母さんの「時うどん」
今日は、久しぶりに、母さんとデートした。母さんのほうから誘ってくれたのだ。
あたしは、右手の麻痺が思ったより長引いてるのと、体調にも波があるのとで、ほとんどマトモにお仕事ができない状態が続いてる。だから、金銭的にもキビシー状態だけど、それよりも精神的にまいってる。やっぱり、先のことを考えると不安になり、お酒を飲まないと眠れない日とかもある。
母さんは、あたしを心配してチョクチョクと様子を見にきてくれるんだけど、あたしは母さんに心配かけたくなくて、元気にふるまう。でも、母さんには、あたしが無理してるのはお見通しで、あたしがお茶をいれようとしても、何かをしようとしても、パッと立って代わりにやってくれる。あたしがちょっとウトウトして、ハッと目を覚ますと、ベランダから取り込んだままになってた洗濯物が、ぜんぶ丁寧に畳んであったりする。
あたしは、母さんに心配かけて申し訳なく思う気持ちと、子供のころ風邪をひいて看病してもらった時の温かくて嬉しい気持ちとが入り混じったような、何とも言えない複雑な気持ちになる。あたしが母さんをラクさせなきゃいけないのに、正反対の状況になってることに対する情けなさを痛感してるあたしと、母さんの胸に顔を埋めて、すべての問題を放り出して泣くことができたら、どんなにラクになれるだろうっていう弱虫で甘えん坊のあたしとが、心の中に同居してる。そして、そんなあたしの様子を見た母さんは、数日前、突然、こんなことを言った。
「きみこ、近いうちに、お弁当を持って民家園にでも行こうか?」
‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」は割愛してくけど、母さんのほうからこんなこと言い出すのはメッタにないので、よっぽど、あたしの様子がおかしくて、母さんに心配かけてたんだと思って、あたしは反省した。それで、あたしは、気持ちを切り替えて、母さんと民家園にお昼を食べに行こうと思ったんだけど、ここで、ものすごく楽しいことを思いついた。
実は、1週間くらい前に、読み終わった本を図書館に返しに行って、次に読む本を借りて帰ろうとした時に、図書館の出入り口の掲示板で、「落語の楽しみ」っていうチラシを見つけたのだ。まん丸顔の噺家さんの写真と「春風亭笑松」の文字、そして、「11月20日(土)午後1時半開場、2時開演」て書いてあったので、あたしは、図書館の人に聞いてみた。そしたら、今年は「国民読書年」なので、その企画として、図書館のミニホールで落語をやるって言う。もちろん無料だ。それで、あたしは、ケータイのメモ機能に、日付と時間を打ち込んでおいた。
で、このことはコロッと忘れてたんだけど、母さんから民家園に行こうって誘われた時に、あたしは、「そう言えば?」って感じで思い出したってワケだ。そして、楽しいことを考え始めると、あたしの脳みそは急に回転が速くなるから、いつもなら、「民家園と図書館はワリと近い」→「落語は1時半に開場」→「民家園から図書館までは自転車で2~3分の距離」→「1時25分に民家園を出発すれば間に合う」→「母さんと土曜日のお昼に民家園でお弁当を食べて、そのあとに落語を聴きに行こう!」っていう流れが、ぜんぶマトメて脳内一発変換されたのだ。
それで、あたしは、すぐに母さんにそのことを言ったら、母さんも大喜びで、がぜん張り切り出しちゃった。そして、ニコニコしながら、「お弁当は母さんが作るから、きみこはお茶だけ用意して!土曜日のお昼に民家園に集合ね!」って言って帰ってった。母さんとあたしの2人だけなのに「集合」だなんて、母さん、とっても楽しそうで、だから、あたしもとっても楽しくなった。
‥‥そんなワケで、待ちに待った土曜日がやってきた。気になってたお天気もバッチリで、雲も多いけど青空もいっぱいで、風もなくて暖かい。あたしは、ワクワクする気持ちが抑えられなくて、どう考えても早すぎるのに、10時半くらいから支度を始めて、11時半には身支度もお茶も準備万端になった。そして、12時ちょい前に、愛車のフェラーリF2004(ママチャリ)で出発した。
5分ほどで民家園に到着すると、自転車置き場に母さんの電動アシスト付き自転車が停まってたので、あたしは中へ入ってった。そして、いつもの民家園の母屋のほうへ行こうとしたら、「きみこー!!こっちこっち!!」って声が聞こえたので、声のするほうを見たら、母さんが公園の池のほとりのベンチで手を振ってた。「今日はお天気もいいし、こっちのほうが気持ちいいわよ」とのこと。ベンチって言っても、大きくて四角いテーブルみたいなベンチだから、お弁当を広げるのにピッタリなのだ。
