冤罪という犯罪
フィリピンの空港で、大麻所持の現行犯で逮捕されて、死刑判決を受けて、フィリピンの刑務所に収監されてたニポン人の鈴木英司(ひでし)さん(54)が、大統領の恩赦で、16年ぶりに釈放された。鈴木さんは、21日、フィリピンの入国管理施設に移されたので、あとは罰金100万ペソ(約200万円)を支払えば、国外退去となってニポンに送還されるそうだ‥‥って、この事件を知らない人が、これだけを読むと、「ラッキーだったね」とか、「そんなに甘いことしてもいいのか?」とか、こうした感想しか出て来ないと思う。だけど、この事件を知ってる人なら、心から「良かった!」って思うだろう。だって、完全に冤罪なんだから。
鈴木さんは、今から16年前の1994年4月12日、フィリピンのネグロス島のバコロド空港で、搭乗のための手荷物検査で「1.5kgの大麻」が発見されて、現行犯逮捕された。フィリピンの法律では、麻薬、覚醒剤、大麻などの「運び屋」は死刑なんだけど、鈴木さんは「1.5kg」という量から「運び屋」だと判断されて、同年12月7日、バコロド地裁で死刑判決を受け、モンテンルパ刑務所に収監された。しかし、逮捕から一貫して「潔白」を訴え続けた鈴木さんは、9年後の2003年11月12日までに、フィリピン最高裁での二審で、一審の死刑判決が棄却になり、無期刑に減刑された。だけど、恩赦がなければ死ぬまで刑務所から出られなかったんだから、これでも厳しい判決には変わりない。
一方、逮捕後2年目の1996年5月には、鈴木さんの無実を信じるニポンの超党派の国会議員132人で「鈴木さんを救う国会議員の会」が発足し、フィリピン政府に対して申し入れを続けて来た。2008年に、一度、フィリピン政府は恩赦を検討したけど、これは却下された。そして、去年の政権交代後の11月、鳩山政権下で、「鈴木さんを救う国会議員の会」は正式に鈴木さんの釈放をフィリピン政府に要求して、これに応える形で、今年4月、アロヨ大統領が恩赦を決定した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、鈴木英司さんのこの事件は、ご本人が獄中で執筆して、2000年に出版された「檻の中の闇/フィリピンで死刑囚になった日本人の獄中記」(小学館)が話題になったし、2004年には、フジテレビがドキュメンタリー「懲役のない刑務所~フィリピンの日本人死刑囚~」を放送して、2年後の2006年にも再放送したので、観た記憶のある人もいると思う。あたしも、最初の放送か再放送かは覚えてないけど、どっちかを観てて、刑務所というよりは「村」みたいな場所で暮らしてる鈴木さんの姿が印象的だった。
で、まずは、この事件を知らない人のために、フランク・ザッパに‥‥ってよりは、リトル詳しく流れを説明するけど、1994年当時、まだ38才で、名古屋の会社員だった鈴木さんは、フィリピンのネグロス島のバコロド市内でレストランを経営してたニポン人のA氏に誘われて、一緒にビジネスを手掛けてた。フィリピンの陶土や石材をニポンへ輸出するってビジネスで、鈴木さんは、A氏に250万円を立て替えてた。それで、鈴木さんが、そのお金の返済を要求すると、A氏は「こちらまで来てくれれば返済する」と言う。それで、鈴木さんは、すぐにフィリピンへと飛んだ。
だけど、4月11日に、鈴木さんがバコロドのA氏の家まで行くと、A氏の態度は180度変わっちゃって、お金は返さないって言い出した。それで、2人は口論になり、鈴木さんが「日本に帰って訴訟を起こす!」と言えば、A氏は「やれるものならやってみろ!」って言い返して、完全に決裂しちゃった。そして、A氏の家を出た鈴木さんが夜の街を歩いてると、「ピンキー」っていう女性から声を掛けられた。鈴木さんは、その女性に誘われるまま、一緒にレストランへ行って食事をして、その後、モーテルに泊まってチョメチョメを楽しんだ。
その女性は、深夜の1時ころに帰って行ったので、鈴木さんはそのまま寝て、朝の7時に、ニポンへ帰るためにバコロド空港へ向かった。そしたら、空港のターミナルの入り口で、その女性が鈴木さんのことを待ってて、笑顔で手を振ってる。鈴木さんが、わざわざ見送りに来てくれたことを喜ぶと、その女性は「お土産」だと言ってお菓子の箱を差し出した。それで、鈴木さんは、お礼を言ってお菓子を受け取り、自分のバックに入れて、そのまま空港へと入って行った。
