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2010.06.02

母さんとデート♪/後編

‥‥ってワケで、昨日からの続きだけど、久しぶりに母さんとのデートを楽しんでるあたしは、世田谷文学館の「星新一展」をタップリとタンノーしてから、外へ出た。そして、ゴージャスな「うなぎ弁当」を食べるために、自転車で5分ほどの「蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)」へ向かった。ここは、京王線の「芦花公園駅」から歩いて15分くらいの「芦花公園」の中にあるんだけど、「不如帰(ほととぎす)」「自然と人生」「みみずのたはこと」などの名作で知られる明治、大正の小説家、徳富蘆花(とくとみ ろか)が、亡くなるまでの20年を過ごした場所だ。だから、公園の名前や駅名は今の漢字で「芦花公園」って書くけど、この「蘆花恒春園」だけは徳富蘆花の名前の通りに旧漢字で書かれてる。

で、母さんとあたしは、世田谷文学館まで来た道を戻り、「芦花公園西」の五叉路の交差点を左折して、「蘆花恒春園」へと向かった。交差点の手前で道路工事をしてて、なかなか前に進めなかったけど、それでも5分ほどで到着した。


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そして、正門を入ってすぐの駐輪スペースに自転車を停めると、目の前の大木に長いハシゴを掛けて、職人さんが枝の手入れをしてた。だけど、午後の日差しが強くて、長いこと眺めてられなかったので、すぐに中へ入った。ちょっと進んだ左手に、地図やパンフレットを置いてる案内所があるんだけど、とにかく日差しが強かったから、後回しにしてまっすぐ進み、ものすごく立派な竹林へ向かった。


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直径が15cmくらいある立派な竹が、細い散策路の両側にたくさん生えてて、日向とは気温がぜんぜん違う。蘆花が植えた竹だから、うんと年月が経ってて、ものすごく大きい。とっても涼しくて気持ちがいいし、竹林の土が見えなくなるほど降り積もってる竹の葉が薄茶色になってて、視覚的にも涼しかった。ちなみに、竹は春に葉を散らすから、その様子を「竹の秋」って呼んで春の季語になってる。そして、春に散った竹の葉が積もってる今の様子、「竹落葉」は、初夏の季語になってる。一番太い竹を見たら、地面から1mくらいのとこまでタケノコの皮が残ってて、まるで脱皮をしてる大蛇みたいだった。それで、母さんと2人でその場にしゃがんで、しばらく観察した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


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‥‥そんなワケで、母さんとあたしは、涼しい竹林の散策路をグルッと回って、蘆花の奥さんの愛子さんの別宅の脇に出た。この園内には、蘆花の母屋や書斎、奥さんの別宅などが、何度かの改築や修理を経て、できるだけ当時のままの姿で残されてて、すべて無料で観ることができる。ちなみに、入園も見学もすべて無料だけど、事前に申し込んでおくと、1000円前後で書屋や夫人宅を4時間くらい借りることができる。中は20人から30人くらいのキャパなので、句会をするのにピッタリなのだ。あたしは、もう10年以上も前のことだけど、十数人の俳句仲間とここで吟行会をして、茅葺屋根の「梅花書屋」で句会をしたことがある。料金を人数で割ったら、確か1人50円とかだったから、安くて驚いた記憶がある。


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で、奥さんの別宅から左へ回ると、入り口のとこにあった案内所の隣りにある「蘆花記念館」の前に出たんだけど、コンクリートの階段のとこにキジトラの猫がいた。母さんが声を掛けたら、警戒してタタッと階段を駆け上がって、日向のコンクリートの上で背中をゴロゴロしてから、ピョンと飛び降りた。あたしが「ニャニャン?」って疑問形で声を掛けてみると、一度、こっちを振り向いてから、ゆっくりと歩き出した。それで、母さんとあたしは、なんとなく着いてってみた。そしたら、その猫は、ちょっと歩くと振り返り、ちょっと歩くと振り返り、あたしたちがちゃんと着いて来てるのか確認しながら歩いてって、奥さんの別宅、書斎、母屋、書屋 ‥‥って、順番に案内してくれた。


