余命という冒険
今月の5日、南米のチリ北部のコピアポ近郊にある鉱山で、作業中に地下500メートル付近で岩盤が崩れる事故が起こり、それより深い場所にいた33人の作業員が生き埋めになった‥‥って聞けば、たいていの人は「もうダメだろう」って思うハズだし、地上にいる作業員の家族たちの頭には「絶望」の二文字が浮かんだハズだ。そして、その通りに、作業員の家族たちも、鉱山会社の人たちも、みんなが諦めた17日後、22日のこと、死んだと思ってた33人全員が、1人も欠けることなく、地下700メートルにある避難用シェルターの中で生存してたことが分かったのだ。何で分かったのかって言うと、岩盤が崩れた場所を掘削した細いドリルの先端に、地下の作業員からの生存を知らせる手紙が結びつけられてたからだ。この時のニュースは、テレビでもチョコっと流れたので、あたしは、鉱山の入り口で喜んで抱き合う作業員の奥さんたちの映像を見た。
避難用シェルターの大きさは、約50平方メートル、フランク・ザッパに言えば、縦5メートル、横10メートルの広さってことで、ニポン風に言えば30畳ほどのスペースだそうだ。ようするに、1メートル×1メートルの正方形が50個ってことで、ここに33人も詰め込まれてるんだから、1人あたり1メートル×1メートルの正方形が1つとちょっと‥‥って感じだと思う。でも、このシェルターだけじゃなくて、もう1つシェルターがあって、そっちをトイレとして使ってるそうだ。そして、シェルターに通じる坑道の一部も生活スペースとして使えてるそうだから、1つのシェルターの中に完全に密閉されてるよりは、精神的にもずいぶんラクだと思う。
避難用シェルターにいる33人は、リーダー格の作業員が中心になって、備蓄してあったツナ缶やビスケットなどを2日に1回、少量ずつ食べ、地下水を飲んで生き延びて来た。そして、24日には地上との通信回線がつながり、現在は、シェルターまで掘った直径15センチの細い穴を使って、水や食料や薬を届けたり、家族との手紙のやりとりができるようになった。だから、あとは、1日も早く救出するだけになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、ここまでは「不幸中の幸い」どころか、「地獄から天国」って感じの流れだったんだけど、ここで生じたのが、救出までに4ヶ月も掛かるって問題だ。まだ岩盤が崩れる危険があるため、坑道を掘って進むことができず、結局、シェルターまで直径60センチの穴を掘って、そこから作業員を1人ずつ吊り上げるって方法を取るしかないそうだ。やわらかい土とかならともかく、硬い岩がたくさんある場所を700メートルも掘るんだから、最新の掘削機を使っても1日に数メートルしか進まないそうで、穴がシェルターに到達するのは4ヶ月も掛かるらしい。
で、ここで浮上したのが、この事実を地下の作業員たちに知らせるかどうか‥‥って問題で、チリ政府は、作業員たちには「知らせない」って選択をした。救出までに4ヶ月も掛かるなんてことを知らせちゃったら、作業員たちに精神的な悪影響を与えちゃうからだそうだ。もちろん、これは、あくまでも「現時点では」ってことなので、このまま1ヶ月、2ヶ月と経過して、作業員たちの間に「いったい、いつまで掛かるのか?」「このまま見捨てられるんじゃないのか?」っていう思いが出て来たりすれば、コロアイを見計らって伝えるんだと思う。
だから、現時点では、政府が家族たちに「手紙には絶対に4ヶ月も掛かるってことだけは書かないように」って指示してて、家族もそれに従ってる。そして、政府は、地下の作業員たちの気晴らしのために、トランプなどを送ることにしたそうだ。一方、地下の作業員たちからは、水や食料の他に、歯ブラシが欲しいっていう連絡があったそうだ。20日以上もお風呂に入れずにいたんだから、せめて歯ぐらいは磨きたいだろう。歯ブラシを欲しがってる作業員たちと、トランプを送ろうとしてる政府。このギャップは、まるで菅内閣の政策を見てるようだ。
‥‥そんなワケで、地下の作業員たちが1日も早く救出されることを祈りつつ、あたしは、もしも自分が閉じ込められてる側だったとしたら、「救出までに4ヶ月掛かる」ってことを知らされないほうがいいか、それとも、ちゃんと知らせてもらったほうがいいか、ちょっと考えてみた。そして、あたしが思ったのは、やっぱり、ちゃんと知らせてもらったほうがいい‥‥ってことだった。たとえば、救出までに1年も2年も掛かるってのなら、またリトル状況も変わってくるけど、半年以内なら、あたしの場合は、知らせてもらったほうが腹をくくって対処できると思った。