‥‥そんなワケで、もう皆さんお気づきのように、このお菓子の箱の中には、大麻が1.5kgも入ってたワケだ。そして、鈴木さんは、手荷物検査でバレちゃって、大麻の運び屋として、現行犯逮捕されちゃったのだ。だけど、マリファナを好きな人なら「絶対にアリエナイザー」だって思うハズだけど、この箱に入ってた大麻は、こともあろうに、そこらから抜いて来たまんまの大麻草、根っこに土がついてるシロモノだったのだ。もしも、ホントに自分が大麻を運ぼうとしたら、茎だの根っこだのなんて持ってくバカはいない。それどころか、葉っぱだって必要ない。普通は、バッズの部分だけを乾燥させて使うんだから、ガサばる上に使い道のない茎や根っこなんて、イの一番に捨てちゃう部分だろう。それが、「土のついた根っこ」まで入ってたなんて、どう考えたって「大麻のことを何も知らないシロート」の仕事だ。
ま、それは置いといて、現行犯逮捕された鈴木さんは、麻薬捜査局の捜査官に身柄を引き渡されたんだけど、現地の言葉はおろか、英語もほとんど話せない鈴木さんは、通訳もつけてもらえない取調べに困り果ててた。すると、そこに、A氏が現われて、鈴木さんに向かって「300万円払えば助けてやる」って言う。これはおかしいと直感した鈴木さんは、その申し出を拒否した。そしたら、今度は、捜査官が書類を出して「サインしろ」と言う。英語が読めない鈴木さんが、どうしていいか分からずにいると、その書類に目を通したA氏が、「これにサインすれば釈放される」と教えた。それで、鈴木さんは、大喜びでサインしたんだけど、これが、実は「自分の罪状を全面的に認めます」って書類だったのだ。
そして、ここで、「何で根っこに土までついてる大麻草なんかが入ってたのか?」っていう疑問に対する答えがハッキリするのだ。当時のフィリピンの法律では、大麻に関しては「750g」がボーターラインになってて、750g未満なら「6ヶ月以上の投獄」なのに対して、750g以上なら「20年以上の投獄もしくは死刑」なのだ。そして、それが大麻草である限り、吸わない部分である茎や根っこであっても、ぜんぶイッショクタに重さを測られる。つまり、鈴木さんをワナにはめた人間は、それを分かった上で、とにかく総重量が750g以上になるように、茎も根っこもぜんぶ箱に詰めたってワケだ。
‥‥そんなワケで、鈴木さんの不幸は、まだまだ続く。鈴木さんは、とにかく、ちゃんとした人に助けてもらおうと、逮捕直後から捜査官に頼んで現地のニポン大使館に3回も電話をしてもらったんだけど、捜査官は、そのたびに、「コレクトコールだから繋げられない」って言って電話を取り継がなかった。さらには、通訳もつけてもらえずに、取り調べも公判もすべて英語で、鈴木さんはチンプンカンプン。結局、鈴木さんがニポン大使館の職員と面会できたのは、逮捕から半年後のことで、すでに死刑の判決が下りたあとだった。
たとえば、鈴木さんから訴えられることを恐れたA氏が、自分の知り合いの現地女性を使って、鈴木さんをワナにはめたとしても、取り調べの段階で、捜査官が、ちゃんと通訳をつけたり、ちゃんとニポン大使館に連絡させたりしてれば、こんな大変なことにはならなかったハズだ。それなのに、この流れを見てると、あまりにもアバウトすぎる‥‥って言うか、まるで寄ってたかって鈴木さんを重罪にしようとしてるふうにしか見えない。そして、あまりにもおかしいので、現地の新聞も「これは冤罪じゃないか?」って報じたほどだ。
で、この推測がビンゴになっちゃうんだけど、鈴木さんに死刑の判決が下りてから1年後の1995年11月、鈴木さんの事件の捜査を指揮してた麻薬捜査局長のアルカンタラ氏が、麻薬所持で逮捕されちゃって、その後、現地の新聞の取材に対して、「鈴木さんの事件はお菓子の箱を渡した女性たちによるデッチアゲだった」って証言したのだ。つまり、現地の女性だけじゃなくて、この麻薬捜査局長のアルカンタラ氏までもが、A氏とグルになってたってワケだ。これじゃあ、誰だって極刑にされちゃうだろう。
‥‥そんなワケで、何よりも恐ろしいのが、ここから先の話だ。だって、鈴木さんは、これほど冤罪がハッキリしてるのに、2003年の二審で無期に減刑されるまで、9年間も裁判を受けさせてもらえず、死刑囚として投獄されてたからだ。そして、二審での減刑にしたって、ちゃんとした審議によって減刑になったワケじゃなくて、2001年にアロヨ大統領が死刑を「凍結」したから、法律の改定に沿って減刑になっただけなのだ。
