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2010.05.03

女の家

今度の日曜日、5月9日は「母の日」だけど、あたしは昼間はお仕事があるので、母さんとは夜しか会えない。その代わり‥‥ってワケでもないんだけど、今日は午後から時間ができたので、久しぶりに、母さんとデートした。いつもよりゼイタクに、ひじきとグリーンピースと紅しょうがを混ぜた酢飯を詰めたお稲荷さんを作って、コンニャクとニンジンとゴボウとチクワの煮物もタッパーに入れて、ほうじ茶を魔法瓶に入れて、愛車のフェラーリF2004(ママチャリ)で出発した。母さんは、あたしのポンコツの百倍は高性能の電動アシスト付き自転車だから、あたしは迎えに行かずに、目的地の民家園で待ち合わせした。

あたしは、お昼すぎに出発したんだけど、途中で「もう民家園には鯉幟(こいのぼり)が泳いでるだろう」って思ったので、商店街の和菓子屋さんに寄って、柏餅(かしわもち)を2個買った。そして、商店街をしばらく進んで、住宅街のほうに曲がり、あとは路地をキコキコキッコと漕いでくと、5分ほどで「岡本民家園」に到着した。駐車場のハシッコの自転車置き場にフェラーリF2004を停めてると、すぐに母さんがやって来たので、あたしは、すぐに母さんとハグした。

あたしの母さんは、先月の4月がお誕生日なんだけど、去年の11月に電動アシスト付き自転車をプレゼントしたのと、5月9日の「母の日」にもちょっとしたプレゼントを用意してあるので、先月のお誕生日には、カードとお花しか贈らなかった。だけど、そのカードに、今年のお誕生日のプレゼントとして、「これからは会うたびに母さんを抱きしめます」っていう「約束」を書いた。あたしは、ずっと母さんとハグしたかったんだけど、なかなかそんなチャンスもないし、この年になると照れもある。だから、プレゼントの形にして、一方的に「約束」しちゃったのだ(笑)

だけど、やり始めてみると不思議なもので、まだ5回目くらいなのに、会ったトタンに2人とも両手を広げて自然に抱き合えるようになった。そして、アイサツ代わりにハグすると、いつもの何倍も心が通じ合えて、とっても幸せな気持ちになれる。だから、お金がなくて苦し紛れに考えたプレゼントだったけど、結果オーライだと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、前にも説明したけど、あたしの地元には、歩いて15分くらいで行ける小さいほうの「岡本民家園」と、バス停で5~6個くらい先にある大きいほうの「次太夫堀(じだゆうぼり)公園」がある。それで、今日は、近くの「岡本民家園」のほうで待ち合わせしたんだけど、小さいって言っても、昔の茅葺(かやぶき)屋根の立派な母屋が移築してあって、そこそこのお庭や畑があるスペースの他に、公園、池、竹林、湧水を利用したホタル園なんかが併設してある。何年か前までは、多摩川の淡水魚を展示してるプチ水族館もあったんだけど、今は閉鎖しちゃった。

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で、母さんと中へ入り、まずは池を見に行ってみたんだけど、まだ菖蒲(しょうぶ)は早かった。民家園の前を流れる丸子川の水路には、少しだけ黄色の菖蒲が咲いてたけど、水路と池をつなくスペースの紫の菖蒲のほうは、毎年、盛りは6月だから、まだまだ早かった。そして、池のほとりにある大きな八重桜が終わりを迎えてて、風にハラハラと散り、池の面を覆ってた。その池では、何組かの親子連れがサキイカをエサにしてザリガニ釣りをしてた。しばらく眺めてたんだけど、すぐに飽きちゃう子供よりも、お父さんのほうが夢中になってたから、あたしは、母さんと顔を見合わせて笑っちゃった。

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そして、竹林をグルッと回ってから母屋に行ったら、やっぱり、立派な鯉幟が泳いでた。その上、観光地にあるヤツ、ベニヤ板にペンキで鎧(よろい)と兜(かぶと)の武者人形の絵が描いてあって、顔のとこに穴が開いてて、そこから顔を出して記念写真を撮るヤツが立ててあったので、面白がって母さんと順番に写メしちゃった。母さんのはうまく撮れたんだけど、あたしは前髪が中途半端に出ちゃって、ちびまる子とかがショックを受けたり引きつったりした時に、ヒタイに縦線が何本も出るみたいなっちゃった(笑)

