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2010.07.25

女性の脳は恋愛映画

今から20年くらい前に、「エレクトリック・ドリームス」っていうB級映画を観た。映画館じゃなくて、お友達がビデオを貸してくれたんだけど、最初にレーザーディスクのマークが映ってるから、昔のレーザーディスクからVHSにダビングしたものだと思う。で、その映画が、ものすごく良かった。有名な俳優なんて1人も出てないし、ハデなCGとかも使ってないし、安い予算で作られた映画だと思うけど、とにかく、ものすごく良かった。

若い建築家のマイルズは、メガネをかけたパッとしない外見で、会社にも遅刻しちゃう冴えない男だ。それで、遅刻しないようにと、パソコンを買う。でも、今から30年くらい前のことだから、モニターは小さな画面のブラウン管で、「パソコン」てよりも「マイコン」て呼ばれてた時代のものだと思う。そして、マイルズは、自分のアパートの部屋にパソコンをセットして、目覚ましとか、ドアのロックとか、照明器具とか、ジューサーとか、いろんなものを接続する。すべてをパソコンにやらせようって作戦だ。だけど、照明をつけようとしたらジューサーが動きだしちゃったり、外に出ようとしたらドアのロックが解除されなかったり、なかなかうまく行かない。

そして、そんなことをやってるうちに、パソコンのキャパを超えちゃったのか、キーボードから煙が出始める。焦ったマイルズは、たまたま手元に合ったシャンパンを開けて、キーボードにぶっかける。だけど、これが良かったのか悪かったのか、内部へ広がったシャンパンによって、パソコンがおかしくなっちゃって、マイルズが指示しなくても、自分勝手に動くようになっちゃったのだ。ようするに、パソコンが自分の意思を持っちゃったワケで、自分の名前を「エドガー」だって言う。

そんなある日のこと、1人の若い女性が、マイルズのアパートの上の部屋に引越して来た。名前はマデリン。オーケストラでチェロを弾いてる女性で、とっても可愛くて美人だ。マデリンは、ちょうどマイルズが部屋から出たとこで鉢合わせしたので、上の部屋に引っ越して来たことを告げて挨拶した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、2人がお互いの存在を認識した数日後のこと、マデリンは、自分の部屋でチェロの練習をしてた。でも、短いフレーズを弾くと、そのフレーズとおんなじ音が通風孔から聴こえて来る。この通風孔は、下のマイルズの部屋とつながってるんだけど、マデリンが「ドーレーミー」って弾くと、それを追うようにして、別の楽器の音が「ドーレーミー」って聴こえて来る‥‥って感じだ。それで、マデリンは、いぶかしく思いつつも、課題曲の「メヌエット」を弾き始めた。そしたら、その不思議な楽器がミゴトに音を合わせて来て、素晴らしいセッションを繰り広げることになっちゃう。

感激したマデリンは、きっとマイルズが何かの楽器を演奏したんだと思い、通風孔に向かって声を掛ける。だけど、下の部屋からは何の返事もない。マデリンは、マイルズがシャイなのか変わり者なのかって思って納得するんだけど、実際は、マイルズは留守だった。マデリンのチェロに合わせて素晴らしい音楽を奏でてたのは、パソコンのエドガーだったのだ。そして、これがキッカケで、マデリンはマイルズに興味を持ち、マイルズは意味が分からずに仲良くなってくんだけど、パソコンのエドガーもマデリンに好意を持っちゃって、ヘンテコな三角関係へと発展してく。

もしかしたら、これから観る人もいるかもしれないので、すべては書かないけど、あたしは、この「メヌエット」のシーンが大好きだ。ちなみに、あたしにお見舞いのメールをくださった人の中に「メヌエットさん」て人がいたので、この映画のことを思い出したってワケだ。「メヌエット」は、ピアノを習い始めたばかりの子供が、発表会の課題曲に選ぶような簡単でベーシックな曲だけど、マデリンのチェロのクラシックな旋律と、パソコンのエドガーのテクノポップなリズムとが織り成す世界観は、この曲のまったく違った一面を見せてくれる。

で、ここまで書いたんだから、痒いとこに猫の手が届く「きっこの日記」としては、いつものように、このシーンをご紹介しちゃう。演奏が始まって少ししたとこで、マデリンが鼻にシワを寄せて微笑む顔がサイコーにチャーミングで、美女が大好物のあたしとしては、もう、たまんない‥‥ってワケで、あたしの大好きなシーンは、コレだ。たった4分ほどのシーンだけど、全身がシビレマクリマクリスティーになっちゃうことウケアイだ。目の不自由な人も、リンクをクリックすれば自動的にスタートするから、音だけでも聴いてみて欲しい。

