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2010.09.18

福神漬けの存在意義

世の中には、存在意義のないもの、存在価値のないもの、存在理由の分からないものがマウンテンだ。フランク・ザッパに言っちゃえば、世の中のものの9割以上は、なくても困らないもの、生きてく上で不必要なものだと思う。たとえば、本や雑誌にしても、あたしに必要なのは、あたしが読みたいと思うものだけで、それは毎日のように出版されてる本や雑誌のうちの1%にも満たない。つまり、世の中に溢れ返ってる本や雑誌の99%以上は、あたしにとっては何の存在意義も存在価値もない、まったく不必要なものってことになる。

だけど、その99%以上の本や雑誌が存在してるのは、あたし以外の誰かが必要としてるからで、あたしから見たら存在理由すら分からないギャル雑誌やヤンキー雑誌にしても、田舎のギャルや北関東のヤンキーには必要とされてるってワケだ。本や雑誌に限らず、音楽でも、家電でも、雑貨でも、世の中で売られてるすべてのジャンルのものは、その99%以上が、あたしにとっては不必要だけど、それを必要としてる人たちがいる。もっと大切な衣食住のジャンルでも、世の中で売られてる99%以上が、あたしにとっては不必要だけど、それを必要としてる人たちがいる。そして、世の中が成り立ってる。

分かりやすい例をあげると、靴だ。欲しくない靴は、もともと不必要なものだけど、たとえ欲しい靴であっても、自分の足のサイズ以外のものは不必要ってことになる。あたしの足のサイズは、靴のタイプやメーカーによって違うけど、だいたい23.5cmなので、どんなに欲しい靴でも、23.5cm以外のサイズのものは不必要だ。だけど、おんなじ靴を欲しいと思った人でも、足のサイズが22.5cmの人にとっては、あたしが必要としてる23.5cmの靴は不必要になる。靴に限らず、お洋服にしても、下着にしても、誰でも自分のサイズ以外は不必要だ。でも、その人には不必要なサイズでも、それを必要とする人が必ずどこかに存在する今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしに限らず、普通の人なら誰でも、自分に必要なもの、自分の欲しいものには興味があるし、必要に応じて買うワケだけど、自分に不必要なもの、自分の欲しくないものに関しては、興味もないし買うワケもない。だけど、あたしは俳人なので、自分に不必要なものでも、興味だけはあったりする。あたしの俳句は「客観写生」のスタイルだから、自分の好き嫌いや興味のあるなしっていう「主観」を捨てて、すべての対象を平等に観察することがベースになってる。だから、あたしは、何から何までってワケじゃないけど、「客観写生」の俳句をやってない人よりは、興味のないものにも目を向けるようにしてる。つまり、マクラの冒頭に書いた、存在意義のないもの、存在価値のないもの、存在理由の分からないものにも目を向けるようにしてるってワケだ。

たとえば、図書館に行った時に、最初から借りる本が決まってて、時間も少ししかない時なら、目的の本を借りて外に出るけど、時間がタップリある時には、いろんな本の棚を見て歩く。この場合、たいていの人は、自分の好きなジャンル、自分の興味のあるジャンルの棚しか見ないだろう。だけど、あたしの場合は、逆に、ぜんぜん興味のないジャンルの棚を見て歩き、普通に生きてたら死ぬまで絶対に手にすることがないような本を手に取ってみて、パラパラとめくってみたりする。ボイラー技師免許の問題集とか、大正琴の入門書とか、まったく興味のない本をパラパラ見てみたりしてる。そうすると、たまに、面白いことを発見したり、意外なことに気づいたりするのだ。

ショッピングに行った時も、時間に余裕があれば、興味のないお店や売り場を覗いてみる。東急ハンズにお仕事の道具を買いに行った時には、まったく無関係な材木だの電動工具だののコーナーも覗いてみたりする。こんなあたしだから、日々のスーパーマーケットでのお買い物でも、その日のお買い物と関係ないコーナーも、ひと通り眺めて回ってる。だけど、これは、俳句の「客観写生」の精神てよりも、一般的な主婦感覚だ。あたしは主婦じゃないけど、たいていのスーパーは日替わりで何かの安売りをしてるから、そうした商品を見逃さないように、ひと通り眺めて回ってる。

