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2010.05.18

輪ゴムの惑星

今までに何度か書いたことがあるけど、あたしは、赤瀬川原平さんの本が大好きで、ほとんど読んでる。それも、他の人の本みたいに、図書館で借りてきて読むんじゃなくて、ちゃんと買って読んでる場合が多い。何でかって言うと、原平さんの本は、何度でも読み返したくなる本が多いからだ。原平さんの本て言うと、一般的には「老人力」のシリーズが有名だと思うし、古くは「トマソン」関連のものも有名だと思う。ようするに、どっちも路上観察学会から派生してるシリーズってワケだ。

だけど、あたしが特に好きなのは、「純文学の素」とか「少年とオブジェ」みたいなユルユルでマニアックなエッセイ集で、もう何度読み返したか分からないほど読んでる。ひとつひとつの話題に対する独特の視点が、時に郷愁だったり、時に宇宙空間だったり、いろんな場所へ誘(いざな)ってくれる。その「独特の視点」そのものに目を向けた「目玉の学校」も面白いし、他にも、「新解さんの謎」や「外骨という人がいた!」みたいに一点に特化してる作品も大好きで、特に「ゴムの惑星」はお気に入りだ。これは、「天文ガイド」に連載してたエッセイをマトメたもので、タイトルの「ゴムの惑星」ってのは、原平さんが美学校の講師をやってた時に、生徒たちと作ってた天体観測の同好会の会報の名前だそうだ。「天文ガイド」に連載してたのに、そんなに専門的なことは書いてないから、天文の知識がなくても、天文に興味がなくても、誰もが楽しめる内容だ。

もちろん、あたしは、こうしたエッセイ集だけじゃなくて、「老人力」のシリーズも、「トマソン」関連も、「猫」関連も、「カメラ」関連も、「芸術」関連も、「俳句」関連も、「食べ物」関連も、芥川賞の受賞作の「父が消えた」を始めとした尾辻克彦名義の作品も、みんな大好きだ。そして、順番に読み返してる。とにかく、原平さんの文章は、視点と表現力の両方が激しく優れてるから、極端なことを言えば、内容がカラッポでも面白いし、必ず何らかの発見がある。普通の人なら気づかずに素通りしちゃうような些細なコトやモノに目を向けて、それをあらゆる角度から分析して、何の役にも立たないような自論を展開してても、そこに必ず「なるほど!」っていう発見があるから、いろんな意味で楽しくなる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、今、原平さんの「もったいない話です」って本を読み直してる。これは3年前に出た本なので、まだ読み直すのは5回目くらいだけど、節約生活を続けてるあたしにとって、なかなかアリガタイザーな本でもある。これは、「もったいない」をテーマに、雑誌「ちくま」に連載してたエッセイをマトメたものなんだけど、輪ゴムから原子力燃料に至るまで、世の中の「もったいないもの」を原平さん独自の視点で分析してて、なかなか面白い一冊だ。それで、この本の最初のエッセイが「輪ゴムと猿」っていうタイトルなんだけど、連載1回目ってことで、まずは定番の話題からスタートしてる。そう、昔は、お土産の紐を丁寧に解いて、包装紙も丁寧にひらいて、紐も包装紙も大切に取っておいたのに、今は、紐はハサミで切っちゃうし、包装紙はビリビリと破いちゃうし、両方とも丸めてゴミ箱へ捨てちゃうようになった‥‥って話だ。

そして、その流れから「輪ゴム」の話題へと入ってくんだけど、ここでちょっと意外だったのが、原平さんが「生まれて初めて輪ゴムを見た時の驚き」について書いてることだ。もともとは、パンツのゴム紐の切れ端を結んで輪にしてものを「何かをまとめる時の輪ゴム」として使ってたそうで、この自作した輪ゴムのことを原平さんは文中で「原始輪ゴム」って呼んでる。そして、ハッキリと「何才の時」とは書いてないけど、「輪ゴムが日本社会に出現したのは、アメリカの進駐軍が日本に定着していったころではなかったか」って書いてるから、原平さんが生まれて初めて輪ゴムを見たのは、10才前後の子供の時だったことになる。そして、まず「結び目がない!」って驚いたって書かれてる。原平さんは、今年で73才、昭和12年(1937年)の生まれだから、わずか60年ちょっと前のことになる。

