母さんとデート♪/前編
今日、6月1日の火曜日、久しぶりに母さんとデートした!‥‥ってことで、5月30日と31日の日記は穴が開いちゃうけど、今日から新しい月なので、キチンと6月1日の日付で書こうと思う。で、何で母さんとデートしたのかって言うと、今、世田谷文学館で「星新一展」をやってて、ぜひ観に行きたいと思ってたんだけど、土曜日と日曜日が一番忙しいあたしの場合は、明けての月曜日をお休みにするパターンが多い。だけど、世田谷文学館も月曜日が休館日なので、これだと観に行けない。それで、ずいぶん前からスケジュールを調整してて、火曜日の今日、母さんと一緒に行って来たってワケだ。
今回は、オトトイの「ダービー」で1万8000円近くも儲かったから、タマには豪華なことをやろうと思って、高島屋の地下の食品売り場へ行って、「ての字」で1500円近くもするウナギの蒲焼きを2枚買って来て、ウナギ弁当を作った。「作った」って言っても、お弁当箱にご飯を入れて、蒲焼きを乗せて、スミッコに柴漬けを入れただけだけど、それでも、高級な「ての字」の蒲焼きは、冷めても柔らかくて美味しい。とにかく、ふだんは1食100円の予算で自炊してるあたしとしては、これはキヨミズの舞台からバンジージャンプしたほどのお弁当で、自然とテンションも上がっちゃう。
そして、ほうじ茶をいれて魔法瓶に詰めて、午前10時過ぎ、あたしは出発した。そう、愛車のフェラーリF2004(ママチャリ)でだ。いくらおんなじ世田谷区だとは言え、世田谷文学館は京王線の「芦花(ろか)公園駅」の近くにあるワケで、あたしの住んでるニコタマからだと激しく遠い。こないだ、母さんと梅が丘まで自転車で行った時もヘトヘトになったけど、今度は、さらに遠い。直線距離だと10km弱だけど、クネクネと曲がってくワケだから、楽勝で10km以上はあるし、その上、長い上り坂もある。だけど、電動アシスト付き自転車にハマッてる母さんは、こんな距離は目じゃない。そして、あたしは、それに付き合わされてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、母さんを迎えに行き、一緒に出発した。母さんは、相変わらず自分だけスイスイと進んでくけど、あたしは必死だ。特に、環八のほうへ上がる急坂は、絶対に漕いで上ることはできないので、必死に自転車を押して上った。だけど、この坂さえ上れば、あとは何とか漕いで行けるので、裏道を使ってヒタスラに進んだ。お日様は暑かったけど、湿度が低かったから、走ってると風が気持ちよくて、ちょうどいい感じだった。ただ、風で帽子が飛びそうになるので、せっかくのオシャレな帽子なのに、アゴヒモをしなくちゃなんなくて、それが恥ずかしかった。
ま、道中のことまで書いてると長くなっちゃうので、この辺はザックリと割愛しちゃうけど、とにかく、途中でリトル休憩しても、1時間弱で到着した。到着したのは、お日様が真上の11時半ころで、あたしたちは、世田谷文学館の入り口の右手にある駐輪スペースに自転車を停めた。入り口の左手には、古い蔵を模した扉があって、その前が水路になってて、紫の花菖蒲が咲いてて、立派な錦鯉がたくさん泳いでた。近代的なデザインの世田谷文学館と、和風で歴史を感じさせる水路や蔵の壁との対比が面白かった。
入り口の「星新一展」のポスターを見てから中に入ると、左手に星新一さんの文庫本がズラーッと並んでて、あまりの数にビックル一気飲みだった。「ノックの音が」「N氏の遊園地」「ボッコちゃん」っていう、多くの人が中学時代に読んだ代表作から、「へ~、こんな本も書いてたんだ~」って思うような作品まで、ものすごい数の文庫本やハードカバーが並んでて、すべてその場で購入できるようになってた。それから、正面の受付に行き、美人のお姉さんに「星新一展が観たいのですが、大人2枚お願いします」って言ったら、あたしは700円だったけど、先月65才になった母さんは「65才以上は350円」ていうのに該当して、ナニゲに得しちゃった(笑)
で、「星新一展」をやってる2階へ上がり、お姉さんにチケットをもいでもらって、中へ入った。想像してたより狭くて細長い部屋だったけど、ここは最初の部屋で、まだまだ先があった。最初の部屋は、右地の壁に沿って星新一さんの年表が続いてて、中央に点在してるガラスケースには、子どものころの作文、文集、スクラップブック、イラストを描いたノート、勉強のノートなど、小学生から中学生にかけての興味深い思い出が展示してあった。ちなみに、最初のガラスケースに展示してあった小学3年生の時の作文は、こんなのだった。