その日は買う予定じゃなかったものでも、日持ちのする食材や冷凍できる食材がものすごく安くなってたら、それもついでに買っといたほうがいいからだ。「今日は、いつもは29円のモヤシが10円になる日だ!」って思ってモヤシを買いに行っても、モヤシだけを2袋持ってレジへ直行するんじゃなくて、他のコーナーも眺めながら店内を一周してみると、冷凍食品のコーナーに「全品半額セール」の札が出てたりする。そして、そのコーナーをよくチェキしてみると、最初から「今月のお買い得品」の札がついて半額になってる冷凍食品は、その値段がレジでさらに半額になるってことが分かる。定価300円の冷凍野菜が半額の半額で75円で買える。これは買っとくっきゃない‥‥ってことになる。

‥‥そんなワケで、あたしは、他のお店と違って、スーパーに行った時だけは、俳句的な姿勢だけじゃなくて、「もしかしたら何かが大安売りになってるかも?」っていう主婦的な姿勢から、その日に買う予定のないコーナーにも目を向けてみることにしてる。だけど、そうした行動の根底にあるのは、やっぱり、「興味のない場所にこそ思わぬ発見があるかもしれない」っていう俳句的な好奇心だ。だから、あたしは、スーパーに行くと、「今日はこのコーナー」って決めて、ひとつのコーナーに並んでる商品を徹底的に観察してみたりしてる。

たとえば、「今日は香辛料のコーナー」って決めたら、たくさん並んでる香辛料をひとつずつ手に取って、瓶や袋の裏を見て、順番に読んでく。そうすると、「オールスパイスは1種類の香辛料なのに、シナモンとクローブとナツメグの3種類が混ざり合ったような香りがするからオールスパイスって名前なのか」とか、「タイムのスペルはTIMEじゃなくてTHYMEって書くのか」とか、「フェンネルって茴香(ういきょう)のことだったのか」とか、いろんな発見がある。そして、「オレガノ」の一種の「マジョラム」なんて香辛料を見つけちゃって、「魔女の飲むラム酒って覚えればいいな」って思いつつ、「こんなの誰が買うんだろう?きっと1年に5本くらいしか売れないんだろうな」って、ヨケイなお世話まで焼いちゃったりする。

他にも、ケーキの材料のコーナーに並んでるキレイな商品をひとつずつ見てったり、お酒のコーナーでそれぞれのお酒のラベルを順番に読んでったり、「味の素」の「Cook Do」を始めとした中華料理の素を順番にチェキしてったりと、あたしの興味は尽きない。こないだなんて、中華料理の素をチェキしてて、ものすごい商品を見つけちゃって、あまりの衝撃に写メまで撮っちゃった。それは、永谷園の「ニラと玉子の広東炒め」だ。この画像を見れば分かるように、「ニラと玉子ですぐできる」って書いてあるのだ。「ニラと玉子の広東炒め」なのに、「ニラがあればすぐできる」でも「玉子があればすぐできる」でもなく、ニラも玉子も必要なのだ。あたしは、「ニラも玉子も手元にあるなら、これを買わなくても作れるじゃん」て思った。

普通、こう言うのって、メインの材料をひとつだけ買えば、その料理が作れるようになってるよね。「麻婆豆腐の素」なら、お豆腐を買うだけでいいし、「青椒肉絲(チンジャオロースー)の素」なら、ピーマンを買うだけでいい。細かいことまで言うと、「味の素」の「Cook Do」は、他のメーカーのシリーズよりも少し本格的な方向に特化してるから、「麻婆豆腐の素」の場合には、お豆腐と挽肉を用意しなくちゃならないし、他のお料理もおんなじで、用意する材料が複数だったりする。つまり、そのお料理の複合調味料みたいな位置づけになってる。だけど、他のメーカーのものは、あくまでも「材料が1品あればお手軽に中華が作れる」ってコンセプトのハズだ。

それなのに、何の材料も用意しなくていい、親切な「麻婆春雨」でオナジミの永谷園が、こともあろうに、ニラと玉子を用意しなくちゃならない「ニラと玉子の広東炒め」だなんて、これじゃあ「お肉とタマネギとニンジンとジャガモがあればすぐできるカレー」って謳い文句で普通のカレールーを売ってるのとおんなじだ!‥‥ってなワケで、あたしは、あまりの衝撃に写メまで撮っちゃったワケだけど、自分の興味のないコーナーまでチェキして回ってると、こうした発見があるから楽しい。1円もお金を使わずに、平坦な人生にちょっとした起伏ができるし、最終的には、こうして日記のネタにもなる。

‥‥そんなワケで、日々、スーパーの商品をチェキして回ってるあたしが、どこからどう見ても、どこをどう考えても、どうしても存在意義が見つからず、存在価値が感じられず、存在理由が分からないものが、お漬物のコーナーに存在してる。それは「カレー用の福神漬け」だ。たいていのスーパーの、たいていのお漬物コーナーの、普通の赤い福神漬けの隣りに、「カレー用」って書いてある黄色い福神漬けが置いてあるから、見たことある人も多いと思う。アレって、いったい何?

