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2010.04.12

トンチンカンな言葉狩り

前にも書いたことがあるけど、あたしは「無洗米」が嫌いだ‥‥つーか、「無洗米」ってネーミングが嫌いだ。だって、お米は「研ぐ」ものであって、「洗う」ものじゃないからだ。だから、「無研米」なら許せるけど、「無洗米」は許せない。だいたいからして、「洗う」ってのは、衣類にしても、食器にしても、自分の体にしても、汚れてるものを洗ってキレイにする場合に使う言葉だ。食材の場合なら、土や泥のついたジャガイモや長ネギは「洗う」でいいけど、お米を「洗う」なんて言ったら、まるでそのお米が汚れてるみたいじゃん。

もちろん、買って来たばかりのお米にだって、目に見えないレベルのホコリとかは混じってるかも知れないけど、お米を研ぐのは汚れを落とすことが目的じゃなくて、炊いた時のヌカ臭さとヨケイな粘りをなくすためだ。そして、ヌカは汚れじゃない。それなのに、お米を研ぐことを「洗う」なんて言ったら、まるでお米が汚いものみたいだし、「洗わなくてもいいお米」って意味の「無洗米」なんて名前のものを販売されたら、まるであたしの食べてる普通のお米は「洗わないと汚いお米」って言われてるみたいで、すごく不愉快になる。

その上、「全国無洗米協会」では、自分のとこの「無洗米」を売るために、普通のお米を食べてる人たちに向かって、こともあろうに、「排水に流したお米の研ぎ汁が環境を破壊してる」とかノタマッてるのだ。ようするに、「無洗米」なんていうファッキンなネーミングをつけて、遠まわしに普通のお米のことを「洗わないと汚いお米」みたいに印象づけてるだけじゃ飽き足らず、普通のお米のことを「環境を破壊してるお米」だって断言してるのだ。これほど不愉快なことはない。だから、あたしは、死ぬまで絶対に「無洗米」なんて買うつもりはないし、外食する時は、どんなお米を使ってるか聞いて、もしも「無洗米」だったら他のお店に行くことにしてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、ずっと前にも書いたけど、世の中には、どっかの誰かが勝手に決めた「差別用語」だとか「放送禁止用語」ってものがある。だけど、これは、ものすごくおかしいもので、中には首を傾げちゃうような言葉もたくさん混じってる。たとえば、職業に関する差別用語の中には、「魚屋」「八百屋」「肉屋」「米屋」「酒屋」「本屋」「花屋」「おもちゃ屋」「文房具屋」「床屋」なんてのがズラーっと並んでる。ようするに、現代では、「○○屋」って言い方はすべて差別用語になってるのだ。そのため、「魚屋」は「鮮魚店」、「八百屋」は「青果店」、「肉屋」は「精肉店」、「米屋」は「精米店」、「酒屋」は「酒店」、「本屋」は「書店」、「花屋」は「生花店」、「おもちゃ屋」は「玩具店」、「文房具屋」は「文具店」、「床屋」は「理髪店」て言わなきゃいけないことになってる。

もちろん、ここに挙げたのはホンの一例で、ここになくても、「○○屋」って言い方をしてるものは、ぜんぶ差別用語になる。「本屋」がダメなのに「古本屋」はいい‥‥ってワケはなく、「古本屋」は「古書店」て言わなきゃダメなのだ。他にも、「乾物屋」「金物屋」「雑貨屋」「パチンコ屋」「居酒屋」「焼き鳥屋」「クレープ屋」「焼きいも屋」「たこ焼き屋」「竿竹屋」「ペンキ屋」「水道屋」「鍵屋」‥‥って、思いつくままに書いてっても次から次へと出て来るけど、これらがすべて差別用語だってんだから呆れ返る。

