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2010.02.01

みんなで幸せゲットだよ!

あたしと心をひとつにして、4人の美しき戦士を応援してた全国の皆々さま、そう、「プリキュア」を愛する全国の皆さま、ついに、終わっちゃいましたね‥‥ってワケで、とうとう、今日、「フレッシュプリキュア!」が終わっちゃった。最終回は、ここ数回の流れから誰もが想像してた通りに、一度倒されたプリキュアたちが立ち上がり、ラビリンスを支配してたコンピューターのメビウスを倒して、捕らえられてたシフォンを救い出して、ラビリンスの人たちを開放することに成功した。だけど、「笑顔がいっぱい!みんなで幸せゲットだよ!!」ってタイトルとはウラハラに、あたしが2番目に好きなせっちゃんは、みんなと別れて、ウエスターとサウラーと一緒にラビリンスへ帰っちゃった。せっちゃんには、これからもラブのお家で仲良く暮らして欲しいと思ってたあたしとしては、この点だけは悲しかった。

ラブのママは、せっちゃんのことをホントの娘のように思ってたし、せっちゃんも、ラブのママのことをホントのお母さんのように思ってたし、天真爛漫なラブとの親子関係とは違って、胸にジーンと来るシーンも多かった。だから、最終回に、せっちゃんが自分の世界であるラビリンスへ帰ってくことはヤブサカじゃないけど、ラブのママに何のアイサツもしないで、メビウスを倒した場所からトットと帰ってっちゃうなんて、あたしは、「おいおいおいおーーーーい!」って思った。これまでのラブのママとの関係性を考えたら、メビウスを倒してから、いったんコマーシャル‥‥じゃなくて、いったんお家に帰って来て、ラブのママに「ラビリンスへ帰る」ってことを伝えて、ギュッと抱きしめあって、それから、ママやプリキュアのみんなに見送られて、そしてラビリンスへ帰ってくのが普通の流れだろが! それなら、あたしは、ここで大泣きできたのに‥‥。

だけど、文句ばっか言うのもアレなんで、少しでも好意的に考えるとすれば、ラビリンスでのせっちゃんの名前は「東」を意味するイースだった。そのせっちゃんが、「西」を意味するウエスターと「南」を意味するサウラーに着いてラビリンスへ帰ってったってことは、今年の「恵方」の「西南西」の方角へ行ったって意味にとらえることができる。だから、2月3日に「西南西」の方角を向いて恵方巻きを食べる時には、せっちゃんの幸せも願ってあげたいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今日の日曜日は、「フレッシュプリキュア!」が最終回だった上に、「ちびまる子ちゃん」が放送20周年記念の1時間スペシャルで、大親友のたまちゃんとの出会いを描いた素晴らしい長編だった。まる子とたまちゃんの出会いから、仲良くなってくまでの流れをベースにして、大野くんと杉山くんや、永沢くんと藤木くんが仲良くなってく様子も織り込みつつ、たまちゃんと仲良しになりたいと思うまる子を応援するお母さんやお姉ちゃんのヒトコトも良かったし、何度もウルウルしちゃった。そして、夜の9時からは、映画「母べえ」が放送された。もちろん、これは、吉永小百合と鶴瓶が朝から晩までうっとうしいほど宣伝してる映画「おとうと」の宣伝の一環なんだろうけど、それでも、一応、ぼんやりと観てたら、それなりに胸を打たれた。

こんな流れがあったから、今回の「フレッシュプリキュア!」の最終回は、ホントに残念だった。ま、どこに重心を置いて制作するのかってことなワケで、「友情の芽生え」に重心を置いた「ちびまる子ちゃん」や、「母子の愛情」に重心を置いた「母べえ」に対して、「フレッシュプリキュア!」の最終回は、あくまでも「物語の完結」だけに重心を置いたものだった。せっちゃんはラビリンスへ帰ってく、ブッキーはお家の動物病院を手伝いながら自分の夢に向かって勉強してく、美希ちゃんはお母さんと二人三脚で憧れのファッションモデルを目指す、そして、ラブは、今まで通りに元気に学校へ向かう‥‥っていう、4人それぞれの日常を切り取った終わり方は、定番っちゃ定番だし、形としては合格点だ。

