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2010.03.01

米子の中心で愛を叫ぶ

ちょっと前のことだけど、平成22年2月22日の「2並び」の日に、民主党のお騒がせオヤジ、石井一が、都内でのパーティーの席で、こんなことをノタマッた。


「鳥取県とか島根県と言ったら、日本のチベットみたいなもので、少し語弊があるかもわからないが、人が住んでいるのか牛が多いのか、山やら何やらあるけど、人口が少ないところだ」


で、この言葉を聞いた鳥取県と島根県の人たちは、当然のことながらカンカンに怒っちゃって、抗議が殺到したワケだけど、あたし的には、鳥取県や島根県はともかくとして、この「日本のチベット」っていう表現自体が、「バカチョンカメラ」や「トルコ風呂」とおんなじように、チベットに対して失礼だと思った。だけど、民主党の揚げ足取りに命を懸けてる自民党が、この発言を攻撃しようと思ったのもトコノマ、ゾウリムシほどの学習能力もない失言キングのモリヨシローが、27日、長野県での会合で、こんなことをノタマッちゃった。


「(民主党の)羽田さんと私は同期なんです。長野県も偉いですよね。半身不随で動けない人にちゃんと票を入れるんだから」


民主党の羽田孜は、脳梗塞で入院したことはあるけど、今もちゃんと議員活動を続けてるのに、その人の個人名をあげて「半身不随で動けない人」だなんて言い放った上に、投票した有権者たちのことまで愚弄した。さらに、この発言は、全国の脳梗塞による半身不随の人たちのことまでバカにしてるワケで、この2人の失言を交通違反に喩えるなら、石井一が「駐車違反」なのに対して、モリヨシローは「飲酒運転のひき逃げ」って感じで、誰がどう見ても、自民党のほうがブが悪いと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、せっかく長崎県知事選で自民党の推薦する候補が勝ったってのに、それを受けての自民党の次の手が「審議拒否」と来たもんだから、国民の間からは溜め息と失笑しか出なかった。そして、せっかく民主党の石井一が失言してくれたのに、そのすぐあとにモリヨシローの大失言‥‥ってワケで、ピンチをチャンスに変えるどころか、その反対で、せっかくのチャンスを次々とピンチに変え続けてる自民党には、もう、「ご愁傷様です」としか言いようがない。だから、あとは自然に消えてくだけの自民党のことは放っといて、今日は、石井一が「日本のチベット」だって言った鳥取県と島根県について書いてみようと思う。何でかって言うと、あたしの中では、今、鳥取県と島根県がマイブームだからだ。

鳥取県と島根県て、「鳥」と「島」の字が似てることから、すごく間違えやすい上に、鳥取県だけの場合も、「鳥」も「取」も「とり」って読むから、「鳥取」なのか「取鳥」なのかまぎらわしい。西日本に住んでる人ならともかく、東日本に住んでる人たちは、この2つの県が並んでることは知ってても、どっちが鳥取県だったか島根県だったか、イマイチ、分からない場合が多い。そんなこともあって、島根県では、2007年に、島根県のシルエットの下に「島根は鳥取の左側です!」ってメッセージの入ったTシャツを売り出した。島根県在住のクリエーターで、「秘密結社 鷹の爪」で世界的にメジャーになった「蛙男商会」のFROGMANさん(小野亮さん)のデザインだ。そして、2009年には、このTシャツの鳥取県版が作られた。もちろん、「鳥取は島根の右側です!」ってメッセージが入ってて、鳥取県在住の水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」がプリントしてある。ちなみに、これだ。

あたしとしては、鳥取県の米子に俳句仲間がいて、美味しい出雲蕎麦や梨を送っていただいたりしてるので、「鳥取と言えば砂丘」っていうだけの知識しかない人たちよりは、ちょっとだけ鳥取県のことを知ってるつもりでいる。だけど、実際に行ったことはないから、テレビやインターネットの情報で知ってるだけで、あんまり偉そうなことは言えない。でも、米子には、もう1人、知ってる人がいる。去年、河口恭吾さんのコンセプトアルバム、「WOMANING」に詩を提供させていただいた時に、あたしのインタビューをしてくださった渡辺末美さんだ。まだ読んでない人は、こちらです。