2007年2月9日の日記、「差別用語もTPO」と、翌日の日記、「続・差別用語もTPO」の中で取り上げてるけど、歌舞伎や浄瑠璃の演目として有名な「箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)」は、「躄(いざり)」って言葉が差別用語にされたことによって、「箱根霊験誓仇討(はこねれいげんちかいのあだうち)」ってタイトルに変えられちゃった。あたしは、この「躄」って言葉の成り立ちを説明して、この言葉を差別用語にするのはおかしいって指摘したけど、こんなバカなことが続いてた、ニポンの伝統や文化はメチャクチャにされちゃう。

たとえば、古典落語には、「居酒屋」とか「紙屑屋」とか「宿屋の富」とかって、「屋」がつく職業を題材にした演目がいろいろあるけど、歌舞伎や浄瑠璃の演目名まで変えられちゃったんだから、こうした落語の演目だって、そのうち変えられちゃうかもしれない。だけど、「居酒屋」を「大衆酒場」に変えたり、「紙屑屋」を「古紙回収業」に変えたり、「宿屋の富」を「旅館の富」に変えたりして、果たして落語になるだろうか? 落語に限らず、古き良き小説や映画、絵画や音楽など、数え切れないほどの作品に影響が出るだろう。

だけど、こんなことを心配する以前に、まず、「魚屋」や「八百屋」や「肉屋」が差別用語だったなんて、今、初めて知った人もたくさんいるだろう。だいたいからして、お店のほうが自ら「八百源」とか「八百正」とかって看板を掲げてるとこもいっぱいあるのに、それなのに「八百屋」って言ったら差別になるなんて、あたしには1ピコグラムも理解できない。「世界に一つだけの花」の出だしの「花屋の店先に並んだ~♪」って部分にしても、このままじゃ差別用語を使ってるから、ホントなら「生花店の店先に並んだ~♪」って歌わなきゃいけないことになる。ちっちゃな子供がいるお母さんは、子供が話せるようになって来たら、言葉を教えたり絵本を読んであげたりするだろうけど、そこで「お花屋さん」なんて言ったら差別用語を教えたことになっちゃうから、「生花店」て教えなきゃなんない。そして、漢字どころか平仮名も読めない子供に、「生花店」と「青果店」の違いを教えなきゃなんないのだ。こんなバカな話ってある?

さらに言えば、この「子供」って表記にしても、「供」って字が「大人のお供をしてるような悪いイメージがある」って理由で、なるべく「子ども」って表記するように指導されてる。だから、民主党の「子供手当」は「子ども手当」って書かれてるのだ。これは、「障害者」の「害」の字のイメージが悪いから、なるべく「障がい者」って書くように‥‥ってのとおんなじことだけど、あたしは、あまりにもバカバカしいから無視してる。だって、「子供」の「供」は単なる複数形なワケで、別に「大人のお供」なんて意味じゃないし、「障害者」の「害」にしたって、「障害」っていう熟語の中の1字だけをピックアップして指摘するのはおかしいからだ。

‥‥そんなワケで、あまりにもトンチンカンなニポンの差別用語の規定だけど、「魚屋」や「八百屋」の他にも、たくさんの職業名が差別用語になってる。たとえば、「農夫」「漁夫」「工夫(こうふ)」「炭鉱夫」「潜水夫」みたいに、「夫」って字がつく職業はすべて差別用語だ。これは、「看護婦」って言葉が差別になるから「看護師」って言わなきゃいけなくなったのとおんなじ理由で、性別が分かる呼称はぜんぶ差別用語だから、「農夫」は「農民」、「漁夫」は「漁民」、「工夫」は「作業員」‥‥って言い直さなきゃいけない。つまり、現代のルールだと、「漁夫の利」は差別用語だから「漁民の利」って言わなきゃいけないのだ。だから、厳密に言うと、「女優」とか「女医」とか「女流棋士」なんてのも差別用語になっちゃう。どこのクルクルパーがこんなこと決めたのか知らないけど、もう、完全にバカ丸出しだ‥‥って、せっかくだから差別用語を使ってツッコミを入れてみた(笑)