そして、こうした終わり方を選択した以上、長いストーリーの中のひとつの枝葉でしかない「せっちゃんとラブのママとの関係性」にまで深入りできなかったのは、仕方ないことなのかもしれない。だけど、あたしとしては、最終回だからこそ、こうした月並みで大ザッパな終わり方じゃなくて、「せっちゃんとラブのママとの関係性」にスポットを当てて欲しかった。もちろん、「キュアエンジェルとして蘇った4人のプリキュア戦士は、ついに、ラビリンスを支配する巨大コンピューター、メビウスを倒した。そして、捕らえられていたシフォンも戻って来て、メビウスに意識を管理されていたラビリンスの人々は開放された。」ってとこまでは、何ひとつ異論はない。問題は、ここから先の部分だ‥‥ってワケで、あたしが考えたのは、こんな終わり方だ。

長い戦いが終わり、まずは、ラブと一緒にお家に帰って来たせっちゃんのシーンから始まる。そして、2人を抱きしめるラブのママ。だけど、楽しいはずの家族での夕食のシーンで、せっちゃんは、1人、お箸が進まない。心配して、どうしたのかと尋ねるママに、ラビリンスへ帰ることを告げるせっちゃん。ママは、「あなたはこの家の子なんだから‥‥」と引き止めるが、せっちゃんの決意は固かった。そして、最後の夜をママと一緒のベッドで眠る。「3人で寝よう」と言ったせっちゃんに、ラブが気を使って、ママをせっちゃんだけに譲ったのだ。ママに抱かれて、ホントの母子のように、幸せそうな顔で眠るせっちゃん。

次の日の朝、駆けつけたブッキーや美希ちゃん、街の人たちも一緒に、みんなでせっちゃんを見送る。せっちゃんは、迎えに来たウエスターとサウラーと一緒に、空間に開いた穴から、ラビリンスへと帰ってく。せっちゃんの姿が見えなくなりかけた時、ママが、「いつでも帰っておいで! ここはせっちゃんのお家なんだから!」って叫ぶ。せっちゃんが振り返り、ニコッと笑った時に、空間の穴が閉じる。そして、場面は変わり、ブッキーの日常、美希ちゃんの日常から、ラブの日常へと流れ、ラブが元気良く玄関を飛び出して学校へ行くシーンで終わるんだけど、そこには、せっちゃんはもういない‥‥。

‥‥そんなワケで、こうした終わり方だったら、あたしは大泣きできたのに‥‥って思う。ま、あたしにとってのプリキュアシリーズは、ひとつ前の「YES!プリキュア5 GoGo!」までだし、今回の「フレッシュプリキュア!」は、あくまでもオマケみたいな位置づけだった。だから、あたしは、歴代のプリキュアと比べたら、今回の「フレッシュプリキュア!」には、そんなに思い入れはなかった。だけど、それでも、1年間も観てくれば、それなりに愛着もわくってもんで、仮にも「プリキュア」の名を冠してる作品なら、せめて、これくらいの終わり方をしてくれても良かったのに‥‥って思う。

だけど、今回のあまりにも雑な最終回を観て、あたしは、制作サイドが作品に対して愛情を持ってないような気がした。幼児向けのアニメだからテキトーに作ってるのか、それとも、関連グッズを売るためだけにアニメを作ってるのか、その辺の「大人の事情」は分からないけど、とにかく、すごく残念だった。ま、どっちにしても、これほど人気のあった「フレッシュプリキュア!」の続編を作らずに、まったくの新作の「ハートキャッチプリキュア!」を作ったってことは、スポンサーを始めとした「大人の事情」が大きく作用してることだけは間違いないだろう。そして、ハトポッポ政権が無理してバラ撒く「子ども手当」のうち、何パーセントかは、新しく発売される「ハートキャッチプリキュア!」の関連グッズのために、全国規模で消費されるんだろう。

