母さんの白梅、あたしの白梅
今日は、お正月以来、初めてのお休みだった。ホントは、午前中にリトルお仕事があったんだけど、それが別の日に変更になったので、丸1日、ぜ~んぶお休みになった。その上、東京は、ヒサビサにお天気が良くなった。まさに、「三寒四温」の「四温」にあたる日で、朝からポカポカと暖かくなった。それで、あたしは、ゆうべから泊まりに来てた母さんと一緒に、どこかへ行こうと思って、母さんに、どこに行きたいか聞いてみた。そしたら、久しぶりに羽根木公園の梅を観に行きたいって言うので、あたしも、グッドアイディ~アって思って、さっそく、お弁当を作り始めた。
甘辛に煮つけて冷凍しといた油揚げを解凍しつつ、酢飯を作って、カリカリの梅干しを細かく刻んだのを混ぜて、それを油揚げに詰めて、「梅見稲荷」の出来上がりだ。あとは、ほうじ茶を煎れて、魔法瓶に詰めて、これで準備OK!‥‥ってワケで、ウキウキと出発しようと思ったのもトコノマ、母さんの口から、あたしがもっとも恐れてた言葉が飛び出した。
「こんなにいいお天気なんだから、サイクリングで行きたいね」
オーマイガーッ! あたしのマンションから梅が丘の羽根木公園までって、直線距離なら6キロくらいだけど、まず、環七方面に出るのに地獄の急坂があるし、その先も、環七だとか世田谷通りだとか、車が多くて自転車で走るには適してないエリアが目白押しなのだ。母さんは、電動アシスト自転車だから、坂だって何だってお構いなしなのに対して、あたしの自転車は、名前こそ「フェラーリF2004」て名づけてるけど、基本的にママチャリだから、あまりにもキビシー道のりだ。だけど、2ヶ月ぶりの母さんとのデートだから、できる限り、母さんの希望を叶えてあげたい。それで、あたしは、スカートをデニムのパンツに穿き替えて、自転車で行く決心をした今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、午前11時、ピカピカでフル充電のエネループバイクに乗った母さんと、ポンコツのママチャリ、「フェラーリF2004」に乗ったあたしは、遥か彼方のプラムパラダイスへ向かって、ペダルを漕ぎ出した。そして、246は使わずに、モリヨシローの豪邸の下の商店街の奥の道を成城学園方面に向かって、途中で岡本の急坂を上った。もちろん、あたしは、自転車を押して上った。そして、ユーミンの豪邸をあとにして、五島美術館の五島さんの豪邸の前を通り、世田谷美術館方面へと抜けて、世田谷通リを横断した‥‥って言っても、ジモティーにしか分かんないと思うけど、環七も世田谷通りも排気ガスが凄いから、できるだけ裏道を使う作戦にしたってワケだ。
それで、小田急線に沿って走ってる城山通りまで、環七を使わずに裏道を抜けてったんだけど、ここはずっとビミョ~に下りなので、あたしの完全人力自転車でも、母さんに遅れずに着いてくことができた。それで、あたしは、少しだけ余裕ができて、「バ~イシクル♪バ~イシクル♪バ~イシクル♪アイウォントゥライマイバ~イシクル♪」って、クイーンの「バイシクル・レース」を歌ってみたり、「サ~イクリング♪サ~イクリング♪ああ情熱のサイクリングブギ♪」って、サディスティック・ミカ・バンドの「サイクリング・ブギ」を歌ってみたり、「子猫がミヤ~タ♪コルナ~ゴ♪僕の彼女はビアンキで~♪」って、忌野清志郎さんの「自転車ショー歌」を歌ってみたりしたんだけど、ハッと気づいたら、フレディー・マーキュリーも、加藤和彦さんも、忌野清志郎さんも、みんな亡くなった人だった。
そんなこんなもありつつ、小田急線に沿って城山通りを走り、経堂5丁目の交差点を左折して、突き当たりを右折して、細い路地をクネクネと進み、経堂駅に出た。そして、ここから、赤堤通りに出て、ひたすら漕ぎ続けたら、ようやく、羽根木公園に到着した。途中でちょっと休憩したけど、1時間弱で着くことができた。でも、母さんは元気マンマンだったけど、あたしはケッコーくたばってた上に、とにかく、お尻が痛かった。で、梅が丘図書館の駐輪場に自転車を停めて、羽根木公園の階段を上ってった。
