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2010.05.01

輪切りからの脱却

「太巻き寿司もロールケーキも100人が100人とも輪切りにするけど、1人くらいタテに切るチャレンジャーはいないのか!」


これは、あたしが、数日前にツイッターでつぶやいた、ふとした疑問だ。太巻き寿司やロールケーキって、どれくらいの厚さに切るかは、人それぞの好みや状況によるけど、すべての人が絶対に輪切りにすると思う。もしかしたら、ロールケーキをタテに切ったことがあるツワモノはいるかもしれないけど、太巻き寿司をタテに切った人はいないと思う。「だって、タテに切ったら分解しちゃって、海苔で巻いた意味がなくなっちゃうから」ってのは分かってる。あたしが言ってるのは、そんなこと分かった上で、それでもタテに切ってみるようなチャレンジャーはいないのか?‥‥ってことだ。

おんなじような円筒形の食べ物でも、チクワの場合なら、基本的には輪切りが多いけど、片面だけタテに切って、ひらいて使う場合もあるし、ナナメに薄く切って使う場合もある。あたしの大好きな東京タクアンの場合も、細いものは薄い輪切りにするけど、普通の太さのものは、まずはタテ半分に切ってから薄く切る。つまり、半月切りだ。そして、それこそ太巻き寿司や海苔巻きの具にする場合は、タテに細く切る。それから、薄く切ったタクアンを何枚か重ねて、それをさらに細く切って、千切りっぽくして使うこともあるし、それをさらに刻んで、みじん切りにして使うこともある。

タクアンの元のダイコンの場合なら、輪切り、半月切り、千切り、乱切り、賽(さい)の目切り、あられ切り、短冊切り、銀杏(いちょう)切り、拍子切り、桂剥きしてお刺身のツマ‥‥って、お料理によって様々な切り方がある上に、摩り下ろしてダイコンオロシにする場合もある。長ネギだって円筒形だけど、輪切りだけじゃなくて、ナナメに筒切りにする場合もあれば、タテにひらいて細く刻んで白髪ネギにもする。まあ、太巻き寿司やロールケーキみたいに完成してる食べ物の切り方と、ダイコン長ネギみたいな食材の切り方とを比較するのはアレだけど、それでも、たった1種類の切り方しかない食べ物って、ちょっと寂しいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、たった1種類の切り方しかない食べ物には、ちゃんと理由がある。それは、「食べやすい形」って理由だけじゃなくて、「等分に分ける」って理由だ。太巻き寿司をもしもタテに切ったら、右半分には玉子焼きとキュウリ、左半分にはエビとカンピョウ‥‥ってふうに分かれちゃって、具が等分にならない。だけど、輪切りにすれば、すべてのブロックに玉子焼きとキュウリとエビとカンピョウが入ってるから、誰からも文句は出ない。1人でぜんぶ食べるとしても、すべてのブロックにすべての具が入ってるから、味に偏りがない。つまり、何人かで分けて食べる場合でも、1人で食べる場合でも、決まった切り方には「等分に分ける」って意味があるのだ。

そして、この意味が如実に表われてるのが、ピザとお好み焼きの切り方の違いだ。ピザもお好み焼きも似たような形の食べ物なのに、ピザは中心から放射線状になるように何枚かに切るのに対して、お好み焼きは格子に切る。これは、もちろん、それぞれの「食べやすい形」って意味もあるけど、それよりも、具を「等分に分ける」って意味がある。ピザの場合は、全体に散らしてあるマッシュルームやコーンはいいとしても、等間隔に8つしか乗ってないサラミとかエビとかのメインの具は、ピザの切り方をしないと等分にならない。これは、デコレーションケーキのイチゴとおんなじ理屈だ。

一方、お好み焼きの場合は、エビでもイカでもほとんどの具が生地の中に混ぜてあるから、どんな切り方をしても関係ない。だから、食べやすさだけを考えて切ればいいワケで、基本的に格子に切ってるのだって、コテで切ってコテで取るっていう一連の流れから生まれた方式だと思う。だから、ピザと比べたら切り方の自由度は遥かに高いワケで、ピザとおんなじ形に切ったっていいワケだし、3センチ幅のスティック状に切ったっていいワケだし、クッキーの型を使って星型やハート型にくりぬいたっていいワケだ。

