ヒヨドリジョウゴの実
ここんとこ、とても12月とは思えないような寒さが続いてる。まるで、1月や2月の寒さみたいだ。これは、東京で生まれ育ったあたしの感覚なので、北や南や西の人は違うと思うけど、東京だと、なんていうか、11月や12月の「年内の寒さ」と、1月や2月の「年が明けてからの寒さ」とは、寒さのタイプが違うんだよね。11月や12月の寒さは、北風の寒さって感じだから、中は薄着でも、ウインドブレーカーを羽織って風を遮断すれば、何とかガマンすることができる。外は震えるほど寒くても、風の吹いてない室内に入れば、暖房のない場所でも暖かく感じる。
だけど、1月や2月の寒さは、空気そのもの、地面そのものが冷たくなってる感じで、風がぜんぜん吹いてなくても、まるで、冷凍倉庫の中にいるみたいに寒い。どんなに重ね着をしても、体のあちこちにホカロンを貼ってないと寒いし、風の吹いてない室内にいても、暖房がなければ凍えるほど寒い。だから、本格的な暖房がないあたしのお部屋では、年内は普通に生活できるんだけど、年が明けてからの寒さは厳しい。夜なんて、上下に何枚も重ね着してるのは当然として、その上にコートを着て、手袋をして、毛糸の帽子を耳までかぶってても、唯一、空気に触れてる顔が寒い。特に、鼻の先が凍りそうに寒くて、そのうちに痛くなって来る。それで、花粉症用のマスクをして、自分の息で鼻を暖めてた。
でも、それから、コジマ電気のバーゲンで激安の電気毛布を手に入れて、夜だけは少し暖かく眠れるようになった。そして、あたしの惨状を知った俳句仲間や読者の皆さんが、ホカロン、湯たんぽ、電子レンジでチンするジェル状の湯たんぽ、毛布、電気敷き毛布、遠赤外線の靴下などなどを送ってくださったので、あたしの越冬生活は格段に改善された。だって、それまでは、ギャグじゃなくて、ホントに野良猫のマックスを連れて帰って来て、お布団の中に入れて、湯たんぽの代わりにしてたからだ。ま、そのセイで、電気毛布で暖かく寝られるようになった今でも、時々、マックスのほうから訪ねて来るようになったから、そんな時は一緒に寝てる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、12月の下旬くらいまでは、電気毛布を使わずに寝てて、ヒンパンに使うようになるのは、年が明けてからだ。だけど、あたしが寒さに慣れたのか、それとも世の中が暖かかったからなのか、去年の冬は、一度も使わなかったような気がする。もしかしたら、1回か2回くらいは使ったかもしれないけど、今年の1月と2月は、例年よりも暖かかったみたいで、ぜんぜん使ってないような気がする。
それなのに、ここ数日、一気に寒くなった。それも、いつもの11月や12月の寒さじゃなくて、お部屋の中にいても震えが止まらない1月や2月の寒さだ。30分も湯舟に浸かって体を温めても、お風呂から上がってバスタオルで体を拭いてるうちに、もう全身が寒くなって来る。夜中や早朝にパソコンを使ってると、マウスが冷たくて指の感覚がなくなって来る。あたしの車は、ウッドのステアリングに交換してあるから、朝イチはステアリングが冷たくて握ることができない。お部屋の中にいるのに、吐く息が真っ白で、あまりの寒さに、この冬、初めて電気毛布のスイッチを入れた。
それで、急に寒くなって、あたしがふと思い出したのが、多摩川の河原の「ヒヨドリジョウゴの実」のことだった。ヒヨドリジョウゴってのは、山とか河原とかに普通に生えてる植物なんだけど、ツル科の植物だから、自力で上に伸びてくことができない。木などの他の植物に巻きつきながら伸びてって、夏の終わりに、白くて可愛いお花をたくさん咲かせる。葉っぱは、朝顔の葉っぱに似てて、正面から見ると耳の垂れた犬の顔みたいに見える。そして、秋になると、白いお花は薄い緑の可愛い実になり、秋が深まって葉っぱが落ち始めると、実はだんだんに赤くなってく。
「ヒヨドリジョウゴ」の「ジョウゴ」は、漢字で「上戸」って書く。お酒が飲めない人のことを「下戸(げこ)」って言うけど、それの反対で、「大好物」って意味だ。つまり、「ヒヨドリの大好物」って意味で、漢字だと「鵯上戸」って書く。だけど、実際には、別にヒヨドリの好物ってワケでもないし、他の小鳥たちからも好まれてない。ようするに、小鳥たちには人気のない実ってことで、冬になるまで、食べられずにたくさん残ってる。