たとえば、「生まれて初めてラジオを聴いた」とかって話なら、今から60年くらい前のことでも違和感ないけど、「生まれて初めて輪ゴムを見た」のが60年前って、あたしは意外に感じた。だって、昭和初期のニポンは、自動車や飛行機がバンバン作られてたワケで、当然、自動車や飛行機のタイヤはゴムで出来てたワケだ。さらに言えば、もっとずっと前から自転車が作られてたワケで、そのタイヤだってゴムだった。つまり、ゴム自体はずっと前からあったんだから、タイヤよりも遥かに作るのが簡単そうな輪ゴムなんて、もっともっと前からあっただろうって思ってた。それに、ゴムには、石油から作られる合成ゴムと、ゴムの木の樹液から作られる天然ゴムがあるけど、輪ゴムは天然ゴムが原料だから、合成ゴムの製品よりも古くからあると思ったからだ。

それで、あたしは、ふだんは気にしたこともない輪ゴムについて、ちょっと調べてみることにした。これは、もちろん、「普通の人なら気づかずに素通りしちゃうような些細なコトやモノに目を向ける」っていう原平さんのスタイルのマネッ子だ。そしたら、なかなか興味深いことがマウンテンだった。まず、ゴムの木の樹液からゴムを作るって技術は、遥か古代からあったそうだ。13世紀のインカ文明やアステカ文明は当然として、6世紀のマヤ文明でもゴムが使われてたし、さらには、紀元前1200年ころからメキシコ湾岸に栄えたオルメカ文明でもゴムが使われてた。そのため、この「オルメカ」ってのは、「ゴムの地の人」って意味なんだそうだ。

だけど、これらの文明を見れば分かるように、古代のゴムの文化は、南米に集中してた。これは、ゴムの木の名前が「ヘベア・ブラジリエンシス」っていうことからも分かるように、南米原産の木だったからだ。そして、古代の人たちは、現代人みたいにゴムの弾力を生かした「便利な道具」を作り出してたんじゃなくて、「不思議な木から採れる不思議な物質」ってふうな位置づけだったみたいで、何かの儀式に使う像とかをゴムで作ったりしてた。ゴムの像だなんて、ナニゲに「大きなキン肉マン消しゴム」みたいなのを想像しちゃうけど、その他にも、ゴムを球状にしてボールを作り、当時の球技に使ってたそうだ。

そして、1493年、第2航海に出発したコロンブスは、南米大陸で現地人の使ってたゴムのボールを見たんだけど、これが、ヨーロッパ人が初めてゴムという物質を見た瞬間だったそうだ。そして、コロンブスによって、このゴムがヨーロッパへ渡り、ジョジョに奇妙に世界へ広がってった。つまり、ゴム自体の歴史は古いけど、それはあくまでも南米だけの話であって、世界のゴムの歴史は、約500年ほどってことなのだ。そして、カンジンの輪ゴムに関しては、1800年代になってから、ゴム製の細長い袋を輪切りにしたゴムバンドが、現在の輪ゴムの原型になるそうだ。

