男が先か女が先か
日曜日は暖かかったのに、月曜日は寒くなり、火曜日は暑いくらいになったと思ったら、水曜日は涼しくなった‥‥ってワケで、「三寒四温」ならぬ「一寒一温」て感じで、毎日の着るものに悩んじゃう日々が続いてる。テレビのお天気お姉さんも「今週いっぱいは寒暖の差が激しいでしょう」なんて言ってたけど、あたしは、ふと思った。なんで「寒暖」って言うんだろう?って。ま、今の時期なら、寒い冬から暑い夏へと向かう間の春なんだから、「寒」が先で「暖」が後でもおかしくない。だけど、これが、夏から冬へ向かう間の秋だとしたら、ホントなら「暖寒」て言わないと順序がおかしい。だけど、お天気お姉さんに「今週いっぱいはダンカンの差が激しいでしょう」なんて言われたら、たけし軍団のことかと思っちゃうから、仕方ないかもしれないけど。
で、この「寒暖」とおんなじに、反対の意味、対照的な意味の漢字を組み合わせた熟語って、すごく多い。パッと思いつくだけでも、「上下」「前後」「左右」「高低」「大小」「長短」「強弱」‥‥って、どんどん出て来る。そして、「上下」や「高低」の場合は、上から下への順番で漢字が並んでるし、「前後」の場合は前から後ろへの順番だし、「大小」や「長短」や「強弱」の場合は、大きいほう、長いほう、強いほうが先になってるから、これらは違和感はない。だけど、「左右」の場合は、どうして「左」が先なんだろう?‥‥って思ったら、これは音読みで「さゆう」って読む場合だけで、訓読みの場合は「右左(みぎひだり)」って言うことが多い。「ひだりみぎ」って言う場合もあるけど、たいていは「みぎひだり」って言う。
これは、世の中が「右利き」中心にできてるからなのか、ニポン語の文章を正式に縦書きした場合に「右から左へ」書くからなのか、ハタマタ、地図で見た場合の「右」にあたる「東」を優先して「東西」って言うことに準じてるのか、ちゃんとした理由は分からない。だけど、「東西」の例から考えれば、本来は「左右」も「右」を先に書くべきだと思う。だいたいからして、訓読みの場合は「右左」なのに、音読みになると「左右」になっちゃうのはおかしいと思う。でも、実際に訓読みも音読みも「右左」に統一しちゃうと、音読みの場合は「ゆうさ」とか「うさ」とかで発音しにくくなっちゃう。だから、結局は、発音しやすいように「左右(さゆう)」って言うようになったんじゃないかと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、たくさんあるこうした熟語だけど、あたしの推測では、「上下」とか「大小」みたいに、基本的には自然の流れに沿って順番が決まってるけど、発音しにくいものは、「左右」みたいに順番を入れ替えるケースもある‥‥ってことだと思う。それから、もうひとつ、発音しにくくなくても、他の言葉はまぎらわしいから、あえて順番を逆ににしてる熟語もあると思う。たとえば、「強弱」と似たような意味の熟語で「緩急」ってのがあるけど、これ、「強弱」に倣うなら「急緩」にしなくちゃおかしいと思う。たとえば、野球で、速い球と遅い球とを巧く使い分けてるピッチャーに対して、実況アナが「緩急をつけたピッチング」とかって言うけど、これにしたって、実際には速球をベースにしてて、時々スローボールを織り混ぜてるんだから、投球の組み立て方としては「急」のほうが基本になる。それなのに「緩急をつけた」って言うと、何だか緩いボールのほうが主体みたいなイメージになっちゃう。
だけど、これも、「寒暖の差」の「寒暖」とおんなじで、順番を逆にして「急緩」にしちゃうと、「休刊」なんだか「急患」なんだか分からなくなっちゃう‥‥って、今、気づいたんだけど、「寒暖」って、厳密に言うと、反対語の組み合わせじゃないぞ。一番最初に「日曜日は暖かかったのに、月曜日は寒くなり、火曜日は暑いくらいになったと思ったら、水曜日は涼しくなった」って書いたけど、これを見れば分かるように、「寒い」の反対は「暑い」で、「涼しい」の反対が「暖かい」だ。だから、反対の意味の漢字を組み合わせて熟語を作るなら、「寒」と「暑」、「涼」と「暖」の組み合わせで作らなきゃおかしい。それなのに、「寒暖」の場合は、人間にとって嬉しくない「寒」と、嬉しい「暖」とが組み合わさってる。
「三寒四温」の場合は、寒い冬から暖かい春へ向かう時に使う言葉だから、「寒」と「温」の組み合わせで意味が通る。だけど、「寒暖」の場合は、季節を限定してる言葉じゃないから、ちゃんと反対の意味の漢字を組み合わせなきゃおかしい‥‥って、また気づいたんだけど、そう言えば、海流って「寒流」と「暖流」って言うよね?そしたら、「寒」の反対は「暖」でいいのかな?