閉じ込められてる人たちにとっては、何よりも知りたいのが「いつごろ救出されるのか?」ってことに決まってる。そして、いくら地下700メートルの場所とは言え、そこまで立派な坑道を掘って、シェルターまで作っちゃうほどの技術力があるんだから、地下の人たちは、地上と連絡が取れた時点で、早ければ数日、遅くても2週間程度、最悪の場合でも1ヶ月以内には救出されるって思っちゃうだろう。それなのに、地上からの連絡は、自分たちが何よりも知りたがってる「いつごろ救出されるのか?」ってことにはまったく触れずに、トランプなんかが送られて来る始末。
こんな状況になれば、ちょっとカンのいい人なら、「こりゃあソートー時間が掛かるようだな」ってことに気づくだろう。そして、そんな状態で何日も過ぎてけば、「もしかすると、まだ救出方法が見つかってないのかな?」とか、「ヘタすると救出不可能ってことなのかな?」とか、悪いほうへ悪いほうへ考えちゃうのが人間だ。だから、あたしは、何も今すぐに知らせろとは言わないけど、ある程度、地下の人たちとやりとりして、食料や衣料品などが行き届いた時点で、せめてリーダー格の人にだけでも「4ヶ月くらい掛かる」ってことを伝えるべきだと思う。
‥‥そんなワケで、南米チリの鉱山の地下700メートルのシェルターで作業員33人の生存が確認されたのが22日だけど、地球の反対側のニポンでは、この日の夜遅く、芸能レポーターの梨元勝さんが、前日の21日に亡くなったと報じられた。梨元さんは、今年の5月に肺がんが分かり、そのまますぐに入院して、抗がん剤による治療を続けてたそうだけど、わずか3ヶ月で亡くなったことになる。
テレビ朝日の「スーパーモーニング」で、鳥越俊太郎さんは、梨元さんの訃報を受けて、「これはあくまでも推測だけど」と前置きした上で、「肺がんで緊急入院したのに手術をしないで抗がん剤治療を行なったということは、発見した時点で、すでに手遅れの状態だったのかもしれませんね」とコメントしてた。鳥越さん自身、2005年に直腸がん、2007年に肺がん、2009年に肝臓がんの手術を受けてるから、普通の人よりは詳しいだろうし、あたしみたいなシロートから見ても、鳥越さんの言う通りだったように思う。
だけど、梨元さんは、亡くなるギリギリまで、精力的に仕事を続けてた。報道によると、病室に4台ものケータイを持ち込み、ベッドで取材を続けてたそうだ。そして、亡くなる数日前に一時帰宅した時の映像を見ても、苦しそうに咳き込みながらも、笑顔で「恐縮です!」のフレーズを繰り返してた。その表情からは、「絶対に病気に打ち勝って元気になってやる!」っていう前向きな精神力が感じられたし、ツイッターでのつぶやきにも、前向きな言葉が並んでた。
こうした状況を総合的に見て、鳥越さんのコメントも合わせて考えると、梨元さんのご家族は、お医者様からホントのこと、つまり、梨元さんの肺がんがすでに手遅れだったことや、余命が3ヶ月くらいしかないことを聞かされてて、それをご本人には伝えないようにしてた‥‥ってふうに思えてくる。もちろん、これも単なる推測だけど、もしもそうだとしたら、ご家族の「告知しない」という選択は、正しかったように思う。だって、梨元さん、亡くなるまで生き生きとしてたように見えたからだ。
‥‥そんなワケで、がんに限らず、他の病気でも、もう手遅れの状態で発見されて、家族に余命が告げられた場合、家族はそれを本人に伝えるかどうか、ものすごく悩むと思う。伝えるべきか伝えざるべきか、おんなじように悩むとしても、チリの鉱山の事故のように「あと4ヶ月で救出できる」って内容と、「あと3ヶ月しか生きられない」って内容では、まるで意味が違うからだ。そして、「あと4ヶ月で救出できる」っていうポジティブな情報でも、状況を考えて「伝えない」って選択をしたくらいなんだから、「あと3ヶ月しか生きられない」っていうネガティブな情報なら、告知の選択は遥かに慎重にならざるをえない。
この場合は、本人の仕事や社会的状況、家族構成、余命の長さなど、複数の条件によっても違ってくると思う。たとえば、たくさんの社員を抱えてる会社の社長だったりしたら、余命の問題は自分だけの問題じゃなくなる。本人のことだけを考えて、余命を知らせないっていう選択肢もあるだろうけど、たくさんの社員のことを考えたら、本人に余命を知らせて、会社の引き継ぎとかをきちんとやっておく必要がある。資産を持ってる人の場合も、遺産の分与などを遺書に書いてもらわなくちゃならないから、余命を伝えたくなくても、伝えなきゃならないケースもあるだろう。家族構成にしても、子供や孫が何人もいる人の場合と、あたしみたいに母ひとり娘ひとりの2人だけの家族の場合とでは、状況が違ってくる。