‥‥そんなワケで、最初のゴムは、そんなに弾力はなかったから、どっちかって言うと、「弾力」よりも「水を弾く」って特性のほうが重視されてた。そのため、薄く延ばしたゴムを布と張り合わせて、雨ガッパや長靴や救命具の原料の「ゴム引布(ひきぬの)」とかに利用してた。だけど、1839年の冬のこと、ずっとゴムの研究を続けて来たアメリカの発明家、チャールズ・グッドイヤーは、ゴムの塊と硫黄を混ぜて実験してた時に、誤ってストーブの上に落としちゃった。そしたら、そのゴムが、トロトロと溶けてから硬く固まって、今までには見られなかった弾力性のあるゴムに変化した。これで、グッドイヤーは、「ゴムに硫黄を混ぜて熱を加えると弾力の強いゴムに変化する」ってことを発見する。ちなみに、アメリカのタイヤメーカーの「グッドイヤー」は、このチャールズ・グッドイヤーの名前を社名にしたそうだ。

で、この化学変化を「加硫」って呼び、これによって生まれた弾力性の強いゴムのことを「加硫ゴム」って呼ぶようになったんだけど、これこそが、輪ゴムを始めとした数々のゴム製品の原料になってる。「ゴム製品」だなんて、ナニゲに下ネタっぽくなっちゃったけど、コンドームの場合は、先に硬いゴムを例の形に成型しといて、あとから薬品と熱を加えて、ビヨヨ~ンって伸びる弾力性を持たせる「後加硫」って方法で作られてるそうだ‥‥なんてプチ情報も散りばめつつ、人類がゴムを発見してから3000年以上の月日が流れ、今からわずか170年ほど前に、ようやく「弾力性のある現在のゴム」が誕生したってワケだ。

そして、この「加硫ゴム」の発見によって、ゴムの需要は一気に拡大した。それまでは、雨ガッパや長靴や救命具くらいにしか利用されてなかったゴムが、「弾力性」という新たな特性を手に入れたことによって、様々なモノに利用されるようになったからだ。そのため、1876年には、「イギリス東インド会社」が中心になって、ゴムの原料を増産するための「ゴムの木の農園」が計画された。数百種もあるって言われてるゴムの木の中から、もっとも効率のいい品種を植物学者に調べてもらい、その木の種子を南米から大量に取り寄せて、ロンドン郊外の植物園で苗木を生産した。そして、その苗木をセイロン島、マレー半島、ジャワ島へ送り、ゴムの木のプランテーションを作った。これが、現在の東南アジアの巨大プランテーションの元だそうだ。

つまり、弾力性のある「加硫ゴム」の発見は170年ほど前だけど、これが商業化されたのは130年ほど前ってワケで、ニポンで言えば、明治10年ころってことになる。だから、「ゴムの歴史」は3000年以上もあるのに、その中の「弾力性のあるゴム製品の歴史」は、つい最近てことになる。そして、ニポンでもゴム製品が作られるようになったのは、当然、ヨーロッパやアメリカよりも遅いワケで、ニポンでの輪ゴムの「はじめて物語」は、大正時代に入ってからだ。現在のニポンの輪ゴムの代名詞である「オーバンド」のメーカー、大阪の「株式会社 共和」は、大正12年(1923年)に「共和護謨(ゴム)合資会社」として設立されたんだけど、この会社の創始者である西島廣蔵さんが、まだ会社を立ち上げる前の大正6年(1917年)に、札束をマトメるためのゴムとして、自転車のチューブを細く輪切りにしてバンドを作ったのが、ニポンで最初の国産の輪ゴムの誕生だった。

それまで、ゴム製品は、ほとんどがヨーロッパからの輸入品で、輪ゴムは、自転車のチューブの輪切りとおんなじで、色は黒かった。だけど、大正3年(1914年)に第一次世界大戦が勃発して、ヨーロッパからの輸入が途切れたため、ニポン国内でいろんなモノが作られるようになった。そして、得意先からの注文で輪ゴムを作ったのが、「株式会社 共和」の創始者の西島廣蔵さんだったってワケだ。だけど、自転車のチューブを輪切りにしただけの輪ゴムだから、色が黒かっただけじゃなくて、現在の輪ゴムのような弾力性もなかった。

