警察による言論弾圧事件
人間は、「どんな国に生まれたか」だけじゃなくて、「どんな時代に生まれたか」によっても、その人生が大きく変わっちゃうことがある。たとえば、おんなじニポンに生まれたとしても、おんなじ昭和に生まれたとしても、昭和の初めに生まれた人たちの中には、戦争の犠牲になって、若くして亡くなった人たちもたくさんいる。だけど、あたしのように戦後に生まれた人たちは、少なくとも今日までに自国の起こした戦争で亡くなった人はいない。
そして、戦前に生まれた人たちは、戦争で命を落とさなかった人たちも、家族や親類の誰かを戦争で失ったり、自宅や財産を消失したりと、辛く苦しい思いをした人たちが多い。当時のニポンは、今の北朝鮮みたいな国だったから、軍や警察による横暴がまかり通ってて、軍や警察によって苦しめられたり殺されたりした国民も多い。昭和20年8月15日に敗戦するまでのニポンは、言論の自由なんてまったくなかったから、政府や天皇を批判すれば、ソッコーで逮捕されて、拷問されて殺されるのは当たり前だった。
それどころか、直接は批判してなくても、軍や警察が「プロレタリア作家だ」って決めつければ、それだけで逮捕することができた。だから、「蟹工船」を書いた小林多喜二にしても、特高警察に逮捕されて、警視庁築地署の中で、真冬に全裸にされて、複数の特高警察官に棍棒で殴り殺された。そして、多くの俳人も、おんなじように逮捕されて、中には殺された者もいた。だけど、これが、別に政府や天皇を批判したワケでもなく、何の罪も犯してないのに、当時の警察によるデッチアゲで逮捕されてたんだからシャレにならないと思う今日この頃、皆さん、言論の自由を謳歌してますか?
‥‥そんなワケで、前にもチョコっと触れたことがあるけど、俗に「新興俳句弾圧事件」て呼ばれてる事件で、昭和15年(1940年)からの3年間、特高警察は、ちょっとでも反体制の思想を持ってそうな俳人を次々と逮捕して拷問していった。「京大俳句」に所属してた平畑静塔、石橋辰之助、渡辺白泉、西東三鬼を始め、いろんな俳誌の数多くの俳人が、無実の罪で逮捕されて、厳しい拷問を受けた。中でも酷かったのが「きりしま事件」て呼ばれてるものなんだけど、まずは、次の句を読んでみてほしい。
われら馬肉大いに喰らひ笠沙雨(かささあめ) 散生
これは、鹿児島日報(現在の南日本新聞)の販売局員をしてた面高秀(俳号・散生)っていう俳人の句で、参加してた「きりしま」っていう鹿児島の俳誌に掲載された句だ。で、鹿児島県警の特高警察は、この句に対して、こんなことをノタマッて、面高秀を逮捕したのだ。
「馬は軍馬として戦地へ赴き、兵士とともに働く貴重な戦力である。それを大いに食らうとは不届きな思想にほかならない。しかも食料統制の策を批判している。」
誰がどう見たって、これは「言いがかり」だろう。鹿児島や熊本と言えば「馬肉」は郷土料理だし、逮捕する側の鹿児島県警の警察官たちだって馬肉を食べてたハズだ。だいたいからして、馬肉を食べてる景を詠んだ俳句で逮捕されちゃうなら、実際に馬肉を食べてる人たちもみんな逮捕しなきゃおかしいだろう。そして、この句に対する難癖だけでも呆れ返るけど、もっと酷いのは、次の句に対する難癖だ。
熔岩に苔(こけ)古(ふ)り椿赤く咲く
溶岩地帯が苔むしてて、その周りに赤い椿が咲いてるっていう、鹿児島ならでは景を詠んだ句だ。いったいぜんたい、この句のどこが政府に対する批判なのか、普通の人には理解できないだろうけど、とにかく1人でも多くの非国民を逮捕して成績を上げたかった特高警察は、この句に、次のような難癖をつけたのだ。
「赤く咲いた花を詠むなど完全に共産主義の賛美である。」
ここまで来ると、もうメチャクチャだよね。「赤」って色が共産主義を表わしてるって言うのなら、リンゴを食べたって、ポストにハガキを出しに行ったって、転んでヒザから血を流したって、日の丸の旗を掲げてたって、みんな非国民てことになっちゃうじゃん。ま、この2句の例を見ただけでも分かると思うけど、当時の特高警察っていうキチガイ集団は、犯罪を犯した者を逮捕するんじゃなくて、逮捕したい者を犯罪者に仕立て上げてたのだ。
