お猪口の中の海
今は「寒の内」だから、寒いのは文字通リで当たり前なんだけど、昼間はともかくとして、とにかく夜が寒すぎる。お風呂で温まってる時と、湯たんぽと電気毛布のダブル保温でお布団にくるまってる時だけはいいんだけど、リビングのソファーに座って本を読んでたり、パソコンで日記を書いてたり、インターネットでアニメを観てたりすると、どんなに着膨れてても、このまま凍死するんじゃないかと思うほど寒い。それで、あたしは、体を温めるために、焼酎のお湯割りの梅干し入りを飲みながら、本を読んだり日記を書いたりアニメを観たりしてるんだけど、あまりにもお部屋が寒いから、お湯割りが熱いのは最初のうちだけで、すぐにぬるくなっちゃう。コーヒーをいれて飲んでても、5分もしないうちにアイスコーヒーになっちゃうほど寒い。
こないだなんか、お酒を飲みすぎちゃって、しまいにはお部屋の寒さも分からないほど酔っ払っちゃったから、何を考えたんだか、グラスに氷を入れてウイスキーのロックを飲んじゃった。それで、グラスとかみんな出しっぱなしで、深夜の2時か3時ころに寝たんだけど、朝の7時半に起きたら、大きいままの氷が、ほとんど融けずにグラスに残ってた。4時間か5時間くらい経過してるのに、グラスの中の氷がほとんど融けてないなんて、あたしのお部屋は冷凍庫か!‥‥って、自分でツッコミを入れちゃったほどだ。
だから、焼酎のお湯割りを飲んでても、半分くらい飲んだとこで、一度、電子レンジでチンして、熱くしなおしてから飲んでる。だけど、たいていは、ヒザとか肩とかに電器毛布を掛けて飲んでるから、いちいち立ち上がって、さらに寒いキッチンまで行くのもメンドクサイし、何よりも、電子レンジの前でガタガタと震えながら、1分とか1分30秒とかガマンして待ってるのがつらい。それで、あたしは、いろいろと考えた結果、ニポン酒の熱燗を飲んでみることにした。あたしは、ニポン酒の場合は、辛口を冷やで飲むのが一番好きなんだけど、ここまで寒いと、ヤケドするくらいの熱燗をクイクイと飲んで、体を内側から温めるのが最善策なんじゃないかと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしの大好きな「銀嶺立山」は、お燗なんかにしたらモッタイナイから、安いお酒を買って来ることにした。それで、お仕事の帰りにスーパーに寄って、いろいろと並んでた1.8リットルの紙パックのニポン酒の中から、1100円の純米酒を選んだ。一番安いのは、800円弱の合成酒があったんだけど、せめて純米酒くらいは飲みたかったから、純米酒の中で一番安いのを選んだってワケだ。それでも、1食の食費を100円て決めてるあたしにとって、1100円のお酒を買うのはスサマジイほどのゼイタクなワケで、棚の前で15分ほど悩んじゃった。
でも、今年になってから、「金杯」の馬券を買った以外には、まだ1円も自分のゼイタクのために使ってなかったから、自分への「お年玉」ってことにして、この純米酒を買った。何しろ、あたしは、お元日に神社で「お賽銭」と「お御籤」にお金を使った他には、新年初めてのお買い物である「買初め」が、こともあろうに、原チャリの「2サイクルオイル」だったのだ。3日の日に原チャリに乗ったら、オイルのランプが点滅してて、買い置きのオイルを入れようとしたら、もうなくなってた。それで、バイクの部品の量販店まで行って、一番安い525円の「2サイクルオイル」を買って、自分で入れた。そして、まだ半分くらいは入ってたけど、ついでセルフのガソリンスタンドに寄って、自分でレギュラーを2リッターくらい入れた。
だから、あたしの今年の「買初め」は「2サイクルオイル」で、次に買ったのが「レギュラーガソリン」で、次に買ったのが「馬券」で、それから今日までに食品とかも買ったけど、次に買った個人的なものは、今回の「ニポン酒」ってことになる。女性なら、オシャレなファッション関係の「福袋」とかが「買初め」で、他にもお正月にはキラキラしたものをいろいろと買うのが普通なのに、あたしの場合は、完全にオヤジ街道まっしぐらだ(笑)
で、話をクルリンパと戻して、買って来た純米酒だけど、せっかくだから、メッタに使うことがない、とっておきの「徳利(とっくり)」と「ぐい呑み」を使うことにした。あたしは、お茶碗やお皿やコーヒーカップには興味がなくて、ほとんどが100円ショップで買ったものを使ってるし、一番高価なマグカップも、「ドンキホーテ」の環七店で買ったマリファナ模様の350円のものだ。だけど、徳利とお猪口とぐい呑みに関しては、そこそこ高価なものを持ってる。
もちろん、何万円もするものは持ってないけど、一番高いのが、8000円の徳利とお猪口2個のセットだ。他にも、5000円くらいのセットを2組持ってるし、徳利の単品だと、揺れる舟の上でも倒れないようなドッシリとした形になってる「舟徳利」も持ってる。これは、3500円くらいした。あと、お猪口とぐい呑みは、ぜんぶで10組くらい持ってて、安いものは2個で1000円くらいのものから、高いものは2個で5000円くらいのものまで、値段はいろいろだけど、ほとんどが益子焼だ。
