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2010.06.21

バナナの悟り

この2週間くらいの間に、すごく悲しいことと、すごく心配なことと、すごく嫌なことが連続して起こって、精神的に凹んでた。その上、ものすごく蒸し暑い日が続いてて、冷房の効いた事務所と蒸し暑い外とを出たり入ったりしてたら、ジョジョに奇妙に体調まで崩れて来て、食欲もなくなった。それで、何とかしようと思って、いつもの梅干しとオカカのおにぎりをやめて、違ったおにぎりを作るようにしてた。しばらく前には、大好物のフジッコ煮の「しそ昆布」が148円になってたから、これを買って来ておにぎりに入れたり、桃屋のザーザイを細かく刻んで、白ゴマと一緒にご飯に混ぜておにぎりにしたり、バター醤油ご飯をおにぎりにしたり、いろいろと工夫してみた。

だけど、日増しに食欲がなくなって来て、3日前、とうとう、お昼のおにぎりが食べられなくなった。せっかく作ってっても、どうしても食べられなくて、結局、持って帰ってきちゃう。でも、お昼に何か食べないと倒れちゃうから、ロッテの「スイカバー」を買って食べたりしてた。で、持って帰って来たおにぎりは、晩ご飯として食べてたんだけど、こんな時期に1日ずっと持ち歩いてたおにぎりだから、ナントカ菌とかが繁殖してて危険かもしれないので、お茶碗に入れて、熱湯をかけて、お茶漬けにして食べてた。

そして、そんな日が2日も続いたので、今日はおにぎりを持ってかなかった。ま、お米もそろそろ残り少なくなって来てて、今月は家計が苦しいから、どっちみち、お米の消費量を抑えるつもりだったんだけど、不思議なことに、いくら食欲がなくても、いつも持ち歩いてるおにぎりを持ってないと、ナニゲに不安になるってことに気づいた。あたしは、ほとんどの場合、自分で作ったおにぎり2個と、自分でいれたお茶を持ち歩いてるから、お腹が空いたら、公園や車の中で食べることができる。これが、動物的本能から来る不安感を安心感へと変えてたんだと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今日は、精神的にも肉体的にもケッコーつらくなってたので、お昼すぎに近場でのお仕事が終わってから、次のお仕事へ移動する間に、ホントならどこかでおにぎりを食べる時間を使って、近所の「次太夫堀(じだゆうぼり)公園」に寄り道した。何でかって言うと、子供たちが植えた田んぼの苗を見れば、元気になれると思ったからだ。だから、月曜日は公園自体はお休みで入れないけど、外にある田んぼだけを見に行った。


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田んぼの前の道に車を停めて、枝垂れ桜の下の紫陽花のとこから田んぼを眺めたら、子供たちの植えた苗は30センチくらいに成長してて、ずっと向こうまで青々としてた。畦道にはギシギシが生えてて、田んぼの水面や用水路には可愛いアメンボがツツーッと泳いでて、日陰にはユリの花が首を傾げてて、田んぼの奥には両側から大きな木々が迫って来てて、あらゆる場所に生命エネルギーが満ち溢れてた。田んぼの奥の森の向こうには、真っ青な空に夏らしい雲が湧いてて、あまりの気持ちよさに思わず深呼吸しちゃった。そして、30分ほど田んぼの周りをお散歩したら、たくさんの生命エネルギーを吸収することができて、完全にしぼんでたあたしの元気玉は、何とかソフトボールくらいの大きさにまで膨らんだ。


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だけど、ホントは、「ドラゴンボールZ」の悟空みたいに、草花や小動物から少しずつ生命エネルギーを分けてもらってるワケじゃなくて、ただ単に、景色が美しくて空気がキレイな場所に来たから、気分がリフレッシュしただけだってことは分かってる。もちろん、マイナスイオンだの何だのの科学的なホニャララも多少はあるのかもしれないけど、何よりも大きいのは、あたし自身の気分の問題だ。つまり、あたしの「お気に入りの場所」だってことが最大の理由になってるのだ。

ふだん、人ばかり、コンクリートばかりの場所でほとんどの時間を過ごしてるから、自然に囲まれた場所に来ると、心がリフレッシュするのは当たり前のことだ。だけど、この「次太夫堀公園」の田んぼとか、多摩川の秘密の場所とかってのは、あたしの「お気に入りの場所」なので、他の場所よりもリフレッシュ効果が高い。これは、景色が美しいだとか、空気がキレイだとか、マイナスイオンだとかってことよりも大きな意味があって、ほんの30分でも急速充電ができちゃう。

あたしは、一般的に「パワースポット」なんて呼ばれてる場所のことは1ピコグラムも信じてないけど、あたし自身の「お気に入りの場所」に関しては、絶大な信頼度を持ってる。何しろ、20年以上も前の高校生のころから、悲しいこと、つらいことがあるたびに、こうした場所に来て、自分の心を充電して来てるからだ。これが、単なる思い込みなのか、ホントに非科学的な何かが作用してるのかは分かんないけど、たとえ単なる思い込みであっても、実際に元気になれるんだから、実際に重たかった気持ちが軽くなるんだから、それでいいと思ってる。

‥‥そんなワケで、あたしが幼稚園や小学校のころ、母さんやおばあちゃんが、たまにバナナを買って来てくれた。月に1回くらいだったから、すごく嬉しかった。たいていは、6本とか7本とかの小ぶりの房だったけど、あたしはひとりっ子だったから、奪い合う兄弟はいなくて、いつでも最初に好きなバナナを取ることができた。で、そんなあたしが真っ先に取るのは、いつでも必ず「シールの付いてるバナナ」だった。