で、「坊主」も差別用語だから「僧侶」って言わなきゃなんないし、「あんま」も差別用語だから「マッサージ師」って言わなきゃなんないし、「産婆」も差別用語だから「助産師」って言わなきゃなんない。あたしは、「坊主」も「あんま」も「産婆」も普通に使う言葉だし、別にその職業を差別なんてしてない。でも、現代のルールだと、「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」って早口言葉を言うたびに、2回も差別用語を言ってることになっちゃうし、「坊主丸儲け」とか「坊主頭」とか「てるてる坊主」とか「坊主めくり」とかも差別用語だから使っちゃいけないのだ。さらには、ここで呆れ返るのが「助産師」だ。もともとは、「産婆」は差別用語だから、これからは「助産婦」って言えって決められて、ようやく世の中に「助産婦」って呼び名が定着して来たと思ったら、今度は「看護婦」とおんなじ理由で「助産師」って言わなきゃいけなくされたのだ。こんなバカバカしいことには付き合ってられないし、こんなこと言い出したらキリがないと思う。

そして、これだけでも開いた口がふさがらないのに、「芸人」て言葉まで差別用語になってるのだ。今はお笑いブームだから、テレビでも雑誌でも日常会話でも、「芸人」「お笑い芸人」「若手芸人」「人気芸人」なんて言葉が飛び交ってるけど、誰1人として差別用語だなんて思ってないだろう。だけど、現代のルールでは、これも立派な差別用語なのだ。たとえば、テレビ朝日の「アメトーーク」なら、毎週、「家電芸人」とか「ガンダム芸人」とかってククリでやってるから、毎回毎回、差別用語のオンパレードってことになっちゃう。そして、「女芸人」なんて言葉を口にしたら、もともと差別用語の「芸人」に、性差別の「女」までつけてるんだから、ダブルで差別をしてることになっちゃう。

‥‥そんなワケで、職業に関する差別用語だけでもこんなアリサマだから、他のジャンルも入れると、数え切れないほど、「何でこれが差別用語なの?」って思うような言葉がマウンテンだ。だから、実際には、ほとんどの人が無意識にたくさんの差別用語を使ってるのが現状だし、テレビのアナウンサーだって差別用語を連発してる。で、まったくもって意味不明な差別用語とは別に、あたしには目や耳にするたびに不愉快になる言葉がある。それが、マクラに書いた「無洗米」だ。「無洗米」は、もちろん、差別用語でも放送禁止用語でもないけど、あたしは、この言葉を目や耳にするたびに、「お前の食べてるお米は洗わないと食べられないほど汚いお米なんだろ?」って言われてるみたいで、差別されてるような気持ちになって、お腹の底からムカムカして来る。つまり、あたしにとっては、この「無洗米」こそが差別用語なのだ。ぜんぜん不愉快に感じない「米屋」なんかを差別用語にするよりも、こうした「人を不愉快にさせる言葉」こそを真っ先に差別用語に認定すべきだ。

そして、もう1つ、あたしが昔から大っ嫌いなのが、「使い捨て」って言葉だ。ただ、この「使い捨て」は、使い方によって嫌いになる言葉なので、あたし自身も使う場合がある。たとえば、「トヨタの工場が1万5000人もの派遣社員を使い捨てにした」とかってふうには使うし、ケース・バイ・ケースで使う。あたしが嫌いなのは、「使い捨てカメラ」とか「使い捨てライター」とかって言葉なのだ。いくら使い捨てるものだからって、商品の名前に「使い捨て」なんて言葉を乗せるなんて、これほどの差別用語は前代未聞だと思ってる。ある意味、「アホウ鳥」や「バカ貝」にも匹敵するほどの酷さだ。

