭和39年(1964年)の11月から翌年の2月までの3ヶ月弱、朝日新聞社の臨時海外特派員としてベトナムへ渡り、アメリカ軍のウェイン大尉の部隊の従軍記者をつとめた。ベトナム戦争は、1965年2月7日の北爆(アメリカ軍による北ベトナムへの集中爆撃)を一応の「開戦」としてるけど、もちろん、これは、2月7日に突如として戦争が始まったワケじゃなくて、それまでも駐留してるアメリカ軍との間に交戦はあったワケで、今どきの言い方をすれば、アメリカ兵がベトナム人を殺すのは「正義」で、ベトコンがアメリカ兵を殺すのは「テロ」ってことになる。
で、そうした小さな交戦はアチコチで起こってたワケだけど、2月7日の北爆をキッカケにして、双方の攻撃は激化した。そして、開戦後1週間目の2月14日、バレンタインデーに、開高健が取材してた部隊はベトコンに包囲されて、いっせい掃射を浴びた。捕まった将校とかは公開処刑になったりして、200人の部隊の9割以上が殺された。生き残ったのは17人だけで、その中に開高健もいた。まさに「九死に一生を得た」ってワケで、2月24日に帰国した開高健は、ベトナムでの体験記を発表して、反戦活動を始めた。自分の目で戦争を見て、自分も殺されかけた開高健にとっては、天地がひっくり返っても「戦争は絶対悪」であり、今のニポンに増殖して来た「屁理屈だけの腰抜け右翼」どもとは一線を画した信念があった。
「輝ける闇」は、こうした自身の体験をもとにして、フィクションも織り交ぜて書かれた最高傑作だけど、その前提には、「朝日ジャーナル」に連載された「渚から来るもの」っていう長編がある。これは、ベトナムでの体験が色褪せないうちに書き留めておこうと執筆したような内容で、この長編を下敷きにして、文学的に読みやすくマトメたものが「輝ける闇」だ。だから、1つ1つの出来事の中には、重複してるものもたくさんある。ただ、「渚から来るもの」のほうは、ベトナムじゃなくて架空の国が舞台になってる。あたしは、最初、当時のニポンはアメリカの属国だっていう感覚が今よりも強かったから、アメリカのベトナム侵攻を批判するような内容の作品は発表しにくくて、それで架空の国の話にしたのかな?って思った。だけど、ずっとあとから、開高健が「私が文学として書いている作品を政治的な立場から批評されることは不愉快だ」って感じのことを何かに書いてたのを読んで、「なるほど!」って思ったことを覚えてる。
‥‥そんなワケで、自分の目で現場を見て来た開高健のベトナム戦争の描写の中には、たとえば、捕まえた北軍のゲリラが指令書を飲み込んじゃうシーンがある。指令書を飲み込んだゲリラに対して、アメリカ軍が加担してる南軍の兵士は、何のタメライもなく、そのゲリラの腹を切り裂いて指令書を取り出す。これは、恐怖マンガやスプラッター映画のワンシーンじゃなくて、開高健がベトナムで見聞きして来た現実のことなのだ。こんなことが、現実に、日常的に行なわれてるのが戦争の現場ってワケで、あたしたちには想像を絶するような残酷なやり方にも、ちゃんとした理由がある。
北軍のゲリラの腹を切り裂いた南軍の将校は、この行為を「非人道的」だと言われたことに対して、このゲリラを殺して敵の作戦書を手に入れたからこそ、犠牲を最小限に抑えることができるんだって言う。もしも、作戦書が手に入らなければ、敵の作戦が分からないから、怪しいと思われる村をカタッパシからナパーム弾で焼き払わなくちゃならなくなる。そうして、作戦とは無関係の女や子供を何十人、何百人も殺すことが「人道的」なのかと問い返す。
確かに、1人のゲリラを殺して作戦書を手に入れて、敵をピンポイントで攻撃したほうが、犠牲者の数は少なく済むだろう。だけど、あたしは、こんな理論がマカリ通ってる戦争そのものに寒気がした。1人だって100人だって、人を殺すことには何も変わらないのに、命の重さはみんなおんなじなのに、「なるべく犠牲者を少なくなるため」だなんて、戦争っていう絶対悪を正当化するための詭弁でしかないと思った。
