馬の耳にSF
猫たちが、ご飯の時間に全員集合するってことはメッタにないんだけど、どんな顔ぶれの時も、絶対に顔を出してたもんじゃが、4日前から顔を見せなくなった。もんじゃは、妊娠した時に顔を見せなくなっただけで、それ以外は、必ずご飯を食べに来てた。たとえば、朝は顔を見せなくても、夜はやって来るとか、1日に1回は必ず顔を見せてた。そんなもんじゃが、突然、朝も夜も顔を見せなくなったので、あたしは心配になり、いつももんじゃが遊んでる空き地を見に行ったりもしたんだけど、どこにも姿がない。マンションの人たちに聞いても、誰も見てないって言う。
それで、あたしは、5日目になってももんじゃが現われなかったら、「もんじゃ捜索隊」を結成して、本格的に探すことにした‥‥って言っても、隊長があたしで、あとはマンションの小学生たち3~4人を隊員にするだけなんだけど‥‥って思ってたら、今朝、猫たちにご飯をあげるために駐車場に降りてくと、ナニゴトもなかったかのように、もんじゃが現われた。それも、4日ぶりに顔を出したってのに、どこでどんなに美味しいものを食べてたのか、4日前と変わらずに丸々と太ってた。少しくらい痩せてれば、心配した甲斐もあるのに、コロコロに太ったまんまで、普通に登場するもんだから、あたしは、ホッとした反面、心の中で「おいおいおいおーーーーい!」って思っちゃった。
ま、とにかく、無事で安心したんだけど、実は、もんじゃが顔を見せなかった3日間、ずっと前に数回だけ目撃したことのあった「チェシャ猫」が、ご飯を食べに来てたのだ。シマシマの猫って、トラ猫も、サバ猫も、キジトラも、みんな「細いシマシマ」なのに、この「チェシャ猫」は、胴体が、幅5センチくらいの太い黒と茶色のシマシマになってて、お魚で言うと、イシダイみたいな感じなのだ。ただ、イシダイみたいに白黒じゃないし、ディズニーの「不思議の国のアリス」のチェシャ猫みたいらピンクとムラサキのワケもなく、黒と茶色っていうジミに色のシマシマで、それも、茶色の部分が「こげ茶」だから、薄暗いとこで見るとシマシマが分からない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、子供のころからディズニーの「不思議の国のアリス」が大好きで、小学校の高学年で原作も読んで、ますます好きになった。でも、ディズニーのアニメの「不思議の国のアリス」と原作とは、すごいギャップがあって、とてもおんなじ作品とは思えなかった。ま、この辺のことは、2009年2月8日の日記、「チェシャ猫は実在した!」に詳しく書いてあるけど、「不思議の国のアリス」しかり、「マザーグース」しかり、時代が時代だから、原作はケッコーおどろおどろしかったりする。
だから、あたしは、「不思議の国のアリス」は大好きなんだけど、ディズニーのアニメはアニメとして好きで、原作は原作として好きで、別々の作品としてとらえてる感じで、好きなポイントが違ってたりもする。チェシャ猫にしても、あたしが好きなのはディズニーのアニメのほうのチェシャ猫で、原作のほうの挿絵のチェシャ猫は、ちょっと不気味すぎる。ま、それでも、物語の中では一番好きなキャラで、ハンプティーダンプティーの不気味さに比べたら、遥かに可愛く感じられる。そして、小学校の高学年で初めて読んだ時には、ヤタラと怖かった原作だけど、中学生になってから読み返した時には、その不思議な世界観に魅了されちゃって、いつしか、ディズニーのアニメよりも原作のほうが好きになってた。
だから、続編の「鏡の国のアリス」に対するガッカリ感も人一倍で、「こんな内容なら続編なんか作らなきゃ良かったのに」って思ったほどだった。そして、「鏡の国のアリス」を読んでガッカリした気持ちを晴らすためってワケでもないんだけど、図書館で見つけた「アリスの不思議な旅」っていう文庫本を中身も確かめないで借りた。表紙は、クジラの上に大きな目覚まし時計が乗ってて、そこにアリスとおぼしき女の子と、三月うさぎとおぼしきウサギが描いてあったので、あたしは、「不思議の国のアリス」の番外編みたいなお話なのかと思って借りたのだ。
でも、読み始めてみたら、中は短編集になってて、その中の1つのお話が「アリスの不思議な旅」だった。雰囲気としては、星新一さんのショートショートに、筒井康隆さんのぶっ飛び具合をプラスしたみたいな感じで、ハチャメチャなノリの「不思議の国のアリス」だった。登場するのは、アリスやウサギなどの「不思議の国のアリス」のキャラなんだけど、パロディーとも違って、「不思議の国のアリス」の完全ギャグバージョンみたいな感じだった。何しろ、全裸で外へ放り出されちゃったアリスが、本家さながらのヘンテコな旅をするんだけど、それが実は「人体」で、ちっちゃくなったアリスは、人間の口から肛門までを旅してたってお話だった。