それから、母屋の前のテーブルでお昼を食べようと思ったんだけど、今日はものすごくお天気が良かったから、少し奥の日陰の席で食べることにした。母さんは、いつもより豪華なお稲荷さんをとっても喜んでくれて、4個ずつ8個作ってったお稲荷さんは、アッと言う間になくなった。それで、しばらく、お茶を飲みながら、風になびく鯉幟を見ながらおしゃべりしてたんだけど、母さんが、「次太夫堀公園のほうが良かったね」って言い出した。この「岡本民家園」は、古民家がひとつしかないけど、「次太夫堀公園」のほうは、古民家はたくさんあるし、蔵もあるし、火の見櫓(やぐら)もあるし、何倍もスケールが大きい。

それで、今までなら、「次太夫堀公園のほうが良かったね」って言うだけで済んでた母さんだけど、今や「電動アシスト付き自転車」っていう機動力を手に入れちゃったもんだから、すぐに、「今から行ってみようよ」っていうセリフが出るようになった。もちろん、元気になってくれたことは何よりなんだけど、あたしのポンコツのフェラーリF2004でバス停を5~6個ぶん漕ぐのはリトル厳しい。だけど、久しぶりの母さんとのデートだから、あたしが首を横に振るワケがない。ふたつ返事で席を立ち、自転車置き場へと向かった。

‥‥そんなワケで、気持ちのいいお天気の中、サイクリングを楽しみながら、20分ほどで「次太夫堀公園」に到着した。正門の前の池では、数羽のカモがスイスイと泳いでて、池の中の岩の上では、大きなカメが甲羅干しをしてた。母さんと池を眺めてたら、エサをくれると思ったのか、1羽のハトが寄って来たから、あたしは、「移設先をテニアンに決めたら豆でも何でもをやるから、しっかりがんばれよ!」って言っといた。そして、民家園の中へ入り、まずは、古い酒屋さんを移築した案内所の奥の蔵のある古民家を見に行った。

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そしたら、鯉幟の代わりに、恐ろしい顔の鍾馗(しょうき)様の絵が描かれた立派な幟が立ってて、竿のてっぺんに厄払いの松が結んであった。

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今は、鯉幟だけが残ってるけど、昔は、鯉幟と一緒に鍾馗様の幟を立てた。ちなみに、鍾馗様ってのは中国の鬼神で、楊貴妃のダンナの玄宗皇帝が病気になった時に、夢の中に出て来て病魔を追い払ってくれたアリガタイザーな神様だ。だから、見かけは恐いけど、厄払いの神様として大切にされてる。ようするに、厄払いの神様である鍾馗様の幟のてっぺんに、厄払いのための松や柊(ひいらぎ)を結んでるワケで、ダブルで厄払いをしてるってワケだ。さらに、ちなみに、鯉幟のほうも、ホントは厄除けがメインになってる。ほとんどの人は、真鯉、緋鯉、子供たち‥‥っていう鯉幟そのものを主役だと思ってるだろうけど、アレはオマケで、ホントの主役は、竿の先についてる飾りと一番上の吹流しなのだ。竿の先の飾りは邪気祓いの目印で、青、赤、黄、白、黒の5色の吹流しは、中国の「五行説」による「邪悪なものを祓うカラー」なのだ。

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で、母さんとあたしは、母屋のほうに行ってみたら、「岡本民家園」よりもひとまわり小さい鯉幟が泳いでたので、「あれ?」って感じになっちゃった。もしかしたら、おんなじ大きさだったかもしれないけど、高く揚げてるぶん、ちょっと小さめに見えたのかもしれない。とにかく、鯉幟を見て、房が出来始めの藤棚を見て、それから、母屋に行ってみたら、入り口の脇に俳句ポストが設置されてて、前に用紙と鉛筆が用意してあったので、あたしは、俳句を詠んで投句しようと思った。そしたら、あたしの後ろにいた母さんが、急に大きな声を出した。


「あっ!女の家(いえ)だ!」


何かと思って振り向くと、母さんは上を見上げてた。あたしも上を見ると、母屋の入り口の茅葺屋根の断面の部分に、菖蒲の葉の束と蓬(よもぎ)が差し込んであった。それで、あたしも、「女の家だね!」って言った。