そして、「余命1年」と「余命1ヶ月」とでも、大きく違ってくると思う。自分が「伝える側」だったとしたら、「余命1年」はなんとか伝えられるけど、「余命1ヶ月」はなかなか伝えられないからだ。だけど、これが「伝えられる側」だったとしたら、あたしは、1年だろうが1ヶ月だろうが1週間だろうが、分かった時点ですぐに教えてくれなくちゃ困る。たったひとりの家族である母さんを残して、あたしのほうが先に死ぬんだから、あたしがいなくなっても母さんが生きていけるように、あたしは、残された時間で、できる限りのことをやっておかなきゃならない。ノンキに気休めの治療なんか受けてる時間はない。
‥‥そんなワケで、余命の宣告については、様々な状況がある上に、個人個人の感性の違いもあるんだから、一概に「こうするべき」とは言えない。伝えたほうがいい場合もあれば、伝えないほうがいい場合もある。ただ、ひとつだけ言えることは、やっぱり「本人の意思を尊重すべき」だってことだ。あたしの場合なら、余命の長さに関係なく、分かった時点ですぐに教えてくれなくちゃ困るワケで、これがあたしの意思だ。それなのに、あたしのことを思った母さんが、お医者様から知らされてる事実をあたしに伝えずに、「きっと良くなるからがんばるのよ!」なんて言い続けてたら、あたしもその気になって、結局、死ぬ寸前まで「自分のこと」しか考えずに、残していく母さんのことを何ひとつできずに、そのまま死んでしまう。これじゃあ、悔やんでも悔やみきれない。
だから、あたしは、ずっと前から母さんに言ってる。もしも、あたしが何か大きな病気になり、もしも、お医者様から余命を告げられたら、絶対にソッコーで教えてくれって。そして、母さんも、あたしにおんなじことを言ってる。だから、あたしと母さんとの間では、この問題はすでに解決してる。だけど、世の中では、ほとんどの場合、本人の意思よりも家族側の意思が優先されてるように思う。もちろん、本人のことを思っての選択なんだから、伝えるにしろ伝えないにしろ、そこにあるのは家族の愛情だ。だけど、いくら家族とは言え、人の感性は十人十色なんだから、家族が本人のことを思って「伝えない」という選択をしても、本人は「伝えて欲しかった」「余命が分かっていれば、もっと残された時間を有効に使えたのに」って思うかもしれないのだ。
家族から余命を伝えられなかった人は、自分は治るもんだと思ってるから、何よりも治療に専念する。つらい抗がん剤治療に耐え続けてるのも、「きっと治る!」っていう希望があるからで、まさか「気休め」や「延命」だとはミジンも思ってない。そして、何も知らされないまま死んで行く。だけど、もしも自分の余命を知らされてたとしたら、残された時間で、もう一度だけ見たいと思ってた思い出の場所の夕日を見に行ったり、ずっと会いたいと思ってた昔の友人と会ったり、少しでも悔いが残らないようにできたハズだ。
‥‥そんなワケで、余命を宣告された人たちが、残された人生をどんなふうに生きて、どんなふうに死んでいったのかは、これも人それぞれだ。たとえば、黒澤明の「生きる」(1952年 日本)の場合なら、ずっとマジメに働いてきた市役所の課長が、ある日、末期の胃がんで約半年の余命だと宣告される。課長は、今までの自分の人生は何だったのかと思い、コツコツと貯めてきた貯金を下ろして、市役所を無断欠勤して、お酒を飲みに行ったり、パチンコをしてみたり、ストリップ劇場に行ってみたりする。でも、そんなことを繰り返しても虚しくなるだけだった。そんな時、市役所でかつて部下だった女性との再会をキッカケにして、課長は、また市役所へ復帰する。
そして、映画は、その5ヵ月後に課長が亡くなったシーンへとつながるんだけど、お通夜の席で、同僚や部下たちが、この5ヶ月間の課長の仕事ぶりを語り始める。課長は、地域の住民たちが要望してた公園を作るために、何度も上司にかけあって、とうとう公園を作らせたのだ。そして、課長は、雪の降る夜に、やっと完成した公園のブランコに揺られながら、満足そうに息を引き取ったのだ。ま、あまりにも有名な映画だから、観てない人のほうが少ないと思うけど、これにしたって、余命が半年だったから、最初の1ヶ月は自暴自棄になって遊び歩いたけど、残りの5ヶ月でひとつのことをやり遂げられたのだ。もしも、余命が3ヶ月だったとしたら、志なかばにして亡くなってただろうし、余命が1ヶ月だったとしたら、遊び歩いたまま亡くなってたのだ。
この「生きる」を現代版にしたような映画が、「象の背中」(2007年 日本)だ。秋元康の原作だけど、役所広司が演じた主人公は、建設会社の部長で、「生きる」とおんなじに、がんで6ヶ月の余命宣告を受ける。そして、与えられた短い時間をどんなふうに生きるのか‥‥って流れもおんなじだけど、この「象の背中」の場合は、何かを成し遂げようなんていう大きな話じゃなくて、自分が今までにお世話になった人たちひとりひとりに、お別れの挨拶をしていく。だから、後半の展開はぜんぜん違うけど、余命を宣告された者が自分自身と向かい合い、ホントに自分が望んでたことを見つけ、それを淡々と遂行していくっていう方向性も一緒だ。
