クイナが来たりて戸を叩く
昨日の日記の「石川先生づくし」のとこで、ゴルフの石川遼君のことを書いたら、数人の読者から「石川遼君も石川先生と同じ9月17日生まれですよ」っていうメールをいただいた。それで、調べてみたら、ホントにそうだった。あたしは、不思議な偶然だな~って思いつつ、ふと、「9月17日生まれの人って、他にはどんな人がいるのかな?」って思った。それで、グーグルの検索に「9月17日生まれ」って打ち込んだら、「9月17日生まれの著名人」とか「9月17日生まれの有名人」ていうリストが出たから、「便利な世の中だ」って思って、それをクリックしてみた。
そしたら、これまた便利な世の中で、1年365日、それぞれの日に生まれた有名人をマトメてるサイトがいくつもあった。それで、そのうちの1つを見てみたら、9月17日生まれの人の名前がズラーッと並んでた。コレがそうなんだけど、あたしは、この一覧を上から順に見てって、「水戸黄門をやってた東野英治郎さんも9月17日生まれだったのか」とか、「金丸信さんや曽野綾子さんもだ」とか、「ちあきなおみさんもなのか」とか、「おおっ!セナと一緒にウィリアムズで走ってたデーモン・ヒルも9月17日なのか!」とか、「プロレスラーの蝶野正洋さんもだ」とか、意外な顔ぶれを楽しんでた。
そして、そのまま進んでったら、そこに、「なかやま きんに君」の名前が! 何という偶然だろう? 昨日の日記の冒頭で、あたしは、「でも、10番人気までにも入ってなかった無印良品のなかやまきんに君‥‥じゃなくて、ナカヤマフェスタが1着になるなんて、ほとんどの人が予想してなかっただろう。」って書いたけど、これは、ただ単に「ナカヤマフェスタ」にカケて名前を出しただけで、マサカ、なかやまきんに君までもが、石川先生とおんなじ9月17日生まれだなんて知らなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、石川喬司先生と、3着になったアーネストリーに騎乗してた佐藤哲三騎手が、2人とも9月17日生まれだってことは知ってたけど、石川遼君やなかやまきんに君までもが9月17日生まれだなんて、まったく知らずに昨日の日記を書いてた。石川遼君は「石川づくし」で、なかやまきんに君は「ナカヤマフェスタ」で名前を出しただけなのに、それが2人とも偶然に9月17日生まれだったなんて、あまりにも不思議な偶然の連鎖だ。
さらに言えば、事前に9月17日生まれの有名人の一覧を見てたとしたら、なかやまきんに君の名前から「ナカヤマフェスタ」を選んでて、「負けたどぉ~~~!」が「獲ったどぉ~~~!」になってた可能性だってアリエールなのだ!‥‥って、サスガに、これは無理があるけど、それでも、不思議な偶然が重なったことだけは間違いない。それで、あたしは、この「9月17日」って日付に何か秘密があるんじゃないかと思って、リトル考えてみた。
9、1、7‥‥9、1、7‥‥ク、イ、ナ‥‥ク、イ、ナ‥‥おおっ!ヤンバルクイナの「クイナ」だ!
ちなみに、ヤンバルクイナは、沖縄の北部の山原(やんばる)にいる水鶏(くいな)だから、漢字だと「山原水鶏(やんばるくいな)」って書くんだけど、この「水鶏」って字を見れば分かるように、ニポン各地の水辺に、いろんな種類のクイナがいる。もちろん、ニポン以外の国にもいて、世界中には約130種類のクイナがいる。だから、「9月17日」が「クイナ」を表わしてるんだとしたら、ヤンバルクイナみたいに1種類を特定するんじゃなくて、いろんな種類のクイナを総称しての意味になる。
だけど、いろんな種類のクイナを総称しちゃうと、1つの問題に突き当たる。何でかって言うと、クイナには、夏鳥と冬鳥がいるからだ。正確に言えば、クイナが冬鳥で、ヒクイナが夏鳥なので、クイナには「フユクイナ」、ヒクイナには「ナツクイナ」って別名がある。で、何で「ヒクイナ」って名前なのかって言うと、決して「クイナよりもヒクイナのほうが背が低いな」ってことじゃない(笑)‥‥ってオヤジギャグを織り込みつつも、自然の黒メダカを「メダカ」って呼んだ場合に、観賞用の薄いオレンジ色のメダカを「緋メダカ」って呼ぶように、頬からお腹にかけて赤みを帯びてることから、「水鶏」に対して「緋水鶏」って名前をつけたのだ。
