« 敦賀市長がもんじゅの運転で根回し | トップページ | 自民党が徴兵制の導入を検討 »

2010.03.04

今日は何の日?

今日は、3月3日、そう、「耳の日」だった‥‥って、別にウケを狙ってるワケじゃなくて、あたしは、「桃の節句」に関しては、あんまり楽しかった思い出もないし、悲しかった思い出は前に書いちゃってるから、今日は趣向を変えて、「耳の日」について書いてみようと思った。で、3月3日が何で「耳の日」なのかって言うと、誰でも分かるように、「3」と「3」を「ミミ」って読んだ語呂合わせなんだけど、意外なことに、他にもアトヅケの理由がいくつかある。

1つは、ヘレン・ケラーだ。ヘレンは、幼児の時の病気が原因で、視力も聴力も失ってしまった。それで、ヘレンの両親は、ヘレンが7才になった1887年に、ボストン大学の発音生理学の教授で、聴覚障害児に対する教育の研究をしてたグラハム・ベルのもとを訪れて、ヘレンの教育について相談する。そして、ベル教授の紹介で、マサチューセッツ州の盲学校から、1人の家庭教師を派遣してもらえることになる。これが、ヘレン・ケラーの伝記を読んだ人ならオナジミ、当時20才のアン(アニー)・サリバンで、彼女が初めてヘレンのお家を訪ねたのが、3月3日だったのだ。そして、20才のアニーと7才のヘレンは、この日から50年間も、教師と生徒という枠を超えた友情を築いてくことになる。

一方、この運命的な出会いを仲介したベル教授と言えば、電話を発明した発明家としてもオナジミだ。細かいことを言うと、ホントは、ベル教授が発明した電話が今の電話の元祖なんじゃなくて、その後、発明王のエジソンが発明した電話のほうが、ずっと性能が良くて、こっちが今の電話の元祖みたいな感じなんだけど、他の発明家も開発してるし、それぞれに部分的に関係してるから、今の電話ってのは、複数の発明家による合作みたいなものってことになる。だけど、一般的には、「グラハム・ベルが電話を発明した」ってことになってる。

で、「耳」に関係してる電話を発明したことになってるベル教授は、何の因果か、はたまたゼーレのシナリオなのか、1847年3月3日に生まれてるのだ‥‥ってワケで、いくらアトヅケの理由とは言え、まるで、あたしの「エヴァンゲリオン予想」のごとく、ここまでコジツケられちゃったら、サスガの社団法人「日本耳鼻咽喉科学会」も、3月3日を「耳の日」に制定するしかなかったと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、3月3日が「耳の日」だってことは知ってても、いったいぜんたい何をする日なのかは、あんまり知られてない。中には、「耳の日」に何をすればいいのか分からなくて、とりあえず、自分の耳そうじをしてみる人もいるだろう。もちろん、それはそれで、「自分の耳を大切にする」って視点からは間違ってないんだけど、「耳の日」の一番大きな目的は、マクラにヘレン・ケラーのことを書いたことからも分かるように、「耳の不自由な人たちのことをみんなで考えよう」ってことなのだ。

だけど、昭和29年(1954年)に「耳の日」が制定されてから、すでに半世紀以上も経ってるのに、こうした本来の目的は、イマイチ浸透してない。これは、あたしの推測なんだけど、全国的には、3月3日は「桃の節句」、「ひな祭り」っていう一大イベントの日であって、こっちのほうに国民の目が行ってるから、あんまり浸透してないんじゃないか?‥‥ってことだ。たとえば、他に何のイベントともかぶってない日だったら、その日は「耳の日」だけしかないんだから、イヤがオーでも国民の注目が集まる。小学校とかでも、朝礼の時に、「今日は耳の日ですよ」って言うだろうし、どんなことをする日なのかも、先生がちゃんと説明するだろう。そしたら、もっと浸透してたと思う。

で、「耳の不自由な人たちのことをみんなで考えよう」ってことで言えば、3月3日の「耳の日」の他にも、5月5日が「手話の日」に制定されてる。これは、手話が、左右の手の指を使って行なうことから、指の数の5本と5本から決められたんだけど、これまた、5月5日は「端午の節句」っていう全国的な一大イベントがあるから、「耳の日」以上に世の中に浸透してない。そして、もう1つ、6月6日が「補聴器の日」に制定されてる。これは、数字の「6」が耳の形に似てることと、3月3日が「耳の日」だから、そこに「もう1つの耳」である補聴器をつけるってことで、3月3日を2つ足して6月6日にしたって言われてる。だけど、6月6日は、3月3日や5月5日みたいに、他に大きなイベントがないのにも関わらず、コレと言って積極的に広報したりもしてないから、これまた、あんまり浸透してない。

