七夕と乞巧奠
今日は7月7日の「七夕」だったけど、「七夕」は「しちせき」って読むのがホントで、「たなばた」は、もともとは「棚機」って書いてた。「棚」は「たな」だし、「機」は「機織(はたおり)」の「はた」だから、ちゃんとした「たなばた」だ。ちなみに、この「棚機」については、2008年7月8日の日記、「織姫ちゃんの下心」に詳しく書いてある。過去ログを読むのがメンドクサイヤ人のために要点だけを書くと、崖から海に張り出した棚みたいな小屋で、天の神様の気を引くために鈴を鳴らしながら機織をした女性の物語だ。だから、今の織姫ちゃんと彦星くんの物語とは、ぜんぜん違うものだった。
で、誰もが知ってる織姫ちゃんと彦星くんの物語のほうは、もともとは中国で生まれたもので、奈良時代にニポンに伝わって来た。だけど、この時には、今みたいに「何でも好きな願い事」がOKだったワケじゃなくて、織姫ちゃんにちなんで、女性が祈れば「裁縫が上手になる」ってものだった。そして、この行事は、中国から伝わったまま「乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)」て呼ばれてて、平安時代には、ニポンでも宮中とかで行なわれるようになった。それで、長い歴史の中で、もともとニポンにあった「棚機」の伝説と、中国から伝わって来た「乞巧奠」とが合体ロボしちゃって、現在の形になったってワケだ。
だから、フランク・ザッパに言うと、現在の「七夕」ってのは、中国から伝わって来た伝説のストーリーに、ニポン古来の伝説のタイトルをつけて、双方の行事をチャンプルーしたって感じになる。たとえば、今、笹に飾る願い事を書いた五色の短冊にしても、中国から伝わって来た時には「裁縫が上手になる」ってことだったから、針に五色の糸を通して、お供え物と一緒に飾ったりしてた。それが、1000年以上も経った現代でも、五色の短冊に形を変えて、脈々と受け継がれてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、「七夕のことを書くのなら、七夕の前に書いて欲しかった」なんて言う人もいるかもしれないけど、ホントの「七夕」ってのは、現在の新暦で言うと8月の上旬で、「立秋」よりもあとになる。だから、旧暦に基づいて編集されてる俳句の歳時記では、「七夕」は秋の季語に分類されてるのだ。実際、まだ梅雨も明けない今の時期に、キレイな星空が見える確率は低いワケで、万葉の時代の人たちが見上げてた織姫ちゃんや彦星くんを見たいのなら、8月になって、「立秋」を過ぎてからが本番てことになる。
で、万葉の時代の人たちにとっては、中国から伝わって来た織姫ちゃんと彦星くんの物語は、とっても感動的だった。ニポン古来から伝わる「棚機」の物語よりも、こっちの物語のほうがツボだった。神様の怒りを買ってしまい、天の川の両岸に離されちゃった2人が、1年に一度だけ会うことを許されたなんて、当時の恋愛至上主義の貴族たちには、ハートの内角高めにストライクな物語だった。それに、当時は、電気なんてなかったし、空気もキレイだったから、夜空を渡る天の川がハッキリと見えて、織姫ちゃんも彦星くんもハッキリと見えただろう。だから、満天の星空を眺めながら、多くの人たちが、この物語を題材にして和歌を詠んだ。
たとえば、「万葉集」には、たくさんの「七夕歌(しちせきか)」が収められてて、ぜんぶで98首もある。ちなみに、一番多いのが柿本人麻呂の38首で、二番目に多いのが山上憶良の12首だ。さらに、ちなみに、あたしは、柿本人麻呂の名前を見ると柿が食べたくなって、山上憶良の名前を見ると、オクラを刻んだのにオカカとお醤油をかけて食べたくなるんだけど、思いっきり関係ないか(笑)‥‥ってことで、せっかくなので、何首が紹介しよう。
天の川安の渡りに舟浮けて秋立つ待つと妹に告げこそ 柿本人麻呂
今まで何度も書いて来たから、また繰り返すのもナンだけど、「妹(いも)」ってのは、妹のことじゃなくて、奥さんとか恋人のことだ。この場合は「織姫ちゃん」のことになり、「天の川の渡しに舟を浮かべて立秋になるのを待っていますと織姫ちゃんに伝えてください」って意味だ。この歌を読めば、「七夕」が秋の行事だったってことが分かるだろう。
我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜舟漕ぐなる楫(かじ)の音(と)聞こゆ 柿本人麻呂
こっちの「背子(せこ)」ってのは、「妹(いも)」の逆で、女性のほうが自分のダンナや恋人を呼ぶ時の言葉なので、この場合は「彦星くん」のことになる。それから、「楫」ってのは、今の「梶/舵」とは違って、舟を進めるための「櫂(かい)」の古名だ。だから、「私の彦星くんを恋しく思っていたら、天の川を漕いで来る彼の楫の音が聞こえて来たわ」って意味になる。
つまり、柿本人麻呂は、彦星ちゃんの気持ちになって詠んだり、織姫ちゃんの気持ちになって詠んだりと、いろいろと楽しんでたワケだ。そして、こうした「ワリとベーシックな歌」を量産してた柿本人麻呂に対して、山上憶良のほうはと言えば、もっとディープに「会えない切なさ」を詠ったりもしてた。