「散歩」 三ノ三 星親一
夕ごはんがすんでから、そこらを散歩してこやうと思って公園の方へ行ったら、へんな道を見つけた。その道をずんずん上って行くと、ケー
‥‥そんなワケで、作文用紙は2つ折りになってるので、文章は「ケー」で終わってて、その先を読むことができなかった。「ケー」って何だろう?今なら「ケータイ」だけど、当時はそんなものないから、「ケーサツ」なのかな?「ケーバ場」や「ケーリン場」じゃないだろうし、とにかく、ヤタラと気になった。小学3年生の時から、こんなに「続き」や「オチ」が気になる作文を書いてたなんて、やっぱり偉大な作家だ。
だけど、「散歩してこやうと」の「こや」が、先生に赤ペンでバッテンをつけられて、「来よ」って直されてた。そして、作文の手前にあった解説を読むと、「ひどい作文ばかり書くので先生の評価は低かった」って内容のことが書かれてた。だから、小学生の時の星新一さんは、自分には文章の才能がないと思ってたみたいだ。
ちなみに、この作文に書かれてる「星親一」ってのは、星新一さんの本名で、お父さんの星一(ほし はじめ)さんのモットーが「親切第一」だったから、この言葉を省略して「親一」と名づけたそうだ。そして、星新一さんの弟さんは、もうひとつのモットーの「協力第一」を省略して「協一」と名づけられた。せっかくなので、ここでついでに書いとくと、お父さんの星一さんは、「星薬科大学」の創立者で、「星製薬」の創業者だ‥‥ってワケで、最初の細長い部屋の突き当たりには、お父さんの星一さんに関する資料がたくさん展示されてた。
どれも、歴史的な価値のありそうな素晴らしい品々で、昔のモノクロのドキュメンタリー映像が映し出されてるスクリーンの左には、かつての「星製薬」の看板や実際の薬の数々、そして、星新一さんの名前の元になった「親切第一」の手帳など、興味深いものが展示してあった。そして、順番が逆になっちゃったけど、右手の壁に沿って展示されてた年表の上のガラスケースには、星新一さんがコレクションしてた「サイン入りコースター」がドバッと飾ってあった。喫茶店やバーなどで出る紙のコースターの裏に、その時に一緒にいた作家や漫画家にサインしてもらったコレクションなんだけど、親友だった手塚治虫さんの絵は当たり前として、さいとうたかをさんの「ゴルゴ13」から、高橋留美子さんの「ラムちゃん」や「錯乱坊」に至るまで、あまりにもワンダホーなコレクションだった。他にも、子供のころに大切にしてたクマのぬいぐるみとか、好きだった野球チームの新聞の切り抜きとか、とにかく、星新一さんのありとあらゆる子供時代の思い出がマウンテンだった。
‥‥そんなワケで、まだ最初の部屋なのに、ここだけでも宝の山で、軽く30分以上は動けなくなった。特に、あたしの興味を引いたのは、異常なほど小さな文字で書かれた下書きの数々だ。原稿用紙に書かれたものは、ちゃんと1マスに1文字ずつ書いてあるから、ガラスケース越しでも読むことができた。だけど、何のマスもない白い紙に書かれた下書きは、1文字が2mm角くらいの極小の文字でビッシリと書かれてて、イメージ的には、お米に百文字書くみたいなノリだった。だから、とてもじゃないけど読めなかったし、あえて喩えるなら、「テレビブロス」のエッセイの中でも一番小さな文字で書かれてる箭内道彦さんの「GANGSTAR PLANNER」を2m離れたとこから読むような感じだった。
だけど、これが、とっても不思議なのだ。昔の物資の不足してた時代だから、ノートの余白も大切に使ったとか、できるだけ小さな文字で書いたとか、そういった感じじゃない。文字自体は虫メガネがないと読めないほど小さくて、隙間も空けずにビッシリと書かれてるのに、その周りにはいっぱい余白がある。レポート用紙くらいの大きさの白い紙だとしたら、中央のハガキくらいの四角いスペースに小さな文字がビッシリと書かれてて、周りはぜんぶ余白なのだ。つまり、紙がもったいないとか、物資が不足してたからとかじゅなくて、ただ単に「小さな文字をビッシリと書くこと」を楽しんでやってたみたいなのだ。
ま、こればかりは、実際に現物を見てもらわないとイメージできないと思うけど、展示品をずっと観て行くと、大人になって作家になってからも、ちゃんとした原稿用紙に書いてる下書きや原稿に混じって、この、読めないほど小さな文字でビッシリと書かれてる下書きが混じってた。こうしたことからも、何らかの意図があって、ワザと小さな文字で書いてたことが推測できる。たとえば、ものすごく小さな文字で隙間なく書くことで、自分の神経を極限まで集中できたとか、きっと、何らかの意味があったんだと思う。