それも、アリスは、実は「アリス」じゃなくて「ハリス」だったのだ。「ハリス」ってのは、あたしが生まれるずっと前にあったチューインガムのメーカーで、後に現在のカネボウに吸収合併した会社だそうだ。で、どんなことなのかって言うと、カレシが、ハリスのチューインガムを噛みなから、カノジョとキスをした。その時に、噛んでたガムがカノジョの口に入り、カノジョはそれを飲み込んじゃった。そして、そのガムが、「アリス」だったってことなのだ。ようするに、カノジョに飲み込まれたガムを「アリス」って女の子に擬人化したワケで、最初は包み紙を取ってガムを噛むワケだから、物語のアリスはお洋服を脱がされて全裸で旅に出たってワケだ。
‥‥そんなワケで、あまりにもハチャメチャなノリの「アリスの不思議な旅」だったけど、いろんな短編が収まってる中の1編だったから、毎日のようにいろんな本を読んでたあたしは、このお話を読んだことも忘れてたし、作者の名前も忘れてた。だけど、最近になって、大変なことが発覚しちゃったのだ。あたしの大切なメル友で、今や競馬の「エヴァンゲリオン予想」には、なくてはならない存在の師匠、石川喬司先生から、一番初めにメールをいただいた2年ちょっと前のこと、あたしは、「石川喬司」という署名を見て、すぐに、中学生の時に読んで、とっても印象的だった不思議な短編、「魔法つかいの夏」の作者だってことが分かった。
だけど、何しろ20年以上も前のことだから、もしも、あたしの記憶違いだったらマズイと思って、石川先生に返信する前に、一応、「石川喬司」の名義で出版されてる本の一覧を調べてみた。そしたら、「魔法つかいの夏」は、あたしの記憶の通りに石川先生の著作だったんだけど、それとともに、作者名を覚えてなかった「アリスの不思議な旅」も、石川先生の著作だったってことが分かったのだ。そう言われてみれば、「アリスの不思議な旅」の中に、未来のことが分かるメガネを手に入れた人が、そのメガネを使って近い未来の競馬の結果を覗いて、それで馬券を買うとかって短編も収められてたから、競馬が大好きな石川先生の著作だってことが分かる。
だけど、タイトルにもなってる「アリスの不思議な旅」だけに関して言えば、ダジャレから不条理からデタラメまで、完全に「何でもアリ」のハチャメチャな内容で、こんな表現をしたらホントに申し訳ないけど、酔っ払ったイキオイで書いたような短編なのだ。それに対して、あたしの大好きな「魔法つかいの夏」は、一応は「SF」のジャンルの作品てことになってるけど、一般的に「SF」って聞いて思い浮かべるものとは大きく違ってて、あたしの感覚だと、純文学とか青春小説とかってジャンルに入る。文体も「アリスの不思議な旅」とはまったくの別人のもので、無限の泉のように湧き出て来る情景描写の表現力なんか、村上春樹を超えてると思った。
敗戦が濃厚ミルクな太平洋戦争末期の四国が舞台で、学徒動員で毒ガス工場で働かされてる中学2年生の比呂人くんが主人公だ。そして、2才年上の葉子ちゃんとの甘くて酸っぱい恋愛ストーリーをベースにしながらも、比呂人くんの持ってる不思議な超能力に関するちっちゃなお話が散りばめられてて、その向こう側に、戦争という巨大な悲劇が見え隠れしてる。ホントに、ヒトコトじゃ言い表せないようなジャンルの小説で、それでもヒトコトで表現しろって言われたら、あたしは、「文学」としか言いようがない。
比呂人くんの超能力は、物に触れずに動かしたり、空中に浮かんだり、A地点からB地点にテレポートしたりっていう、こうしたハデな超能力じゃない。ラジオから「大本営発表」の合図の軍艦マーチが流れ出すと、アナウンサーが何も言わないうちに、比呂人くんが「相手の軍艦を○隻、巡洋艦を○隻、撃沈した」って言う。そして、そのままラジオを聴いてると、比呂人くんの言った通りのことをアナウンサーがしゃべるのだ。当時の一銭とか五銭とかのコインを裏返して並べといて、比呂人くんが「昭和○年」って言ってからひっくり返すと、言った通りの製造年が書いてある。見ず知らずの人のお誕生日を言い当てたりもする。こんな超能力だ。
だから、「超能力」って言っても、あたしの「予知能力モドキ」に近いレベルで、それほどSFチックじゃない。それどころか、比呂人くんは、こんなにジミな超能力なのにも関わらず、あることをキッカケにして、その力を失っちゃう。そして、超能力を失った比呂人くんは、自分には、もともと、そんな不思議な力なんかなかったんじゃないかって思い始める。たとえば、コインの製造年なら、たまたま最初の1枚が偶然に当たっただけなのに、幼かった比呂人くんを喜ばせるために、家族が大ゲサに驚いたフリをしたんじゃないのか。そして、そうした家族のリアクションを見て、ホントに自分に不思議な力が宿ってるんだと思い込んじゃったために、そのカン違いから来る集中力によって、普通の人なら見過ごすような小さな情報にも目が行くようになり、その結果、次のコインの製造年も言い当てることができたんじゃないのか‥‥って思い始める。