末美さんは、今は地元の米子で活動されてるけど、もともとは中央の音楽関係の出版業界にいた人なので、たくさんのミュージシャンとつながりがある。昨年は、米子で初となるアースシェイカーのライブや、織田哲郎さんと小山卓治さんのジョイントライブを大成功させた。あたしは、末美さんのブログを愛読してるんだけど、去年の11月のアースシェイカーのライブに関する一連のエントリーには、ホントに感動した。そして、無事にライブが終わり、駅までメンバーやスタッフを見送った時に、Sharaさんが末美さんとハグしたってクダリを読んで、胸がジーン・シモンズになって口から炎を吐き出しそうになっちゃったほど感動した。ちょうど、11月22日のあたしのお誕生日の日のブログだったから、よく覚えてる。この時のことは、Sharaさんもブログに書いてる。

で、「胸がジーン・シモンズ」のとこで「おおっ!」って思った人には、ピーター・クリスとエース・フレーリーが夜の新宿2丁目の楽器店やコンビニに行く様子で楽しんでいただくとして、話はクルリンパと戻るけど、あたしの米子の俳句仲間は、お好み焼き屋さんをやってる。それで、その話を末美さんにしたら、食べに行ったそうなので、店内に飾られてるあたしの俳句の色紙も見たんだと思う‥‥ってことで、いろんなとこで点と点がつながって線になりつつあるのが、あたしにとっての米子なのだ。

‥‥そんなワケで、米子と言えば、稲垣早希ちゃんの「西日本横断ブログ旅」だ。鳥取砂丘でパラグライダーに乗り、三徳山の投入堂(なげいれどう)まで木の根っこをつかんで登り切り、ようやく鳥取県での2つの通過ポイントをクリアした早希ちゃんだったけど、次の島根県での1つめの通過ポイントが、隠岐島の切り立った崖で、ここまで行くフェリーに乗るためには、米子を経由して境港まで行かなきゃなんない。だけど、こんなにも厳しい通過ポイントなのに、ナゼか嬉しそうな早希ちゃん。それは、子供のころから、妖怪の絵を描くことが趣味だった早希ちゃんにとって、水木しげるさんの地元で、街中に妖怪があふれてる境港は、一度は行ってみたかった場所だったからだ。

そして、外側も内側もねずみ男だらけの「妖怪電車」に乗って、境港に降り立った早希ちゃんは、目玉おやじの行灯(あんどん)をつけたタクシーや、街灯や公衆トイレのマークまでが「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪たちになってる街並みに大コーフン。そして、オトトイの放送では、まずは資金のあるうちに宿を探すことにして、駅前の観光案内所を訪ね、運良く素泊まりで3600円の宿が見つかる。そして、そこの人に通過ポイントの写真を見せて、これが隠岐島の「摩天崖(まてんがい)」だって確証を得て、ひと安心。でも、次にフェリーのことを調べてみたら、片道2840円もする上に、1日1便、午後2時すぎの便しかなくて、それも、片道4時間半も掛かるって言われる。

ちなみに、あたしたちは普通に「隠岐島」って言ってるけど、実際には「隠岐島」って名前の島はない。正確には、複数の島からなる「隠岐諸島」で、一番大きな「島後(どうご)」と、中ノ島、西ノ島、知夫里島からなる「島前(どうぜん)」で構成されてる。そして、早希ちゃんの目指してる「摩天崖」は、島前の西ノ島にあるんだけど、境港を出発するフェリーは、まずは一番大きな島後に寄港して、それから島前へ回るルートになってる。そのため、とっても時間が掛かる。

だけど、午後2時すぎに出発して、それから4時間半も掛かったら、到着した時には暗くなってて、「摩天崖」を目指すことができない。必然的に、西ノ島で一泊することになり、資金の乏しい早希ちゃんとしては、それだけは避けたいところだ。そしたら、フェリーの窓口のおじさんから、もう1つの方法を教えられる。この境港からバスでリトル移動した七類(しちるい)港まで行けば、朝9時に出るフェリーがあったのだ。それで、早希ちゃんは、境港で一泊して、翌朝、バスで七類港まで移動して、そこからフェリーに乗る作戦にした。