‥‥そんなワケで、あたしは、独立して車を買った10年ちょい前、秋に1人でドライブして、茨城県まで「袋田の滝」を見に行ったことがある。冬になると凍るっていうから、ホントは凍った滝が見たかったんだけど、この時は11月の頭だったから、まだ凍ってなかった。だけど、独立したばかりで、ものすごいストレスを感じて悩んでた時期だったから、「袋田の滝」を見て、モヤモヤしてた気持ちがスッキリとリフレッシュできただけじゃなくて、いっぱいパワーをもらうこともできた。
それで、帰りに益子町を通ったら、ちょうど「秋の焼物市」をやってたので、寄ってみることにした。街道沿いのいろんなとこに赤いノボリが立ってて、あっちでもこっちでも市をやってたから、あたしは、順番に見て回った。だけど、あまりにも量が多すぎて、ぜんぶを見ることなんて不可能だし、人手もすごかったから、落ち着いて見ることができなかった。それで、何も買わずに市をあとにしたら、ちょっと離れたとこに、ポツンと1軒のお店があった。益子の町は、街道沿いに、ポツン、ポツンと、小さな個人のギャラリーみたいな焼物屋さんが点在してるのだ。
たまたま立ち寄った焼物屋さんは、市の人手とはウラハラに、お客はあたし1人で、ゆっくりと見ることができた。このお店は、若手の陶芸家の作品を中心に扱ってるとのことで、1つ1つの作品に、作者のプロフィールが添えてあった。あたしは、最初は、母さんに湯呑みを買ってこうと思ってたんだけど、これといってピンと来るものがなかった。それで、他のコーナーも見てみたら、徳利とお猪口のセットが何点か並んでて、どれもステキなデザインだった。でも、安いものでも1万円前後、高いものは3万円くらいで、とても手が出ない。
そんな時、ふと見たら、大きめのお猪口って言うか、小さめのぐい呑みって言うか、ちょうどいい大きさの器が2個並んでた。他の作品は、どれも、徳利が1つとお猪口が2つのセットなのに、これは、お猪口だけだった。手にとって見たら、内側が細かいヒビワレの上に透明な釉薬が掛かってて、海の中みたいなブルーになってて、ホントに海を覗いてるみたいな気分になった。こんなちっちゃい器なのに、覗いてると海みたいに感じられるなんて、子供の時に、青いビー玉を目にくっつけて空を見てた時のことを思い出した。それで、あたしは、このお猪口がどうしても欲しくなったんだけど、2個で5000円もしたから、しばらく悩んで、買わずにお店を出た。
このお店のご主人は、当時、まだ40代くらいの若い男性で、こっちから質問しない限り、ずっと静かに座ってるだけで、あれこれと押し売りはして来ないし、すごくイイ感じの人だった。だから、何も買わずに帰るのは申し訳なかったんだけど、まだお仕事が軌道に乗ってなくて、ここまで来るのも節約して、高速を使わずに一般道を走って来たくらいだったから、すごく欲しかったけどガマンしたのだ。だけど、お店を出て、車で走り出したら、ものすごい力で後ろ髪を引かれちゃった。そして、あたしの左肩の上に小さい「黒きっこ」が現われて、右肩の上に小さい「白きっこ」が現われて、交互に囁き始めた。
「あれば一点物なんだから、今、買わなかったら、もう二度と手に入らないわよ」
「今月の光熱費もギリギリなのに、不必要なものに5000円も使うなんて考えられないわ」
いつもなら、絶対に「白きっこ」の言うことを聞くあたしなのに、この時は、後ろ髪の引かれ方がハンパじゃなかった。車を運転して、そのお店からどんどんと離れてく自分が、まるで、恋人と別れて離れてくみたいに感じられて、このまま別れたら、二度と会えなくなるような気がした。結局、あたしは、30分ほど走ったとこで、道沿いの駐車スペースに車を入れてUターンして、そのお店へと戻った。お店に着くまでの30分は、ただ単に「お猪口を買いに行く」ってだけのことなのに、ヤタラと心臓がドキドキして、不思議な感覚にとらわれたことを覚えてる。
1時間前に、何も買わずに帰ったお客が、また戻って来て、さっき、手にとってずっと眺めてたお猪口をレジのとこに持って来たもんだから、お店のご主人は、あたしがそのお猪口をよっぽど欲しかったんだろうと分かったみたいだった。だからって、お愛想を振りまくワケでもなく、饒舌に何かをしゃべるワケでもなく、一度だけニコッと微笑んだだけだった。そして、ハッと何かを思い出したような顔をして、「あの、もし失礼でなければ‥‥」って言って、後ろの棚の下のほうから小箱を取り、「これ、いりますか?」って言って、その箱から徳利を取り出した。