もちろん、こんなシーンだけ観せられたら、この映画を最初からちゃんと観たくなっちゃうのが人情ってもんだろうけど、そう思った人は、さっきの場所で、自力で探してみてちゃぶだい。字幕がなくても、とっても分かりやすい映画だから、中学生レベルの英語力があれば、8割方はストーリーが把握できると思う。そして、ちゃんと字幕つきで楽しみたい人のために、「きっこのブログ」の最後に、ユーズド品なら1000円ちょいで買うことができるVHSをリンクしとく。一度観たら、何度も何度も観たくなる映画だから、1000円ちょいなら買っても損はないと思う。

‥‥そんなワケで、恋愛映画って、いろんなパターンがあるし、SF映画やアクション映画の中にだって、ほとんどの場合は、恋愛のエッセンスが散りばめてある。「007」における、ジェームス・ボンドとボンドガールみたいなもので、メインのストーリーとは別に、ちょっとした味つけみたいに恋愛が描かれてる。そして、純粋な恋愛映画でも、その他の映画でも、スクリーンの中で恋愛するカップルは、多くの場合、美男と美女って決まってる。

「美女と野獣」や「電車男」みたいなパターンもあるけど、これらは最初から、醜い男や冴えない男が、不釣合いな美女と恋愛するってことをテーマにしてるんだから、話は別だ。一般的な恋愛映画や、その他の映画の中の恋愛に関しては、最低でも、一定のレベル以上の容姿の男女が恋愛してる。たとえば、8月に初来日するジュリア・ロバーツの映画なら、「プリティ・ウーマン」の相手役はリチャード・ギアだし、「ノッティングヒルの恋人」の相手役はヒュー・グラントだ。「プリティ・ウーマン」は、ジュリア・ロバーツが貧乏なコールガールで、リチャード・ギアがお金持ちの実業家。「ノッティングヒルの恋人」は、ジュリア・ロバーツが大スターで、ヒュー・グラントが小さな本屋の主人。立場は正反対だけど、絵に描いたような美男と美女が、現実にはアリエナイザーな恋愛ストーリーを繰り広げてる。

で、ここで想像して欲しいのは、もしも、「プリティ・ウーマン」でのジュリア・ロバーツの相手役が、リチャード・ギアじゃなくて、デブでハゲで脂ギッシュなエロ親父だったら‥‥って、これは言いすぎだけど、たとえば、リチャード・ギアと弁護士役のジェイソン・アレクサンダーとが、役柄が反対だったらどうだろう。ジェイソン・アレクサンダーは、リチャード・ギアとジュリア・ロバーツの仲をよく思ってない上に、ジュリア・ロバーツに「俺にもやらせろ!」って襲い掛かって、戻って来たリチャード・ギアにぶん殴られるチビでハゲのオッサンだ。

この対照的な容姿の2人の役を交換して、まったくおんなじセリフで映画を作ったとしたら、いったいどうなるだろう。答えは、火を見るよりも明らかで、絶対にヒットなんかしないだろう。だけど、現実的に言えば、街で拾ったコールガールに大金を使うような人物なんだから、「お金持ちの上に二枚目で独身」なんてワケはなく、「お金持ちだけど妻帯者で愛人が何人もいるエロ親父」ってほうが一般的だ。それなのに、非現実的な「お金持ちの上に二枚目で独身」て設定のリチャード・ギアを受け入れちゃうあたしたちは、つまり、こうした映画に対して、現実的なリアリティーなんて求めてないってワケだ。

ようするに、アリエナイザーなことが次々と起こるシンデレラストーリーの配役は、リアリティーよりも「夢」を最優先するのが鉄則ってことだ。「ノッティングヒルの恋人」で、冴えない本屋のオヤジが、甘いマスクのヒュー・グラントってのも、現実にはアリエナイザーな話だけど、二枚目のヒュー・グラントだからこそ成り立ってるのだ。もしも、チビでハゲのジェイソン・アレクサンダーだったら、街角でジュリア・ロバーツとぶつかってオレンジジュースを掛けちゃっても、そこから恋愛には発展しないに決まってるし、もしも発展したら無理がありすぎる。

