« 江戸時代のカード破産 | トップページ | 乗用車廃止法案 »

2010.08.09

語り継いでゆくこと

突然、右手の指が動かなくなってから、もう1ヶ月が経った。お仕事ができない上に、病院代が掛かるから、このままの状況が続くと、あたしは、ニッチもサッチもどうにもブルドッグになっちゃう。今のとこは、2ヶ月前、3ヶ月前のお仕事のぶんのギャラが振り込まれてるから何とかなってるけど、あと1ヶ月くらいで収入がゼロになっちゃうからだ。だから、今のあたしにできることとして、今まで以上の節約生活を続けてる。

まずは、1日100円のオヤツ代を中止にして、3日に1回だけ、60円のガリガリ君を食べることにした。これで、1日あたりのオヤツ代は20円になり、1ヶ月のオヤツ代は5分の1になった。あとは、お酒も、絶対にお金で買うのはやめて、お中元でいただいたビール券で交換したものしか飲まないことにした。ビール券は、あと20枚くらいあるから、しばらくは何とかなりそうだ。それから、タバコに関しては、もともとお金を払って買うことはなく、必ずパチンコの出玉で交換してるから関係ないんだけど、1日5本くらい吸ってたのを「1日2本」の「留置所方式」にした。いくらタダで手に入れてるタバコだとは言え、少しでも節約することによって、そのぶんの出玉を現金に交換できるからだ。

で、こんなに楽しい節約生活の一環として、昨日までの3日間は、お米を食べるのをガマンして、ジャガイモを主食にして暮らしてみた。何でかって言うと、たまたま、いただきもののジャガイモがたくさんあったからだ。いつもは、1食100円の予算で生活してるんだけど、その100円も節約しようってワケだ。それで、一番大きなお鍋でジャガイモをマトメて13個茹でて、冷蔵後に入れといて、朝と夜は2個、お昼は1個、食べ続けた。もちろん、これだけじゃなくて、お味噌汁や、チクワとモヤシの炒め物も一緒に食べたんだけど、基本的には、何も買わずに、冷蔵庫にあるものだけで、1円もお金を使わずに過ごしてみた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、何で13個なんていう中途半端な数なのかって言うと、お鍋に13個しか入らなかったからで、別に意味はない。だけど、夜からスタートしたので、ジャガイモを2個、2個、1個、2個、2個、1個、2個、1個‥‥って食べたら、連続8食ぶんで、ちょうどピッタリだった。日付けにすると足掛け4日だけど、実質的には2日半、ジャガイモを主食にして生活した。そして、ジャガイモ生活が終わった日の夜、3日ぶりにご飯を炊いてたら、右手がダメで包丁がちゃんと使えないあたしのために、母さんが煮物を作って届けてくれた。そして、大喜びでタッパーを開けたら、ナナナナナント! ジャガイモの煮物だった!3日ぶりにジャガイモ生活から解放されて、やっとご飯を食べられると思ったのもトコノマ、おかずはジャガイモの煮物ですかーーー!!
(笑)

ま、ジャガイモの煮物って言っても、ジャガイモだけを煮てるワケじゃなくて、通称「チクジャガ」、肉ジャガの「肉」の代わりに「チクワ」を使ったものだ。だから、ジャガイモの他に、チクワ、ニンジン、タマネギ、シラタキなんかが入ってて、とっても美味しい。それに、母さんが作ってくれたんだから、さらに美味しい。だけど、3日もジャガイモを食べ続けた直後っていう、まるで狙ったみたいなタイミングだったから、あたしは、嬉しさよりも「おいおい!」って感じになっちゃった。

それでも、3日ぶりにご飯を炊いて、炊き立てのご飯と、ワカメのお味噌汁と、母さんの作ってくれたチクジャガと、「明日も晴れ」の大木晴子さんがお見舞いに送ってくださった佃煮の詰め合わせ、東京タクアン、焼き海苔での晩ご飯は、ものすごく美味しかった。炊き立てのご飯の上に、葉唐辛子の佃煮を乗せて、それを焼き海苔でクルリンパって巻いて食べたら、どんなご馳走よりも美味しかった。