一瞬で、あたしの脳裏に焼きついた、お猪口の中のブルーとおんなじ色が全体に流れてる美しい徳利で、このお猪口とセットの徳利だってことは、説明されなくても、ひと目で分かった。そして、あたしは、いったい何が起こったのか理解できずに、キツネにつままれたみたいな顔をしてると、ご主人は、その徳利の口の部分を指差して、こう言った。
「ここが少しだけ欠けてしまったので、もう売り物にならないので下げていたんです。もし、こんなものでよろしければ、差し上げますので使ってください」
欠けてるって言っても、口の外側の部分が、長さ1ミリ、深さ0.5ミリくらい削れてただけで、虫メガネで見ないと分からないほどだった。あたしから見れば、十分に売り物として通用するレベルで、定価はマズイとしても、半額くらいの価値はあると思った。そして、他のセットの値段から考えても、お猪口が2個で5000円なら、そのセットの徳利は1万円くらいはするのが普通だったから、いくら欠けてるとは言え、こんなに高価なものはいただけないと思い、あたしは、その通りの気持ちを伝えた。そしたら、ご主人は、こう言ったのだ。
「あなたは、さっきいらした時、この猪口をずっと見つめていました。とても気に入っているように見えました。でも、買わずに帰られた。私は、あなたは必ず戻って来ると直感しました。それで、もしあなたが戻って来て、この猪口を買われたら、この徳利を差し上げようと決めていたんです」
あたしは、自分の気持ちをすべて見透かされてたように感じて、ちょっと恥ずかしくなった。でも、とっても嬉しかった。それで、心からのお礼を言って、大切に使うと約束して、その徳利をいただいた。あたしは、益子焼に限らず、1個何千円もする高価な焼物なんて買うのは初めてだったから、この時のことは、昨日のことのように覚えてる。
‥‥そんなワケで、あたしは、ワクワクしながらお家に帰り、ワクワクしながら使ってみた。紙パックの安物のニポン酒を徳利に入れて、冷やのまま、お猪口に注いだら、トクトクトクトク‥‥って、何とも言えないステキな音がして、気持ちがすごく落ち着いた。そして、お猪口の中を覗いたら、何も入ってない時はブルーだった底の色が、ほんの少しだけグリーン掛かって、ますます海を覗いてるみたいに感じられた。
お猪口は、ロクロじゃなくて手びねりなので、フチのラインや厚みにビミョ~な強弱があって、口をあてた時に、シックリ来る部分とそうじゃない部分があることが分かった。それで、あたしは、2つのお猪口をいろんな位置から飲んでみて、こっちのお猪口はこの場所、もう1つのお猪口はこの場所‥‥って、それぞれのベストの位置を決めたりもした。とっても楽しかった。
だけど、しばらく楽しんでたら、徳利の下のテーブルが濡れてることに気づいた。テーブルと徳利の底を布巾で拭いたんだけど、しばらくすると、また濡れて来た。どうやら、徳利から漏れてるらしい。それで、あたしは、口が欠けた時に、底の部分にもヒビが入ったのかと思って、すごくガッカリした。こんなにステキな徳利なのに、せっかくご好意でいただいたのに、使えないなんてホントに残念だ。それに、「大切に使います」って約束したのに‥‥って思って、あたしは、そのお店に電話した。もちろん、何か直す方法はないか聞くためだ。
そしたら、ご主人は、「益子焼は粗い土を使っているものが多いので、自然にお酒が染み出てしまう徳利も多い。何度も使っているうちに、お酒の糖分が隙間を埋めて行き、漏れなくなって行く」ってことを教えてくださった。つまり、これは、ヒビワレしてる不良品なんかじゃなくて、益子焼の特徴だったのだ。それで、あたしは、ニポン酒を飲むたびに、この徳利を使うようにしてたら、10回も使わないうちに漏れなくなった。そして、それからは、「ここ一番」の時とか、大好きな「銀嶺立山」が手に入った時とかに、大切に使ってるんだけど、10年以上が過ぎて、何とも言えない味わいが出て来た。
‥‥そんなワケで、益子焼の市は、毎年、5月のゴールデンウィークと11月の頭に行なわれてるので、それから、あたしは、毎年11月の市に行って、自分のお誕生日のプレゼントとして、チョコチョコと買うようになった。猪口だけに(笑)‥‥ってことで、ここ数年は、節約生活を続けてるからお休みしてたけど、母さんの具合も良くなって来たし、生活も少しずつ安定して来たから、今年くらいから、また、11月に益子を訪ねてみようかと思ってる。もちろん、母さんと一緒に、滝を見たり、温泉に入ったりするのが目的で、焼物を買うのはオマケだけど、それでも、ずっと病気でつらい思いをして来た母さんの「心のヒビワレ」に、少しでも楽しい思い出が染み込んでくように、あたしの最大のライフワークである「親孝行」に邁進したいと思う。久しぶりに、お猪口の中のブルーの海を眺めてたら、改めてこんなことを思っちゃった今日この頃なのだ。
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