だって、カレーに添えるのは普通の赤い福神漬けなんだし、ふだん、カレーに添える以外で福神漬けを食べることなんてメッタにないんだから、言うなれば、普通の赤い福神漬けが「カレー用」みたいなもんだろう。それなのに、なんでわざわざ別口で「カレー用」なんかを作る必要があるの?それも、色を黄色にする意味が分かんない。カレーが黄色いから、赤い福神漬けが映えるワケで、コントラスト的にも美味しそうに見えるのに、カレーに添えるお漬物をカレーとおんなじ色にするなんて、あたしにはまったく意味が分かんない。

たとえば、色は普通の福神漬けとおんなじに赤いままで、味のほうを普通の福神漬けよりも、さらにカレーに合うように研究して開発して、それを「カレー用の福神漬け」として売り出したのなら理解できる。だけど、カンジンの色を黄色にしちゃったら、どんなに大きな文字で「カレー用」って書いてあっても、あたしは普通の赤い福神漬けのほうを買う。だって、色だけじゃなくて、味としても普通の福神漬けがカレーに合うと思ってるからだ。特に、あたしの場合は、今はお肉を食べなくなったから、カレーを作る時は、基本、野菜カレーだ。チクワを入れたり、サバの水煮の缶詰を入れたりすることもあるけど、だいたいはタマネギとニンジンだけの野菜カレーを作ることが多い。

肉類が何も入ってない上に、2日目、3日になると、タマネギは完全に溶けちゃうから、周りが溶けて小さくなったニンジンだけしが具が入ってない。こんなカレーを食べてるあたしにとって、福神漬けは他の人よりも遥かに重要なのだ。そう、福神漬けも具の一環なのだ。ご飯の横に山盛りにした赤い福神漬けをこれからスプーンですくおうと思う場所にパラパラと撒くと、その一帯にパッと花が咲いたように見える。具の少ないカレーだから、福神漬けの赤い色もご馳走なのだ。そして、その一帯をスプーンですくって口に入れると、カレーの中にコリコリとした福神漬けの歯応えが感じられて、福神漬けの味も混ざり合って、なんとも言えないゼイタクな気分になる。だから、あたしにとっては、福神漬けの赤い色は、とっても重要なのだ。

で、ここで根本的なことを言うと、福神漬けってのは、もともとは茶色だった。今でも、ちょっと高級なメーカーのものは、昔ながらの茶色だったりする。そして、なんで福神漬けが赤くなったのかって言うと、大正から明治にかけて、カレーライスが一般的な料理になった時期に、カレーライスに添えるものとして、ニポンに昔からあるお漬物をいろいろと試してみたところ、福神漬けの味が一番マッチした。でも、色は良くない。茶色いカレーに茶色い福神漬けを添えるのは、視覚的に美味しそうに見えない。それで、カレーに添えるための福神漬けだけ、赤くするようになった。つまり、今、どこでも売られてる普通の赤い福神漬けこそが、「カレー用」として開発されたものなのだ。

だから、一部でヒッソリと売られてる茶色い福神漬けが「元祖」ってワケで、わざわざ「カレー用」って書いてなくても、赤い福神漬けは最初から「カレー用」ってワケなのだ。それなのに、さらに「カレー用」って明記して黄色い福神漬けを売り出すなんて、これほど無意味なことはないだろう。それも、現行の福神漬けに対して、多くの人が「カレーにはイマイチ合わないよな」って不満を抱いてるならともかくとして、みんな満足してるだろう。それに、福神漬けが嫌いな人や、「カレーには福神漬けよりもラッキョウが合う」って思ってる人なら、黄色い福神漬けが発売されても買わないだろう。

‥‥そんなワケで、あたしは、最初に、あたしには必要のないものでも、あたし以外の誰かが必要としてる‥‥って言った。だけど、世の中に数え切れないほどあるものの中で、この「カレー用の福神漬け」だけは、あたし以外にも誰1人として必要としてないように思うのだ。たとえば、法律で赤い福神漬けが禁止にでもなれば、その代替品として、仕方なく黄色い福神漬けを買う人も出てくるだろうけど、ちゃんとカレー用に開発された赤い福神漬けがある限り、黄色い福神漬けの出る幕はない。だから、あたしは、黄色い「カレー用の福神漬け」こそが、地球上で最も存在意義のないもの、存在価値のないもの、存在理由の分からないものだと思ってる今日この頃なのだ。


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