去年の年末から今年の1月にかけて、パレスチナ自治区のガザ地区のハマースに対して、イスラエル軍がクラスター爆弾や白リン弾を使ったことを国際社会は「非人道的な兵器を使った」って批判した。あたしは、これを聞いて、アホかと思った。人を殺すために作られた武器や兵器に、人道的なものと非人道的なものがあるなんて、お前らアホか?‥‥って思った。殺されるほうにしてみれば、家族や恋人を殺された遺族にしてみれば、どんな武器や兵器で殺されたっておんなじなんだよ。世界中のすべての武器や兵器は、ぜんぶ「非人道的」なんだよ。
ベトナム戦争で、ゲリラ1人の腹を切り裂いて犠牲を最小限に抑えることと、ゲリラに情けをかけて女や子供を何十人も殺すことを比較して、「どっちが非人道的か?」って考える愚かさは、この、人殺しの道具を「人道的」と「非人道的」に分けるっていう異常な感覚とおんなじだ。ゲリラ1人を殺すことも、女や子供を何十人も殺すことも、どっちも「非人道的」なのであって、つまりは、戦争そのものが最初から「非人道的」なんだよ。だからこそ、ジョン・レノンにしたって、開高健にしたって、「反戦」や「非戦」っていうホントの意味で「人道的」なスタンスを貫いたんじゃないか。
‥‥そんなワケで、あたしたちニポン人の多くが、「自分とは無関係」だと思ってるベトナム戦争だけど、このニポンの中で、誰よりもベトナム戦争のことを当事者のように感じてるのが、沖縄のオジィやオバァたちだ。今まで何度も書いて来たけど、辺野古で平和の座り込みを続けて来たオジィやオバァたちは、自分たちの愛する沖縄から飛び立って行ったアメリカ軍の爆撃機が、べトナムを火の海にして、何の罪もない人たちをカタッパシから殺したことを知ってる。だから、自分たちも加害者意識を持ってるのだ。
ベトナム戦争に限らず、湾岸戦争にしても、イラク戦争にしても、アフガン侵攻にしても、沖縄を飛び立った爆撃機や輸送機が海の向こうの国々の人たちを殺し続けてることが、沖縄のオジィやオバァたちには耐えられないのだ。かつて自分たちがアメリカ軍から受けた苦しみを今、自分たちが加害者側に立ち、他国の人たちに与えてることに耐えられないのだ。だから、辺野古で平和の座り込みを続けて来たオジィやオバァたちは、みんな口をそろえて、「これ以上、沖縄を『加害者の島』にしたくない」って言って、そのために、辺野古の新基地の建設に反対し続けて来た。
辺野古での平和の座り込みを何年も続けて来て、2007年5月19日に亡くなった「命を守る会」の当時の代表、金城祐治さんは、たくさんの重い言葉、沖縄の人たちを代表する力強いメッセージを残してる。あたしは、金城祐治さんが亡くなられた翌日の日記、「金城祐治さんの言霊」に、たくさんの言葉を紹介させていただいたけど、ホンの一部を抜粋すると、今の鳩山政権にこそ聞かせてやりたい言葉ばかりだってことに気づいた。
「守る会ではわたしが最年少、最高齢は八十八歳。そんなオジィ、オバァが二度と辺野古を戦場(いくさば)にはさせないと頑張っている」
「日本の課題をなぜ小さな島に背負わせるのか。それが日本の民主主義か!」
「市民投票の民意が踏みにじられて今日まできた。平和は守るものではなく育て、つくり出していくものだと市民や国民が気付き、展望を開かなければならない」
「小泉前首相は当初、(沖縄在留部隊の)海外移転もにおわせたが、結果的には落胆だけを残した。結局、負担をかけて申し訳ない、という気持ちがないんだよ。安倍さんも同じだ」
「米軍はやりたい放題に演習し、命の海は埋め立てられようとしている。この状況に楔(くさび)を打ち、移設を撤回させよう!!」
「国内外で基地建設に疑問の声があるなか、日本政府は国際自然保護連合(IUCN)が二度も勧告を出しているにもかかわらず、無視を続けている。これでいいのか問いたい。」