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母屋には電気がついてて、中を見学できるようになってたので、入ってみようと思ったら、玄関の戸に「出入りのお願い」として、こんな貼り紙がしてあった。


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「ねこが入りますので、戸は必ず閉めてください」


こんなに役に立つ猫なのに、中に入ったらダメなのだ。何でかって言うと、これらの建物は「徳富蘆花旧宅」として、昭和61年に東京都の史跡に指定されたからだ‥‥ってワケで、徳富蘆花のことをフランク・ザッパに解説しとくと、蘆花は、本名が「徳富健次郎」って言うんだけど、どうして「蘆花」ってペンネームをつけたのかは、「自然と人生」の中に書かれてる。


「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」


ようするに、清少納言は「蘆の花はパッとしない花だ」って書いてるけど、私はパッとしない花だからこそ、あえて愛しているのだ‥‥ってワケで、これは、清少納言の「枕草子」の能因本の七十段、「葦の花、さらにみどころなけれど」って一節からのものだ。人々があんまり目を向けない花を愛でるなんて、なかなか俳人ぽい感性の蘆花だけど、30才の時に書いた小説、「不如帰(ほととぎす)」が大ヒットして、一躍、人気作家になっちゃう。

ちなみに、この「不如帰」って小説は、実在した大山巌元帥の娘、信子の生涯をモトにしたもので、登場人物の名前はすべて変えてあるけど、これ以上、不幸にことはないってほど不幸な話だ。子供時代は継母にいじめられ、大人になって結婚してからも周りからいじめられ、ダンナと無理やりに引き裂かれた挙句、病気で苦しんで死んじゃうのだ。こんな酷い話が、もともとは実話だったなんて、あまりにも悲しすぎる。実際に読んでみたい人は、痒いとこに猫の手が届く「きっこの日記」なので、ちゃんと「青空文庫」をリンクしとく。

「青空文庫」の「不如帰」を読むと分かるけど、第100版の前書きのとこには「不如帰(ふじょき)」って書いてある。明治31年から32年にかけて、「国民新聞」に連載してた時には「ほととぎす」ってルビが振ってあったし、明治33年に1冊にまとめられて刊行された時もそのままだったから、第100版を迎えた時に、蘆花に何らかの心変わりがあったみたいだ。

そして、もひとつちなみに、2007年2月10日の日記、「続・差別用語もTPO」の中にも書いてるけど、水原秋桜子(しゅうおうし)、山口誓子(せいし)、高野素十(すじゅう)と一緒に、俳句の「4S」って呼ばれてる阿波野青畝(あわの せいほ)が俳句を始めたのは、この蘆花の「不如帰」が原因なのだ。青畝が中学3年生の時に、本屋さんに蘆花の小説の「不如帰」を買いに行ったんだけど、間違えて俳句誌の「ホトトギス」を買ってきちゃったのだ。それで、パラパラと読んでみたら面白かったので、すぐに「ホトトギス」に入会して、地元の同人から本格的に俳句の指導を受け始めた。だから、蘆花が「不如帰」を書いてなかったら、青畝は俳句を志してなかった可能性もあるし、「4S」が「3S」になってた可能性もあるのだ。

‥‥そんなワケで、あまりにも影響力の大きな「不如帰」だけど、人気作家になった蘆花は、しばらくの間、東京は青山の高樹町に住んでた。だけど、もともとが熊本県の出身だったからなのか、ジョジョに奇妙に都会の生活に疲れて来て、いつしか、「土に触れる生活」に憧れるようになる。それで、40才になった明治40年に、現在の「蘆花恒春園」の場所に引っ越して来たのだ。今は「東京都世田谷区粕谷」って住所だけど、蘆花が移り住んだ明治40年は、「東京府北多摩郡千歳村粕谷」って住所だった。

蘆花の「みみずのたはごと」は、ここでの生活を綴った随筆集だけど、この本の中に、自分が移り住んだころは粕谷にはぜんぶで26戸しか家がなかったって書かれてる。現在の世田谷区粕谷は、1丁目から4丁目まであって、5000以上の世帯に1万人以上の人が住んでる。それでも、広大な芦花公園を始め、ワリと緑の多い地域だけど、当時は26戸だったんだから、ほとんどが大自然だったんだろう。そして、理想的な土地へ移って来た蘆花は、土地と家屋を買って、ここを「恒春園」と名づけ、憧れだった「晴耕雨読」の生活を始めたってワケだ。