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‥‥そんなワケで、5月5日は「こどもの日」&「端午の節句」だけど、「こどもの日」は昭和23年(1948年)に制定されたもので、それまでは「端午の節句」だけだった。で、鯉幟を揚げたり、兜や武者人形を飾ったり、柏餅を食べたり、粽(ちまき)を食べたり、菖蒲湯に入ったりする「端午の節句」は、「男の子の節句」ってことになってる。これは、3月3日の「雛祭(ひなまつり)」、「桃の節句」が「女の子の節句」なので、これに対して、5月5日が「男の子の節句」ってことになってるし、間の4月4日は「オカマの節句」なんて言って、新宿2丁目のファンキーなお兄さんやお姉さんたちが盛り上がったりもしてる‥‥って、ま、これは置いといて、5月5日は「男の子の節句」だけど、実は、これ、もともとは「女性の日」だったのだ。

古代中国では、5月をもっとも悪い月として忌み嫌ってたんだけど、古代のニポンでも、5月のことを「悪月」とか「妬月」とかって呼んで、「さつき忌み」として嫌ってた。現代の5月は爽やかな季節だけど、旧暦の時代は今の梅雨にあたるから、ジメジメしてて嫌な季節だったからだ。そして、昔の人たちは、この「さつき忌み」をお祓いするために、小さな「女の家」を建てたのだ。小さな小屋を建てて、邪気を祓う力があると信じられてた菖蒲の葉と蓬で屋根を葺いて、その小屋に女性が入り、何日間か「忌み籠もり」をした。

何でかって言うと、5月は田植えの時期で、「早乙女」って言葉が残ってるように、昔は田植えは女性の仕事だったからだ。これは、子供を産む能力のある女性こそが、秋の実りを生む稲作においての主役だと考えられてたためだ。だから、毎年、田植えの時期が近づく5月5日になると、田植えをする早乙女が「女の家」に「忌み籠もり」して、シッカリと邪気を祓ってから、ようやく田植えを始めたってワケだ。

だけど、こうした儀式は、年月とともに、ジョジョに奇妙に簡略化されて、わざわざ「女の家」を建てることもなくなった。その代わりに、女性は自分の家で「忌み籠もり」をするようになり、家の軒や屋根に菖蒲の葉と蓬を飾り、邪気が入って来ないようにして、さらには、鯉幟の鯉無しバージョン、つまり、竿の先の飾りと吹流しだけのものを立てるようになった。これが立ってる家は、「今、忌み籠もり中ですよ~!」ってワケで、他の村人からもひと目で分かるってスンポーだ。

そして、女性が「忌み籠もり」をしなくなった現代でも、5月5日が近づくと、家の軒や屋根に菖蒲の葉と蓬を飾る風習や行事が残ってる地域がある。大分県大分市の鶴崎では、5月5日になると菖蒲と蓬を屋根に挿して、この1日だけを「女の家」って呼ぶし、神奈川県の津久井郡では、5月5日に菖蒲と蓬を軒に飾ることを「女の屋根」って呼んでる。徳島県の名西(みょうさい)郡では、5月4日の夜を「女の夜」と呼ぶそうだし、愛知県の江南市では、「女の晩」とか「女の天下」って呼ぶそうだ。

他にも、愛知県の一宮市では、5月5日に菖蒲と蓬で屋根を葺くことを「葺き篭もり」って言って、この日だけは「女の家」になる。そして、この家の男性は、一家の主(あるじ)であろうとダンナであろうと、この日だけは「客人」ということになり、自分の家なのに「帰って来る」んじゃなくて「訪ねて来る」ってスタイルになる。で、女性は、用意しておいた蕗(ふき)と蚕豆(そらまめ)の入った五目御飯を振る舞う。全国各地に残ってる、こうした風習や行事は、すべて、田植えをする女性の邪気を祓い、秋の豊作を祈った5月5日の「忌み籠もり」の名残りなのだ。

‥‥そんなワケで、5月5日の「端午の節句」ってのは、もともとは「女性の日」だったワケだけど、かつての公家社会から完全に武家社会へと様変わりした鎌倉時代に入ると、ちょっと様子が変わって来た。何百年もの間、田植えをする女性の邪気を祓うために使われて来た菖蒲の葉だったのに、武家では、「菖蒲」を「尚武」、ようするに「武を尚(たっと)ぶ」って言葉コジツケて、幕府が「武家のための祝日」にしちゃったのだ。このコジツケ具合って、まるで、あたしの「エヴァンゲリオン予想」みたいだ(笑) そして、5月5日には、自分の家紋の入った幟を立てると、武士としての運が良くなるってことになっちゃった。

