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2010.05.22

Let’s 豪徳寺!

今日は、豪徳寺でお仕事があった‥‥って言っても、お寺でお仕事をしたワケじゃなくて、小田急線の「豪徳寺駅」の近くが現場だった。で、あたしのとこからだと、田園都市線で「三軒茶屋」に行って、ここから2両編成の可愛いチンチン電車、世田谷線に乗って、「山下駅」ってとこで降りると、この駅が小田急線の「豪徳寺駅」とおんなじ場所にある。「山下駅」と「豪徳寺駅」は目と鼻の先で、歩いて15秒ほどの距離なので、山手線の「渋谷駅」から東横線の「渋谷駅」に行くよりも遥かに近い。

で、おんなじ世田谷区なのに、なかなか行く機会のない豪徳寺なので、あたしは、午後にお仕事が終わってから、豪徳寺に寄ってみた。お仕事の現場から20分ほど歩き、まずは「世田谷城址公園」の入り口のとこのベンチで、ちょっと遅いお昼ごはんにした。ま、いつもの梅干しとオカカのおにぎりだけど、静かな公園の木陰のベンチで食べたら、ピクニック気分で楽しくなった。この「世田谷城址公園」は、初代の吉良氏のお城だった場所で、数え切れないほど公園がある世田谷区の中でも、唯一の「歴史公園」として「東京都指定文化財」にも指定されてるし、素晴らしい自然がマウンテンなので「世田谷百景」にも選ばれてる。そして、この世田谷城址公園のすぐ隣りにあるのが「豪徳寺」ってワケだ。何でかって言うと、この豪徳寺も、もともとは世田谷城の敷地に中に作られたものだったからだ。

ちなみに、あたしは、小田急線の「豪徳寺駅」の近くでお仕事があったから、世田谷線の「山下駅」で降りたワケだし、20分ほど歩いたワケだけど、最初から「世田谷城址公園」や「豪徳寺」に行くのなら、ひとつ手前の「宮の坂駅」で降りると、5分ほどで到着する。ここは両方とも素晴らしいから、お弁当を持って遊びに行けば、1日タップリと楽しむことができる。中を見てまわるだけでも楽しいし、スケッチブックを持ってって写生をしても楽しいし、俳句を詠んでも楽しいし、木陰で読書をしても楽しいし、何よりもお金が掛からないから楽しい(笑)‥‥ってワケで、そんなに時間のなかったあたしは、「世田谷城址公園」の中には入らずに、そのまま「豪徳寺」へ行った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、ヒサビサに豪徳寺にいったんだけど、何よりも見たかったのが、三重塔だった。あたしが最後に豪徳寺に行ったのは、たぶん5~6年前なので、まだ三重塔は出来てなかった。これが建てられたのは4年くらい前なので、あたしは写真でしか見たことがなかった。それで、あたしは、そこそこの長さの参道をテクテクと歩きながら、「どんな三重塔なのかな~?」ってずっとワクワクしてた。いくら写真で見てても、やっぱり実物を見なきゃ分からないからだ。だから、ホントは「これから神聖な場所へ足を踏み入れるために心をクリアにするため」に歩く参道なのに、あたしの心は邪念に満ち溢れてたってワケだ(笑)


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そして、豪徳寺の正門を入り、正面にある大きな黒い香炉のとこまで来た。立派な狛犬が乗った背丈よりも大きな香炉で、横に置いてあるお線香を自由に使える。料金は、お賽銭で払うことになってるから、「お気持ちで」ってことだ。で、豪徳寺に行って、この香炉を見たら、必ず「足」に注目して欲しい。1人1人表情の違う鬼たちが、必死に歯を食いしばって香炉を支えてるのだ。それで、あたしは、何年ぶりかで再会した鬼たちを順番に見てたら、のわっ!‥‥って、左のわずか数メートル先の境内に巨大な三重塔が!


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参道を歩いて来たことが前奏になってたから、突然、歌が始まったワケじゃないんだけど、こんなにもすぐに現われちゃったもんだから、あたしは驚いた。なんか、こう、ちょっと離れた場所から三重塔が見えて、はやる気持ちを抑えつつゆっくりと近づいて行き、近くまで来たら思ってたよりも遥かに大きくて立派だった‥‥みたいな流れを想像してたのに、ふと左を見たら、そこにドドーンとそびえ立ってるから、あたしは心の準備が間に合わなかったのだ。

とにかく、新築の三重塔はピカピカだし、周りの玉砂利もキレイだったけど、あたしの率直な感想としては、「こんなに狭い場所に、こんなに大きなものを建てたのか」って感じだった。ものすごく広いスペースの中に、大きな建物が点在してるなら「余白の心」が生まれるけど、すぐ近くに大きな仏殿があるから、何だか息苦しく感じた。ま、それでも、すごく立派でカッコ良かったけどね。