だけど、昭和2年、心臓病で倒れた蘆花は、群馬県の伊香保温泉へ療養に行ったんだけど、そこで亡くなってしまう。享年58だった。そして、蘆花の没後10年の昭和11年に、奥さんの愛子さんが、この「恒春園」の土地と家屋とを東京市へ寄贈した。そう、引越して来た的は「東京府」だったけど、住んでるうちに「東京市」になったのだ。そして、東京市では、愛子さんの意向に沿って、この場所を保存することに決めて、昭和13年から公園として開放したってワケだ。

‥‥そんなワケで、フランク・ザッパな解説も終わったとこで、母さんとあたしは、「うなぎ弁当」を食べる前に、蘆花と奥さんのお墓参りをすることにした。母屋からすぐの涼しい場所に、とっても大きな自然石の立派なお墓があるので、2人のことを思って手を合わせた。


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そして、近くの東屋に戻り、ずいぶん遅いお昼ご飯にした。「うなぎ弁当」は冷めてたけど、サスガ、「ての字」の蒲焼きだけのことはあって、脳内麻薬が耳から噴き出ちゃうほど美味しかった。母さんも、とっても喜んでくれたので、あたしは、エイシンフラッシュとローズキングダムに感謝した(笑)

お腹がいっぱいになった母さんとあたしは、しばらく、お茶を飲みながら「しりとり俳句」で遊んでから、今度は、最初に親切な猫と出会った「蘆花記念館」を見学に行った。もちろん、ここも無料で、貴重な資料がたくさん展示してある。奥へ行くと、蘆花の当時の洋服から、火起こしに使ってたフイゴまで、生活の様子が想像できる品物がたくさん並んでる。それで、グルッと一周、見学して戻って来たら、感想を書くアンケート用紙の隣りに、ドングリや木の実で作った可愛いマスコットが並んでた。どれも2~3cmの大きさで、ダルマさんとか、水鳥とか、お魚とか、みんなとっても可愛いかった。それで、記念に買おうかと思ったら、「1人1つお持ちください」って書いてあった。ここに来た記念として、タダでプレゼントしてくれるって言うのだ!

それで、母さんとさんざん悩んでから、母さんはカモみたいな水鳥、あたしはダルマさんをもらうことにした。入園料も無料で、入館料も無料で、それだけでもアリガタイザーなのに、タダでこんなに可愛いお土産をくれるなんて、あまりにもワンダホーな「蘆花恒春園」だ。それも、あたしたちは「蘆花恒春園」だけしか観なかったけど、この周りの広大な芦花公園には、子供たちが思いっきり遊べる草の広場も、フィールドアスレチックも、ワンちゃんを遊ばせるドッグランも、児童公園も、ヤゴがいるトンボ池も、藤棚まである花の丘も、自然観察資料館もあって、ぜんぶ無料なのだ。駐車場だけは、サスガに有料だけど、それでも、最初の1時間が300円で、あとは30分ごとに100円だから、東京にしちゃなかなか良心的だと思う。


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‥‥そんなワケで、帰りの自転車での道中を思うと、ちょっと憂鬱になるハズのあたしだったけど、「星新一展」はサイコーに楽しめたし、「蘆花恒春園」も素晴らしかったし、親切な猫にも出会えたし、「うなぎ弁当」も美味しかったし、最後には可愛いお土産までもらっちゃったし、何よりも、母さんとずっと一緒に過ごせたから、とっても幸せな1日だった。そして、母さんとは、朝、会った時と、帰って来てから別れる時に、恒例のハグをした。この、「母さんと会ったらハグをする」っていうルールを作ってから、もう何度も何度もハグしてるけど、やっぱり、何でもない日にハグするのと、こうして1日を楽しく過ごしたあとにハグするのじゃ、ぜんぜん余韻が違うってことが分って来た。だから、あたしは、これからも、世界で一番大切な母さんのことを全力で愛してこうと思った今日この頃なのだ♪


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