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2010.09.05

二十六夜待

毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれてイヤになっちゃうよ!‥‥って言う麻布十番のタイヤキ君の気持ちが分かるほど暑い日が続いてるけど、暦の上ではすでに秋、それも、初秋じゃなくて仲秋だ。だから、俳人のハシクレとしては、「春は花、秋は月」の基本通りに、お月様を愛でたいと思う。で、あたしの場合は、まん丸の満月は当然として、半分のお月様も、細いお月様も大好きだから、今の時期は、ほとんど毎晩のように夜空を眺めてる。

ちなみに、今は、8日の新月に向けて細くなってくとこなので、オトトイの夜は、リトル太めの逆三日月が、東の低い空に煌々と浮かんでた。とってもキレイで、あたしは、夜中の1時ころまで、ずっと眺めてた。ゆうべは、オレンジ掛かった細い月が、一面の雲でマダラになった夜空に揺れてて、とっても神秘的だった。そして、今夜は、いよいよ「二十六夜」だ。新月を迎えて月が見えなくなる2日前の本物の逆三日月が楽しめる日で、下弦の月とともに「願いの叶う月」って言われてる。だから、何か願い事がある人は、今夜、東の低い空に浮かぶ逆三日月に、お祈りしてみるといい。

そして、月が見えなくなる8日の新月を過ぎると、お月様は、今度はどんどん太ってく。今度の土曜日、11日あたりに三日月になり、15日ころに上弦の月(半月)になり、23日の「秋分の日」に満月になる。それから、また、ジョジョに奇妙に痩せてって、お月様の1クールが終わる‥‥って聞くと、「じゃあ23日が中秋の名月なんだな」って思ったそこのあなた、ブッブー!不正解です!今年の「中秋の名月」は、満月の前日の22日なのだ。満月の日じゃなくて、満月の前日が「中秋の名月」だなんて、まるで財務省の言いなりなのに政治主導を主張してる菅さんみたいにツジツマが合わない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、まずは、「中秋」と「仲秋」の違いについてオサライしとくけど、「中秋」が読んで字のごとく「秋の真ん中」を指す言葉なのに対して、「仲秋」は、今の暦で「秋」にあたる8月、9月、10月を「初秋」「仲秋」「晩秋」に分けた時の呼び名、つまり、「9月」を指す言葉だ。ようするに、「中秋」が特定の日をピンポイントで指してるのに対して、「仲秋」は一定の期間を幅広く指してるってワケだ。だから、9月の満月のことは「中秋の名月」って表記するのが正しくて、「仲秋の名月」って表記しちゃうと、「9月の名月」って意味になっちゃう。

で、9月の満月のことを「中秋の名月」って呼ぶって言ってるのに、なんで23日の満月の日の前日が「中秋の名月」になるのかって言うと、これは、暦の日付けと実際の月齢とにズレがあるからだ。もともと、ニポンの暦は、お月様の満ち欠けに合わせて作られてたので、1ヶ月のスタートは、月の見えない新月から始まってた。そして、月がどんどん太っていって、暦の真ん中の15日に満月になり、そこからはどんどん痩せてって、月が見えなくなると1ヶ月の終わりだった。だからこそ、「1月」「2月」「3月」って呼ばれてるし、「1ヶ月」「2ヶ月」「3ヶ月」って数えてるのだ。

だけど、今は、お月様の満ち欠けじゃなくて、お日様の動きに合わせた「太陽暦」が使われるようになった。だから、「1月」とか「1ヶ月」とか言いつつも、実際のお月様の満ち欠けと暦とがズレちゃってる。お月様の満ち欠けだと、新月から次の新月までが29日か30日なので、暦の1ヶ月は29日か30日になり、それが12ヶ月だから、昔の1年は354日だった。だけど、今の「太陽暦」は、1ヶ月が30日か31日で、1年は365日もある。つまり、現在は、1年365日の「太陽暦」に、1年354日の「月暦」を重ねてるワケで、暦の日付けと月齢とがズレちゃうのはジンジャエールってワケだ。

ニポンの昔の暦だと、秋は7月、8月、9月だった。だから、7月7日の「七夕」も、昔の暦をベースにして編集されてる俳句の歳時記では「秋の季語」に分類されてるってワケだ。そして、昔の暦はお月様の満ち欠けで作られてたから、月の見えない新月の日が7月1日で、月がどんどん太ってって、7月15日に満月になり、それからどんどん痩せてって、次の新月の日の前日に7月が終わり、新月を迎えると8月がスタートする‥‥って流れだった。