で、ここでポイントなのが、米子や境港は鳥取県だけど、七類港は島根県だってことだ。つまり、米子や境港は、鳥取県の左のハシッコ、島根県との県境に位置してるってことだ。それで、あたしは、「県境にあるから境港っていうのかな?」なんて思ったりしつつ、今後のルートも決まり、心に余裕のできた早希ちゃんが、妖怪ロードで写真を撮りまくったり、目玉おやじの形の和菓子を食べたり、「水木しげる記念館」を見学したりと、大好きな妖怪ワールドをタンノーしてる様子を微笑ましく観てた。そして、翌朝、バスで七類港へと移動し、ものすごく大きなフェリーに乗り込んだ早希ちゃんは、8000円くらいしか持ってなかった資金が、宿泊代や夕食代、フェリー代で使い果たしちゃって、残金182円になったとこで、船上での朝9時のサイコロタイムを迎えた‥‥ってのが、オトトイの放送だった。

‥‥そんなワケで、あたしは、毎週楽しみにしてる「西日本横断ブログ旅」を観ながら、ただ単に番組を楽しんでるだけじゃなくて、この鳥取県のことを何倍も身近に感じてる。それは、早希ちゃんが鳥取砂丘のお店で、ジャガイモの代わりに梨が入ってる「梨カレー」を食べたり、境港で鬼太郎のキャラに囲まれて喜んでるシーンを観た時に、鳥取の梨や鬼太郎のラベルのお酒を送ってくださった米子の俳句仲間のことを思い出したからだ。そして、早希ちゃんが米子で電車を乗り換えた時には、「ここが○○さん(俳句仲間)の住んでる街なんだな」とか、「ここに末美さんがいるんだな」とか、「ここでSharaさんたちが熱いライブをやったんだな」とか、「ここでSharaさんと末美さんがハグしたんだな」とかって自然に想像しちゃうからだ。

そして、ここに、もう1つの点がつながることになる。また別の俳句仲間が、去年の暮れに、1冊の本を送ってくださった。俳人の原石鼎(はら せきてい)のことを書いた「頂上の石鼎」(深夜叢書社)っていう本で、俳人の岩淵喜代子さんが書かれたものだ。立派なハードカバーで、300ページ以上もあるので、原石鼎が好きなあたしは、読むのをとっても楽しみにしてた。そして、読みかけだった数冊の本が終わったので、ちょっと前から読み始めたんだけど、あまりにも面白くて、一気の読んじゃうのがもったいない。それで、毎晩、寝る前に、数ページずつ大切に読むことにした。

で、カン違いされると困るので、一応、説明しとくけど、この「あまりにも面白くて」ってのは、ケラケラと笑っちゃうような面白さってことじゃなくて、俳句マニアのあたし的に、とっても興味深いことがたくさん書かれてるって意味だ。ものすごい量の資料や調査によって、すでに発行されてる石鼎の全集の中の略歴の間違いとか、俳句作品の年代の間違いまで指摘してるし、誰も深くは触れて来なかった人妻との駆け落ちの話に至るまで、徹底的に書かれてる。だから、もう、シビレちゃうほど楽しい。それで、あたしは、毎晩、数ページずつ読み続けて来て、今、全体の3分の1くらいまで来たとこなんだけど、ここで、ビックル一気飲みが炸裂しちゃったのだ。

石鼎は、島根県の出雲の出身なので、ここまでにも、島根県や鳥取県の地名は何度も文中に登場してた。だけど、それは、石鼎が活躍した大正時代を背景とした描写だから、現代とは大きくイメージの違ったものだった。それで、あたしは、そのまま読み続けて来て、オトトイの深夜、「西日本横断ブログ旅」で、早希ちゃんが境港のゲゲゲの鬼太郎だらけの街を楽しんだとこを観たあとも、ベッドで、本の続きを読み始めた。ちょうど、著者の岩淵喜代子さんが、石鼎が駆け落ちしたとされるお寺を訪ねて、現地まで行った時のことが書かれてて、読み進むうちに、こんな一節が目に飛び込んで鬼太郎‥‥じゃなくて、飛び込んで来た。


「尋ね歩いているうちに境港までゆきついた。米子はそんな小さな町なのである。境港は妖怪漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の出生地。現在(2006年)でも、作者の水木しげるが住んでいる。町には「鬼太郎ロード」なるものがあって、ゲゲゲの鬼太郎に登場する妖怪のモニュメントが鋪道に並んでいた。」