‥‥そんなワケで、漠然と「耳の不自由な人たちのことをみんなで考えよう」って言われても、何をどうすればいいのか分からない人も多いだろう。たとえば、街を歩いてて、白い杖をつきながら歩いてる人や、盲導犬を連れてる人を見かければ、「目の不自由な人」ってことはすぐに分かるから、もしも、その時の自分にできることがあれば、手を貸すことができる。そして、車椅子の人を見れば、一時的なケガなのか障がい者なのかは判断できなくても、歩くことができない人だってことは分かるから、何かできることがあれば、手を貸すことができる。

でも、耳の不自由な人の場合は、見ただけじゃ分からない。道を歩いてても、電車やバスに乗り合わせてても、外見からは分からない。その人と何らかのコミュニケーションを取る段になって、初めて分かる。だから、ヨケイに、どうすべきなのかも分かりにくい。もちろん、身内や知り合いに1人でも耳の不自由な人がいる人は、どんなふうに対応すべきかを心得てると思うけど、そうした経験のない人たちは、どこかで初めて耳の不自由な人と接した時に、咄嗟に適切な対応ができなかったりする。

だから、これは、あたしからの提言なんだけど、こうした経験のない人たちは、今はインターネットがあるんだから、3月3日の「耳の日」には、ほんの30分でもいいから、インターネットで「耳の不自由な人」って検索して、いろんなサイトを覗いてみて、耳の不自由な人に対する接し方や、気をつけなきゃいけないこととかを学んでみて欲しいと思う。たとえば、次のサイトには、「耳の不自由な人に対するエチケット」がイラスト入りで分かりやすく説明してある。


「耳の不自由な人に対するエチケット」
http://www.pref.ishikawa.jp/bf/guide/mimi1.html


そして、次のサイトには、簡単な手話の「あいうえお」が一覧になってる。


「手話」
http://www.nishitaga.net/icare/syuwa.htm


身近に耳の不自由に人がいなければ、普通は手話を勉強しないと思うし、あたしも手話は分からない。そして、耳の不自由な人に対して、自分の伝えたいことを正確に伝えるには、筆談をするのがベストだと思う。だけど、いつかの時のために、せめて自分の名前くらいは、手話で言えるように覚えとくのもいいんじゃないかと思う。

‥‥そんなワケで、あたしは、あんまりこんなこと書くのは好きじゃないんだけど、毎年、クリスマスが近づくと、地元の高島屋に行って、南館の1階の目立たないとこにある「盲導犬」の募金箱に募金することにしてる。何でかって言うと、ずっと前に、街中がクリスマスのイルミネーションでハデハデに輝いてる中を歩いてて、これまたクリスマスの飾りだらけの高島屋に入ってったら、南館の奥の某レディースブランドのウインドウに、ものすごくストライクなワンピが飾られてて、とっても欲しくなったことがあった。値段は3万円ちょいで、そのころもそれなりに節約生活はしてたんだけど、半年に1回くらいは、こうしたお洋服をクレジットカードで買ったりしてたから、この時も、3回払いとかで買おうかなって思った。

だけど、サスガに値段が値段だったから、あたしは、しばらく悩みながらウインドウ越しに眺めてたんだけど、あまりにも長い時間、眺めてるのも恥ずかしかったから、いったん、その場を離れることにした。そして、クルッと向きを変えて歩き始めたら、エスカレーターの下の薄暗い場所に、小さなワンちゃんの募金箱があることに気づいた。近寄って見てみると、「盲導犬」の募金箱だった。そして、この募金箱を見た瞬間、あたしは、目の不自由な人たちのことが頭に浮かんだ。街中が過剰なほどのクリスマスのイルミネーションで輝いてるのに、目の不自由な人たちにとっては関係ないことなんだって思えた。