だから、他の俳誌に句を発表してた俳人の中には、俳人なら誰でも使う「菊枯れる」っていう秋の季語を使ってただけで、「天皇陛下の象徴である菊を枯らすとは天皇家の衰退を望んでいる非国民だ」って難癖をつけられて、逮捕されて何ヶ月も拷問された人たちもいるほどだ。
で、この「きりしま事件」では、とにかく成績を上げたかった鹿児島県警の特高課長の奥野誠亮(せいすけ)っていうオッペケペー野郎が、ふだんから気に入らなかった鹿児島日報の社会部記者の瀬戸口武則、政経部記者の大坪実夫(俳号・白夢)、販売局員の面高秀の3人が中心になって活動してた俳誌「きりしま」をターゲットにして、この3人を「治安維持法違反容疑」で逮捕するために、こんな「言いがかり」をつけたってワケだ。
そして、何よりもムカつくのが、この「きりしま事件」の首謀者で、自分の出世のために何の罪もない人たちを何人も逮捕した奥野誠亮が、敗戦後のドサクサで罪を問われずに、チャッカリと自治省(現在の総務省)の官僚になっちゃったことだ。そして、官僚の次には自民党の衆議院議員になり、田中角栄の内閣では文部大臣を、鈴木善幸の内閣では法務大臣を、竹下登の内閣では国土庁長官をつとめてるんだよね。無実の市民を何人も逮捕して、犯罪者に仕立て上げたような最低の人間が、よくもまあヌケヌケと大臣なんてやってたもんだよ。まさに自民党ならではの厚顔無恥が炸裂してる。
ま、こんな恥知らずのことは置いといて、話をクルリンパと元に戻すけど、この例を見れば分かるように、当時の特高警察は「何でもアリ」の世界だったから、ちょっとでも気に入らない人間がいれば、何の罪も犯してなくても、こうしたデッチアゲでカタッパシから逮捕してた。そして、その権力は絶大で、「朝日新聞」であろうと「中央公論」であろうと、ちょっとでも気に入らない記事を掲載したら、ソッコーで「発禁」にしてたのだ。警察が、新聞や月刊誌の発行を止める権力を持ってただなんて、想像しただけで寒気がして来る。マジで北朝鮮そのものだ。
‥‥そんなワケで、目の前の自然を見たままに詠んだだけの俳句でも、ナンダカンダと難癖をつけて作者を逮捕するような狂った警察だったから、最初から「社会風刺」のフレーバーを持ってた川柳に至っては、とうてい許されるものじゃなかった。
手と足をもいだ丸太にしてかへし
万歳と挙げた手を大陸においてきた
タマ除けを産めよ殖やせよ勲章やろう
ざん壕で読む妹を売る手紙
これは、鶴彬(つる あきら)っていう明治42年(1909年)の生まれの川柳作家の句だけど、戦争と無関係の俳句でさえ逮捕の対象にされてたんだから、こんな句を詠んだら100%逮捕されちゃうに決まってる。鶴彬は、昭和6年(1931年)、21歳の時に徴兵されたんだけど、配属された兵舎に日本共産党青年同盟の機関誌の「無産青年」を持ち込んだことで逮捕されて、軍法会議にかけられたあとに拷問を受けて、最終的には懲役1年8月を食らってる。そして、出所後4年で、今度は川柳作品が軍を批判してるとして逮捕されて、ノミやシラミだらけの不衛生な留置所に何ヶ月も拘束され、8ヶ月後の昭和13年(1938年)、留置所内で感染した赤痢が悪化して、病院に移されたけど亡くなった。まだ29歳の若さだった。
ちなみに、鶴彬の本名は「喜多一二(きた かつじ)」って言って、小林多喜二の「多喜二」に似てる。そして、小林多喜二も、明治36年(1903年)生まれだから、鶴彬と同時代の作家で、鶴彬と同じように特高警察に逮捕され、警察署内で特高警察官から暴行を受けて殺された。小林多喜二も、鶴彬と同じ29歳の若さだった。警察から息子の遺体を返されたお母様は、全身がアザだらけでボロ雑巾のように変わり果てた姿を見て泣き叫んだそうだ。