で、「9月17日」を「クイナ」って解釈するのなら、夏鳥のヒクイナのことはスルーして、冬鳥のクイナのことだけ考えればいいようにも思えちゃうけど、実は、ここに大きな罠があるのだ。2006年9月9日の日記、「秋の夜にはつづれさせ」の中に詳しく書いてるけど、万葉の時代には、「コオロギ」が「キリギリス」のことで、「キリギリス」が「コオロギ」のことだった。だから、万葉集に収められてる「コオロギ」の鳴き声を詠んだ歌は、ぜんぶ「キリギリス」の鳴き声のことなのだ。そして、江戸時代には、「マツムシ」が「スズムシ」のことで、「スズムシ」が「マツムシ」のことだった。
この例とおんなじように、古来のニポンでは、現在の「ヒクイナ」のことを「クイナ」って呼んでたのだ。そして、現在の「クイナ」については、昔の人たちはあんまり関心を持ってなかった。それは、鳴き声に理由がある。クイナが「ビュービュー」っていう汚い声で鳴くのに対して、ヒクイナは「キョッキョッキョッキョッ」っていう可愛い声で鳴く。だから、昔の人たちは、今の時期にヒクイナの「キョッキョッキョッキョッ」っていう鳴き声を聞いて、「ああ、夏が来たんだなあ」って感じてたのだ。そのため、姿は似てても、冬にやって来て汚い声で鳴く鳥のほうはスルーして、夏にやって来て可愛い声で鳴く鳥のほうを「クイナ」って呼んでたワケだ。
つまり、昔の人たちは、現在の「ヒクイナ」のことを「クイナ」って呼んで、その鳴き声を愛でてたワケだけど、この「キョッキョッキョッキョッ」っていう鳴き声が、昔の人たちには「戸を叩く音」に似てるように感じられた。だから、普通の鳥の場合は「鳴く」とか「囀(さえず)る」って表現するけど、クイナの場合だけは「叩く」って表現してた。つまり、「カラスが鳴く」とか「ウグイスが囀る」とかに対して、「クイナが叩く」ってワケだ。そのため、俳句には、「水鶏たたく」っていう夏の季語がある。
‥‥そんなワケで、京都の鴨川には「水鶏橋」っていう橋があるけど、京の都を舞台にした「源氏物語」にも、クイナが登場してる。「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」で、源氏が奥さんの1人、花散里(はなちるさと)を二条東院の西の対に訪ねるシーンだ。ちょうど、五月雨の降る今の時期だけど、この日は雨は降ってなくて、ぼんやりとした朧月(おぼろづき)が出てた。そして、ずっとご無沙汰だった源氏が訪ねて来たもんだから、花散里は、こんな歌を口にした。
「水鶏だに驚かさずばいかにして荒れたる宿に月を入れまし」
この「月」ってのは、愛しい源氏のことを「月の光」に喩えてるワケで、「クイナが戸を叩いて知らせてくれなかったら、どうしてこのように荒れた屋敷に月の光を迎え入れることができたでしょうか」って感じだ。花散里は、源氏の奥さんや恋人たちの中で一番のブスだから、源氏はメッタに訪ねて来ない。だから、部屋の中も荒れてるってワケだ。すると、源氏は、こんな歌で返した。
「おしなべて叩く水鶏に驚かばうはの空なる月もこそ入れ」
これは、「どんな家の戸でも見境なく叩くのがクイナなんだから、そのたびに戸を開けてたら、私以外の月の光も入ってきちゃうじゃないか」って感じで、つまり、「他の男がやって来たら大変だ」ってことを伝えて、暗に「お前は私の大切な妻なのだ」ってことを匂わせてるってワケだ。これは、花散里には子供の世話だけを押しつけて、自分は他の妻や恋人のとこに入り浸ってる源氏が、久しぶりに会った花散里に対するリップサービス的な裏技ってワケで、これぞプレイボーイたるユエンだろう。
そして、もう1つ、源氏の周到なとこは、この日が「5月」だったってことだ。5月2日の日記、「女の家」にも書いたけど、昔のニポンでは、5月のことを「悪月」とか「妬月」とかって呼んで、「さつき忌み」として嫌ってた。そのため、昔は、5月は結婚しちゃいけないし、夫婦や恋人同士でもセックスしちゃいけないことになってたのだ。つまり、花散里とセックスしたくなかった源氏は、わざわざ5月を選んで訪ねてったってワケなのだ。なんて野郎だ!(笑)