で、江戸時代に入って世の中の安定して来ると、武士の身分もキチンと確立されて来て、自分や自分の家のために幟を立ててたのが、また、リトル車線変更して来た。それは、自分のためじゃなくて、自分の息子の成長を祈る行事への車線変更だ。すでに、3月3日の「桃の節句」が「女の子の節句」とされてたこともあって、この5月5日の「端午の節句」を「男の子の節句」とするために、幟と一緒に鯉幟を飾るようになったのだ。これは、中国の黄河にある激流で有名な場所、「龍門」を登った鯉が龍になったっていう「登龍門」の逸話からの流れで、その鯉幟を結んだのが、かつて、「女の家」の目印として立ててた「飾りと吹流しの竿」だったってワケだ。

そして、例の菖蒲がどうなったのかって言うと、何本もの菖蒲の葉を編んで、「菖蒲兜」と「菖蒲太刀」ってのを作るようになった。子供たちは、「菖蒲太刀」を振って、お互いの頭の「菖蒲兜」を落とす遊び、「菖蒲打ち」をするようになった。だけど、菖蒲の葉を編んで作った「菖蒲太刀」は、刀ってよりも鞭(むち)みたいなもので、当たりようによっては大ケガをしちゃう。それで、お互いに打ち合う遊びから、地面を叩いて音の大きさを競う遊びへと変化したって説がある。

でも、この「菖蒲打ち」には、かつての「忌み籠もり」の流れも汲まれてて、「菖蒲太刀」で地面を叩くことが、その地の邪気を祓い、豊作につながるともされてた。たとえば、新潟県の北蒲原(きたかんばら)郡では、5月5日になると、卯木(うつぎ)や桑の木に菖蒲と蓬を巻きつけた棒を持った男の子たちが家々をまわり、それぞれの家の前で輪になって、地面を叩きながら、「菖蒲叩きの鐘叩き、菖蒲と蓬を刈り混ぜて、今年の作の良いように、何と名をつけようば、八幡太郎と名をつけて、今年の作の良いように」って2回繰り返すことが、ワリと近年まで行なわれてたそうだ。

こうした事実から推察すれば、男の子同士のチャンバラ遊びから「菖蒲叩き」が生まれたって説は、イマイチ信憑性が薄いと思う。「忌み籠もり」の風習の中のひとつとして、軒や屋根に菖蒲と蓬を挿したことと同列に、この「菖蒲叩き」も行なわれてて、それが一時的にチャンバラ遊びに変化したって考えるほうが自然だと思う。ま、「菖蒲叩き」はともかくとして、「鯉幟」に関しては、江戸時代に入ってから生まれたものだってことがハッキリしてるし、もともとは飾りと吹流しだけだった竿に、あとから鯉幟が付け足されたってこともハッキリしてる。

‥‥そんなワケで、これが、「クルクルバビンチョパペッピポ、ヒヤヒヤドキンチョのキ~コタン!」の呪文で、あたしが見て来た鯉幟の「はじめて物語」だ。つまり、3月3日が「女の子の節句」なのはもちろんとして、実際には、5月5日も「女の子の節句」だったワケで、あたしの好きな「オセロ方式」を使えば、間の4月4日の「オカマの節句」も「女の子の節句」になっちゃうワケだ‥‥なんてことを考えてたら、母さんの呼ぶ声で、ハッ!っと我に返った。あたしは、母さんの呼ぶ藤棚の下のテーブルへ行き、一緒にお茶を飲んで柏餅を食べた。柏の木は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、子を思う親の心を表わしてて、それが5月5日に柏餅を食べる習慣となった。そして、「こどもの日」は、子供の成長を願うだけじゃなくて、子供が自分を産んでくれた母親に対して感謝する日でもある。だから、目の前の空には男の子の成長を祝う鯉幟が泳いでたけど、世界一大切な母さんと2人で柏餅を食べた藤棚の下のテーブルは、あたしにとっての「女の家」だと思って、もう一度、母さんとハグしちゃった今日この頃なのだ(笑)

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