母さんは、ものすごく奮発したみたいで、アナゴとキュウリの太巻きを作ってきてくれた。スーパーでアナゴの蒲焼が安くなってたから、あたしに栄養をつけてほしくて作ってきたって言った。あたしは、嬉しくて泣きそうになっちゃって、魔法瓶のお茶を注いでごまかした。他にも、イワシの生姜煮、ジャガイモとニンジンとチクワとコンニャクの煮物、キュウリとナスとカブのお漬物のタッパーが並んで、まるでお花見みたいになった。ちょうど、ベンチの横には大きな桜の木があって、ベンチの上まで太い枝が伸びてるから、春だったらホントにお花見だった。
あたしの作るお寿司の酢飯は、どうしてもお酢がツンツンした感じになっちゃうんだけど、母さんの酢飯は、子供のころから食べてきた味で、とってもやさしい味がする。小学校の水泳大会で成績が良かった時とか、中学生になった時とか、あたしに何かおめでたいことがあると、いつも五目寿司を作ってくれた。具は、チクワやカマボコ、ニンジンやタケノコ、細かく刻んだカンピョウや千切りにしたアブラゲで、エビとかイクラは入ってなかったけど、あたしは大好きだった。
‥‥そんなワケで、あたしは、母さんの太巻きで元気マンマンになり、母さんと仲良く図書館へ向かった。スリッパに履き替えてミニホールへ入ると、6~70席くらいのパイプ椅子が並んでて、まだ開場したばかりなので、3分の1くらいしか埋まってなかった。ステージの上には高座が作られてて、ステージ奥の上には「落語の楽しみ」、高座の下手(しもて)の「めくり」には「春風亭笑松」の名前。母さんとあたしは、ちょうど真ん中あたりに座った。
とにかく、生で落語を聴くなんて、母さんもあたしもすごく久しぶりなので、ものすごくワクワクしてて、2人ともキョロキョロと落ち着きがなかった。開演時間が近づいてきて、席も埋まってくると、図書館の係の人が、ステージ下のマイクで「もうじき始まります」的な案内をした。そして、開演時間の2時になったら、図書館の女性館長の挨拶から始まった。館長は「今年は国民読書年なので、落語を通して活字文化に親しんでもらおうと企画しました」って感じのことを言ってた。あたしは、心の中で「落語を耳で聴いても活字とは関係ないじゃん」てツッコミを入れたんだけど、「この図書館には落語に関する本もたくさんありますので、ぜひ読んでください」ってことだった。
そして、係の人から説明があったんだけど、今日は三部構成になってて、まず初めに、春風亭笑松さんによる「落語の楽しみ方」についての講演で、次に地元の小学生の落語と笑松さんの落語、そして最後に小学生と笑松さんのトークっていう流れだそうだ。あたしは、2時から3時半までの1時間半、笑松さんが1人でずっと落語をするのかと思ってたので、「さぞや大変だろう」って心配してたんだけど、サスガにそんなことはなかった。
で、いよいよ笑松さんの登場だ。チラシの写真で、こん平さんみたいな丸顔の体格のいい人だってことは分かってたけど、人のいい熊さんみたいな感じで、身長174cm、体重102kgだって言ってた。そして、ナナナナナント! 37歳で、あたしと同い年だった!
笑松さんは、「しょうまつ」って読むので、ミゴトな「重箱読み」だ。でも、「しょうしょう」って読ませるワケには行かないから、「しょうまつ」でモーマンタイだと思った。笑松さんは、九代目の春風亭小柳枝師匠のお弟子さんで、現在は二ツ目、真打のひとつ手前だ。だけど、普通の話も落語もメッチャ面白くて、まさに「ザ・話芸」って感じで、あたしみたいなドシロートが言っちゃウルトラ失礼だろうけど、十二分に真打の実力がある人だと思った。
たとえば、この、一番初めの「落語の楽しみ方」についてでは、手拭いと扇子の使い方の実演や、「寄席文字」の説明など、落語を楽しむ上での基本的なことを面白おかしく話してくれたんだけど、その中で、「目に見えないものを見せるテクニック」を披露した。最初は、扇子を刀に見せる方法で、短い扇子を両手で握ったら、そのままじゃ刀には見えない。そこで、扇子は刀の柄(つか)ってことにして、あとは柄から伸びる「目に見えない刀」を目と顔で追うことで、いかにもそこに刀身が伸びてるようにイメージさせるってテクニックだ。もちろん、その技術も素晴らしかったけど、どこまでも伸び続けた上にグルリと一回転しちゃってる刀まで見せてくれて、キチンと笑わせてくれた。