あたしは、あまりの偶然に、何とも言えない不思議な気分になった。それこそ、妖怪が枕元に現われたんじゃないかと思うくらい、不思議な気分になった。だって、「西日本横断ブログ旅」の放送は、最初から決まってたことだけど、この「頂上の石鼎」って本は、去年の秋に刊行されたものなのだ。だから、もしも図書館とかで見つけてたら、あたしは、もっと早く読んでたワケだ。そして、あたしは、去年の暮れに送っていただいたんだけど、長い本を落ち着いて読む時間がなかったことと、読みかけの本が何冊もあったことから、「もう少しして落ち着いたら読もう」って思ってたワケだ。

それで、読みかけの本も読み終わり、ようやく少し落ち着くことができて、この本を読み始めてみたら、あまりにも面白い。で、一気に読んじゃうのがもったいなくて、毎晩、少しずつ読んで来たら、ちょうど「西日本横断ブログ旅」で早希ちゃんが境港を訪れた回を観た直後に、本のほうも作者が境港を訪れたのだ。たとえば、あたしが本を読み始めた日が、1日でも早かったり遅かったりしたら、こんなことにはならなかっただろう。そして、本を読み始めた日がおんなじだったとしても、前の晩に1ページでも多く読んでたら、さっき引用した一節は、前の日のうちに知っちゃってて、こんな驚きには至らなかったハズだ。

そして、時系列で考えれば、今から4年前の2006年に、岩淵喜代子さんが見た鬼太郎やねずみ男のモニュメントを早希ちゃんは去年の12月のロケで見たことになる。そして、早希ちゃんが米子や境港を訪れた1ヶ月前の11月には、アースシェイカーのメンバーたちが訪れてたんだから、点と点がどんどんつながって行き、不思議な「偶然の連鎖」は加速してく。

‥‥そんなワケで、これが、見ず知らずの人が書いた本だったら、あたしは、こんなにも不思議な気分にはならなかったと思う。だけど、この本の著者の岩淵喜代子さんは、お会いしたことこそないけど、あたしと接点のある人なのだ。岩淵喜代子さんは著名な俳人だから、俳句をやってる人なら誰でも知ってるワケで、当然、あたしもよく知ってる。だけど、喜代子さんのほうも、覚えてるかどうかは分からないけど、あたしのことを知ってるハズなのだ。それは、過去に、あたしの俳句を鑑賞してくださったことがあるからだ。

岩淵喜代子さんは、「ににん」っていう俳句同人誌を主宰してるんだけど、当時、お仲間の土肥あき子さんと一緒に募集句の鑑賞をしてて、あたしは、何度も素晴らしい鑑賞をしていただいた。以下、喜代子さんとあき子さんによる、あたしの句の鑑賞を紹介する。ちなみに、こないだの羽根木公園での梅の句みたいなのは、「きっこの日記」を読みに来てくれる人たちの多くが、俳句のことを知らないと思うので、そうした人たちにも意味が分かるように詠んでるものだ。だけど、ここに紹介するのは、あたしが本気で詠んでる句なので、俳句を知らない人には理解できないものも多いと思う。でも、喜代子さんとあき子さんの鑑賞を読めば、ある程度は理解できると思う。だから、「俳句はこんなふうに鑑賞するものなんだ」ってことのヒントにもなるので、ぜひ読んでみて欲しい。


 ふらここに狐の面を飛ばしけり  きっこ

ぶらんこを夢中で漕いでいるうちに、付けていた狐の面が取れてしまったのだろうか。上手に化けきれない狐の子供が狐の面を付け、公園でひとり遊んでいる風景にも思え、不思議な映像が心をつかむ。山形県では「むさかり」という行事で男性が花嫁、女性が花婿に扮し、従者はみな狐の面を付け、地元の集落を練り歩くという。北区の王子稲荷では、今も大晦日に狐の面を付けて行列する。狐とは人間の朧の部分を象徴しているようにも思え、春の宵がほどよく溶け合う。(あき子)


