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2010.05.26

消えた縄文時代

「10年ぶりに小6教科書に縄文時代が復活」っていうネットのニュースを見て、あたしはぶっ飛んだ。どんなことなのかって言うと、「ゆとり教育」による1998年の「学習指導要領改訂」で、小学6年生の歴史の授業では、「旧石器時代と縄文時代は教える必要はない。日本の歴史は弥生時代から教えればいい」ってことになって、それ以来、教科書からも「旧石器時代」と「縄文時代」が削除されて、「弥生時代」からのことしか教えてなかったって言うのだ。それが、2008年の「学習指導要領改訂」では、「ゆとり教育」が見直されて従来の授業時間に戻ったことから、また「旧石器時代」と「縄文時代」が復活することになったそうだ。

で、この「学習指導要領改訂」ってのは、決定の4年後から現場で実施されるそうなので、2002年に小学6年生だった子供たちから、来年の2011年に小学6年生になる子供たちまでが、「旧石器時代」と「縄文時代」の書かれてない歴史の教科書を使わされてた&使わさせるってことになる。2002年に小学6年生だったってことは、2010年の今年は19才か20才、高校を卒業して2年目なので、社会人もいれば大学生もいる。つまり、ヘタしたら、大学生なのに「縄文時代」の存在を知らない子もいるってワケだ。

小学6年生で教えなくても、たぶん、中学や高校ではサスガに教えてるとは思うけど、5月13日付の「毎日新聞」の呉智英氏のインタビュー記事によると、呉氏が講義を持ってた愛知県のある私立大学では、アルファベットをAからZまでぜんぶ書ける学生は1人もいなかった上に、九九ができない学生までいたそうだ。その上、呉氏が講師をしてたのは「名古屋学」っていう地域文化論だったんだけど、愛知県の大学に通ってて、「名古屋学」って講義を受けてるのにも関わらず、「名古屋」の「屋」の字が書けない学生までいたそうだ。こんな話を聞かされちゃうと、大学生でも「縄文時代」を知らない子だって絶対にいそうな気がして来る今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは高卒だから、大卒って聞くだけで、「あたしよりも知識がある人」って思ってた時代もあった。だけど、大学にもピンからキリまであることや、有名な大学を卒業してても一般常識の欠落した人がたくさんいることを知ってからは、「別に大卒だからって知識がある人とは限らないんだ」って思うようになった。そして、フロッピー麻生を見て、有名な「学習院大学」を卒業してても中学生レベルの漢字すら読めない人間がいるんだってことを知ってからは、お金の力で大卒の肩書きが買えるんだってことも分かった。そんな感じだから、現在のあたしは、「学歴と知識とは無関係」って思ってる。

で、そんなあたしだけど、多くの人たちとおんなじで、自分を基準に考えるから、あたしの知らないことを知ってる人は「すごい!」って思うし、あたしでも知ってることを知らなければ「バカだな~」って思う。もちろん、これは、特殊なジャンルじゃなくて、あくまでも一般常識に関してだ。たとえば、ヘアメークのことや俳句のことなんて、あたしは専門だから一般の人よりも遥かに知識があるけど、これを知らないからってバカだとは思わない。知らなくて当たり前だからだ。

だけど、フロッピー麻生が、自分が任命した大臣を紹介する時に、「男女共同参画大臣」のことを「だんじょきょうどうさんがだいじん」て言った時には、心の底からバカだと思った。ま、あそこまで無知な人間はそうそういないと思うけど、モリヨシローも、かつて、「IT革命」のことを「イット革命」って読んで全国を爆笑の渦に巻き込んだ。モリヨシローが「早稲田大学」の二部に通ってた時代には、「IT革命」なんて言葉はおろか、パソコンだってほとんど普及してなかったんだから、学生時代に勉強しなかったとは限らない。だけど、この「IT革命」って言葉は、2000年の「流行語大賞」に選ばれたほど世の中に広まってて、それを受けて「イット革命」って読んじゃったんだから、モリヨシローが、どれほど世の中のことに鈍感なのかがよく分かる。