とにかく、この時代の特高警察は、完全に気が狂った人殺しの集団で、暴力団や右翼なんて目じゃなかった。何しろ、天皇陛下をバックにして、日の丸をバックにして人殺しをやってんだから、たとえ無実の人間を殺したって、警察官はオトガメ無しなのだ。日本共産党青年同盟の初代委員長だった川合義虎(本名・川江善虎)なんて、大正12年(1923年)に21歳で初代委員長に選任されたんだけど、この年の9月1日に関東大震災が起こったら、ずっと川合義虎を逮捕しようと目をつけてた特高警察は、震災後のドサクサにまぎれて逮捕したのだ。そして、亀戸警察署の留置場で朝から晩まで棍棒で殴り続け、9月4日、川合義虎は息絶えた。まだ22歳だった。
‥‥そんなワケで、これらは、誰がどう見たって「殺人」だろう。たとえば、時代が時代なんだから、ある程度の拷問はあったとしても、本来、拷問てものは、何かを白状させるために行なうものだ。だから、基本中の基本として、「殺さない程度に痛めつける」ってことになる。だけど、小林多喜二にしても、川合義虎にしても、複数の特高警察官がから、警棒の何倍もあるリンチ用の棍棒で、息絶えるまで殴り続けられたのだ。
これは、どう見たって、小林多喜二や川合義虎から何かを聞き出そうなんて姿勢じゃなくて、完全に殺そうと思ってやってるとしか思えない。ようするに、ピストルで撃ち殺したら「殺意のある殺人」になっちゃうけど、棍棒で殴り殺せば、何かを聞き出すために拷問を続けているうちに死んでしまった、つまり、「殺意のない事故死」ってことで処理できるからだ。
戦前から、特高警察によるこうした「殺人」、ようするに、暴力による「言論弾圧」がまかり通ってたのは、悪しき「治安維持法」によるものだけど、昭和16年(1941年)に新設された「予防拘禁制度」によって、特高警察の犯罪はますます過激になった。それまでは政府にたてつくような文章や俳句を書いた者だけを逮捕してたんだけど、この「予防拘禁制度」によって、まだ何も書いてないのに、まだ何もしてないのに、警察が「あいつは危険人物だ」って決めつけたら、それだけで逮捕できるようになったのだ。
だけど、昭和20年8月15日にニポンが敗戦を宣言して、9月2日に終戦が確定すると、GHQは、ニポン政府による新聞の検閲をやめさせて、悪しき「治安維持法」も廃止させた。そして、無実の罪で投獄されてた小説家や俳人たちを全員釈放させ、特高警察の警察官を全員罷免した。だから、ホントなら、「きりしま事件」の犯人である奥野誠亮も、この時に罷免されるハズだったのに、ドサクサにまぎれて自分だけ逃げちゃったのだ。マジで最低最悪の卑怯者だよね。
‥‥そんなワケで、話をクルリンパと戻すけど、最初に書いた「新興俳句弾圧事件」てのは、詳しく説明すると、ひとつの事件じゃなくて、複数の事件の総称だ。まず初めに、特高警察は、昭和15年(1940年)2月15日に「京大俳句」の幹部の8人、京都の井上白文地、中村三山、宮崎戎人、中村春雄、辻祐三、神戸の平畑静塔、波止影夫、東京の仁智栄坊をいっせいに逮捕した。続いて、5月3日の第2次の検挙で、東京の石橋辰之助、杉村聖林子、三谷昭、渡辺白泉、大阪の和田辺水楼、淡路の堀内薫を逮捕して、8月31日の第3次の検挙で、西東三鬼を逮捕した。
そして、翌16年には、「広場」の藤田初巳、中台春嶺、林三郎、細谷源二、小西兼尾、「土上」の島田青峰、東京三(後の秋元不死男)、古家榧夫、「日本俳句」の平沢英一郎、「俳句生活」の橋本夢道、栗林一石路、横山吉太郎、神代藤平、「山脈」の山崎青鐘、山崎義枝、西村正男、前田正、鶴永謙二、勝木茂夫、紀藤昇、福村信雄、宇山幹夫、和田研二を逮捕した。それで、逮捕された俳人の多くが「京大俳句」のメンバーだったことと、特高警察自体も「京大俳句」を潰すことを考えての狙い撃ちだったことから、ここまでの事件をマトメて「京大俳句事件」と呼ぶ場合が多い。