それでも、「経済効果」としての意味はあるだろうけど、「子ども手当」の本来の目的とは大きく違って来る。子供にプリキュアのオモチャを買い与えるために、他の大切な予算を削ってまで、毎月何万円もバラ撒かれちゃったら、あたしみたいに子供がいない納税者は、バカ丸出しだ。あたしは、もともと、現金を配るってやり方には反対で、子供のいる家庭だけに年間5兆6000億円もの予算を使うにしても、それを現金でバラ撒くんじゃなくて、たとえば、保育園や幼稚園の費用の何割かを国が負担するとか、小学校や中学校の教師の質を向上させるために使うとか、そうしたことに使うべきだと思ってる。

民間企業の販売してる子供向けの商品にしても、教育のために意味がある「知育玩具」とかだけ、国が何割かを負担して、他のオモチャよりも安く買えるようにすべきだと思う。それから、アレルギーのある子供のために手作りされてる積み木やパズルとかって、ワリと値段が高いけど、あたしは、こうしたオモチャこそ、国がバックアップすべきだと思ってる。こうしたオモチャにしても、絵本や童話にしても、子供の教育のために意味があるって判断されたものに関しては、何かのマークをつけるなりして、子供のいる親は、定価の2割程度で買えるようにする。そして、販売した店舗は、その差額を国に請求する。

こうすれば、5000円のオモチャだって1000円で買えるようになるし、1000円の童話なら200円で買えるようになるから、ギリギリの生活をしてる母子家庭でも、子供にオモチャや本を買ってあげられるようになる。それでも、子供1人に対して、月に2万6000円もバラ撒くよりは、遥かに少ない予算で済むだろう。そして、教育的には意味のない、プリキュアのオモチャだのゲームソフトだのは、自分のお金で、定価で買えばいい。これなら、子供のいない納税者も、みんな納得するだろう。

で、「フレッシュプリキュア!」の最終回が放送された今日、1月31日、野田佳彦財務副大臣は、NHKの「日曜討論」で、この「子ども手当」について、来年(2011年)以降、全員に満額を支給することは「難しい」って語った。もちろん、「支給できません」って言ったワケじゃなくて、「難しいけど、何とか支給できるように努力します」ってニュアンスの言い方をしてたから、別に、この発言を「公約放棄」と見る必要はない。だけど、こんなに大変な思いをしてまで、他の予算を削りまくってまで、この「中学卒業まで1人あたり月額2万6000円」ていう「公約」を守ることだけに意地になられても、その「子ども手当」の一部が、プリキュアのオモチャを買うことなんかに使われたら、あたしたち納税者はやってられない。さらには、子供のために使われずに、親が使っちゃうケースだってあるだろう。

‥‥そんなワケで、あたしは、年間5兆6000億円ていう莫大な「子ども手当」の予算を捻出するために歳出や歳入を見直すんじゃなくて、支払いの方法自体を見直すべきだと思ってる。おんなじ5兆6000億円の予算を使うにしても、これを現金でバラ撒くんじゃなくて、保育園や幼稚園の割引、良質な知育玩具や絵本の割引、小学校や中学校の教師の質の向上、子供たちの通学の安全の確保など、こうしたことに使うべきだと思ってる。そして、どうしても現金での支給にこだわるのなら、子供のいる家庭だけじゃなくて、高齢者がさらに高齢な親を介護してるような家庭にも、何らかの名目で現金を支給すべきだと思う。そうしなかったら、「フレッシュプリキュア!」の最終回のタイトルみたいに、「笑顔がいっぱい!みんなで幸せゲットだよ!!」ってことにはならないと思う今日この頃なのだ。


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