正しい妄想のススメ
前にも書いたことがあると思うけど、あたしは、宝クジを買ってない人が、「もしも宝クジで3億円当たったら」って想像することほど、アホらしいことはないと思ってる。だけど、そう思いつつも、妄想クイーンのあたしは、宝クジを買ってないのに、いつも「もしも宝クジで3億円当たったら」って妄想して楽しんでた。だから、誰かに対して言うってよりも、自分自身に対して言いたいワケだけど、せめて5枚か10枚くらいは宝クジを買ってから、「もしも当たったら」って想像すべきだと思ってる。だって、そうすれば、せっかくの想像や妄想をもっともっと楽しめるような感じがするからだ。
たとえ1枚でも宝クジを買えば、当たる確率はゼロじゃなくなるから、大手を振って想像や妄想ができるワケだし、それも一定の期待感を持って楽しむことができる。もちろん、現実的なことを言えば、毎回毎回、何十枚も何百枚も買ってる人でも、当たらない人のほうが遥かに多いんだから、たった1回だけ、たった1枚だけ買っても、それが1等に当選する確率なんて、ほぼゼロに近い。つまり、1枚だけ買った人は、確率的には、1枚も買ってない人と、そんなには変わらないってことになる。
でも、1枚でも買えば、確率はゼロじゃなくなる。でも、ほとんどゼロと変わらない。でも、ゼロじゃなくなる。でも、ほとんどゼロと変わらない。でも、ゼロじゃなくなる。でも、ほとんどゼロと変わらない‥‥ってワケで、あたしは、この「紙一重」の部分こそが、モロモロの妄想のポイントになってると思ってる。つまり、現実的に宝クジが当たるかどうかっていう確率の問題とは関係なく、「もしも当たったら」って想像して楽しむ上では、この「紙一重」の部分が重要だってことだ。1枚も宝クジを買わずに、3億円の使い道を想像するのと、たった1枚でも宝クジを買ってから、3億円の使い道を想像するのとじゃ、その楽しみの度合いが大きく違って来ると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、多くの人たちは、子供のころ、テレビで「プロ野球」の試合を観て、自分も大人になったらプロ野球の選手になりたいと思ったり、ドラマの「アテンションプリーズ」を観て、自分も大人になったらスチュワーデス(現在の客室乗務員)になりたいと思ったりするのとおんなじように、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」になりたいと思ったり、「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」になりたいと思ったハズだ。現実的な職業も、非現実的なヒーローや魔法使いも、子供にとっては、すべてが「自分もなれるかも」って思える憧れだった。
特に女の子の場合は、男の子よりも夢見がちだから、「お姫様」なんていう無理なものにまで憧れちゃう。ニポンの一般家庭に生まれてる時点で、すでに状況的に完全に無理なのに、子供にとっては、そんなこたー関係ないのだ。だから、女の子の多くは、「アテンションプリーズ」を観てスチュワーデスに憧れたり、「アタックNO1」を観てバレーボール選手に憧れたり、「エースをねらえ!」を観てテニス選手に憧れたりするのとおんなじように、「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」に憧れた。
だけど、「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」に憧れたのは、あたしよりずっと上の世代の人たちで、「魔女っ子メグちゃん」や「魔法使いチャッピー」なら、あたしより少し下の世代の人たちで、あたしの世代は、「魔女っ子チックル」や「ミンキーモモ」だった。でも、2008年6月5日の日記、「カエルさんの長靴」にも書いたけど、「魔女っ子チックル」は、「ハレンチ学園」や「あばしり一家」や「キューティーハニー」でオナジミの永井豪の作品だから、小学5年生のチックルやチーコが、まるでグラビアモデルみたいな体をしてて、ビキニで走りまわったり、スカートがめくれたり、オッパイをもまれたりって、小学校に上がる前の当時のあたしが観るには、周りの大人的には問題がマウンテンで、なかなか魅せてもらえなかった(笑)
ま、そんなこんなもありつつ、女の子なら、誰でも、こうした「魔法使い」や「魔女っ子」に憧れた思い出があると思うんだけど、ここに共通してるのは、「サリーちゃんになりたい」とか「メグちゃんになりたい」ってことじゃなくて、「サリーちゃんみたいに魔法が使えるようになりたい」とか「メグちゃんみたいに魔法が使えるようになりたい」ってことだった。つまり、キャラそのものに憧れるってよりも、そのキャラの「能力」に憧れてたってワケだ。