前にも書いたけど、羽根木公園は、昔は「ねず山」って呼ばれてたくらいだから、「山」とは行かなくても「丘」くらいの感じで、階段を上って入ってくようになってる。それで、母さんと一緒に階段を上ってったら、ナニゲに人がいっぱいいた。丘をグルッと回ってる散策路に沿って、仲良くお散歩してるご夫婦、立ち止まって梅を眺めてるカップル、カメラで梅の写真を撮ってるお兄さん、腰掛けて新聞を読んでるおじさん、たくさんの人がいた。母さんは、散策路を歩きながら、感慨深そうに「懐かしいねえ」って言った。そうだよね、母さんを連れて来てあげるの、15年ぶりだもんね‥‥。
途中まで散策路を進んでから、また階段を上ると、もっと人が多くなった。母さんは、自転車だとあんなにどんどん先へ進んでたのに、ここに来たら、1本1本の梅に見入ってて、なかなか動こうとしない。半分以上の梅は終わりかけてて、そんなにキレイじゃないのに、その中でも、誰もが素通りしちゃうようなパッとしない梅の木をずっと見つめてる。
「この梅の木、覚えてる?」
「えっ?」
「きみこがちっちゃかったころ、ここで走り回ってて、この梅の木にぶつかって大泣きしたのよ」
母さんは、その梅の幹を撫でながら、そう言った。あたしは、そんなこと、ぜんぜん覚えてなかった。あたしがちっちゃかったころなら、父さんも一緒だったハズで、父さんと離婚してから母さんは、父さんと一緒だったころの思い出を話さなくなった。だから、あたしは、こんな話、一度も聞いたことがなかった。懐かしそうに梅の幹を撫でてる母さんの横顔を見てたら、あたしの胸に、いろんな思いがあふれて来て、何だか複雑な気持ちになっちゃった。
母さんのことまだ知らず梅真白 きっこ
あたしは、しばらく一緒にその梅を見てたんだけど、掛ける言葉が見つからなかったので、黙って母さんの手を取って、ゆっくり歩き出した。そしたら、すぐ先に、背丈よりも低い紅白の梅が1本ずつ植えてあって、その真ん中に「飛梅(とびうめ)」についての説明のパネルが置かれてた。「飛梅」と言えば、菅原道真(みちざね)が、京都から福岡の太宰府へ左遷される時に、庭の梅を見て、「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花.あるじなしとて春な忘れそ」って歌を詠んだら、梅が道真を追いかけて太宰府まで飛んでったっていうプリンセス・テンコーの「平安イリュージョン」でオナジミだ。
現在は、樹齢1000年を超える「飛梅」が、ご神木として太宰府天満宮にあるんだけど、そのご神木から接木で増やした「飛梅」が、全国各地に飛んでって、それをまた接木で増やしたものが、世田谷区の羽根木公園にも飛んで来てたのだ。まだ小さな苗木だったから、ここ数年のことなんだと思うけど、母さんもあたしも初めて見たので、すぐに会話が弾んだ。ちょっとセンチメンタルになってたから、この「飛梅」のオカゲで救われた。
飛梅のホップステップ世田谷区 きっこ
‥‥そんなワケで、カンジンの梅が終わりかけてる上に、平日なのにも関わらず、ヤタラと人の多い梅林を進んでくと、あちこちに赤い幟(のぼり)が見えて来た。幟には「世田谷梅まつり」って書かれてて、特設の売店とか、関係者が休憩してるテント小屋とかが見えて来た。そうか、まだ「梅まつり」をやってたんだ。それで、梅林を抜けたとこにある少し広い通路を進んでくと、たくさんのお花を並べて、花の市をやってた。
とりどりの春を並べて花の市 きっこ
赤だの青だの黄色だのって、原色のカラフルなお花を見ると、素朴な梅の美しさが際立って来る。あたしは、すべてのお花の中で、何よりも梅が好きなんだけど、こうして他のお花と見比べると、ますます梅が好きになる。