ようするに、自分に不思議な力があるって思い込んだことによって、普通の人の何倍もの集中力や観察力を発揮するようになり、昨日、お母さんと買い物した時のお釣りのコインの製造年を一瞬のうちに記憶してたり、どこかで目にしたその人の生年月日を記憶してたり、または、複数の記憶や情報から「正解」を推測したりって、こうしたことができるようになったんじゃないのか。そして、そのカラクリを知らない人たちには、比呂人くんに超能力があるように見えたんじゃないのか‥‥ってことだ。これは、とっても鋭い考察で、あたしの「予知能力モドキ」にも通じてると思った。別に、あたしに何か特別な能力があるワケじゃなくて、たまたまの偶然が重なったり、どこかで目にしてたのに自分じゃ覚えてなかった情報が間接的に浮かんだり、こうしたことが連鎖してるって言われれば、そんな気持ちにもなって来る。
‥‥そんなワケで、この「魔法つかいの夏」も、今になって思えば、競馬を題材にした短編がいくつも収められてた。そして、その中でも印象深かったのが、大穴を的中させる不思議な女性が登場する短編だった。あとから調べたら、「ダービー異聞」ていうタイトルの短編SFだったんだけど、主人公は、確か新聞記者だったから、石川先生自身がモデルなんだと思う。その新聞記者が、ある日、馬券売り場で、絶対に来そうもない「1-1」の馬券を買ってる黒髪の女性を見かけた。それで、「そんな馬券が当たるワケないよ」って思ってたら、そのレースは、こないだの11日の中山の第4レースみたいに、ゴールの手前で他の馬が次々と落馬しちゃって、1枠の2頭だけがゴールして、その女性の買ってた「1-1」はチョー万馬券になっちゃった。
競輪でも、競艇でも、ゴールの手前で本命や対抗が次々と事故を起こして、その女性の買った車券や舟券が大穴で的中した。それで、主人公の新聞記者は、次の「日本ダービー」で、その女性とおんなじ馬券に全財産を賭けてみようとするのだが‥‥ってお話だ。だから、それぞれ本のタイトルになってる「魔法つかいの夏」と「アリスの不思議な旅」は、とても同一人物が書いたとは思えないほど印象の違う作品なのに、競馬の短編に関して言えば、「魔法つかいの夏」に収められてるこの作品も、「アリスの不思議な旅」に納められてる未来が見えるメガネの作品も、「事前にレースの結果を知って大儲けをしたい」って部分はおんなじで、それを超能力に頼るか、不思議な道具に頼るか‥‥って部分が違うだけだ。
だから、当時のあたしが、もっと競馬に興味があれば、この2冊がおんなじ作者の作品だってこと、石川先生の著作だってことを覚えてたと思う。だけど、たまにテレビで競馬を観ることはあっても、まだ馬券も買えなかった中学生のあたしは、ゲーセンのUFOキャッチャーで苦労して取ったタマモクロスのぬいぐるみを大切にしてたくらいで、競馬の小説に夢中になるような年齢じゃなかった。だから、面白い短編の1つとして記憶してるくらいで、やっぱり、本のタイトルになってる「魔法つかいの夏」や「アリスの不思議な旅」のほうが、内容も覚えてるし、印象にも残ってた。
‥‥そんなワケで、あたしは、石川先生の著作だと、この「魔法つかいの夏」と「アリスの不思議な旅」の他には、「絵のない絵葉書」っていう短編集が楽しかった記憶がある。それから、SFの創世記の入門書として高く評価されてる「IF(イフ)の世界」も、とっても興味深く読ませていただいた。だけど、競馬に関する作品は、SFの短編集に収められてる作品しか読んだことがなかったので、せっかく競馬を始めたんだから、これからは、競馬ファンにはオナジミの石川先生の名作、「馬家物語」や「ホース紳士」のシリーズも、順番に読んでみようと思ってる。そして、さらに「予知能力モドキ」に磨きをかけて、次々と大穴を的中させちゃう黒髪の女性を目指そうと思ってる。ただ、「ダービー異聞」に登場する不思議な女性は、最後には、人間の姿から本来の馬の姿に戻っちゃうってオチだから、あたしも、2才牝馬のマツリダキッコとして、残りの人生を馬家馬家と歩いてくことになりそうな予感がする今日この頃なのだ(笑)
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