一方、まったく正反対なのが、「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(1997年 ドイツ)だ。「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」って言えば、ガンズ・アンド・ローゼスからアヴリル・ラヴィーンに至るまで、数多くのミュージシャンがカバーしてるボブ・ディランの名曲だけど、この歌のイメージから生まれたこの映画は、余命わずかと宣告された若い男、マーチンとルディーの2人が、病院の末期病室で知り合い、どんせ死ぬなら死ぬ前に海を見ようと、盗んだベンツSLで強奪の旅を続ける。だけど、このベンツはギャングのベンツで、後ろのトランクには大金が入ったアタッシュケースが‥‥ってことで、2人の男は、ギャングからも警察からも追われることになる。
海を目指す男2人は、カップルじゃないけど「俺たちに明日はない」のボニーとクライドみたいなノリで、追いかけるギャングの2人は、「ブルース・ブラザーズ」のジェイクとエルウッドみたいなノリだ。だから、完全に娯楽映画なんだけど、最後の最後にようやく海にたどり着いた2人が、砂浜に並んで座ったとこで、胸に突き刺さるラストシーンが訪れる。娯楽映画でありながら、「人生」や「命」について考えさせられる秀作だ。
そして、最近では、2年前にニポンで公開された「最高の人生の見つけ方」(2007年 アメリカ)も、余命6ヶ月を宣告された2人の男の物語だ。だけど、「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」の2人と大きく違う点は、ジャック・ニコルソンが演じたエドワードも、モーガン・フリーマンが演じたカーターも、2人とも80歳のおじいちゃんだって点だ。もしも、自分が、余命6ヶ月の宣告を受けるとしても、20代や30代で受けるのと、80歳になってから受けるのとじゃ、ショックの大きさはぜんぜん違うと思う。
だけど、両方の映画を観た人なら、「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」の若いマーチンとルディーよりも、「最高の人生の見つけ方」の80歳のエドワードとカーターのほうが、何倍も若々しいってことを知ってるだろう。ま、細かいことを言えば、マーチンとルディーは余命がほとんどなくて、数日間しか生きられないのに対して、エドワードとカーターには余命が6ヶ月もある上に、エドワードは大金持ちだ。だから、「最高の人生の見つけ方」の原題である「THE BUCKET LIST (棺おけリスト)」と名づけたリストを作って、死ぬまでにやりたいことをズラーッと書き出していき、お金の力でカタッパシから実現させていく。
「スカイダイビングをする」「世界一の美女とキスをする」「泣くほど笑う」「見ず知らずの人に親切にする」「荘厳な景色を見る」「入れ墨をする」「ピラミッドを見る」「ライオン狩りに行く」‥‥って、思いつくままに書き出した「棺おけリスト」の項目を次々と実現させていく白人と黒人のおじいちゃんのコンビ。方向性としては、「生きる」の最初の1ヶ月とおんなじだけど、内容の明るさとハデさは段違い平行棒だ。だけど、この映画は、たまたま同時に「余命6ヶ月」を宣告されたおじいちゃんのうち1人が大金持ちだったから成り立ってるストーリーなワケで、コツコツと貯めた貯金を下ろして、パチンコに行ったりストリップ劇場に行ったりする「生きる」のほうが、遥かに現実的だってことだ。
‥‥そんなワケで、今回、例として挙げたのは、どれも「余命を宣告された人がどんな生き方をするか」っていう映画だから、すべて「宣告ありき」で作られてる。だから、「もしも宣告しなかったらどうなってたか?」ってのは、想像するしかないワケだけど、「生きる」の課長や「象の背中」の部長は、倒れるまで働き続けて、そのまま病院に運ばれて亡くなってたと思う。「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」のマーチンとルディーも、「最高の人生の見つけ方」のエドワードとカーターも、余命を宣告されたからこそ人生最後の冒険に旅立ったワケで、宣告されていなければ、自分に残されたわずかな時間を病院のベッドで消費してただろう。だから、何がベストなのかは人それぞれだろうけど、少なくともあたしは、余命を宣告してもらい、残された貴重な時間を悔いの残らないように使いたいと思ってる今日この頃なのだ。
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