ま、その辺のことは置いといて、こうした熟語って、時々問題になることがある。「寒暖」が「暖寒」になって、「急緩」が「緩急」になっても、意味が分かりにくくなるだけで、別に大したことはない。だけど、これが、ある一定の集団を表わすような場合になると、「どっちが先か」ってことが問題になっちゃうのだ。たとえば、ニポンとアメリカの場合は「日米」だし、ニポンと中国の場合は「日中」だけど、これは、ニポンの中だけで言ってるから問題にはならない。だけど、おんなじニポンの中の場合だと、必ず文句を言う人が出て来る。
たとえば、東京と名古屋をつないでる「東名高速」は、東京のあたしは何とも思ってないけど、名古屋の人の中には、名古屋の「名」が後になってることを面白く思わない人も多いだろう。だけど、この場合は、ニポンの首都である東京の「東」が先になってるんだから、いくら面白くなくても、そうそう声を大にして文句を言うことはできないと思う。だけど、「名神高速」の場合は、名古屋と神戸っていう甲乙つけがたいレベルの都市を結んでるから、後にされた神戸の人たちは面白くないだろう。それに、「名神高速」は、大阪を通って隣りの神戸に行くんだから、神戸的には、大阪も含めて自分たちのほうが大きいっていう自負もあるだろうし、名古屋が先になってることに不満を持ってる人も多いと思う。
ただ、関西の人の多くは、名古屋じゃなくて東京にこそライバル心を持ってるから、やっぱり激しくコダワってるのが、東京との直接対決の時だ。たとえば、セ・リーグの「巨人阪神戦」なんて、関西の人は絶対に「阪神巨人戦」て言うよね。野球の場合は、高速道路の名前とは違って、実際にスポーツで対決するワケだから、敵対心も大きくなるんだと思う。東京六大学野球でも、早稲田大学と慶応大学の伝統の「早慶戦」のことを慶応大学の人たちは「慶早戦」って言うそうだ。ま、あたし的にき。「早慶戦」でも「慶早戦」でもどっちでもいいんだけど、ひとつだけ気をつけて欲しいのは、慶応大学と法政大学の試合の時だけは、必ず「慶法戦」て言って欲しい。逆だと下ネタになっちゃうからだ(笑)
‥‥そんなワケで、こうした熟語の場合、どうしても「先のほうが偉い」ってニュアンスがあるから、差別問題にまで発展しちゃうケースもある。田嶋陽子なんて、「男女」って表現は男が偉くて女が下っていう差別語だから、これからは「女男」にすべきだって言ってた。普通に考えたら、「男女」が差別なら「女男」も差別になっちゃうから、男と女を分けずに「人」とか「人間」とか言うしかないのに、この人の理屈って、あたしには理解できないことが多すぎる。もちろん、この「男女」を始め、「夫婦」にしたって、「父母」にしたって、こうした熟語の多くは、女よりも男のほうが偉い、一家の中ではお父さんが一番偉いっていう昔の思想から生まれたものだと思う。だけど、それを差別だって言うのなら、熟語を反対にして逆の差別を生み出そうとするのは本末転倒だ。
だけど、世の中には、こうした細かいことにイチイチ文句を言いたい人もいるみたいで、ずいぶん前のことだけど、あたしが日記の中で「父兄参観」て言葉を使ったら、「父兄は差別用語だから授業参観に直すべき」ってメールが来たことがある。事実、「父兄」って言葉は、差別用語にも放送禁止用語にも登録されてる。ようするに、戦前の家父長制の名残りがある言葉だから、差別にあたるってワケだ。だけど、あたしは、昨日の日記にも書いたように、どっかの誰かが勝手に決めた差別用語なんて無視してる。問題なのは、そこに誰かを差別する気持ちがあるかどうかで、言葉そのものには責任はないと思ってる。