 ごんずゐのかたまつてゐる悪だくみ  きっこ

「ごんずい」と呼ばれるものに、植物の「権萃」と魚類の「権瑞」がある。ここではもちろん後者で、春の魚である。先日、品川や、浜離宮あたりの川に、鯔の大群が川幅いっぱいにひしめいている写真が、新聞に載っていた。立錐の余地もないとはあんな風なのではないかと思うくらいに、押し寄せていて、大きな意思を感じさせた。鯔も黒いが、「ごんずい」も黒く「なまず」に似た姿をしている。その上、ヒレには毒があり、刺されると激痛が走るようだ。その痛さもまた、「悪だくみ」のことばを引き出してきている。本当は、「悪だくみ」を計るのは、魚ではなく人間なのであるが。(喜代子)


 かわほりにをとこの数をかぞへをり  きっこ

夜行性のかわほり(蝙蝠)は、まるで闇を誘い出すように、夕暮れになると忙し気に飛びはじめる。あのせわしさは、見ているこちらも感化される。だからおとこの数をかぞえはじめるのだろう。おとこの数をかぞえるのはいったい何のためなのか。数えている男とはいったいどんなおとこなのか。とにかくかわほりの飛翔に促されて、かわほりが男なのか、男がかわほりなのかわからなくなっていく。(喜代子)


 憎悪てふ闇よ吹かるる鬼の子よ  きっこ

「鬼の子」とは蓑虫のこと。どんなに大きくても全長4,5センチしかない虫を、鬼の子と呼ぶ発想はどこからきたのだろうか。枕草子には「蓑虫いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむ」とある。「鬼の子」と「蓑虫」という呼び名の違いで想像力も違ってくる。「蓑虫の蓑あまりにもありあわせ」という飯島晴子の句は人情的で身近な蓑虫だが、「鬼の子」と呼ぶと、異次元の匂いも運んでくる。掲出句は憎悪と鬼の子を同列に並べて、鬼の子と呼ばれるものの暗さを印象づけている。(喜代子)


 姉さんが欲しいと泣いたセロリかな  きっこ

セロリは不思議な食べ物。味が有るような無いような、それでいて食卓のグラスにそれだけが、特別なもののように挿してあったりする。姉さんが欲しいと泣いたのはいつだったか。セロリを噛むのに少し力が必要だった。(喜代子)


 春宵の鎖骨より蝶つぎつぎに  きっこ

ガルシア・マルケスの『百年の孤独』では、小町娘のレメディオスが洗濯場で白いシーツに包まれ昇天する有名な場面がある。これを荒唐無稽と笑った男に、彼は真面目に「しかし実際美しい娘には蝶がまとわりつくのです」と答えたという。まだ暮れて間もない春の宵に、娘の鎖骨から続々と蝶が生まれ飛び立つという夢想は、まるで語り継がれた昔話のような悲しい結末を覚悟した美しさがある。(あき子)


 青簾おろせばしましまのあたし  きっこ

壇一雄の『光る道』の冒頭部分に、半ば上げた御簾の影が姫の額に揺れる影を落す、という描写がある。このわずか一行が忘れられず、度々手に取る小説である。美しい姫君の口から発せられる可憐の質問と、非情な命令。死をゴールに据え、頬を切る風と、馥郁たる香りが重層する作品である。「しましま」と簡略に言い放つとき、頑是ない十六歳の姫君が、掲句の作者に重なる。「青簾」が織りなす光と影の刻印が、全ての存在をねじふせてしまう。(あき子)


 薫子が真理子にゐのこづち飛ばす  きっこ

「ゐのこづち」とは、その形態が猪の膝頭に似ているところから付いたという、色気のない植物の名である。飛ばす遊びというのは、この植物が洋服にくっつくからである。なにやら貧乏くさい遊びで終ってしまう「ゐのこづち」を救ったのは、彼女たちの名である。カオルコとマリコの「R」が効果的にお洒落なリズムを生み、少女が小鳥のような声をあげて野原で遊んでいる様子がキラキラと広がったのだ。(あき子)


 寒紅をのせて小指のいとほしき  きっこ

小指は五指のなかで、一番不出来な指である。一番端っこだし、なくても特別問題はないように思う。だからこそ、格別な指でもある。この小さな指先にぽちりと朱が乗る時、その指は妙に生々しく、そしてひとしお、いとけなく思う。(あき子)