で、2年後の昭和18年(1943年)6月3日に、最初に紹介した「きりしま事件」が起こり、続いて「宇治山田鶏頭陣」の野呂六三子、「蠍座」の加才信夫、紫衣風が逮捕された。だから、「京大俳句事件」と「きりしま事件」は時間的には離れてるんだけど、同時代に起こった俳人に対する「言論弾圧」ってことで、これらを総称して「新興俳句弾圧事件」て呼んでるのだ。そして、特高警察による一連の逮捕に共通してるのは、これらの俳人たちが軍や天皇を批判するような俳句を発表したワケじゃないのに、すべてが「馬肉」の句のように、「言いがかり」や「イチャモン」による不当逮捕だったってことだ。たとえば、次の句を読んでみてほしい。
冬空をふりかぶり鉄を打つ男 京三
これは、後の秋元不死男、当時は「東京三(ひがし きょうぞう)」って俳号だったんだけど、特高警察は彼を逮捕する理由として、こんなにもトンチンカンな「言いがかり」をつけたのだ。
「鉄とは資本主義のことで、プロレタリアがそれを叩き潰すと言う意味の反体制の句である。さらには、東京三という俳号を並び替えると京三東(きょうさんとう)と読める。」
もう、鼻から噴き出した豆乳が、鼻水の塩分と混じったことによって、空中でお豆腐になっちゃうくらいのデタラメが炸裂してる。そして、こんな「言いがかり」で逮捕された東京三は、ノミとシラミだらけの留置所に入れられて、来る日も来る日も拷問を受けて、「私は左翼俳句運動をやっていました」「私以外の俳人も、これこれこうした俳句を詠んでいる者はみんな左翼俳句運動家です」っていう手記を書かされたのだ。もちろん、これは、裁判で有罪にするために警察側が必要だからだ。
他にも、もっと酷かったのは、「日本俳句」や「俳句生活」で自由律俳句をやってた平沢英一郎、橋本夢道、栗林一石路たちの逮捕理由だ。ちなみに、「自由律俳句」ってのは、五七五で17音て言う俳句の定型にこだわらずに、たった4音でもいいし、30音でもいいし、自由な音律で詠む新興俳句のことで、種田山頭火や尾崎放哉が有名だろう。で、彼らの逮捕理由なんだけど、ナナナナナント! 特高警察はこんなことをノタマッたのだ。
「自由律俳句の自由とは、もっとも危険な思想である。」
古今東西の老若男女で、これほどの支離滅裂は前代未聞の空前絶後だろう。そして、こんな目茶苦茶な理由でも無実の一般市民を逮捕できるなんて、特高警察にとっての「治安維持法」ってのは、一石二鳥で三寒四温で五臓六腑が七転八倒してから九死に一生を得てクルリと一周しちゃったよ。とにかく、こんなデタラメがまかり通ってただなんて、開いた口からエクトプラズムが出て来て幽体離脱しちゃった上に、つのだじろうが恐怖新聞と聖教新聞を一緒に配達に来ちゃうよ、まったく(笑)
‥‥そんなワケで、不当逮捕された無実の俳人全員が、特高警察の拷問によって、警察の意図した通りの手記を書かされて、その内容を「自白」と見なしてのデタラメ裁判が行なわれたんだから、俳人たちはたまったもんじゃない。結局、この「新興俳句弾圧事件」で不当逮捕された俳人の中では、13人が起訴されて「懲役2年、執行猶予3~5年」の有罪判決を受けて、犯罪者にされちゃったのだ。そして、GHQによって「特高警察」も「治安維持法」も廃止されたあとも、足利事件に代表されるように、警察の脅しによる自白の強要によって、無実の人間を犯罪者に仕立て上げる冤罪事件はあとを絶たない。富山事件や志布志事件なんて、2003年、わずか7年前に起こってるんだから、警察はまったく反省してないってことになる。市民の安全を守るべき警察が、無実の人間を思い込みだけで不当逮捕して、有罪にするために脅して自白を強要するなんて、戦前の特高警察がやってたことと何も変わってない。だからこそ、あたしは、取調べの全面可視化は絶対に必要だと思うし、逮捕されただけで、まだ取り調べ中の「容疑者」を犯人だと決めつけたように報道するマスコミにも、少しは考えを改めてほしいと思ってる今日この頃なのだ。
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