正確に言えば、ホントに使い捨てなのはライターのほうだけで、カメラのほうはフィルム以外はリサイクルしてる。だから、正式名称は「レンズ付きフィルム」って言うと思ったけど、一般的には「使い捨てカメラ」って言ってる人のほうが圧倒的に多い。だけど、あたしは、物を大切にしないことが大っ嫌いだから、この「使い捨てカメラ」って呼び名も大っ嫌いで、周りのみんなが「使い捨てカメラ」って言ってた時に、あたしだけは意地を張って「写ルンです」っていう商品名で呼んでた。今は、みんなケータイのカメラで写すから、こうしたカメラを使う人は激減したけど、ケータイがなかったあたしの中学、高校時代は、クラスメートの多くが「写ルンです」を持ってた。もちろん、富士フィルムの「写ルンです」だけじゃなくて、コニカの「撮りっきりコニカ」とか、コダックのナントカとか、いろんなメーカーからいろんなカメラが出てたけど、あたしはぜんぶマトメて「写ルンです」って呼んでたし、相手にもそれで意味は伝わってた。

で、実際には使い捨てじゃない「使い捨てカメラ」と違って、ホントに使い捨てなのが「使い捨てライター」ってワケで、あたしは、これも、絶対に「使い捨てライター」とは呼ばない。常に「100円ライター」って呼び続けて来た。だけど、これが、あたしの悩みのタネなのだ。あたしがハタチのころは、ホントに1個100円だったから、この「100円ライター」って呼び方に何の抵抗も感じなかった。だけど、月日が経つと、量販店みたいなとこで、2個100円で売られるようになって来て、そのうち、100円ショップで、3個100円なんてのも登場するようになった。そして、今では、電子着火のオシャレなデザインのは、2個100円や3個100円だけど、初期の「チルチルミチル」みたいな使いにくいタイプのものなら、5個100円で買えるようになった。それどころか、いろんなとこでタダでもらえるので、お金を払って買うこともメッタになくなった。

だから、あたしの場合、平均すると、1個あたり10円くらいだと思うんだけど、果たして、これを「100円ライター」って呼び続けてもいいんだろうか?‥‥ってのが、最近のあたしの悩みなのだ。1個10円のライターを「100円ライター」って呼ぶのって、なんか、若干の罪悪感がある‥‥って言うか、あたしのそれなりの潔癖な部分が許さないのだ。でも、だからって、大っ嫌いな「使い捨てライター」って言葉だけは使いたくない。何しろ、あたしは、ガスが完全になくなっても、そのまま捨てるのはもったいないから、ラジオベンチで頭の部分を壊して、少し残ってる石を取り出して、それをピルケースに溜めといて、ジッポーの石がなくなった時に使ってるくらいだからだ。

だけど、最近のライターは、少しでも原材料費を安くするためなのか、昔よりも短い石を使うようになった。昔は、ほとんどのライターが、ガスがなくなっても、5ミリくらいの石が回収できた。だけど、最近は、良くても3ミリくらいだし、ヘタすると、まだガスが残ってるのに、石のほうが先になくなって火がつかなくなるものもある。だから、あたしは、こんな時のために、ガスがなくなったライターも、最低1個は分解しないで取っておくことにしてる。そして、ガスが残ってるのに石がなくなったライターを押して、シューっとガスを出しながら、そこにガスのなくなったライターを近づけてカチカチさせて、ボッ!と火をつけてる。この方法で火をつけたタバコを吸うと、なんだかとっても物を大切にしてる満足感に浸れて、いつもよりタバコがうまい(笑)

‥‥そんなワケで、あたしは、頭のおかしいどっかの誰かがヒステリックに「言葉狩り」して生み出し続けてる差別用語なんかは無視してるけど、あたしの感覚で「差別」だと感じた言葉だけは、必然がない限りは使わないように心がけてる。そして、ニポン語で日記を書いてる以上は、あたしはこれでいいと思ってる。だって、ニポン人の多くは、「国際差別用語」に指定されてる「ジプシー」だの「ボヘミアン」だの「インディアン」だの「エスキモー」だの「ツィゴイネル」だの「アイヌ系」だのって言葉を普通に使ってるからだ。こうした言葉を日常的に使ってるのに、「魚屋」や「八百屋」を使っちゃいけないなんて言われても、こんなトンチンカンな感覚には付き合ってられない今日この頃なのだ。


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