たとえば、「ひみつのアッコちゃん」の場合なら、「変身」ていう能力だった。近いとこだと、赤いキャンディーと青いキャンディーで、若返ったり年をとったりできる「ふしぎなメルモ」があった。細かいことを言えば、アッコちゃんやメルモは魔法使いじゃなくて、普通の女の子だ。そして、スーパーミラーやミラクルキャンディーを手に入れたことで不思議な変身能力を得られだけなんだから、これらのアニメを観てた女の子たちは、「アッコちゃんやメルモになりたい」って思うよりも、「スーパーミラーやミラクルキャンディーが欲しい」って思ったハズだ。
‥‥そんなワケで、ヒトクチに「魔法」って言っても、いろんなジャンルがあるワケで、「ドラクエ」を始めとしたRPG的に言えば、「攻撃魔法」「防御魔法」「回復魔法」「補助魔法」ってふうに大別されてる。そして、これらの魔法は、1人で何でもできるんじゃなくて、戦士タイプのキャラは「攻撃魔法」が得意だとか、僧侶タイプのキャラは「防御魔法」と「回復魔法」が得意だとか、それぞれに得手不得手がある。「魔法」じゃなくて、「能力」とか「特性」って意味で考えれば、「サイボーグ009」もおんなじだ。
で、魔法使いに憧れてたあたしは、当然、魔法の花形である「攻撃魔法」を使える美しい女戦士に憧れるようになったんだけど、いくら強力な「攻撃魔法」が使えたって、ジミな「防御魔法」や「回復魔法」も使えないと戦いには勝てない。だけど、アレもコレもってのは調子が良すぎるし、子供の時から、あたしは、「多くを欲しがると何も手に入らない」ってふうに考えるクセがあった。ようするに、「金の斧と銀の斧」的な考えで、もちろん「攻撃魔法」だけだって、ホントに使えるようになるワケはないんだけど、それでも、頭の中で妄想を楽しむ時には、アレもコレもって望むと、神様に「わがままなヤツだ!」って思われて、1つも願いを叶えてもらえなくなりそうだと思ってた。だから、あたしなりにコソクな計算をして、遠慮がちに「攻撃魔法だけでいいから使えるようになりたい」って願ってた。
だけど、そんなあたしも、酸いも苦いも噛み分けられるようになった高校生くらいからは、ものすごい必殺ワザを使うようになった。それは、「召喚魔法」だ。もしも、神様が、何か1種類だけ魔法を使えるようにしてくれるって言ってくれた時に、あたしは、「攻撃魔法」でも「防御魔法」でも「回復魔法」でも「補助魔法」でもなく、この「召喚魔法」をリクエストしちゃう。これなら、ちゃんと1種類だから問題ないし、アレもコレもっていう欲も出てないから、神様からも「ひかえめな女の子」って見てもらえそうで、好感度もバッチリだ。そして、ミゴトに「召喚魔法」を手に入れたあたしは、攻撃用の魔物も、防御用の魔物も、回復用の魔物も、補助用の魔物も召喚できるんだから、すべての魔法を手に入れたのとおんなじだわ!ホーッホッホッホッホッホーッ!
あたしの大好きな「3×3 EYES(サザンアイズ)」で言えば、相手を攻撃したい時には「トウチャオ」や「コアンヤア」や「シースー」を召喚すればいいし、相手の攻撃を防御する時には「チンクウ」を召喚すればいいし、自分のダメージを回復したい時には「タオシー」を召喚すればいいし、腕や足がちぎれるほどの大ダメージを受けた時には「チイアチークウ」を召喚すればいいし、ものすごい力を持つ敵と戦う時には「アンユイ」や「クーヨン」を召喚してバックアップさせればいいし、お仕事に遅刻しそうな時には「ツォウリン」を召喚してタクシー代わりに使えばいいし、なんてワンダホーなんだ!「召喚魔法」って!(笑)
‥‥そんなワケで、あたしは、もしも、神様とか、それに準じた能力者から、「何か1種類だけ魔法を使えるようにしてやる」って言われた時には、パブロフの犬よりも反射的に「召喚魔法!」って答えられるように、ふだんから心の準備をしてる。何しろ、この「召喚魔法」さえ手に入れちゃえば、できないことは何もないからだ。たとえば、「ひみつのアッコちゃん」みたいに「変身」したいと思ったら、「相手の望む姿に変身させることができる魔物」を召喚すればいいんだし、あたしが手のひらから「炎」を出して敵を攻撃したいと思ったら、「体内に入って手のひらから炎を出してくれる魔物」を召喚すればいいってワケだ。
だけど、せっかくワンダホーな作戦を思いついたのもトコノマ、こうした妄想をして楽しかったのは、20代の前半くらいまでだった。25才のお肌の曲がり角をアウト・イン・アウトで滑らかにコーナリングしてからは、「召喚魔法が使えるようになりたい!」って念じることも、「召喚魔法」でいろんな魔物を呼び出す自分の姿を妄想することも、あんまり楽しくなくなって来た。それは、何でかって言うと、1枚も宝クジを買ってないのに、「もしも当たったら」って想像するのとおんなじだってことに気づいたからだ。
百歩ゆずって、ホントに全知全能の神様が存在したり、それに準じた能力者が存在して、宇宙の他の天体とか、未来の世界とかからやって来て、あたしに何らかの能力を与えてくれる‥‥ってとこまでは、0.00001%よりも遥かに低い確率でも、ゼロじゃないかもしれない。だけど、あたしに与えてくれる「何らかの能力」に関しては、たとえば、手を触れずに目の前のエンピツを動かすとか、伏せてあるトランプの数字を次々と言い当てるとか、隣りの部屋にいる人の考えてることが分かるとか、こうした「プチ超能力」程度だと思う。これなら、妄想にしちゃ現実的だし、「もしかしたら実現するかも」って思うことができる。つまり、こうした妄想なら、宝クジを1枚だけ買ってから、「もしも当たったら」って想像を巡らせるのに近くなるってワケだ。