‥‥そんなワケで、数々の貴重な原稿や愛用品の展示の奥には、「ボッコちゃんと記念写真を撮れる部屋」とかもあったりして、あまりにも内容が濃すぎる「星新一展」だけど、次の部屋に行ったら、さらにビックル一気飲みだった。まず、目に飛び込んで来たのは、手塚治虫さんの「ワンダースリー」や「ブラックジャック」の生原稿の数々で、ここは、星新一さんと交流のあった人たちの展示スペースだった。筒井康隆さんの結婚式に出席した時の写真、北杜夫さんのご自宅を訪ねた時の写真、星新一さんが仲間達と楽しんでた「N氏の会」の写真の数々や会報の「ホシヅルの巣」など、これでもか!これでもか!の展示品。
数々の会合のモノクロ写真の中には、黒縁のメガネを掛けたスマートな男性が写ってるものもあって、あたしは「石川喬司先生じゃないか?」って思った。「魔法つかいの夏」の裏表紙には、当時の石川先生のダンディーなお写真があって、しばらく前にも見たとこだったので、間違いないと思った。ただ、展示品の撮影は禁止だから、確認する術がなかった。
だけど、極めつけだったのが、SF同人誌の「宇宙塵」を立ち上げた時の再現だった。1957年、おそば屋さんの2階に集まった星新一さん、矢野徹さん、斎藤守弘さん、今日泊亜蘭さんの4人は、ここで「宇宙塵」を立ち上げたそうなんだけど、おそば屋さんの2階の座敷が再現されてて、4人のセピア色の当時の写真を実物大に引き伸ばしたものが飾られてて、ちゃぶ台の上には、実際に4人が注文して食べたもの、星新一さんの天どん、矢野徹さんのたぬきうどん、斎藤守弘さんのたぬきそば、今日泊亜蘭さんの肉南そばの蝋細工まで置かれてた。そして、嬉しいことに、この展示だけは「撮影OK」だったのだ。
それで、あたしは、この展示をケータイでシッカリと撮影した。これが「星一徹展」だったら、急いで撮影しないとちゃぶ台をひっくり返されちゃうとこだけど、「星新一展」だから余裕だった(笑)‥‥とか言いつつ、あまりにも展示に夢中になってたあたしは、母さんのことを忘れてて、慌てて探したんだけど、どこにもいない。それで、「あれっ?」って思ってアチコチを探したら、母さんは、反対側の大きなイスに座ってヘッドフォンをしてた。見てみると、星新一さんの講演の音源が聴けるようになってたので、あたしも隣りのイスに座って聴いてみた。これが、2種類もあったんだけど、ものすごく貴重なものっぽくて、あたしは、時間を忘れてぜんぶ聴いちゃった。
それから、星新一さんのお孫さんの描いた絵とかも観つつ、この部屋に入った時からずっと気になってた、突き当たりのスクリーンを観に行った。ここでは、1960年から2年間、NHKで放送してた「宇宙船シリカ 」って言う、星新一さんが原作で、前田武彦さんが演出したSFの人形劇を流してた。あたしが観たのは、第123話の「イクチオザウルスの最後」っていう回だったけど、この回だけを繰り返して流してるのか、日替わりになってるのかは分からなかった。だけど、あたしが生まれる10年以上も前の作品とは思えないクオリティーで、ホントに良くできてた。母さんは「懐かしい」を連発してた。
‥‥そんなワケで、まだまだ書いてない展示品はマウンテンなんだけど、これから観に行く人も多いと思うから、内容に関することは、これくらいにしとこうと思う。とにかく、700円じゃ安すぎるほどの充実した内容で、母さんとあたしは、タップリ2時間以上も楽しんじゃった。ちなみに、この「星新一展」は、6月27日まで開催してるので、星新一さんの作品の大ファンだけじゃなくて、昔、一度でも星新一さんの作品を読んだことがある人なら、何とも言えない懐かしい気持ちになれるから、ぜひ行ってみて欲しい。世田谷文学館の場所は、京王線の「芦花公園駅」から歩いて5分ほどだ。こちらの世田谷文学館のホームページに詳しく書いてあるし、「星新一展」に合わせて行なわれてる特別講演やイベントのスケジュールも分かる‥‥ってワケで、そろそろお腹が空いて来た母さんとあたしは、世田谷文学館から自転車で5分ほどの「蘆花恒春園」に行って、お弁当を食べることにした今日この頃、続きは、明日の「後編」へ♪
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