風雲(かざくも)は二つの岸に通へどもわが遠妻(とおづま)の言(こと)ぞ通わぬ 山上憶良
「風や雲は両岸を自由に行ったり来たりできるのに、遠い向こう岸にいる私の妻の言葉は聞こえないのです」って感じで、「会える喜び」よりも「会えない切なさ」を詠ってる。
礫(たぶて)にも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまた術(すべ)なき 山上憶良
「石つぶてを投げれば向こう岸に届きそうな天の川なのに、それに隔てられて渡る方法がないのです」って感じで、この歌は、天平元年(729年)の7月7日の夜に、太宰の帥(だざいのそち)の大伴旅人(おおとものたびびと)の家で詠んだって注釈がある。だから、「あれ?」ってことになる。たとえば、まだ「七夕」まで1週間も2週間もあるころに詠んだのなら、こうして「会えない切なさ」を詠うのも分かるけど、1年ぶりにやっと会える7月7日の夜なのに、何で「会える喜び」を詠わなかったのか。
で、あたしの推測だけど、この年の7月7日の夜は、雨が降ってたか曇ってたかで、天の川や星が見えなかったんじゃないか?‥‥ってことだ。何でかって言うと、この伝説には、「7月7日の夜に星が見えないと、その年は、2人は会うことができない」っていう厳しいルールがあるからだ。その証拠に、おんなじ山上憶良は、この歌を詠んだ5年前の神亀元年(724年)の7月7日の夜には、こんな歌を詠んでる。
ひさかたの天の川瀬に舟浮けて今宵君が我がり来まさむ 山上憶良
これは、織姫ちゃん側からの歌で、「久しぶりに天の川に舟を浮かべて、今夜あなたは私のもとに来てくださるのでしょうか」って感じで、1年ぶりの再会を待ちわびる女心を詠ってる。これこそ、まさに、7月7日の夜にピッタリの歌ってワケで、こうした歌を詠む山上憶良なんだから、わざわざ7月7日の夜に「会えない切なさ」を詠った天平元年は、雨が降ってたんじゃないか?‥‥ってことになるワケだ。
‥‥そんなワケで、中国から伝わって来た織姫ちゃんと彦星くんの物語だけど、中国から伝わって来た時は、機織の「織女(しょくじょ)」と牛飼いの「牽牛(けんぎゅう)」だった。一方、ニポン古来からの「棚機」の物語のほうは、女性が大山祇神(オオヤマツミノミコト)の娘の木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)で、男性が天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫の「ニニギノミコト」だった。だけど、「ニニギノミコト」ってのは短縮形で、正式な名前は、「天饒石国鐃石天津日高彦火瓊瓊杵尊(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)」っていうトンデモ長い名前だった。
ま、名前の長さはともかくとして、この「棚機」の物語は、「日本書記」の「天孫降臨(てんそんこうりん)」だから、「天の孫が降臨した」ったワケで、ようするに、地上にいた人間のお姫様と、天から降りて来た神様との恋物語ってことになる。そして、中国から伝わって来た伝説の2人をニポン古来からの伝説の2人に置き換えたのが、現在の織姫ちゃんと彦星くんてワケだ。つまり、「織女」を「織姫」に変えることで「お姫様」ってことを表わして、「牽牛」を「彦星」に変えることで「神様」ってことを表わしたのだ。昔のニポンの神様って、「ナントカ彦」って名前が多かったから、「彦星」にすれば、「男性の神様の星」ってことが一目瞭然てワケだ。
こんな流れを知ると、今の中国が、ニポンのマンガやアニメや音楽をパクリまくってることに目クジラ立てられなくなっちゃいそうだけど、当時は著作権なんてものはなかった上に、誰かの作品を下敷きにして遊ぶ「本歌どり」っていう文化があったから、まったくのノープラモデルだったのだ。だから、当時の人たちは、主人公2人の名前だけじゃなくて、内容もニポン人好みに変えちゃった。もともとの中国のストーリーでは、7月7日の夜になると、織女のほうが車駕(しゃが)に乗って天の川を渡って、牽牛のもとにやって来る。だけど、さっきの柿本人麻呂や山上憶良の歌を読めば分かるように、ニポンでは、彦星くんのほうが舟を漕いで織姫ちゃんのもとへと向かう設定に変更されてる。これは、当時のニポンが、「男性のほうが女性のもとへ通う」ってルールになってたから、これに合わせての変更なんだろう。
‥‥そんなワケで、ここまで格調高く書いて来たのに、急に車線変更しちゃってモウシワケナイザーだけど、今度の日曜日に、福島競馬場でG3の「七夕賞」がある。競馬はG1だけって決めてたあたしだけど、秋まで3ヶ月間もG1がないので、月に1回くらいのペースで、気になったレースにチャレンジしてみることにした。で、今月は、この「七夕賞」にしたってワケだ。だって、「七夕」のルーツは、マクラの部分に書いたように、中国から伝わって来た「乞巧奠(きっこうでん)」なんだから、きっこ的には避けて通ることはできない(笑)