そんなヒヨドリジョウゴの実なんだけど、11月23日の「勤労感謝の日」に、競馬で儲けたお金で母さんに電動アシスト付き自転車をプレゼントして、一緒に多摩川沿いのサイクリングロードを走ってたら、最初にちょっと休憩した場所の近くに、ものすごくたくさんあったのだ。そこは、ススキとセイタカアワダチソウが密生してる場所だったんだけど、ヒヨドリジョウゴは、セイタカアワダチソウにだけ巻きついてて、可愛らしい真っ赤な実をたくさんつけてた。あたしは、「ススキは風で大きく揺れるから、巻きつくと切れちゃうのかな?」って思った。セイタカアワダチソウだって多少は揺れるけど、あたしの背よりも高いセイタカアワダチソウは、茎の下のほうは親指よりも太くてシッカリしてるから、あたしがヒヨドリジョウゴだったとしても、やっぱり、こっちに巻きつくと思った。
で、母さんとしばらく観察してたんだけど、母さんは、「セイタカアワダチソウがみんな枯れたら、もっと実の赤が引き立つのにね」って言った。この時、セイタカアワダチソウは、半分くらいは枯れ始めてたんだけど、半分くらいはまだ青々としてて、黄色いお花も少し残ってたのだ。だけど、そこに巻きついてるヒヨドリジョウゴのほうは、もう完全に枯れてて、葉っぱは1枚もないし、ツルも茶色く乾燥してた。そして、1センチくらいの真っ赤な実だけが、いくつもいくつも光ってた。
‥‥そんなワケで、春、夏、秋と、それぞれにたくさんの色があふれてた多摩川の河原も、冬に入ると、色がなくなって来る。多摩川の河原にも、冬でも緑を絶やさない常緑樹が生えてるプチ森林もあるけど、この場所には草花しか生えてないから、その草花がぜんぶ枯れたら、すごく殺風景になる。冬になって、1年草たちがすべて枯れ、多年草たちが土の中で根だけの越冬を始めると、目に見える河原は一気に寒々しくなる。だけど、そんな殺風景の河原でも、枯れ草の残ってる場所に近づいてみると、ヒヨドリジョウゴの小さな赤い実だけが残ってて、生命感が消えたモノクロの世界の中に、小さな命の残り火を感じさせてくれるのだ。
モノクロの中の赤って言うと、あたしの大好きなUB40の「Red Red Wine」のPVを思い出す。ニール・ダイヤモンドの名曲をUB40がレゲエにアレンジしたカバーで、全編モノクロの映像の中で、アリ・キャンベルが持ってるグラスのワインだけが赤い。ただ、これは赤ワインだから、真っ赤じゃなくて、くすんだ赤だ。でも、今の時期のヒヨドリジョウゴの実は、真っ赤も真っ赤、まっかっかだ。エヴァンゲリオンならアスカの弐号機よりも赤いし、ガンダムならシャアのザクよりも赤い。ランコムならラプソリュルージュの190番のルージュエテルネルよりも赤いし、シャネルならルージュアリュールラックの75番のドラゴンよりも赤い。
そんなに真っ赤なヒヨドリジョウゴの実だから、ひとつひとつは小さくても、モノクロの世界の中では、不思議な存在感がある。もちろん、枯れた草だけでもワビやサビを味わうことはできるんだけど、そこに小さくて真っ赤な実が置かれると、枯れ草のワビやサビも引き立つ上に、実だけを残して薄茶色に枯れたヒヨドリジョウゴの茎やツルに、より一層のワビやサビが感じられる。
だけど、11月23日に母さんと見た時には、ヒヨドリジョウゴは実だけを残して完全に枯れてたけど、巻きつかれてるセイタカアワダチソウのほうは、まだ半分くらいは青々としてたのだ。だから、河原の世界には、ヒヨドリジョウゴの実の赤だけじゃなくて、セイタカアワダチソウの葉っぱや茎の緑や、花の黄色が置かれてて、中途半端な感じだった。それで、母さんは、「セイタカアワダチソウがみんな枯れたら、もっと実の赤が引き立つのにね」って言ったのだ。
で、話はクルリンパと戻るけど、あたしは、ここ数日で急に寒くなったから、そろそろセイタカアワダチソウがみんな枯れてるんじゃないかと思って、ヒヨドリジョウゴの実の様子を見に行ってみることにした。オトトイ、お仕事のスタート時間が2時間ほど遅くなって、朝9時に出掛ける予定が11時になったから、寒かったけど、自転車で行ってみた。多摩川のサイクリングロードを上流に向かって走ると、お天気は良かったけど空気が冷たくて、化粧水でパッティングしてるみたいに顔の皮膚が引き締まった。10分ほど走って、土手を下りると、1割くらいは緑のセイタカアワダチソウも残ってたけど、ほとんどは枯れてて、いい感じのワビとサビを醸し出してた。
‥‥そんなワケで、あたしは、ワクワクしながらセイタカアワダチソウに近づいてったら、ナナナナナント! カンジンのヒヨドリジョウゴの実のほうが、赤を通り越して汚らしい黄色に変色してたのだ! ポツポツと赤い実も残ってたけど、食べたあとのブドウみたいにしぼんだ黄色い実が並んでて、あたしの思ってた状況とはぜんぜん違ってた。一応、なるべく赤い実が集まってた部分をケータイで接写して、一句そえて母さんのケータイに画像を送ったんだけど、画像も俳句もイマイチで、どうも納得が行かなかった今日この頃なのだ。
川風のつんと鵯上戸の実 きっこ
| 固定リンク




