そして、この時点でも、死ぬまで刑務所から出られない無期刑なんだから、鈴木さんには夢も希望もない。それどころか、ニポンの刑務所とは別世界の弱肉強食の世界だから、完全にシャレにならない。鈴木さんが収監されてたルソン島のモンテンルパ刑務所は、通称「モンキーハウス」って呼ばれてる劣悪な刑務所で、6000人以上も収容されてる囚人たちは、どこでも好き勝手に歩き回ることができる。ようするに、牢屋に鍵が掛かってないのだ。そして、これほどの囚人に対して、看守はたったの50人しかいないから、当然、監視なんてできるワケがない。そこで、どんなシステムになってるのかって言うと、驚くべきことに、囚人たちの自主性に任せてるのだ。
で、具体的に言うと、この刑務所には13のギャンググループがあって、何房から何房まではAグループの縄張り、何房から何房まではBグループの縄張り‥‥ってことになってる。ようするに、それぞれグループのボスが、その縄張りの囚人たちを仕切ってるのだ。そして、もちろんのこと、全員がボスに毎週50ペソ(約150円)の上納金を渡すルールになってる。たかが150円て言っても、月に600円で、1つのグループが450人から500人もいるんだから、上納金の合計は軽く20万円を超える。
さらには、看守にも、毎週100ペソ(約300円)のタバコ代を上納することになってる。他にも、電気代だの水道代だのいろんなお金が掛かるけど、何よりも大変なのが、毎日の食事代だ。刑務所から支給されるのは、1日ぶんとして、コーヒーカップ1杯のご飯と、コーヒーカップ1杯の具のないスープと、メザシが1匹、これだけだ。普通の人なら、1食ぶんにも足りないだろうけど、これしか支給されなくて、あとは、自分のお金で買わなきゃなんない。そして、そのために、囚人たちが売店を経営してるってワケだ。
土の地面の上に、大きな屋台みたいなお店が並んでて、その周りをたくさんの囚人たちが私服でうろついてるんだから、何も言われなかったら、そこらの村だと思っちゃう。そして、何よりもスゴイのが、売ってる商品のラインナップだ。何しろ、ギャングが経営してるんだから、食料品や日用品は当然として、時間を持て余してる囚人たちのためのレンタルビデオ店もあれば、女性の囚人のための美容院やネイルアートのお店もあるし、男性の囚人のために売春婦を並べてる店もあれば、大々的なカジノもあるし、さらにはマリファナまで売ってるのだ。マリファナで逮捕されて服役してる囚人が、刑務所の中で堂々とマリファナを吸ってるんだから、これほどおかしな話はない。
挙句の果てには、大金持ちの囚人の中には、刑務所内に自前のテニスコートやバスケットコートを作ったり、喫茶店やレストランを作ったり、やりたい放題だ。だけど、これは、あくまでも、お金持ちだけの話で、お金のない一般の囚人の多くは、劣悪な生活を強いられてる。で、鈴木さんはと言えば、ちゃんと個室を持ってて、2006年には、慰問に来た現地の女性、マリッサさんと獄中結婚して、今は子供もいる。つまり、ニポンの刑務所とおんなじなのは、塀の外へ出られないってだけで、それ以外は、お金さえあれば自由なのだ。もちろん、それでも、38才の時に無実の罪で逮捕されて、言葉も分からないフィリピンの刑務所に入れられて、54才になる今日まで16年間も祖国ニポンへ帰ることができなかったんだから、これほど気の毒なことはないだろう。
‥‥そんなワケで、あたしは、どんな理由にせよ、完全に無実の鈴木英司さんが、釈放されてニポンに帰って来られることは、ホントに良かったと思う。ただ、今回の釈放は、鈴木さんの無実が証明されたワケじゃなくて、あくまでも罪は罪のままで、恩赦による釈放なのだ。つまり、このままだと、鈴木さんは、生涯、犯罪者の汚名を背負ってかなきゃなんないのだ。ま、鈴木さんの書いた「檻の中の闇/フィリピンで死刑囚になった日本人の獄中記」を読んだ人や、フジテレビの「懲役のない刑務所~フィリピンの日本人死刑囚~」を観た人なら、すでに鈴木さんの冤罪を信じてると思うし、今日の「きっこの日記」を読んだ人も、全体の流れを分かってくれたと思う。だから、あとは、ニポン国内の数々の冤罪事件、たとえば、「高知の白バイ冤罪事件」や「愛媛の白バイ冤罪事件」などから、有名な「袴田事件」に至るまで、警察や検察の悪質なデッチアゲによる冤罪事件を徹底的に追及するとともに、政権与党は、二度とこうした悲劇を繰り返さないように、1日も早く、取り調べの全過程の可視化を実現する責務があると思う今日この頃なのだ。
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