‥‥そんなワケで、「源氏物語」の中では、花散里はクイナの鳴き声のような戸を叩く音で源氏を迎え入れたワケだけど、「源氏物語」の作者の紫式部はって言えば、花散里ほどの度胸はなかったみたいだ。「紫式部日記」の中には、ある夜のこと、誰かが戸を叩く音が聞こえたのに、恐くて開けることができずに、物音を立てずにジッとしてたって書いてある。で、翌朝のこと、戸を叩いた男から、こんな歌が届く。
「夜もすがら水鶏よりけになくなくぞ真木の戸口に叩きわびつる」
これは、「ゆうべは一晩中、クイナよりも戸を叩き続けたのに‥‥」って感じで、「なくなくぞ」が、クイナの「鳴く鳴くぞ」と、自分の悲しい気持ちを表わす「泣く泣くぞ」にカケてある。で、この歌に対して、紫式部は、こんな歌を返してる。
「ただならじ戸ばかり叩く水鶏ゆゑ開けてはいかに悔しからまし」
これは、「尋常じゃないほど戸を叩くクイナだったんだから、もしも戸を開けてたら、私はきっと悔しい思いをしてたでしょう」って感じで、ナニゲに意味が分かりにくい。でも、これは、紫式部が、相手の男性が誰だったのかを分かって詠んでるワケで、それは、日記には名前は出て来ないけど、藤原道長だったって言われてる。今さらだけど、軽く説明しとくと、紫式部ってのは、一条天皇の正妃の藤原彰子に仕えてたワケで、ようするに、一条天皇の奥さん専属の小説家だったワケだ。そして、天皇の正妃の藤原彰子が、ジキジキに紫式部のとこに原稿を取りに行くワケはなく、代わりに、藤原彰子のお父さんの藤原道長が、原稿を受け取りに行ったり、原稿の催促に行ったりしてたってワケだ。
だから、地球上で最初に「源氏物語」を読んだのも藤原道長だったし、「源氏物語」を筆写させて貴族社会に広めたのも藤原道長だったんだけど、ここで、ちょっと雲行きが怪しくなって来る。それは、実は、藤原道長は、紫式部に手を出してたんじゃないのか?‥‥って疑惑だ。だって、原稿を受け取りに行ったり、原稿の催促に行ったりするだけなら、何も夜になって暗くなってから行く必要もないし、何よりも、一晩中ずっと戸を叩き続けたりするのはおかしい。それに、さっきの歌のやりとりを読んでも、単なる原稿の催促とは思えない。言うなれば、原稿の催促に名を借りた「夜のチョメチョメ」ってワケで、そう考えれば、紫式部からの返歌の意味も自然とツジツマが合うってスンポーだ。
で、紫式部の時代から現代へとワープしても、「卯~の花~の匂う垣根に~♪」で始まる「夏は来ぬ」って歌の4番と5番に、クイナが登場してる。特に4番は、「源氏物語」の花散里のシーンを下敷きにして書かれてると思われる。
楝(おうち)散る 川辺の宿の
門(かど)遠く 水鶏声して
夕月涼しき 夏は来ぬ
ここでは、「叩く」って表現こそ使ってないけど、「川辺の宿の門」と「水鶏の声」とを対比させて、訪ねて来た人が戸を叩く景をイメージさせてる。これは、極めて俳句的な演出で、作詞した歌人の佐佐木信綱さんの感性の高さと力量を感じる。ちなみに、「佐々木信綱」って言うと、平安時代の武将もいるし、現在活躍中の作曲家もいるんだけど、偶然に同姓同名ってだけで、まったく関係ない。
‥‥そんなワケで、石川先生のお誕生日の「9月17日」が、もしも「クイナ」を暗示してたとすると、これは現在の「クイナ」のことじゃなくて、1000年以上も前から古人たちが愛でて来たクイナ、つまり、現在の「ヒクイナ」のことになる。そして、古人たちがクイナを愛でたのは、梅雨のジメジメした「悪月」の時期に、可愛らしい声で鳴いて、夏の到来や恋人の到来を知らせてくれたからなのだ。こうした古人たちの素晴らしい感性は、今や、一部の文学の中にしか垣間見られなくなっちゃったけど、それでも、俳句や和歌が消滅しない限り、あたしたちニポン人のDNAとして、後世へ受け継がれてくと思う。だから、「水鶏」って字を見て「鶏の水炊き」を連想したり、「クイナ」って名前を聞いて「食いな」って言葉を連想して、鶏の水炊きを食べたくなるのも構わないけど、どこかの川の葦原にでも行った時には、ちょっとだけ耳を澄ませてみて欲しいと思う今日この頃なのだ。
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