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2010.01.29

名前は一生モノ

昨日の日記は、官房長官のヌラリヒョン平野のバカ発言の数々に呆れ果てたあたしが、久しぶりに金魚亭きっこに変身して、落語のパロディーでツッコミ入れさせてもらったワケだけど、何人かの読者から、「井戸の茶碗」てタイトルなのに「井戸」も「茶碗」も出て来ない‥‥っていうメールをいただいた。だから、ちょっとだけ説明させてもらうと、この「井戸の茶碗」ていう落語は、とっても長い噺なのだ。それで、あたしがパロディーにしたのは前半の部分で、「井戸の茶碗」は後半に登場する。正確には「青井戸の茶碗」ていう高価なお茶碗のことで、何の価値もないと思って貧乏武士がお礼に渡した汚いお茶碗が、実は何百両もする名器、「青井戸の茶碗」だった‥‥っていう流れになってる。オリジナルを聴きたい人は、YOU TUBEで検索すると、三代目の古今亭志ん朝の名演を楽しむことができると思う。

で、落語と言えば、故人でも現役でも好きな噺家がたくさんいるけど、何度か書いてるように、あたしは、春風亭小朝が大好きだ。何と言っても、マクラから落語本編への導入が絶妙で、たいていの場合は、気づかないうちに本編が始まってたりする。ただ、これは、落語っていう話芸に関しての好みであって、ビジュアル的なことを言わせてもらうと、小朝の今の金髪だけはいただけない。だって、ぜんぜん似合ってないからだ。昔の小朝は、オシャレで可愛くてお坊ちゃま風で良かったのに、今は、どうしても、「金髪ブタ野郎」のイメージがついてまわっちゃう。

ま、泰葉が、春風亭小朝に対して言った「金髪ブタ野郎」ってのは、所詮は夫婦ゲンカの延長みたいなもんだし、結果的にはギャグにしちゃったんだから、何も問題にはならなかった。どっかのカルト教団のペテン師が、エックスジャパンのTOSHIに対して言った「化け物アゴ男」ってのも、所詮は洗脳する側と洗脳される側との間のことだし、言われてる最中は本人も納得してたんだから、これも別に問題にはならなかった。猿岩石の有吉が、品川庄司の品川に対して言った「おしゃべりクソ野郎」ってのも、所詮はギャグなんだし、言われたほうこそがオイシイ思いをしてるんだから、これまたぜんぜん問題にはならなかった。だけど、これらの呼び名って、時と場合と相手が違えば、その場でぶん殴られることウケアイだし、名誉毀損で訴えられる可能性だって十分に考えられると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「金髪ブタ野郎」にしても、「化け物アゴ男」にしても、「おしゃべりクソ野郎」にしても、芸能人がテレビでネタみたいな感じで使ってるからシャレで済んでるワケだし、言われてる本人が怒ってないからこそ、シャレとして成り立ってるワケだ。だから、おんなじ芸能人や有名人だったとしても、金髪で太ってる某ヤンキー系の俳優に向かって「金髪ブタ野郎!」って言ったり、某有名プロレスラーに向かって「化け物アゴ男!」って言ったり、TBSの朝のワイドショーの某司会者に向かって「おしゃべりクソ野郎!」って言ったりしたら、たぶん、シャレじゃ済まないと思う。ようするに、こうした酷い呼び名やアダ名の場合は、どんなケースであっても、結局は「言われてる本人次第」ってワケで、ネタとしてオイシイ場合にしろ、洗脳されちゃってて感覚がマヒしてる場合にしろ、言われてる本人が、その酷い呼び名を許容してくれてるってことが大前提になる。

だけど、言われてるほうが、別にネタとしてオイシイこともなく、別に変な宗教に洗脳されてることもないのに、みんなから酷いアダ名で呼ばれてることを何とも思ってないようなケースもある。それが、「ど根性ガエル」の「ゴリライモ」と、「キテレツ大百科」の「ブタゴリラ」だ。両方とも「ドラえもん」における「ジャイアン」的な位置づけのキャラだけど、あまりにも酷いアダ名だと思う。普通の感覚なら、「ゴリライモ」にしても「ブタゴリラ」にしても、アダ名ってよりも悪口の部類だろう。だけど、2人とも、みんなからこのアダ名で呼ばれてるのに、ぜんぜん怒らない。「おい、鈴木!」って呼ぶのとおんなじ感覚で、「おい、ゴリライモ!」とか「おい、ブタゴリラ!」とかって呼ばれてるのに、ぜんぜん怒らない。

キャラ的に言えば、体の大きなガキ大将のジャンルなんだから、こんなアダ名で呼んだら、普通はソッコーでぶん殴られるようなイメージなのに、そんな感じはミジンもない。それどころか、2人とも、このアダ名が気に入ってるようにすら見える。それで、不思議に思ったあたしは、ずいぶん前に、この謎について調べたことがある。そしたら、ゴリライモにはゴリライモの、ブタゴリラにはブタゴリラの、それぞれちゃんとした理由があったのだ。

まず、「ど根性ガエル」の「ゴリライモ」だけど、これには、ビックル一気飲みの理由がある。それは、「ゴリライモ」の本名が、ナナナナナント! 「五利良イモ太郎」っていうのだ! 本名が「ゴリラ・イモタロウ」なんだから、それを縮めて「ゴリライモ」って呼んでるだけで、別に、外見がゴリラみたいだとかイモみたいだとかってことじゃなかったのだ。つまり、「木村拓哉」のことを「キムタク」、「深田恭子」のことを「フカキョン」て呼ぶようなもので、ぜんぜん悪口じゃなかったのだ。このパターンだと、「近藤睦夫」とか「近藤睦美」とかって名前の人のことを「コンドーム」って呼ぶのが、たぶん、唯一の嫌がらせで、これ以外は、ぜんぶOKだと思う。