‥‥そんなワケで、一般的には、美男と美女が出会うのが映画の中の恋愛だけど、「エレクトリック・ドリームス」の場合は、マイルズはパッとしない男だ。もちろん、ジェイソン・アレクサンダーみたいな容姿じゃないけど、どこにでもいる普通の人で、外見だけで女性が惹かれるようなタイプじゃない。だから、マデリンも、最初に会った時には何とも思わなかった。だけど、パソコンのエドガーの演奏をマイルズの演奏だと思い込んだことから、一気に興味と好意を持ち始める。そう、ポイントはココなのだ。

マデリンは、平均レベル以上に可愛くて美人なんだから、普通に考えれば、男性にモテるだろうし、マイルズよりもイイ男と付き合うことも簡単だろう。事実、おんなじオーケストラの中にも、マデリンに好意を寄せてる軽い男がいる。だけど、そんなマデリンが、二枚目でもなく、お金持ちでもなく、パッとしないマイルズと恋愛関係に発展してくんだから、何か大きなキッカケが必要になる。で、それが、最初に紹介した「メヌエット」だってワケだ。

もしも、あたしが、マデリンの立場で、自分の部屋で楽器の練習をしてて、あんなふうに誰かの演奏が重なって来たら、最高に幸せな気分になる。そして、その相手に好意を持つ。これは、女性なら、誰でも分かる感覚だと思う。自分が射精すれば気が済んじゃう自分勝手な男性とは違って、女性の場合は、相手との一体感や溶け合う感覚が幸福感や満足感に直結してるから、あの「メヌエット」は、言わば、良質のセックスをしたような感覚なのだ。

男性は、常に「自分」が中心だから、好きなアイドルのグラビアを見ながら、自分の山芋を洗って射精することができる。服を着たアイドルの写真でも、脳内で服を脱がせて、脳内でセックスすることができる。だけど、女性の場合は、好きなタレントや俳優の写真を見ても、「ステキだな」とは思うけど、セックスには結びつかない。たとえ、好きなタレントの裸の写真であっても、セックスには結びつかない。女性の場合は、男性と女性がセックスしてる映像とかを観た時だけ、その女性を自分に置き換えて、初めて自分がセックスしてるような気分になって来るのだ。

だから、男性がエッチ目的で観るDVDは、好きなグラビアアイドルが水着になってるものや、裸の女性だけが映ってるものがたくさんあるけど、女性の場合は、男性だけが映ってても意味がない。単に、観て楽しむだけなら構わないんだけど、エッチ目的の場合は、男性と女性なり、女性と女性なりが、セックスや、セックスを思わせる行為をしてないと、「自分を置き換えて想像する」って形に進展できない。そして、これこそが、「女性は恋愛映画を好む」ってことにつながってるのだ。

もちろん、映画だけに限らす、小説でも漫画でも、女性が好む作品には、恋愛をテーマにしたものが多い。これは、女性が、その作品に登場するヒロインを自分に置き換えて楽しんでるからで、常に「自分」が中心の男性は、これができない。たとえば、あるアイドルが大好きな男性の場合、そのアイドルの写真集やDVDは大喜びして見るだろうけど、そのアイドルと二枚目の男性タレントとの恋愛映画は、心から楽しめないと思う。自分の大好きなアイドルが、たとえ演技だと分かってても、自分より遥かにカッコイイ二枚目の男性と、手をつないでデートしたりキスしたりするシーンは、心中穏やかじゃなくなると思う。

‥‥そんなワケで、ヨン様が大好きなオバちゃんなら、自分をチェ・ジウに置き換えて「冬のソナタ」を観てるから、ウットリと楽しむことができる。だけど、チェ・ジウが大好きな男性は、自分をヨン様に置き換えることができないから、逆に、ヨン様に嫉妬しちゃうのだ。これこそが、女性と男性の脳みその構造の違いってワケで、政治の世界も、男性議員と女性議員の数をおんなじくらいにしないと、「相手の立場に立ってモノゴトを考える」って能力が低い男性議員ばっかりじゃ、いつまで経っても世の中は良くならない。今のままじゃ、男性議員たちが自分勝手に射精してるだけの政治ってワケで、政治の「相手」である国民のほうは、少しも気持ち良くならない。相手を気持ち良くさせてこそのセックス、国民を幸せにしてこその政治なんだから、恋愛映画の脳みそを持った女性がもっともっと進出しなきゃダメだと思う今日この頃なのだ。


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