莫大な予算を掛けてやってる全国のクリスマスのイルミネーションが、すべて、目の見える人たちのためだけに飾られてるものなんだって思ったら、何だか、ものすごく申し訳ないような気持ちになっちゃって、あたしは、お金もないのに、クレジットカードで3万円もするお洋服を買おうとしてる自分のことが恥ずかしくなった。それで、ワンピを買うのはやめて、その代わりに、買ったつもりになって、その募金箱にお財布の中のお金をぜんぶ入れた‥‥って言っても、千円札が数枚だったけど。そして、それからは、毎年、クリスマスが近づくと、南館の奥のショップに行って、ステキなお洋服を見てから、それを買ったつもりになって、その募金箱に募金するようになった。

で、これには、もう1つの理由がある。それは、あんなにも最低な人間を東京都知事に選んじゃったっていう「東京都民としての責任」だ。もちろん、あたしは、ただの一度も、あんな人間なんかに投票したことはないし、必ず対立候補に投票し続けて来たけど、それでも、結果として、あの独裁者が都知事のイスに居座り続けてるんだから、これは、東京都民全員の責任だと思ってる。

北朝鮮の大将軍様にも負けず劣らずの東京都の独裁者は、「東京都の財政で何が贅沢かといえば、まず福祉だ」ってノタマッて、都知事就任以来、「お年寄りのシルバーパスの全面有料化」「寝たきり高齢者への老人福祉手当の廃止」「障害者への医療費助成の縮小」「特別養護老人ホームへの補助の削減」「難病医療費助成の対象から慢性肝炎を除外」「盲導犬の飼育代の廃止」「盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止」‥‥ってふうに、数え上げたらキリがないほどの社会的弱者に対する切り捨て政策を断行して来た。だから、こんな人間を都知事にしちゃった東京都民の1人としては、せめて「盲導犬の飼育代」くらいは募金しなくちゃって思ったのだ。

で、誰でも「盲導犬」の存在は知ってると思うけど、多くの人たちが存在すら知らないのが、「介助犬」や「聴導犬」だ。「盲導犬」が目の不自由な人のサポートをするように、「介助犬」は足の不自由な人のサポート、「聴導犬」は耳の不自由な人のサポートをする犬なんだけど、「盲導犬」ほど世の中に認知されてない上に、国や都道府県の補助もほとんどないから、まったくと言っていいほど普及してないのが現状だ。

具体的に言うと、去年の時点で、「盲導犬」を希望してる人が全国に約8000人いるのに対して、「盲導犬」の数は約1000頭ほどなので、希望者8人のうち1人しか利用できてない。でも、これは、激しくマシな話で、「介助犬」の場合は、全国の希望者が約1万5000人もいるのに対して、「介助犬」は、わずか49頭しかいない。つまり、300人に1人しか利用できてないのだ。そして、「聴導犬」に至っては、全国の希望者が約1万人なのに対して、たったの19頭しかいないのだ。これは、希望者530人に対して1頭の割合で、これじゃあ「有馬記念」で3連単を当てるよりも難しいだろう。そして、どっかの東京都知事が、誰も望んでなかったオリンピック召致なんかのためにドブに捨てた150億円があったら、いったいどれだけの数の「盲導犬」や「介助犬」や「聴導犬」を飼育できたかと思うと、あたしは、東京都民の1人として、ホントに心の底から申し訳なく思う。

‥‥そんなワケで、ここから先は、今日の日記を読んでくださった皆さん1人1人が考えることだ。何も感じなかった人はそれでいいし、何か感じることがあった人は、インターネットを利用して、自分にできることを考えてみて欲しい。そして、最後に、これはあたしの個人的なことだけど、去年の1月の終わりに大きな手術をした母さんは、3月2日に退院した。だから、正確には昨日になるんだけど、フランク・ザッパに言えば、3月3日の今日は、母さんが退院してから1周年てことになる。それで、ホントは、昨日か今日、退院1周年のお祝いをしようと思ってたんだけど、あたしの都合がつかなかったことや、何もピッタリ1年目じゃなくてもいいやっていうアバウトな性格から、近いうちに何らかの形でお祝いすることにした‥‥ってことで、3月3日って日は、全国的には「桃の節句」だし、それと同時に「耳の日」でもあるんだけど、あたし的には、それらにプラスして、これからは「母さんが元気になった日」っていう、新たなお祝いの日になった今日この頃なのだ♪


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ よかったら応援のクリックをポチッとお願いしま~す♪
  ↓


|

« 敦賀市長がもんじゅの運転で根回し | トップページ | 自民党が徴兵制の導入を検討 »