‥‥そんなワケで、学校でちゃんと教えてもらったハズの漢字が読めないとか、学校でちゃんと教えてもらったハズの歴史を知らないとかってのは、本人の問題だ。つまり、フロッピー麻生が簡単な漢字もロクに読めないのは、通ってた中学や高校の教え方に問題があったんじゃなくて、こんなに簡単な漢字が読めなくても、金脈や人脈がある人の子供は、自動的に入学できたり進学できたり卒業できたりする不思議なシステムに問題があるワケだ。

だけど、今、大学1年生や2年生の子が、もしも「縄文時代」を知らなかったとしても、小学校で教えてもらってなかったんだから、一概に「バカだな~」とは言えなくなる。もちろん、いくら小学6年生の時には教えてもらってなくても、それから中学、高校と6年間もあったんだから、どこかで知るのが普通だけど、アルファベットが書けなかったり九九ができない大学生もいるんだから、「縄文時代」を知らない大学生がいたって不思議じゃないし、ある意味、「ゆとり教育」の被害者ってことになる。ちなみに、ニポン中にバカを増殖させちゃった「ゆとり教育」について、マクラで紹介した「毎日新聞」の記事では、こんなふうに解説してる。


「80年代以降、義務教育課程で進められた「ゆとり教育」。生きる力の育成を掲げて、従来の学習内容が削減された。「ゆとり世代」にはいくつか定義があるが、今年大学を卒業した新社会人は、高校時代に内容を削減した学習指導要領で学んだ「第一世代」といわれる。今、キャンパスで学ぶ大学生たちはその下の、「ゆとり教育」がさらに進んだ世代に重なる。」


これを読んで、あたしは「えっ?」って思った。だって、80年代って言ったら、ちょうどあたしが小学校に通ってた時期なのに、あたしは「ゆとり教育」じゃなかったからだ。あたしが通ってたのは、渋谷区にある普通の区立小学校だったけど、月曜日から金曜日まで普通に午後まで授業があって、土曜日だけがお昼までの半ドンだった。もちろん、これは高学年になってからだけど、それでも、祭日でもないのに土曜日がお休みの時なんてなかった。中学校も、おんなじ区域の区立だったけど、これまた土曜日までちゃんとあった。

それで、今まで気にしたこともなかった「ゆとり教育」のことを調べてみたら、昭和55年(1980年)から実施されてたんだけど、これは、年間のトータルで「小学校は7%、中学校は11%の授業時間を削減する」ってもので、土曜日をお休みにするのとは別だった。そう言われてみると、小学校の時も中学校の時も、1時間早く終わる日があったけど、あれで時間数を調整してたのかな?‥‥って思った。で、土曜日がお休みになったのは、ずっとあとの平成4年(1992年)からだから、やっぱり、あたしには関係なかった。

とにかく、あたしよりも若い世代で、特に、隔週で土曜日がお休みになった平成7年(1995年)あたりに小学校に入学した子は、小学校の6年間と中学校の3年間を丸々「ゆとり教育」で過ごしたことになる。具体的に言えば、昭和63年から平成2年までの間に生まれて、現在19才から21才の人だ。これが、「毎日新聞」の記事における「ゆとり教育がさらに進んだ世代」ってワケで、ちょうど、マクラで書いた小学6年の時に「縄文時代」を習ってない世代とも重なる。

‥‥そんなワケで、カン違いして欲しくないのは、あたしは別に現在19才から21才の人たちのことを「バカだ」って言ってるワケじゃない。ただ、それ以前の世代の人たちが使って来た教科書から「縄文時代」を始めとしたいろんなことが削除された「ゆとり教科書」を使って、それ以前の世代の人たちが知ってて当然のことを教えてもらえない「ゆとり教育」を受けて来たってだけだ。「縄文時代」が明記されてる教科書を使ってた世代でも、簡単な漢字すら読めない元総理大臣がいるんだから、これとは逆に、「縄文時代」を教わってない世代から、世界的な歴史学者が生まれる可能性だってある。

学校のカリキュラムの違いにも多少の原因はあるだろうけど、最終的には子供たちひとりひとりの好奇心の問題だと思う。どんなに懇切丁寧に教えてくれる授業内容だったとしても、やる気のない子、興味を持たない子には無意味だし、どんなに内容を割愛した「ゆとり授業」だったとしても、好奇心のある子なら、自分から進んで質問したり図書室へ行って調べたりするだろう。