そして、次に、「人を呼ぶ時の距離感」を実演して見せてくれた。近くにいる人を呼ぶ時は、普通の声で「おーい!こっちこっち!」、少し遠くにいる人を呼ぶ時は、ちょっと目線を高くして、さっきよりも大きな声で「おーーい!こっちこっち!」、もっと遠くにいる人を呼ぶ時には、もっと目線を高くして、もっと大きな声で‥‥って、あたしは、ここまで聴いて、さっき民家園で、母さんがあたしのことを「きみこー!!こっちこっち!!」って遠くから呼んだことを思い出した。これは、笑松さんの実演が、ホントに遠くの人を呼んでるみたいに感じられたからだ。
遠くの人を呼ぶ実演は、どんどんエスカレートしてって、終いには、うんと遠くの人を絶叫して呼ぶっていうオチで、会場はドッと笑いに包まれた。そして、会場の笑いが引いて、一瞬、静かになった時に、後ろのほうの席で、それまでも声を出したり走りまわったりしてた小さな女の子が、笑松さんを真似て、「おーい!こっちこっち!」って可愛らしい声で叫んじゃった。これがウケちゃって、またみんなが笑ったら、笑松さんは、すかさず「誰かが私のことを呼んでるようですが‥‥」って言って、またまた笑いを取る。
幼児の起こしたハプニングを間髪いれずにアドリブで返して笑いを取るなんて、ホントに素晴らしいフットワークだと思った。それも、公演中に大きな声を出して話の腰を折った幼児は、普通ならお母さんから叱られるとこなのに、笑松さんが笑いに変えてくれたことで、その女の子も叱られずに済んだ。みんなが幸せな気分になって、みんなが気持ちよく笑った。
今のお笑い芸人の多くは、誰かをバカにしたり笑い者にしたりして笑いを取ることが多い。男性の芸人だけじゃなくて、女性の芸人も当たり前のように「ブス」だの「デブ」だの言われるようになった。笑い者にされたほうも、それを「おいしい」と思ってるんだから実害はないんだろうけど、見ていて気持ちのいいもんじゃないし、あたしは、こうした風潮が、学校でのイジメとかにも繋がってるような気がしてる。他人をからかったり揚げ足を取ったりすることが、笑いのネタなら許されるって風潮が広まったことで、笑い者にされたほうも、ホントは悔しいし恥ずかしいのに、無理してマンザラでもないような顔をして取り繕わなきゃならなくなった。
もともと、こうした風潮に嫌気がさしてたあたしは、誰ひとり傷つけずに、誰ひとり不愉快にさせずに、それどころか、叱られるハズの幼児まで救った笑松さんのアドリブに、とっても温かい気持ちになって笑うことができた。そして、こうしたアドリブがパッと出る笑松さんは、笑いの技術やセンスが素晴らしいだけじゃなくて、人柄がやさしくて素敵な人なんだろうなって感じた。
‥‥そんなワケで、笑松さんは、他にも、出囃子の違いなんかも解説してくれた。実際に、桂歌丸の「大漁節」や、柳家小さんの「序の舞い」の出囃子をCDで流して、楽しく解説してくれた。そして、休憩をはさんで、いよいよ楽しみにしてた落語が始まったんだけど、最初に登場したのは、地元の喜多見小学校の6年生、沖山槙之介(しんのすけ)君だった。槙之介君は、CDやDVDを使って独学で落語を勉強してる子で、この図書館を始め、いろんな場所で落語を披露してきたそうだ。それで、その腕前を買われて、今回も特別出演することになったそうだけど、今回、槙之介君が聴かせてくれたのは、オナジミの「からぬけ」だった。「穴子でからぬけ」ともいう古典の演目で、兄弟だったり、与太郎と熊さんだったり、いろんなパターンがある。
ようするに、頭のいい男とバカな男が登場して、お金を賭けて「なぞなぞ」をやるワケだ。出題するのはバカのほう、答えるのは頭のいいほうなんだけど、最初は、誰でも簡単に答えられる問題ばかり出すから、バカのほうはどんどんお金を取られてく。そして、「これが最後だから」と言って、今までの何倍もの掛け金を言うと、頭のいいほうはシメシメと思って受けて立っちゃう。そこで、バカが出した問題ってのが、「長かったり短かったり、太かったり細かったりで、黒くてヌルヌルしてるものは?」ってものだ。
頭のいいほうは、「ドジョウって答えたらウナギ、ウナギって答えたらドジョウって言うつもりだな?」って言うと、バカのほうは「それなら両方を答えてもいいよ」って言う。それで、「ドジョウとウナギ」って答えると、「残念でした。正解はアナゴです」って言って、お金を持ってっちゃう。結局、ホントはバカのほうが頭が良かったってオチだ。