あたしは、とりあえず三重塔を写メしてから、まん前の仏殿に行った。この仏殿には、正面に「弐世佛」っていう立派な額が掛かってるんだけど、実は、よく見ると「弐」の文字の「二」の部分が、線が一本多くて「三」になってるのだ。この仏殿には、「釈迦如来」「弥勒菩薩」「阿弥陀如来」の三体の仏像が納められてて、それで「三世仏」ってワケなんだけど、それなら、何で「参世佛」って書かなかったのか? あたしの予想では、最初は「釈迦如来」と「弥勒菩薩」の二体しかなかったから「弐世佛」って書いたんだけど、あとから「阿弥陀如来」も加わって三体になって、その時に書き直すのがメンドクサイヤ人になっちゃって、「ええい!線を一本増やせばいいや!」‥‥ってワケはないよね?(笑)

そして、仏殿を覗いたあとは、本堂へ行くまでの間にある、世田谷区でナンバーワンの「牡丹園」の見学だ。もう盛りは過ぎてたけど、それでも、赤、白、ピンク、いろんな牡丹が残ってて、まだまだ楽しめた。それから、立派な藤棚も素晴らしかった。ただ、あたしは、近くでジックリと観察したいのに、デジカメでお花を撮影しに来てる人が何人もいて、あたしがお花に近づくたびに、構えてたカメラをスッと下ろす。別に何か文句を言われたワケじゃないんだけど、心の中で「この女、早くどかないかな!」って思われてるんだろうな~って気持ちになって、落ち着いてお花を愛でることができなかった。今はどこに行っても、写真やビデオを撮ることを最優先してる人たちがいる。別に批判はしないけど、せっかく現場まで行って実物が目の前にあるんだから、写真を撮るにしても、まずは自分の目でジックリと楽しんでからにすればいいのに‥‥って思う。

で、「牡丹園」を抜けたとこにある本堂は、立派だけどコンクリートの味気ないものだ。歴史のあった本堂は、大正12年(1923年)の関東大震災で壊れちゃったので、建て替えられてる。だけど、この本堂の左手には、インド風味の「仏舎利搭」があるので、これを見るだけでも本堂まで行く価値がある。そして、「牡丹園」「仏舎利搭」と回ったあたしは、最後に、豪徳寺の一番のお楽しみ、「にゃんにゃん堂」に向かった。もちろん、「にゃんにゃん堂」ってのは、あたしが勝手に呼んでるだけで、正しくは「招猫殿」っていうお堂だ。豪徳寺と言えば招き猫、招き猫と言えば豪徳寺ってワケで、願いを叶えた数え切れないほどの招き猫が奉納されてる「招猫殿」こそが、招き猫の発祥の場所なのだ。


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‥‥そんなワケで、今から400年近く前、江戸時代前期の寛永年間までは、豪徳寺は「弘徳庵」ていう名前の小さくて貧しいお寺だった。当時の和尚さんは、貧乏だったけど、1匹の猫をとっても可愛がってて、自分の食べ物を減らしても猫に与えるほどだった。だけど、あまりにも生活が苦しかったので、ある日のこと、和尚さんは、その猫に向かって、「これほど可愛がっているいるのだから、何か良いことでも招いておくれ」って言ってみた。忙しくて「猫の手も借りたい」ってのはあるけど、生活が苦しくての「猫の手も借りたい」ってワケだ。

そしたら、それからしばらく月日が流れた夏の昼下がりのこと、急にお寺の門の辺りが騒がしくなったので、和尚さんがナニゴトかと思って出てみると、門前に馬をつないで、5~6人の立派な武士が入って来た。そして、その中の1人が、和尚に向かってこう言った。


「我々は鷹狩りの帰りなのだが、たまたまこの寺の前を通り掛かったら、門前にうずくまっていた1匹の猫が起き上がり、我々を手で招いたのだ。だからこうして入って来たのだが、少し休ませてくれぬか」


和尚さんは、この武士たちを中へ案内して、とりあえず渋茶を出してもてなした。そしたら、急に雨雲が立ち込めて、激しい夕立が降り出しちゃった。外は土砂降りだわ雷は鳴るわの大騒ぎだけど、和尚さんは静かに「三世仏」の由来とかを話し続けた。そして、雨が上がって帰る時に、1人の武士がこう言った。


「私は彦根の城主、井伊直孝と申す者だ。猫が招き入れてくれたおかげで、我々は雨をしのぐことができた上に、あなたのありがたい説法も賜ることができた。これぞ仏の因果だろう。これからはこの寺を大切にさせていただく」