実は、大木晴子さんは、あたしが困ってることを知って、ご自分のホームページなどで、あたしへのカンパを呼びかけてくださったのだ。だけど、あたしは、「カンパをしたい」「何か送りたい」という読者の皆さんからのメールに対して、「あたしは大丈夫なので、お気持ちだけありがたくちょうだいします」的なことをお伝えしてた。この辺が前後しちゃって、あたしの意思が晴子さんに伝わらずに、ちょっとヤヤコシイことになっちゃった。あたしとしては、世の中にはあたしよりも困ってる人たちがいっぱいいるのに、恵まれてるあたしなんかが見ず知らずの人からお金を受け取るワケには行かない‥‥って思ってるからだ。

それで、晴子さんに、「食べ物とかの差し入れならともかく、現金を受け取ることは抵抗がある」ってことを伝えたら、晴子さんは、集まったお金で、マスクメロンとか、お素麺とか、佃煮の詰め合わせとか、東京タクアンとか、焼き海苔とか、いろんな食べ物を買って、それを送ってくださった。そして、お金も同封されてたので、それは辺野古へカンパさせていただいた。晴子さん、そして、晴子さんを通じてあたしにカンパしてくださった皆さん、どうもありがとうございました♪

‥‥そんなワケで、あたしは、いろいろな人たちに感謝しながら、3日ぶりのご飯を食べたら、涙が出るほど美味しかった。炊き立てのご飯ほどのご馳走は、他にないって思った。そして、ずっと前に読んだ「はだしのゲン」で、いじめらっ子のお兄ちゃんが妹に向かって「竹子、米の飯はうまいのう」って言って、泣きながらご飯を食べるシーンを思い出した。そう、あたしがジャガイモ生活にチャレンジしたのは、ただ単に「節約」ってことだけじゃなくて、ちょうど広島に原爆を投下された日が近づいてたから、お米が食べられなかった戦時中の人たちの苦労を少しでも体験してみようって意味もあったのだ。

あたし自身、お米が買えなくて、500グラム100円のパスタで食いつないでた時期もあるし、小麦粉を水で溶いて焼いただけの具のないお好み焼きでしのいでた時期もある。だから、お米のありがたさは十分に分かってるつもりだったけど、お米が買えない状況で、仕方なく代用品で済ませるんじゃなくて、お家にお米がある状況で、あえてチャレンジしてみようって思い立った。原爆投下の日や敗戦の日が近づいてたから、戦時中の人たちの苦労を少しでも感じてみようと思ったのだ。

それでも、お米をジャガイモに代えただけで、朝、昼、晩とお腹いっぱいに食べてたんだし、冷蔵庫から冷たい麦茶を出して飲んだりしてたんだから、戦時中の人たちから見たら贅沢の極みだろう。それに、何と言っても、現代のあたしのマンションは、空襲もなければ原爆を投下されることもない。夜も明かりをつけて、ラジオで音楽を聴いてられるんだから、これほど平和で幸せなことはない。だから、3日間、ジャガイモを食べただけで、戦時中の人たちの苦労を分かったような気分になったら、おこがましいことウケアイだ。

だけど、あたしは、3日ぶりに食べた炊き立てのご飯の美味しさで、何か忘れてた大切なことを思い出せたような気持ちになった。今の平和があるのも、過去の戦争で国の犠牲になった数え切れないほどの人たちのお陰であり、言葉に尽くせないほどの悲劇の上に成り立ってるのが、今の平和だってことだ。だから、平和な時代に生まれたあたしがすべきことは、二度と戦争を繰り返さないために、過去の戦争の悲劇を次の世代の人たちへ伝えて行くことだって思った。

‥‥そんなワケで、敗戦から65年が経ち、戦争を体験した人たちも少なくなって来たけど、未だに沖縄はアメリカの占領下みたいな状態だし、この国の政府は政権交代してもしなくてもアメリカにシッポを振り続けて、アメリカのための政治を続けてる。このままの状態で、あと20年、30年が過ぎて、この国に戦争を体験した人が1人もいなくなれば、戦争を知らない政治家たちが、戦争を知らない官僚やマスコミと一緒になって、戦争を知らない国民たちを騙して、また「戦争」という同じ轍を踏む方向へと進んでく危険性もある。だから、何の力も持たないあたしとしては、過去の戦争の悲惨さをまずは自分がよく知り、それを次の世代へと伝えてく義務があると思ってる。それが、平和な時代に生まれた者の最低限の役割だと思ってる。