だけど、1種類の切り方しかないピザにしても、どんな切り方をしても自由なお好み焼きにしても、切り方に共通する点がある。それは、円形のものを上から見た場合の二次元的な切り方しかできないってことだ。だけど、さっき、ピザとおんなじ切り方をするものとして例にあげたデコレーションケーキなら、三次元的な切り方、つまり、輪切りにできるのだ。そして、たとえば、デコレーションケーキを3つに輪切りにしたら、一番上をもらった人は、クリームもイチゴも独り占めで、まるでパラダイスみたいな状況になるけど、真ん中や一番下の人はガッカリだ。真ん中の人は、中に挟んであるクリームやイチゴが少しはあるだろうけど、一番下の人は、底の部分の厚みのあるスポンジがメインだから、周囲に薄く塗られたクリームだけしか楽しみがない。

最初に挙げた太巻き寿司の場合は、輪切りにしないと「等分に分ける」ことはできなかったけど、ロールケーキの場合は、タテに切っても、まあまあ「等分に分ける」ことはできる。巻き始めの部分が含まれてる側のほうは、スポンジが多いぶんクリームが少ないかもしれないけど、文句が出るほどの違いはないと思う。つまり、ロールケーキの場合は、通常の輪切りにすれば「等分に分ける」ことができるのは当たり前として、法則に反してタテに切ってもそれほど問題は起こらない。だけど、おんなじケーキでも、デコレーションケーキの場合は、輪切りにしたら激しく不公平になる。1人でぜんぶ食べるなら構わないけど、デコレーションケーキを1人で食べる人はメッタにいないから、輪切りにしたら、誰が一番上を取るかでケンカになっちゃう。

‥‥そんなワケで、今から17~8年前の専門学校時代のこと、ちょうど「ジュリアナ東京」が大ブームだった時だけど、夏に「ジュリアナ東京」とは正反対の新宿2丁目の狭いディスコのパーティーに行ったら、フリードリンクのコーナーに、大きなガラスのボールで「フルーツパンチ」が作られてた。ワインをジュースで割ったみたいな中に、ひとくちサイズにカットしたいろんなフルーツが浮かんでて、それをヒシャクみたいなので自分のグラスに入れて、飲んだり食べたりするようになってた。

それで、とっても美味しそうだったからいただいたんだけど、その中に浮かんでるフルーツの中で、スイカと何かの2種類だけが、まん丸のスーパーボールみたいになってた。フルーツをまん丸にくりぬく器具があることは知ってたし、スプーンを利用して似たような形にくりぬけることも知ってたけど、まん丸にくりぬかれたスイカを見たのは生まれて初めてで、ちゃんと種まで入ってたから、すごく可愛いプチスイカみたいに思えた。それから、あたしは、くりぬいたあとのスイカはどうしたんだろう?って思った。

クッキーの場合は、生地を薄く伸ばして、星型やハート型の型でくりぬいたあとは、残った生地をまたこねて、また伸ばして、また使うことができる。でも、スイカをまん丸にくりぬいてったあとは、残った部分をこねてマトメることはできない。「トムとジェリー」に出て来るチーズみたいに穴だらけになっちゃったスイカは、残った部分を食べちゃうか、ジューサーでジュースにするくらいしか思いつかない。ま、どっちにしても、お店の人のマカナイになったんだと思うけど、とにかく、あたしは、この、まん丸にくりぬかれたスイカのボールに小さな衝撃を受けた。

何でかって言うと、それまで、スイカは、まずタテに真っ二つに切って、それをまたタテに切って、4つになったものを5~6個に切って食べるのが普通で、ちょっと小ぶりのものなら、4つになったものをそのままスプーンで食べたりしてたからだ。一度だけ、小玉スイカを半分に切って、そのままスプーンで食べたこともあるけど、普通のスイカは、普通に切って食べたことしかなかった。だから、無駄な部分がたくさんできちゃうのに、それでもまん丸にくりぬくなんて、考えたこともなかった。ま、無駄な部分て言っても、それはそれで食べちゃうから無駄にはならないんだけど、それでも、思いつかなかった。