あたしが子供の時は、「父兄参観」て言うのに、お父さんが来る人なんて1人か2人で、お兄さんが来る人なんてゼロで、ほとんどがお母さんだったから、「何で父兄参観て言うのかな?」って不思議に思ったことがある。ちなみに、あたしの場合は、母さんが働いてたから、たいていはおばあちゃんが見に来た。だから、大好きなおばあちゃんが来てくれた嬉しさよりも、クラスのみんなは若くてキレイなお母さんなのに、あたしだけおばあちゃんだってことが恥ずかしくて、何とも言えない居たたまれない気持ちになったことを覚えてる。
だから、実際にはお母さんが来ることが多いのに、それを「父兄参観」て呼ぶのはおかしいから、これからは「授業参観」に統一しましょう‥‥ってことなら、あたしも「なるほど!」って思える。だけど、「父兄」って言葉が差別用語だから「授業参観」にしろ!‥‥って言われても、あたしは別に誰のことも差別してるつもりはないから、まったく直す気にはならない。そして、「男女」にしても、「夫婦」にしても、「父母」にしても、あたしは差別用語だと思ってないし、そんな気持ちで使ったことは一度もないから、これからも普通に使ってくつもりだ。
あたしは、こうした熟語に対して、「先のほうが偉い」って考えること自体がくだらないことだと思ってる。そして、こんなくだらないことをイチイチ指摘して、わざわざ前後を入れ替えたりするなんて、あまりにも幼稚だと思う。なんか、お母さんはおんなじ大きさのハンバーグを作ったのに、自分のハンバーグがお兄ちゃんのより小さいって言って、ダダをこねて泣き叫んでる幼稚園児みたいだと思う。大の大人がこんなことにムキになるなんて、見てるほうが恥ずかしくなって来る。「男女」って熟語を見て、「男」が前になってることにムカついたとしても、「男は子供だから、おだてといたほうが扱いやすいから前にしてあげてるのよ」って思うのが大人の女だろう。「どんなに男が威張っても、所詮は女から生まれたんだから、あたしたち女こそがトリをつとめてるのよ」って思うのが大人の女だろう。
‥‥そんなワケで、あたしは、ニポンはまだまだ男性社会だから、女性が権利を主張することは大切だと思う。だけど、それは、「男女」って熟語の順番を入れ替えろ!だなんていう、こんなくだらない揚げ足取りみたいなこととは違うと思ってる。つーか、こんなくだらないことを言ってるから、ヨケイに女がバカにされるんだと思う。こんなことを言うなら、ゼブラーマンの「白黒つけてやる!」の「白黒」だって、黒より白のほうが偉い、黒人より白人のほうが偉いってことになっちゃうし、「東西」にしたって、西より東のほうが偉い、関西人より関東人のほうが偉いってことになっちゃうし、「上下」にしたって、下より上のほうが偉い、下田美馬より上田馬之助のほうが偉いってことになっちゃう。こんなこと言い出したらキリがないから、あたしは、これからも熟語にはケチをつけないで、熟語にケチをつける人にケチをつけてこうと思う今日この頃なのだ。
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