「仮に日米安保体制がそれほど重要であるならば、沖縄だけに過重負担を押し付けるのではなく、日本全国で均等に負担すべきだといえます。」
「今の政府は忠犬ハチ公。アメリカに忠犬ハチ公のように尾っぽを振ってついて行く非常に情けない日本になりました。これを正すのはやっぱり国民がしっかり未来をみつめて、現実を知り、じゃあ自分はどういう運動をやりどういうことをやり遂げるのかということを一人一人が持っていかなければならないと思います。」
どの言葉も、辺野古に限らず、沖縄の人たちの80%以上が思ってることだ。そして、金城祐治さんは、こうした力強いメッセージとは別に、思い出話として、こんな言葉も残してる。
「辺野古は壕が多くてな、ちっちゃい頃はその中で良く遊んでいた。あの漁港にある岩があるだろう。あそこの裏手も大きな壕になっている。ベトナム戦争の時にはね、米兵が軍から逃げてそこに住んでいたんだ。よっぽど戦争に行きたくなかったんだろ。そろそろ誰か住み着くんじゃないか。イラクに行きたくないやつが。」
1965年に開戦して、1975年に終戦したのがベトナム戦争だから、あたしは、ベトナム戦争の最中に生まれたことになる。あたしが2才とか3才の時に、いくら幼児で世の中のことが何も分からなかった時だとは言え、ニポンを飛び立って行ったアメリカ軍の爆撃機が、ベトナムの人たちを殺してた時間に、このニポンの空気を吸ってたのだ。そして、ベトナムの人たちを殺すための費用の一部は、あたしの父さんや母さんが支払った税金から捻出されてたのだ。そう考えると、あたしは、ベトナム戦争に対して、金城祐治さんのようなダイレクトな思い出はないにしろ、少なくとも、加害者側に立ってたことに変わりはないワケだ。そして、それから30年以上も経った今も、沖縄にアメリカ軍の海兵隊の基地がある限り、あたしは、戦争という絶対悪の加害者の1人であり続けなきゃならないのだ。
自分たちが地上戦の被害者になり、数え切れないほどの命を落とし、敗戦後も駐留するアメリカ兵どもから強姦や強盗や殺人などの凶悪犯罪の餌食にされて来た沖縄の人たちだからこそ、その痛みを知ってるからこそ、自分たちが加害者になることが耐えられないのだ。戦争という絶対悪の罪の重さを知ってるからこそ、自分たちの島を飛び立って行った軍隊が、他国の人たちを殺し続けてることが耐えられないのだ。全国の基地の75%を押しつけられてる沖縄の人たちにとって、これ以上、新しい基地を建設されるなんて、とうてい耐えられるレベルの問題じゃない。
‥‥そんなワケで、「輝ける闇」の中で、徴兵を受けて、人殺しになりたくなくて、自分の右手の指を切り落とした主人公の従軍記者の助手も、沖縄で基地を脱走して漁港の壕に隠れてたアメリカ兵も、あたしは、みんな正常だと思う。自分が死にたくないから戦争に行きたくない人も、自分が人殺しになりたくないから戦争に行きたくない人も、あたしは、みんな正常だと思う。戦時中のニポンでは、こうした人たちのことを「非国民」て呼んだけど、あたしに言わせれば、自分たちだけは絶対に安全な場所にいて、こうした若者たちを次々と戦地へと向かわせたヤツラこそが、ホントの意味での「非国民」だと思う。結局、戦地へ行かされる人たちは、誰1人、殺し合いなんてしたくないのに、誰1人、加害者にも被害者にもなりたくないのに、決して自らが戦地へ行くことのない雲の上の人たちから命令されて、仕方なく殺し合いをさせられてるだけなのだ。だから、沖縄の人たちが「これ以上、沖縄を『加害者の島』にしたくない」って言ってる時に、あたしたちは「普天間飛行場をどこへ移設するか」なんて論じるんじゃなくて、アメリカに対してハッキリと「これ以上、ニポンを『加害者の国』にしたくない」って言って、アメリカ軍にはトットと自分の国へ帰ってもらうのが正常な感覚だと思う今日この頃なのだ。
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