で、槙之介君は、ここでオチにしてたけど、この演目には、いろんなパターンがあって、「ドジョウとウナギ」の代わりに「ヘビとウナギ」ってのもあるし、さらには、オチたあとに、もう一度、おんなじ問題を出してきて、頭のいいほうが、今度は「ドジョウとウナギとアナゴ」って答えると、「残念でした。正解は腐った芋茎(ずいき)です」っていう二段オチのパターンもある。槙之介君は、100以上の演目を勉強してて、持ちネタもたくさんあるそうだし、今日のマクラの「自己紹介」も面白かったし、「からぬけ」もとっても上手だったから、たぶん、今日は時間の都合もあって、一段オチにしたのかもしれない。今度は長い演目も聴いてみたいと思った。
会場を沸かせてくれた槙之介君は、ちゃんと座布団を裏返しにして、「めくり」をめくって、笑松さんの名前を出してから下がってったので、あたしは感心しちゃった。そして、いよいよ笑松さんの登場だ。笑松さんの演目は「時そば」だったので、あたしはもうちょっとマニアックな噺を聴きたかったんだけど、小学生も多かったから仕方ないのかと思ったのもトコノマ、噺が進むにつれて、どんどん面白くなってく。特に、扇子を使ったそばの啜り方が天才的で、美味しいそば、まずいそば、細いそば、太いそば、茹ですぎのそば、すべてを扇子の動きと表情、啜る音だけでミゴトに表現し分けてた。特に、薄く切ったチクワだと思って口に入れたら、実はチクワの代わりのお麩(ふ)だと分かった時の演技なんて、笑松さんの表情だけで、子供からお年よりまで、みんなが笑ってた。
笑松さんの噺は、マクラと落語とのバランスも良くて、とっても親切だった。マクラでは「二八そば」の由来を話してくれたんだけど、うどん粉とそば粉の割合が2対8だっていう一般的な由来から、江戸時代のそばは値段が16文だったので、2×8=16ってことから、そばのことを「二八そば」って呼ぶようになったっていう俗説へと流れてく。そして落語へと入ったので、食べたおそばの代金を払うクダリの「1文、2文、3文‥‥7文、8文、ところでオヤジ、今、何時(なんどき)だい?」っていう部分が、昔のお金のことが分からない子供たちにも、ちゃんと理解できたのだ。
‥‥そんなワケで、とっても楽しかった「落語の楽しみ」だったけど、あたしは、毎度のことながら、「偶然の連鎖」にも驚いちゃった。だって、民家園で母さんから「きみこー!!こっちこっち!!」って呼ばれたあとに、笑松さんの「おーい!こっちこっち!」っていう呼び方の実演。母さんのアナゴの太巻きを食べたあとに、槙之介君の「からぬけ」で「アナゴ」のオチ。そして、母さんの「チクワ」が入った煮物を食べたあとに、笑松さんの「時そば」で、チクワだと思った具がお麩だったっていうクダリがあったからだ。
そして、この「偶然の連鎖」には、まだ続きがある。図書館を出てから、あたしは、母さんのとこへ行って、しばらくのんびりした。自分の部屋にいると、なんだかんだといろんな用事が気になっちゃって、心から落ち着くことができないんだけど、母さんのとこにいると、身の周りのことを忘れてのんびりできるからだ。それで、母さんが晩ごはんに鍋焼きうどんを作ってくれるって言うので、あたしは、マンションの仲良しの人に電話して、今夜の猫たちのごはんをお願いして、夜まで母さんのとこでゆっくりさせてもらうことにした。
それで、NHKの「坂の上の雲」を観ながら、母さんの作ってくれた鍋焼きうどんを一緒にフーフーと食べ始めたら、ナナメに薄く切ったチクワの隣りに、おつゆをタップリと吸ったお麩が浮かんでたのだ。母さんは、別に今日の笑松さんの「時そば」に合わせてチクワとお麩を入れたワケじゃなくて、たまたま、あり合わせの材料で作っただけなんだけど、あまりにも落語とシンクロしてたから、あたしは思わず母さんの「時うどん」に16文払いそうになっちゃったよ(笑)
‥‥そんなワケで、今日の図書館のイベント、「落語の楽しみ」は、ホントに楽しかった。落語はもちろんのこと、最初の笑松さんによる「落語の楽しみ方」も面白かったし、最後のトークも楽しかった。母さんもいっぱい笑ってたし、あたしも久しぶりに声を出して笑うことができた。そして、声を出して笑ったら、一時的にしろ、あたしは、抱えてる悩みや心配事を忘れることができて、すごく心が軽くなった。とっても楽しい企画を考えてくれた図書館の皆さん、小学生とは思えない素晴らしい落語を披露してくれた沖山槙之介君、そして、温かい人柄と卓越した話術で楽しいひとときをプレゼントしてくれた春風亭笑松さんに、心から「ありがとう」を言いたい。そして、何よりも「母さん、ありがとう!」‥‥って感じの今日この頃なのだ♪
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