そのうち、得意先から「透明な輪ゴムを作ってもらえないか」っていう相談があったので、西島さんは、仕事の合間に図書館に通って、外国の文献を調べて、過熱式の「加硫ゴム」の作り方を実践してみることにした。そして、尿素系の促進剤を使い、硫黄を混ぜて加硫する方法で、透明で美しい上に弾力性もある輪ゴムを作り出すことに成功した。それまでの輸入品を遥かに超えた国産の輪ゴムは、全国規模での大ヒット商品となり、現在の「オーバンド」の基礎を築いたってワケだ。そして、この輪ゴムを大量生産するために立ち上げたのが、「共和護謨合資会社」だったってワケだ。

‥‥そんなワケで、この流れを見ると、現在の輪ゴムの原型が世の中に広まり出したのは、「共和護謨合資会社」が設立された大正12年(1923年)ころってことになる。だから、実際には、原平さんが生まれて初めて輪ゴムを見た60年ちょっと前よりも、さらに20年以上も前から輪ゴムは存在してたのだ。ただ、当時の輪ゴムは、今とは違って貴重品だったハズだから、お店で何か買った時に輪ゴムでとめてくれたり、スーパーのお惣菜売り場に「ご自由にお使いください」的に無造作に置かれてたりするのとは状況が違ってたハズだ。ひとつひとつを大切に使うのは当然として、輪ゴムを持ってても、もったいなくてオイソレとは使わなかったと思う。ものすごく大切なものをとめる時とかの、ここ一番て時にだけ使ってたんだと思う。

だから、原平さんが生まれた時には、すでに輪ゴムは存在してたんだけど、高級で貴重だった輪ゴムは、一般の家庭にまでは普及してなかったんだと思う。最初の10年くらいは、西島さんに透明な輪ゴムを発注した得意先みたいに、仕事で使う人たちだけが主に使ってて、一般の家庭で日常的に使われるようになるまでには、ある程度の時間が掛かったんだと思う。たぶん、少しずつ製造量が増加してって、それにともなって販売単価が下がって来て、そして、少しずつ一般の家庭でも使われるようになってったんだと思う。

そんな高級品だった輪ゴムも、今じゃ箱入りの大きなものが100円ショップで買えるし、輪ゴムでとめてあるお弁当を食べた人は、その輪ゴムで元通りにフタをとめてゴミ箱に捨てちゃうようになった。そして、その結果、現在では、年間に約5000トンもの輪ゴムが消費され続けてる。これは、平均サイズの輪ゴムで計算すると、約340億本になる。つまり、赤ちゃんや幼児などの輪ゴムを使わない子供を除けば、あたしたちは、1人1人が年間に約340本の輪ゴムを捨ててることになる。「えっ?340本も輪ゴムを無駄にしてないよ」って思った人も多いだろうけど、年間に340本てことは、1日1本だ。1日に1本くらいなら、スーパーでお惣菜を買ったり、売店で食べ物を買ったり、何かの時に捨ててると思う。

‥‥そんなワケで、1人1人のナニゲない行為が、年間で5000トンていう巨大な数字を生み出してるワケだ。「もったいない」っていう言葉があるニポンだけでも、年間に5000トンもの輪ゴムを消費してるんだから、これが全世界になったら、それこそ天文学的な量になるだろう。これじゃあ、「ゴムの惑星」ならぬ「輪ゴムの惑星」だ(笑)‥‥ってワケで、手首に何本も輪ゴムをはめて歩いてるオバチャンもどうかと思うけど、まだ使える輪ゴムを何も考えずにポイポイと捨ててる人よりは、遥かに立派だと思う。だから、あたしも、今日からは、輪ゴムを手にするたびに、結び目がない美しいフォルムに驚いた少年時代の赤瀬川原平さんのことを思い出したり、黒くない輪ゴムを作るために大変な努力をした西島廣蔵さんのことを思い出して、捨てずに何かに役立ててこうと思った今日この頃なのだ。


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