 つつつけばひろがるおたまじやくしの輪  きっこ

おたまじゃくしの群が、そこだけ盛り上がるように真っ黒な群れになっているのを、この頃よく見かける。近づいてみれば、一つ一つのおたまじゃくしは尾を振っていて、たしかな存在感を現している。その塊りの中心を、あたりの古草などで、つついてみたのだ。そうすることしか、おたまじゃくしへの意思表示はないのかもしれない。おたまじゃくし達は驚いて四方に飛び散って、そこだけ、池の底を見せて輪ができてしまった。(喜代子)


 蟻地獄見に行くといふ五時間目  きっこ

トルファンから西へ三時間ほど、砂漠の中の高速道路を走ると、交河故城の広大な廃墟がある。といっても、日干し煉瓦の溶け出すような風化で、あたり一面が土色で草一本ない。そんなところに生き物などいないと思っていたのに、蟻地獄だけがあちらこちらに目についた。わざわざ蟻地獄を見にゆく時間があるというのが、この句に奥行きと面白さを与えている。五時間目とは太陽が昇りきって、一番暑い日盛りである。蟻地獄の無音の世界は「見に行く」の一語に、執念や嗜虐やらを抱えた人間をきわめて明るく理知的に描き出している。(喜代子)


 猫匍匐前進鷹垂直落下  きっこ

影のように忍び寄る猫、礫のように舞い降りる鷹、どちらも獲物を捕らえる際の姿勢である。漢字だけが並ぶ固さが、この動物たちのしなやかさを一層引き立てている。南北朝時代の道士陶弘景の「虎は声を聞きて深く伏し、鷹は形を見て高く飛ぶ」の数秒後を展開させてみせた。(あき子)


 祝女(のろ)の指すニライカナイや初茜  きっこ

沖縄の祝女は、私たちが考える「占い師」や「巫女」とはかなり違う。旅先でふと足を伸ばした久高島で祝女の話を聞いたことがある。久高島で生まれ育った30歳から41歳までの女性が「祝女」となるための条件は、二夫にまみえてはならず、島外の男と結婚した者も除外される。選ばれた「祝女」は夫にも明かしてはいけない名前を継承し、神そのものとなってあがめられる。その後、女たちは島を出ることも叶わず、70歳の退役の儀式まで黙々と神として島に仕える。ニライカナイもまた、私たちが考える「楽園」とは随分違うものだろう。海に暮らす者にとって、海とは幸いを運び、また災いも招く大いなる象徴である。赤く染まる水平線を指の先に乗せ、祝女は何をつぶやくのだろうか。(あき子)


 爪紅や膝に貧血気味の猫  きっこ

爪紅とはつまぐれ草とも呼ぶが、いちばん馴染んでいる呼名は鳳仙花である。だが鳳仙花といわれると健康的な日差しを感じる屋外の景。この句は爪紅でな ければ成り立たない。貧血気味の猫なんてどうやって見分けるのかなどという愚問はいらない。作者と猫とは一身同体なのである。そういえば竹久夢二の絵の中で、女性に抱かれいるのは黒猫だった。(喜代子)


‥‥そんなワケで、民主党の石井一は、鳥取県と島根県のことを「日本のチベット」だって言ったけど、あたしにとっては、あたしの周りの多くの人たちが、不思議な「偶然の連鎖」で米子に関わってることから、米子が「ニポンの中心」のように思えてならない。そして、「頂上の石鼎」の中には、喜代子さんが、ある俳句雑誌の石鼎について書かれた文章の中に「鳥取県米子」じゃなくて「島根県米子」って書かれた箇所を見つけて、真偽を調べるために米子市へ問い合わせたクダリが書かれてるんだけど、市からの回答は「鳥取県は、明治四年に廃藩置県により設置されますが、明治九年に島根県に編入され、明治十四年に再び分離し鳥取県になりました」とのことだ。つまり、米子は、今は鳥取県だけど、明治9年から14年までは島根県だったのだ。こうした歴史を知ると、鳥取県と島根県とを分けて見るんじゃなくて、米子を中心に2つの県を一緒に見たほうがいいような気もして来る。そして、できることなら、ずいぶん古いけど、米子の中心で愛でも叫びたくなって来る今日この頃なのだ(笑)


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