で、「キテレツ大百科」の「ブタゴリラ」のほうは、もっとディープな理由があった。「ブタゴリラ」の本名は「熊田薫(かおる)」なんだけど、この「薫」って名前が女の子みたいで、本人は恥ずかしく思ってる。それで、本名で呼ばれたくないために、自分のほうから、みんなに「ブタゴリラ」って呼ぶように頼んでたのだ。でも、周りの誰かがつけたアダ名じゃなくて、自分のほうから呼ばせるなら、何も「ブタゴリラ」なんて酷いのにしなくてもいいのに‥‥。動物の名前を使うのなら、苗字が「熊田」なんだから、何も「ブタ」だの「ゴリラ」だのを持って来なくても、「クマちゃん」とかでいいのに‥‥って思う。

だけど、自分の苗字に「クマ」って動物の名前が入ってるのに、あえてそれは使わずに、普通の感覚だと悪口にしか聞こえないような「ブタ」と「ゴリラ」を合体ロボさせたアダ名をみんなに呼ばせるなんて、よほど「薫」って本名が嫌で、半ば自虐的になってのかもしれない。でも、ある日のこと、教室に父兄参観にやって来た八百屋さんのお父さんが、息子に「薫」って名前をつけたイキサツを話す。たしか、お父さんはとっても野菜を愛してて、最初の子供が生まれたら、男の子でも女の子でも「いつでも野菜の香りが感じられるように」って願いを込めて「薫」って名前をつけようと決めてた‥‥とかって話だった。そして、このお父さんの話を聞いたブタゴリラは、それまで嫌ってた自分の名前を好きになる。

‥‥そんなワケで、最近は、自分の子供のことをペットかオモチャか何かとカン違いしてるのか、とてもマトモとは思えないような変な名前をつけちゃう親が増殖してるから、あたしは、「こども店長」の名前が「加藤清史郎」だって知った時に、ミョ~に感心しちゃった。最近の親なら、もっと変なアニメの登場人物みたいな名前をつけてそうなのに、今どき「清史郎」だなんて、とってもカッコイイし、とっても男らしいし、大人になってからも堂々と自分の名前を名乗ることができる。病院で名前を呼ばれる時も、面接で名乗る時も、自分の名刺を渡す時も、恥ずかしい思いをしなくて済む。

あたしは、名前って、一生のものだと思ってるから、自分の子供の名前をつける時には、その子が大人になってからのことまでを考えて、つけるべきだと思ってる。ペットみたいな名前でも、子供がちっちゃいうちだけならいいかもしれないけど、小学校に上がれば恥ずかしい思いをするし、中学や高校では名前のことでイジメられるし、社会人になれば恥をかく。「薫」なんていう普通の名前でも、ブタゴリラみたいに辛い思いをしてる子供だっているんだから、ペットみたいな名前をつけられた子供は、一生、重い十字架を背負わされて生きてかなきゃなんない。

で、最近、増えて来た変な名前のことを「DQNネーム(ドキュンネーム)」って言うそうなんだけど、実際に子供たちがバカ親の被害に遭って変な名前をつけられちゃったケースを紹介してるサイト、「DQNネーム」を見てみたら、「戦争(せんそう)」とか「僕(しもべ)」とか「亜菜瑠(あなる)」とか「羽姫芽(わきが)」とかっていう信じられない名前の中に、「賢一郎(けんいちろう)」と「誠太郎(せいたろう)」っていう極めてマトモな名前が混じってた。それも、酷さのレベルで、第3位と第4位にランクインしてるので、あたしは、何でこんな普通の名前が「DQNネーム」に選ばれてるのかと思って、それぞれの解説を見てみた。

そしたら、呆れ返ったことに、この「賢一郎」と「誠太郎」は、2人とも女の子で、それも、姉妹だったのだ。解説によると、両親が、どうしても男の子が欲しかったそうで、女の子が生まれたのに、こんな名前をつけたそうだ。その上、2人とも頭をスポーツ刈りにさせられて、お洋服も男の子のものを着せられてるそうだ。コメントの中には、「ここまで来ると虐待じゃないの?」ってものもあったけど、あたしも同感だ。5才くらいまでならともかくとして、小学校に上がる時点で学校側だって困惑するだろうし、何よりも本人たちがかわいそうだ。大人になってからも、名前が原因でマトモな会社には就職できないだろうし、免許証やパスポートや保険証も困るだろうし、恋愛や結婚にも名前が障害になるだろう。

‥‥そんなワケで、あたしは、ブタゴリラの「薫」を始め、「博美(ひろみ)」とか「純(じゅん)」とか「優(ゆう)」とかみたいに、男性でも女性でも使える名前ならいいけど、誰がどう見ても完全に男性の名前としか思えない「賢一郎」や「誠太郎」を女の子につけるなんて、これは酷すぎると思う。男の子に「久美子」とか「美代子」とかって名前をつけるのとおんなじで、「本人が恥ずかしい思いをする」なんてレベルじゃなくて、生活してく上で、周り中に迷惑を掛けることになる。だから、あたしは、どっかのバカ親が自分の子供に「悪魔」って名前をつけようとした時に、役所が受理しなかったように、こうしたケースの場合も、行政側の判断で拒否できるようにすべきだと思ってる今日この頃なのだ。


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