今日の「ちびまる子ちゃん」を観てたら、2本目が、まる子がたまちゃんととし子ちゃんと3人でオリジナルの「記念日」を作って遊ぶってお話だった。それで、マドレーヌが上手に焼けたたまちゃんは、その日を「マドレーヌ記念日」にしたりするんだけど、ケーキを焼くオーブンもないし、コレと言って何も思いつかないまる子は、いつもの「他力本願」と「わがまま」が炸裂して、お母さんにレストランへ連れてって欲しいとせがみ出す。レストランでご馳走を食べて、その日を「ご馳走記念日」にしようってスンポーだ。だけど、お母さんは怒り出し、「今夜は昨日の煮物の残りとメザシだよ!」って言う。そして、不満タラタラのまる子‥‥っていう、いつものパターン。

で、次の日のこと、お父さんは仕事から帰ってないし、お母さんは静岡市まで出掛けちゃったし、お姉ちゃんもお友達のとこへ出掛けちゃって、お家には、まる子とおじいちゃんとおばあちゃんだけになる。そんな時に、大きな地震が起こった。地震はすぐに終わったけど、庭の植木鉢が台から落ちて割れるほどの地震だったから、まる子は出掛けてるお母さんやお姉ちゃんのことが心配になる。あたし並みの妄想癖があるまる子だから、大きな地割れにお姉ちゃんが落ちてくとこまで想像しちゃう。それで、心配でたまらなくなって、お姉ちゃんのお友達の家に電話してみるんだけど、お話中でつながらない。

そして、まる子の心配が絶頂になったとこで、お姉ちゃん、お母さん、お父さんが順番に帰って来た。心配が安心に変わってお姉ちゃんに駆け寄るまる子。お姉ちゃんはやさしく頭をなでる。そして、家族全員が揃っての晩ご飯は、地震騒ぎのバタバタで何の支度もできなかったから、またおんなじ煮物なのに、まる子は笑顔で「みんなと一緒だから何でもご馳走だよ!」って言う。

今回のお話のポイントは、夏休みなのにどこにも連れてってもらえずに、「毎日毎日、何も特別なことがなくて、こんなふうにおんなじことをしてるうちに大人になっちゃうのかな~」って不満を言うまる子に対して、おばあちゃんが、「毎日、何も特別なことが起こらずに暮らせることが幸せなんだよ」って教えるシーンだ。「えっ?」ってケゲンな顔をするまる子に、おばあちゃんは、戦時中の話を始める。「戦争中はね、毎日食べるものにも困ってたし、次の日を無事に迎えられるかも分からなかった。だから、今みたいに毎日おんなじ日々が続くのは本当に幸せなんだよ」って教える。

‥‥そんなワケで、あたしは、東京大空襲を体験してるおばあちゃんから、戦時中のことを何度か聞かされた。他にも、いろんな人たちから話を聞いて来たし、「戦争を語り継ぐ証言集」の貴重な証言の数々も読ませていただいた。だから、二度と戦争を起こしちゃいけないってことは当然として、アメリカの戦争に加担し続けてる今のニポンの姿勢にも激しく反対し続けてる。だけど、沖縄の米軍基地やアメリカの核兵器を「抑止力」だなんて言ってハバカラない人間が、自分の思考回路の異状さを自覚しないまま平然と総理大臣をやってるのが現状だから、あたしたち一般市民が、戦争や核兵器の悲劇を後世へと伝えてかなきゃ、この国は、またおんなじ悲劇を繰り返すことになると思う今日この頃なのだ。


★ 今日も最後まで読んでくれてありがとう!
★ がんばって左手だけで打ってるので、応援のクリックをポチッとお願いしま~す♪
  ↓



「戦争を語り継ぐ証言集」
http://www.geocities.jp/shougen60/

|

« 江戸時代のカード破産 | トップページ | 乗用車廃止法案 »