そして、井伊直孝が、このお寺に多くの田畑を寄進してくれたオカゲで、お寺は貧乏脱出大作戦に成功したのだ。和尚さんは、すべては猫が招いてくれた福だと考えて、この猫が死んだ時には、立派なお墓を建てるとともに、この猫を模した人形を作り、これを「招福猫児(まねぎねこ)」と名づけた。そして、この「招福猫児」にお祈りをすれば、家内安全、営業繁盛、心願成就の願いが叶うっていうことから、いつしか「猫寺」って呼ばれるようになった。これが、現在の「招き猫」の始まりだってワケだ。

一方、井伊直孝は、このお寺を自分の菩提寺として、終生、大切にした。そして、自分の法名にちなんで「豪徳寺」と名づけて、今日に至る‥‥ってワケだ。だから、井伊直孝は彦根の城主だけど、この豪徳寺が江戸の菩提寺になってる。そして、もう多くの人が気づいてると思うけど、彦根のマスコットの「ひこにゃん」は、この豪徳寺の招き猫から生まれたキャラなのだ。

‥‥そんなワケで、豪徳寺が栄えたのも、世の中に招き猫が広まったのも、彦根に「ひこにゃん」が誕生したのも、すべては今から400年近く前に、彦根の城主の井伊直孝が、たまたま江戸の世田谷領を領することになって、たまたま世田谷領で鷹狩をした日に、たまたまこのお寺の前を通り掛かり、たまたま猫が手招きする仕草をしたことがキッカケだったってワケだ。そして、こうした話って、たいていの場合は、あとからツジツマを合わせて作られた創作が多いけど、この話は、実話だった可能性が高い。

どうしてかって言うと、井伊直孝は「猫が招いた」って思ったワケだけど、これって、ホントは「猫が顔を洗った」ってことだからだ。猫が自分の手を舐めて、その手を丸めて顔をこすると、いかにも手招きしてるように見える。井伊直孝は、この仕草を「猫が招いた」って思ったのだ。そして、猫が顔を洗うのは、多くの場合、雨が降る予兆とされてる。「猫が顔を洗うと雨が降る」ってコトワザは、ちゃんとした根拠のあるもので、それなりの確率で当たるのだ。猫のヒゲは、ものすごく敏感で、レーダーみたいな役割をしてるんだけど、特に気圧の変化に敏感で、気圧が低くなり始めるとムズムズして来るそうだ。雨が降る前には、必ず気圧が低くなるから、猫がムズムズしたヒゲをこすり始めると、それからしばらくして雨が降るってワケだ。

つまり、お寺の門のとこにいた猫は、「気圧が低くなり始めてヒゲがムズムズしたから顔を洗った」ってワケで、そう考えれば、その後の夕立も当然の流れってことになる。これが、あたしがこの話を「実話」だって判断してるポイントで、招き猫をコレクションしてるユエンでもある。だから、招き猫に関しても、あとから派生した様々なバリエーションのものよりも、元祖の「白くて右手をあげてる招き猫」こそを大切にしてる。ま、本気で招き猫に願かけするなら、豪徳寺で買った本物の招き猫に願かけして、成就したあとは豪徳寺に納めないと意味がない。招き猫ってものは、自宅やお店に飾るものじゃなくて、願いが叶うまで「お借りするもの」だからだ。


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‥‥そんなワケで、単なるお寺とは違って、招き猫マニアの聖地でもある豪徳寺は、世田谷区民のあたしが全国に自慢できるワンダホーなスポットだ。江戸時代からの歴史ある仏殿や鐘楼もあれば、出来立てホヤホヤの三重塔もあるし、異国情緒タップリの仏舎利塔もある。そして、今の時期は牡丹園や藤棚が楽しめるけど、春には桜が、秋には紅葉が楽しめる上に、これから暑くなる夏には、木々の木陰で涼むこともできる。だから、お隣りの世田谷城址公園と合わせて、ぜひ遊びに行ってみて欲しい。ただし、小田急線の「豪徳寺駅」からだと、20分近く歩く上に、半分以上は上り坂だから、あんまり歩きたくない人は、マクラに書いたように、三軒茶屋と高井戸を結ぶ世田谷線の「宮の坂駅」から行って欲しい。庄司陽子さんのマンガ、「Let’s 豪徳寺」の主人公の「狛江百合(こまえゆり)」は、「豪徳寺駅」と同様に、小田急線の「狛江駅」と「百合丘駅」からの命名だけど、実際の豪徳寺に行くためには、小田急線よりも世田谷線のほうがラクチンだと思う今日この頃なのだ。


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