秋は7月、8月、9月だったから、7月が「初秋」、8月が「仲秋」、9月が「晩秋」で、「仲秋」の8月の真ん中の15日に見られる満月が「中秋の名月」だった。だから、「十五夜」って言うワケだ。そして、昔の人たちが「中秋の名月」を愛でてた旧暦の8月15日は、現在の「太陽暦」で言うと、今年の場合なら、9月22日ってことになる。だから、もしもニポンが、まだ昔の暦を使ってたとしたら、今日は7月26日で、3日後の新月の日に8月1日になり、その15日後の8月15日が「中秋の名月」だったのだ。

で、マクラに書いた「中秋の名月」の日と実際の満月の日とがズレてる問題だけど、これは、何も今の時期の「中秋の名月」に限ったことじゃなくて、毎月の「十五夜」にも言えることだ。お月様が新月から満月になる時間は、いつでもピッタリ15日ってワケじゃなくて、14日から16日って幅がある。これは、月の軌道が「円」じゃなくて「楕円」だってこととか、他にも複数の理由があるんだけど、月の見えない新月の日を1日としてスタートするから、14日目に満月になる時が暦の上ではピッタリ15日になり、「十五夜」の日と実際の満月の日とが重なることになる。

そして、15日目に満月になる時は、暦の上では16日になり、16日目に満月になる時は、暦の上では17日になる。だから、最大で2日ほどズレちゃうってワケだ。で、今月は、9月8日が新月の日、つまり、旧暦の8月1日にあたり、15日目に満月になる周期なので、実際の満月は23日なのに、暦の上での「十五夜」は22日になるってワケだ。だから、「中秋の名月」を愛でるのなら22日の夜ってことになるし、実際の満月を愛でたいのなら23日の夜ってことになる。ま、1日前でもほとんど満月だから、目で見ても違いは分からないと思うけど。

‥‥そんなワケで、「中秋の名月」を愛でるのは普通のことだけど、お月見と言えば、あと2つある。「中秋の名月」から1ヶ月後、旧暦の9月13日に愛でる「後(のち)の月」と、「中秋の名月」の前、旧暦の7月26日の「二十六夜待(にじゅうろくやまち)」だ。江戸時代には、この3つが「三大月見」として庶民の楽しみになってたんだけど、早い時間から満月を愛でる「中秋の名月」と「後の月」が、お供え物をして静かに過ごすイベントだったのに対して、「二十六夜待」は、みんなで楽しむ賑やかなイベントだった。何でかって言うと、月が昇ってくる時間が遅いから、早いうちから集まった人たちが、お酒を飲んだり、美味しいものを食べたり、いろんなことをして月を待ってたからだ。


 枝豆に下手碁も二十六夜待  北川洗耳


これは明治時代の句だけど、枝豆をつまみながら下手な囲碁を楽しんで、遅い時間に昇ってくる神秘的な細い月を待ってた様子がうかがえる。「中秋の名月」や「後の月」は、月そのものが主役のイベントだけど、この「二十六夜待」の場合は、「待ち」って言葉がついてることからも想像できるように、みんなで月の出を「待つ」ことも楽しみのひとつだったのだ。

マクラにも書いたように、二十六夜の月は、三日月の反対側が欠けた逆三日月なので、満月と違って「何で愛でるの?」って疑問もあると思う。だけど、一度でも二十六夜の月を見たことのある人なら、夜中に昇ってきて、低い空にぼんやりと浮かぶ細い月の姿に、なんとも言えない神秘的な感覚を抱いたことだろう。今の都会だと無理だけど、電気のなかった江戸時代には、この逆三日月が顔を出す深夜の時間になると、それまで騒いでた人たちが全員、月の出る方角に目を向けた。そして、月の形とか、大気の具合とか、あたしには分からないホニャララの影響とかで、月が顔を出す瞬間に見える3本の光の筋を「阿弥陀如来」「勢至菩薩」「観世音菩薩」の三尊に見立てて、みんなでアリガタイザーしたってワケだ。

あたしにも分かる範囲で説明しとくと、二十六夜の逆三日月は、月の欠けた側、つまり、影になってて見えない側から顔を出す。そして、三日月に光ってる部分は、アルファベットの「U」の形に昇ってくるので、両側の尖った部分が最初に現われる。そのため、他のお月様の場合と違って、光が2ヵ所に現われる。そして、地球に反射した光が、また月を照らすナントカ現象とかの作用もあって、合計で3本の光の筋が見えるのだ。そして、月の出の瞬間に見えた3本の光の筋は、すぐに1つになり、神秘的に昇ってくる。