実際、あたしの場合も、中学2年生の時に、「古文」の授業で初めて古典に出会って、ものすごく興味を持ったのが、俳句や和歌を好きになるキッカケだった。教科書には、「徒然草」や「枕草子」や「平家物語」のほんの一部が取り上げられてるだけだったから、あたしは、図書室へ行って、現代語訳付きの「徒然草」や「枕草子」を借りて来て、教科書に載ってないとこもぜんぶ読んだ。そして、言葉の意味や文法の分からない部分は、必ず先生に聞きに行った。そしたら、その先生が俳句をやってる人で、そこから俳句にも興味を持って、そのうち、先生が所属してた俳句の会にも連れて行ってもらうようになった。

そんなこんなで、あたしは「古文」が大好きになり、ついでに「漢詩」も大好きになり、教科書で習わない作品もカタッパシから読みまくった。だから、高校生になってからは、教科書に出て来る作品は知ってるものばかりで、「古文」だけはぜんぜん勉強しなくてもテストでいい点が採れた。中学の時はぜんぶ「5」だったし、高校の時はぜんぶ「A」だったから、たぶん、たいしたことないレベルの大学の入試試験を受けても、「古文」だけなら合格したかもしれない。

だからって、「古文」に興味を持って自分から進んで勉強したことが、社会人になってからは、何の役にも立ってない。でも、それは、「収入に直結してない」ってだけの話で、あたし自身としては、とっても楽しんでる。壮大なエロ小説である「源氏物語」にしたって、現代語訳なんて読んでも大したことないけど、オリジナルで読むと、どうしても現代語じゃ表現できないエロ風味、そこはかとないエロ風味が醸し出されてて、何度読んでも悶々としてきちゃう(笑)

‥‥そんなワケで、あたしは、マサカ、小学6年生の「歴史」の教科書から「縄文時代」が削除されてたなんてぜんぜん知らなかったけど、もっと驚いたのが、小学1年生と2年生の授業から「理科」と「社会」が消えてたことだ。今は、「理科」と「社会」は3年生から始まるそうで、低学年では教えてないそうだ。あたしが小学生の低学年の時って、「算数」や「国語」は楽しくなかったけど、「理科」や「社会」は楽しかった記憶がある。いったいぜんたい、何がどうなって「低学年には教えなくていい」ってことになったのかは知らないけど、これは、あまりにも酷いと思う。

だって、もしも中学から「古文」の授業が消えてたら、あたしは、高校生になってから初めて「古文」と出会ってたワケで、そしたら、こんなに好きになってたとは思えないからだ。高校に入ってからは、バイトをカケモチしながらパンクバンドまでやってたから、とても「古文」まで手が回らなかったと思う。中学の時に出会ったからこそ、こんなにも「古文」を好きになり、俳句まで好きになり、あたしの人生になくてはならない存在になったのに、その出会いがなかったとしたら、大ゲサかもしれないけど、少なからず人生が変わってたと思う。

だから、これとおんなじで、小学1年生の時に「理科」と出会ったからこそ、ものすごく興味を持って、将来は科学者になる子だっているかもしれない。それなのに、そうしたチャンスを奪っちゃうなんて、あまりにも残酷だ。「歴史」の教科書から「縄文時代」を削除するくらいなら仕方ないかもしれないけど、「歴史」の授業そのものをナシにして、「歴史」は中学に入ってから教えればいい‥‥って言ってるのとおんなじだ。

‥‥そんなワケで、大人になれば、1年や2年なんてそんなに変わらない。36才でも37才でも大して変わらない。だけど、子供のころって、1年の違いはものすごく大きい。小学2年生と3年生はぜんぜん違うし、小学6年生と中学1年生もまったく違う。だから、子供の時って、おんなじ本にしても、それを「いつ読んだのか」ってことが大きな違いになる。小学2年生の時に読めば、それからの人格形成に大きな影響を与えるような素晴らしい童話でも、小学5年生になってから読んだら、バカバカしくて何も得るものがないってこともある。だから、あたしは、土曜日をお休みにするのも何でも構わないけど、今まであった教科をナシにしちゃうのだけはナシにして欲しいと思う。たとえ、授業の時間を減らしたとしても、すべての子供たちに、平等に「出会いのチャンス」を与えてあげて欲しいと思う今日この頃なのだ。


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