そして、もうひとつの理由は、おんなじ日に阪神競馬場で開催されるG3が「プロキオンステークス」って名前だからだ。プロキオンて言えば、こいぬ座の星で、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウスとで「冬の大三角」になる。夏なのに、冬を代表する星の名前のレースなんて、星を観るのが好きなあたし的にはNGだ。一方、福島競馬場の「七夕賞」のほうは、まさに今の時期にバッチリの名前だから、どうせチャレンジするなら、ダンゼンこっちだろう。それで、まだ気が早いんだけど、どんな馬が出走登録してるのかチェキしてみた。
「七夕賞・出走登録馬」
アルコセニョーラ
イケドラゴン
イコピコ
エフティマイア
エリモハリアー
キャプテンベガ
キョウエイストーム
サニーサンデー
サンライズベガ
ゼンノグッドウッド
タガノサイクロン
ダイワジャンヌ
チェレブリタ
デストラメンテ
トウショウシロッコ
ドモナラズ
ニルヴァーナ
ハギノジョイフル
バトルバニヤン
フサイチアウステル
ブレーヴハート
ホッコーパドゥシャ
ホワイトピルグリム
マイネルグラシュー
メイショウレガーロ
おおっ!あたしの期待してたことが現実になった!‥‥ってワケで、「冬の大三角」が、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウスなら、「夏の大三角」は、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブってワケで、この、こと座のベガが織姫ちゃん、わし座のアルタイルが彦星くん、そう、「七夕」の星なのだ。7月4日の日記、「続・ありがとう、オグリキャップ」の中でチョコっと触れたけど、生まれつき脚が曲がってたのに二冠を達成したベガと、おんなじように脚が曲がってたのにダービーを制したアドマイヤベガ、この親子の血を引く馬が「七夕賞」に出るんなら、絶対に来るだろうってあたしは思ってた。
で、登録場の一覧を見たら、ベガの子供のキャプテンベガも登録してるし、アドマイヤベガの子供のサンライズベガも登録してた。あと、名前に「ベガ」はついてないけど、トウショウシロッコもアドマイヤベガの子供だ‥‥ってことは、もしも、この3頭が出走できることになったら、1着がベガの子供のキャプテンベガで、2着と3着がアドマイヤベガの子供の2頭ってことになる。3連単で2通り買うだけだから、200円で夢を見られる。キャプテンベガは男の子だけど、3月3日に生まれてるから、織姫ちゃんのフレーバーが漂ってる。それどころか、2003年の3月3日に生まれてるから、「3」が3つ並んで確変大当たりだ!
だけど、あたしには、もう1頭、気になる馬がいる。マイネルグラシューだ。4日の日記にベガとアドマイヤベガのことを書いたけど、その前日の日記、「ありがとう、オグリキャップ」は、こんなふうに書き出してる。
「今日、7月3日、オグリキャップが亡くなった。放牧されてた北海道の優駿スタリオンステーションで、脚を骨折したために、安楽死させたそうだ。でも、満25歳、立派な大往生だったと思う。今から3年前の2007年には、メジロライアンのお父さんのアンバーシャダイが、やっぱり放牧中の骨折で安楽死させられたけど、アンバーシャダイは30歳だった。」
アンバーシャダイは、父さんが大切にしてた競馬ゲームに出て来るから、子供のころから名前だけは知ってたんだけど、そのアンバーシャダイの子供がメジロライアンで、メジロライアンの子供がマイネルグラシューなのだ。だから、すごく気になってる。そして、こんなことを言い出すとキリがないんだけど、今回の登録馬の中には、芦毛の馬が2頭いる。デストラメンテとホワイトピルグリムだ。これが、もしかしたら、オグリキャップとタマモクロスなんじゃないのか?‥‥なんて思えてきちゃう。
‥‥そんなワケで、まだ出走できるかどうかも分かんない段階だけど、あたしは、キャプテンベガ、サンライズベガ、トウショウシロッコ、マイネルグラシュー、デストラメンテ、ホワイトピルグリムの6頭が気になってる。だから、この6頭の中で、出走できた馬に賭けようと思ってるんだけど、あたしが「白」にコダワルのは、オグリキャップが芦毛だったからってだけじゃない。「七夕」と言えば「天の川」、「天の川」は英語で「ミルキーウェイ」ってことで、色は「白」だからだ。だから、ベガの血を引きつつも、名前に「ベガ」がついてないトウショウシロッコにしても、名前に「シロ」がついてる点で濃厚ミルクってことになる。ま、そんなこんなもありつつ、今回は、文学的に始まり競馬的に終わるっていう新しいパターンの日記にしてみた。これで、文学が好きな人も、競馬が好きな人も、みんな楽しんでくれたら嬉しいんだけど‥‥なんて二兎を追ってみた感じの今日この頃なのだ(笑)
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