昔の人たちは、この不思議な現象を三尊に見立てたんだけど、リーダー格の「阿弥陀如来」は暗い世の中を明るく照らしてくれるスーパーな仏様だし、「勢至菩薩」は苦しんでる人々を救ってくれるウルトラな仏様だし、「観世音菩薩」は人々の願い事を聞いてくれるコンビニエンスな仏様だから、この三尊が一緒に登場してくれたら、キュアブロッサムとキュアマリンとキュアサンシャインが3人そろって登場したより何万倍も意味がある。だから、江戸時代の人たちも、月の出までは賑やかに過ごしてても、月の出の瞬間には、それぞれが胸の内に秘めてた願い事をしたんだと思う。

‥‥そんなワケで、ナニゲに神秘的な「二十六夜待」は、もともとは旧暦の1月26日と7月26日、年に2回も行なわれてた。だけど、旧暦の1月と言えば、現代の2月ってワケで、あくりにも寒いので、そのうち7月26日だけになったのだ。ちなみに、この「二十六夜待」が盛んだった江戸時代には、現在の港区高輪の高台や、品川の海岸など、月の出が見やすい場所にたくさんの人たちが出かけて行った。こうした場所には、元からあったお店の他に、たくさんの屋台も並んで、ものすごい賑わいだったようだ。だけど、1830年代に幕府が行なった「天保の改革」の一環、庶民の娯楽や贅沢を制限した綱紀粛正によって、この「二十六夜待」のイベントも廃れてった。

だけど、江戸を離れた地方では、「二十六夜待」は全国的に続けられてて、有名なとこでは、山梨県に、その名もズバリの「二十六夜山」ていう山もある。この地域の人たちは、毎年1月と7月の「二十六夜」になると、この山に登って月を待ったのだ。他にも、全国各地に「二十六夜待」の伝承が残ってて、今でも続いてる地域も少なくない。そして、全国各地に伝わってるイベントだから、当然、岩手県にも伝わってて、宮沢賢治が、この「二十六夜待」を下敷きにした「二十六夜」っていう作品を書いてる。

読んでもらえれば分かるように、宮沢賢治の「二十六夜」は、実際の「二十六夜待」の1ヶ月前、旧暦の6月24日から26日までの3日間のお話で、1ヶ月後に「二十六夜待」を控えた状況を人間じゃなくてフクロウを主人公にして描いてる。フクロウのお坊さんが、1ヶ月後の「二十六夜待」のことをこんなふうに説いてる。

「さあ、講釈をはじめよう。みなの衆座にお戻りなされ。今夜は二十六日ぢゃ、来月二十六日はみなの衆も存知の通り、二十六夜待ちぢゃ。月天子(がってんし)山のはを出でんとして、光を放ちたまふとき、疾翔大力(しっしょうたいりき)、爾迦夷(るかい)波羅夷(はらい)の三尊が、東のそらに出現まします。今宵は月は異なれど、まことの心には又あらはれ給はぬことでない。穂吉どのも、たゞ一途に聴聞の志ぢゃげなで、これからさっそく講ずるといたさう。穂吉どの、さぞ痛からう苦しからう、お経の文とて仲々耳には入るまいなれど、そのいたみ悩みの心の中に、いよいよ深く疾翔大力さまのお慈悲を刻みつけるぢゃぞ、いゝかや、まことにそれこそ菩提のたねぢゃ。」

実際の「二十六夜待」を下敷きにした創作だから、月とともに現われる仏様も「疾翔大力」「爾迦夷」「波羅夷」っていうフクロウの仏様に変更してある。そして、何よりも感心しちゃうのが、「二十六夜待」の当日のことじゃなくて、1ヶ月前のことを書いてる点だ。3日連続で行なわれたフクロウのお坊さんの講釈に、1日目で早くも退屈して人里へ遊びに行っちゃった穂吉が、人間に捕まって大変なことになっちゃう。そして、最後には‥‥ってお話で、宮沢賢治の考えたフクロウの宗教にしてあるけど、中身はちゃんと仏教の教えに沿って作られてて、実際の「二十六夜待」をキチンと踏襲してる。

‥‥そんなワケで、宗教的なことはともかくとして、お月様の観測としてもとっても面白いケースだし、月の出が見られなくても、昇ってからの月を見るだけでも神秘的で貴重な体験になる。だから、細かいことを言うと、暦の上での「二十六夜」はゆうべだったけど、実際の二十六夜月は今夜だし、明日の夜も「ほぼ二十六夜月」が見られるから、深夜に東の低い空を見て、いつもの三日月とはまったく味わいの違う不思議な細い月を愛でてみてほしい。そして、暦の上での「二十六夜」は過ぎちゃってるからご利益は薄そうだけど、それでも、何か願い事がある人はダメモトでお祈りしてみるのもいいと思う今日この頃なのだ。


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