だけど、こんな妄想じゃ、ぜんぜん楽しくない。だって、手を触れずにエンピツを動かしたり、伏せてあるトランプの数字を言い当てたりとかなら、何もわざわざ神様とかにお願いしなくても、自力で必死に訓練すれば、そのうちできるようになりそうだからだ。その上、こんな能力が身についたとしても、これと言ってパッとしない。昨日までのあたしと、この能力が身についた今日からのあたしとが、そんなに変わらない。その能力が身についた瞬間から、昨日までとはぜんぜん違う人生がひらけなきゃ意味がないワケなのに、こんなにジミな能力じゃ、忘年会の人気者くらいにしかなれやしない。
‥‥そんなワケで、妄想を楽しむ上でのポイントとしては、1枚でも宝クジを買うこと、つまり、「もしかしたら実現するかも」っていうビミョ~な現実味が必要な反面、その現実味を追求しすぎちゃうと、妄想自体が小さくしぼんじゃって、これはこれで楽しめなくなっちゃう。だから、この「現実味」と「妄想のスケール」っていう相反する2つをどのくらいのサジ加減で調整するかってことが、ホントの意味での「妄想を楽しむコツ」なんだってことになる。それで、やっとのことで、あたしが辿り着いたのが、「サクラ大戦」だったのだ。
「サクラ大戦」の帝国華撃団のメンバーは、それぞれが特技を持ってる。さくらは剣の達人だし、すみれちゃんはナギナタの免許皆伝だし、カンナは琉球空手の伝承者だし‥‥ってふうに、それぞれに特技がある。そして、プラスアルファとして霊力が高いワケだけど、この霊力だけじゃ大したことはできない。たとえば、さくらが霊力を発揮して剣を振り下ろしたとしても、木の後ろにある岩を木を傷つけずに砕くとか、そんなレベルだ。岩の上にいるカエルにパンチを繰り出して、カエルを殺さずに岩だけを砕くのとおんなじで、これくらいなら、何も妄想なんかしなくても、ツェペリ先生やリサリサ先生のもとで1年くらい修行すれば、そこそこできるようになりそうだ。
だから、帝国華撃団のメンバーの霊力は、そのままじゃ大したことはない。最年少のアイリスだけは、ものすごい霊力を持ってるけど、他のメンバーは、霊力だけじゃ何もできない。手のひらから波動拳を出すこともできないし、ましてや、炎や雷なんて出せるワケもない。だけど、この大したことない霊力を何十倍、何百倍にも増幅して、攻撃力や防御力、運動性能なんかを飛躍的に大きくしてくれるのが、みんなの乗ってる「霊子甲冑(りょうしかっちゅう)」ってワケだ。そして、メンバーたちは、この「霊子甲冑」の能力を少しでも高めるために、さくらは剣の修行をしたり、すみれちゃんはナギナタの修行をしたりって、涙ぐましいジミな努力を続けてるってワケだ。
もともと、それだけじゃ何もできない程度の霊力で、イメージ的には、手を触れずにエンピツを動かしたり、伏せてあるトランプの数字を言い当てたりってレベルなんだから、どんなに修行したとこで、急にスーパーサイヤ人みたいになれるワケがない。どんなに努力したって、手を触れずに筆箱を動かせるようになったり、伏せてあるトランプの数字とマークの両方を言い当てられるくらいにしか進歩しないと思う。それでも、その霊力を何十倍、何百倍にも増幅してくれる「霊子甲冑」があるんだから、0.01しかない霊力が0.02になれば、「霊子甲冑」のパワーは2倍になる。これは、ものすごく大きなことだ。
‥‥そんなワケで、あたしの出した答えは、石川喬司先生の「魔法つかいの夏」の比呂人くんみたいな「小さな超能力」っていう「魔法」を手に入れるっていう妄想と、それを何十倍、何百倍にも増幅してくれる「霊子甲冑」を手に入れるっていう妄想とを合体ロボさせるってことだ。こうすれば、「魔法」のほうは、それなりに現実味があるし、「霊子甲冑」は「魔法」じゃなくて「科学」だから、こっちもそれなりに現実味がある。そして、この2つを合わせれば、すみれちゃんみたいに、限りなくハデに活躍できるってワケで、ある意味、「召喚魔法」を手に入れたのとおんなじくらい楽しめる‥‥って思ってたら、この話、前にも書いたようなデジャブ感がして来たので、念のために過去ログをチェキしてみたら、ナナナナナント! あたしは、2008年11月27日の日記、その名も「妄想モード突入!」の中で、「もしも宝クジで3億円当たったら何に使うかって言えば、そりゃあもちろん、本物の「光武ニ式」の「すみれ機」を作る。いくら掛かるか分かんないけど、サスガに3億円もあれば足りるだろう。」なんて書いてた今日この頃なのだ(笑)
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