それで、あたしは、この時から、決められた切り方があるフルーツをあえて違ったふうに切ってみるようになった。もちろん、毎回じゃなくてタマにだけど、たとえば、リンゴを薄い輪切りにしてみたり、カキを賽の目切りにしてみたり、バナナをタテに細長いスティック状に切ってみたり、横に半分に切ってスプーンで食べるグレープフルーツを切らずに皮をむいてミカンみたいに食べてみたりしたこともある。だけど、切り方を変えたって、味が変わるワケでもないし、食べにくくなるだけだった。その上、子供のころ母さんに言われた「食べ物で遊んじゃいけません!」て言葉を思い出して、ちょっと気が引けた。ちゃんと残さずに食べても、いろんな切り方を実験してみること自体が、「食べ物で遊んでる」って感じだったからだ。

だけど、最初に書いたように、太巻き寿司やロールケーキは輪切り、ピザやデコレーションケーキは中心から切り分ける‥‥ってふうに、100人が100人とも型にはまった切り方を何の疑いもなく、当たり前のこととして続けて来たことに、あたしは不安を感じた。大切な食べ物の切り方なんだから、伝統に従った保守的な切り方になっちゃうのは仕方ないとは思うけど、誰が1人くらい、これまでの常識を打ち破るような切り方をして、新しいお料理の歴史を切り拓いてくれる人はいないのか?

そのまま焼くか、タテにひらいて干物にするくらいしかなかったサンマだって、輪切りにしてお鍋の具にするってことを知ってから、あたしの食生活は一歩前進した。今の時期なら、解凍サンマが1匹70円くらいで買えるから、とっても助かってる。それから、ずいぶん前にテレビで観ただけなので、場所は覚えてないけど、どこかの山間地方では、丸く伸ばしたおまんじゅうの生地に、4~5センチにブツ切りにしたサンマを包んで、それを囲炉裏で焼いて食べてた。サンマを輪切りにした面からハラワタや血が垂れてたのに、それも一緒に包んでたから、なんか生臭くなりそうだと思ったんだけど、レポーターの人は、意外な美味しさに驚いてた。

あたしは、レタスやキュウリは火を通さずに生のまま食べるものとしか思ってなかったから、大人になってから、レタスを入れたチャーハンやキュウリの炒め物を食べた時は衝撃だった。これは、今までのニポンの常識を打ち破ったワケじゃなくて、もともとレタスやキュウリに火を通好国の食文化が入って来たワケだけど、こうした例から考えれば、あたしたちが「これはこういうふうにお料理するもの」とか「これはこういう切り方をするもの」って決めつけて考えてるものの中には、井の中のカワズ的なものもたくさんあると思う。そして、それを見つけるのが、何の疑いもなく太巻き寿司やロールケーキを輪切りにして来た自分を疑問視する客観的な視点だと思った。

‥‥そんなワケで、今までずっと輪切りにして来た太巻き寿司を急にタテに切るのは難しいと思う。切ること自体は簡単だけど、精神的に「タテに切られた太巻き寿司」のビジュアルに順応できないからだ。そこで、あたしが考えたのが、「ジョジョに奇妙に作戦」だ。最初は、少しだけ角度をつけたナナメの輪切りにして、次に食べる時には、もうちょっと角度をつけた輪切りにする。こうして、輪切りの角度をジョジョに奇妙に鈍角から鋭角へと進めてけば、何回目かに太巻き寿司を食べる時に、完全にタテ切りになってても、それほど違和感なく受け入れられるハズだ。そして、すべては、この「ジョジョに奇妙に作戦」を使えば、デコレーションケーキの輪切りだろうとも、ピザの千切りだろうとも、スイカのみじん切りだろうとも、キャベツの輪切りだろうとも、何でも違和感なく受け入れられるハズだ。だから、これからは、少しでも切り方に疑問を持った食べ物が現われた時には、この作戦を使って、すべての常識に「?」を投げかけてみようと思う今日この頃なのだ。


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