あたしが子供のころは、今みたいに「完熟王」だの何だのっていう特別のバナナなんてなくて、たいていは「デルモンテ」か「チキータ」のどっちかだったけど、どっちも必ず、真ん中の1本に「デルモンテ」か「チキータ」のシールが貼ってあった。ま、これは、今でも貼ってあるけど、子供のころのあたしは、このシールの貼ってあるバナナが、他のシールの貼ってないバナナよりも、何倍も美味しそうな特別のバナナに見えたのだ‥‥って言うか、何倍も美味しいと思い込んでた。

だから、母さんがバナナを買って来てくれた日に、シールの付いてるバナナを食べた時には、「すっごく美味しい!」って感じたのに、2日後か3日後にシールの付いてない2本目のバナナを食べた時には、「美味しいことは美味しいけど、2日前に食べたシールの付いたバナナほどじゃない」ってマジに思ってた。だから、子供のころのあたしは、常に、シールの付いたバナナにコダワリを持ってて、おばあちゃんなんて、あたしが何も言わなくても、「きーちゃんはこれだよね」って言って、ニコニコしながらシールの付いたバナナをもいでくれた。

だけど、サスガのあたしも、中学生になれば、シールが付いてても付いてなくてもバナナの味に変わりはないってことくらい分かるようになった。でも、小学生までは、ホントにシールの付いたバナナが、その房の中で特別に美味しいと思ってたし、実際、自分の味覚でもそう感じてた。だから、中学生になったあたしは、理屈では「シールが付いてても付いてなくてもバナナの味に変わりはない」ってことが分かったのに、「そしたら、今までのあたしの味覚は何だったのか?」っていう疑問を払拭できずにいた。

最初は「思い込みだったのかな?」って思ったんだけど、幼稚園から小学校にかけての長年の体験を振り返ってみても、単なる「思い込み」だけじゃ片づけられないほど、シールの付いたバナナの味は格別だったからだ。だから、中学時代のあたしは、おんなじ房のバナナはどれもおんなじ味だってことが分かったのにも関わらず、小学校までの自分の体験と理屈とのツジツマが合わなくて、どうしても納得できない状態を引きずってた。

‥‥そんなワケで、この不思議なパズルが、ついに解ける日がやって来た。それは、高校生になってからのことなんだけど、年をごまかして居酒屋さんでバイトを始めたあたしは、ここで初めて「まかない」ってものを食べることになった。ようするに、お店のメニューの材料の余りもので作る従業員用の食事ってワケで、プロの板前さんが作ってくれるから、余りものとは思えないほど美味しかった。ただ、数人のバイトが順番に、1畳ほどの狭いロッカールームに行ってパパッと食べるので、必ずワンディッシュかドンブリ物って決まってた。

それで、あたしが最初に感激したのは、余ったお刺身をヅケにしといて、それをご飯に乗せてダシをかけたお茶漬けだった。ご飯の上に、細く切った海苔と大葉がタップリと乗ってて、その上にタイとハマチのお刺身のヅケが乗ってて、ワサビが添えてあって、それにカツオのダシをかけたお茶漬けだ。あたしは、こんなに美味しいお茶漬けを食べたのは生まれて初めてで、その時の感動は今でも覚えてる。

だけど、その3日後に、またおんなじお茶漬けが出たから、あたしは大喜びでロッカールームへ行ったのに、食べてみたら「えっ?」って感じだった。もちろん、美味しいことは美味しかったんだけど、初めて食べた時の感動とはホド遠かった。でも、おんなじ板前さんがおんなじ材料で作ってくれたもので、そんなに大きな違いがあるワケないのに‥‥って思った。そして、それから、しばらくは、お刺身が余らなかったから、このお茶漬けは出なかった。で、3週間くらいして、久しぶりにお茶漬けが出たら、また、「おおっ!」って声を出しちゃいそうなくらい美味しくて、あたしは、「あの味だ!」って思った。

そして、あたしは、この体験から、ついに長年の謎が氷解したのだ。あたしは、どんなに美味しいものでも、最初に食べた時の印象が鮮烈すぎて、2~3日後におんなじものを食べると、最初ほど感動できないのだ。だから、子供のころのバナナも、あたしがシールの付いたバナナを食べた時って、1ヶ月ぶりとか3週間ぶりとかだったから、久しぶりのバナナの味に感動して、必要以上に美味しく感じてたってワケだ。そして、その2日後や3日後にシールの付いてないバナナを食べた時は、久しぶりじゃないから、シールの付いたバナナほどの美味しさを感じられなかったってワケだ。これが、高校時代の迷探偵キッコナンが、たどり着いた答えだった。

‥‥そんなワケで、これとおんなじことが、あたしをリフレッシュしてくれる「お気に入りの場所」にも言える。今日、行って来た「次太夫堀公園」にしても、多摩川の秘密の場所にしても、久しぶりに行くからこそ、四季折々の自然を新鮮に感じることができて、身も心もリフレッシュできるのだ。どんなに素晴らしい場所でも、毎日毎日おんなじ場所に通ってたら、感動はどんどん薄れてって、リフレッシュ効果も低くなって来ると思う。だから、あたしは、これからも、コンクリートに囲まれた場所、人だらけの場所で生活しつつ、心や体が弱った時に、自然が満ち溢れた「お気に入りの場所」へ行こうと思った今日この頃なのだ。


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