花の市の反対側には、特設の売店があって、その前の広場には、テーブルとイスが並んでたんだけど、お昼時ってこともあって、ものすごい人出で、ほとんど座れる場所がない。だけど、周りをウロウロしてたら、ちょうどハシッコの席のグループが立ったので、そこに座らせてもらった。それで、作って来た「梅見稲荷」を食べようと思ったんだけど、何も買わずに席だけ使わせてもらうのは気が引けたので、売店に行って、そばがきのすいとんを2つ買って来た。1つ300円だった。
お稲荷さんは6個しか作れなかったので、1人3個じゃリトル足りない感じだったから、ちょうど良かった。お稲荷さんも美味しかったし、すいとんも美味しかったし、お天気のいい日に母さんと一緒に外で食べたから、美味しさも倍増だった。
蕎麦掻きの水団(すいとん)崩れゆく朧(おぼろ) きっこ
お茶を飲みながら、いろんな話をしてたら、母さんが、「自分の梅には会いに来てるの?」って聞いた。この梅林の中には、あたしの梅の木がある。これは、別に、あたしが植えたワケでもないし、あたしの所有物でもないんだけど、子供のころ、母さんが連れて来てくれた時に、「自分の梅の木を決めておくと、また次に来た時に楽しいわよ」って教えてくれたから、あたしは、1本の白梅の木を「あたしの梅の木」って決めたのだ。
だから、あたしは、羽根木公園に行くたびに、梅が咲いてない季節でも、自分の梅の木を見に行って、幹に触ることにしてる。他人から見たら、他の梅の木と何も変わらない単なる1本の木なんだけど、その木のことを意識してるあたしにとっては、どんなに遠くからでも、一瞬で見分けることができる。そして、そのすぐ近くには、母さんの梅の木もある。もしかしたら、父さんの梅の木もあるのかもしれないけど、それは聞いたことがないし、教えてもらったこともない。
‥‥そんなワケで、お腹もいっぱいになったので、また園内をのんびりと歩き始めて、今度は、中村汀女(ていじょ)の句碑を見に行った。黒くて大きな岩に、「外(と)にも出よふるるばかりに春の月」っていう汀女の代表句が彫ってあって、文字が白く塗ってあるんだけど、白いペンキがずいぶん剥げちゃって、読みにくくなってる。それで、母さんと句碑を眺めてたら、オーストラリアの人が「何が書いてあるのか?」って聞いて来たから、あたしは、俳句と、意味と、作者の中村汀女がこの辺りに住んでたことと、昭和の終わりに88才で大往生したことをテキトーな英語で話したら、ナニゲに伝わったみたいだった。
紅梅のふるるばかりに汀女の碑 きっこ
そして、母さんとあたしは、「自分の梅」に会いに行った。それぞれの梅は、すぐに見つかったんだけど、いつもは入れる場所なのに、残念なことにロープが張られてて、手で触ることはできなかった。「梅まつり」だからなのか、それとも、通常でも入っちゃいけないことになったのか、とにかく、ロープから10メートルくらい奥だったから、怪物くんでもモンキー・D・ルフィ でもないあたしは、どんなに手を伸ばしても届かなかった。
でも、久しぶりに見た「自分の梅」は、新しい枝がツンツンと青空へ伸びてて、まだ五分くらいお花も残ってて、会うことができて、とっても嬉しかった。母さんの梅は、あたしの梅よりもひとまわり大きくて、幹のカーブがやさしくて、とっても温かい感じがした。母さんとあたしは、しばらく、その場所から眺めてから、通路をグルッと進んで、今度は別の角度からも眺めてみた。そしたら、母さんの梅に、あたしの梅が抱かれてるみたいに見えて、何だか胸がジーンとした。
母さんの白梅あたしの白梅 きっこ
‥‥そんなワケで、タップリと「梅まつり」を楽しんだあとは、また必死にママチャリを漕がなきゃならなかったあたしだけど、帰りには経堂のブティックに寄って、母さんに春物のスカートをプレゼントすることもできた。寝不足で疲れ気味のあたしには、少々ハードなサイクリングだったけど、「また来年も来ようね」って言ってくれた母さんの笑顔で、お正月から2ヶ月ぶりのお休みは、とっても嬉しい1日になった。これで、明日からもがんばれると思った今日この頃なのだ♪
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