「原子力」より「女子力」の時代
「女子プロ」って聞くと、たいていの人は、「女子プロレス」とか「女子プロゴルフ」とかを思い浮かべるだろうし、テニスが好きな人なら「女子プロテニス」、ボーリングが趣味の人なら「女子プロボウリング」を思い浮かべるだろうし、他にも「女子プロ野球」なんてのもある。だけど、女子プロレスにしても、女子プロゴルフにしても、女子プロテニスにしても、その他の女子プロホニャララにしても、とても「女子」とは呼べない年齢の人たちも混じってる。たとえば、テニスのクルム伊達公子選手にしても、見た目は若くてキレイだけど、年齢は40歳だ。「女子プロテニスプレイヤー」って呼ぶのなら違和感ないけど、単に「女子」って呼ぶのは違和感がある。
つまり、これらの「女子プロ」の「女子」ってのは、小学校や中学校の時に先生が「おーい!男子はこっちの列!女子はあっちの列に並べー!」とかって言ってた「女子」とは違って、男性のプロとは区別するための意味として「女子」って言葉を使ってるのだ。50歳や60歳の女性が、何の違和感もなく「女子更衣室」で着替えできるのも、この「女子」が「女の子」って意味じゃなくて、男性と女性の更衣室を区別するための記号みたいな使われ方をしてるからだ。
小学校や中学校の時の「男子と女子」は、英語だと「ボーイズ&ガールズ」なワケだけど、大人になってからの「男子と女子」は、「レディース&ジェントルメン」だったり、洋服の「メンズとレディース」みたいなニュアンスとして使われてるってことだ。だから、40歳のクルム伊達公子選手どころか、50歳でも60歳でも「女子プロゴルファー」とか「女子プロボウラー」って呼んでもおかしくないし、こうした選手たちが「女子更衣室」で着替えても違和感ない。ようするに、「レディースデー」に映画を観に行くようなもんで、とても「女子」とは呼ばれない年齢のあたしでも、パチンコ屋さんの「レディースデー」に打ちに行けば、あたしよりもずっと年上のおばちゃんばっかが並んでて、そのシマじゃ若いほうだったりする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、この「女子」って言葉は、2つの意味がある。1つは、もともとの意味の通りに、高校生くらいまでの女の子を指して使う場合で、もう1つは、「レディー」って意味で使う場合だ。そして、現在では、後者としての使われ方のほうが多くなってる。本来の言葉の意味から考えれば、20代の前半くらいまでなら、まだ「女子」って呼んでもギリギリセーフだけど、サスガに30代の女性を「女子」とは呼べない。だけど、現在では、30代の女性をターゲットにした女性誌でも、さらに上の40代をターゲットにした女性誌でも、「女子」って言葉が使われてることがある。それが「女子力」だ。
とても「女子」とは呼べない年代の女性をターゲットにした雑誌に、「この秋のマストアイテム、ホニャララブーツで足元から女子力アップ!」なんて見出しが踊ってる。ファッションだけじゃなく、メークでも、ダイエットでも、カルチャーでも、キャリアでも、何から何まで「女子力」の大合唱だ。挙句の果てには、グルメ雑誌にまで「行列のできるコラーゲン鍋で女子力アップ!」なんて書いてある。コラーゲンなんて食べても飲んでも何の効果もないのに、こうした見出しに騙されて、セッセと「女子力」を上げに行く女性が後を絶たない。
で、「女子力」って何?‥‥ってことだけど、フランク・ザッパに言っちゃえば、「女性としての魅力」ってことだ。流行のファッションやメークで外見を美しく装うことも、ダイエットで理想のボディーに近づけることも、ヨガやティラピスやアロマテラピーなんかで心身ともに充実させることも、カルチャースクールに通ったり仕事上のキャリアを積んでくことも、すべては「女子力」をアップさせることなワケで、ひと昔前なら「女を磨く」なんて言われてたことだ。
そして、もうちょっと詳しく説明すると、この「女子力」には2種類あって、「基本的な女子力」と「男性のウケを狙った女子力」に大別される。「基本的な女子力」ってのは、純粋な向上心によるもので、目的はあくまでも自分自身を磨くことだ。流行のヘアスタイルにするのも、エステに通うのも、英会話を習いに行くのも、すべては自分のためだ。そして、「男性のウケを狙った女子力」ってのは、読んで字のごとく、職場や周りの男性たちのウケを狙って自分を磨くことで、主に外見を磨くことに終始する。
だから、この線引きは難しくて、おんなじ流行のファッションをしてても、おんなじエステに通ってても、A子さんは自分自身のために「女子力」をアップさせてて、B子さんは職場の男性たちにモテたくて「女子力」をアップさせてるってこともある。つまり、「女子力をアップさせるために何をしてるか」って部分で区別するんじゃなくて、「何のために女子力をアップさせてるのか」っていう目的の部分で区別される。
だけど、これも、ものすごく曖昧で、「女子力」の鍛錬に余念がない女性の多くは、この2つのパターンをそれほど意識してない。流行のファッションやメークにしても、ダイエットやエステに精を出すことにしても、基本的にはすべて自分のためであり、「少しでもキレイになりたい」っていう女性の本能による行動だ。そして、その結果として、周りの男性からモテるようにもなるワケだから、この2つのパターンは、大きく重なった「ベン図」で表わすことができる。
たとえば、職場に好きな男性がいたりすれば、その男性によく思われたくて、その男性をピンポイントに狙って自分の「女子力」を上げてく女性もいるだろう。だけど、女性が流行のファッションやメークを日々研究してるのは、周りの男性のことよりも、同性を意識しての行動だ。たいていの女性の場合は、自分の職場の中だけじゃなくて、街ですれ違う見ず知らずの人たちに対しても、その中の同性である女性たちから「あの人、ステキね」って思われたいと思ってる。5センチも髪を切ったのに気づきもしない鈍感な男性よりも、アイラインのタイプを変えただけでもすぐに気づいてくれる敏感な同性にこそ、自分のセンスを認めてほしいのだ。
‥‥そんなワケで、この「女子力」って言葉が一般的に使われるようになったのは、たぶん4~5年くらい前からだと思うけど、過去ログを調べてみたら、2008年8月3日の日記、「女子力の時代」で、当時の「goo」の「女子力に関するアンケート」を取り上げてたし、去年の流行語大賞にもノミネートされてたから、少なくとも2年前には人口に膾炙(かいしゃ)してたと思う。
そして、今年の1月に「オリコンスタイル」が発表した「今年身につけたい○○力」ってアンケート結果では、女性部門の1位に「女子力」が輝いた。ちなみに、2位が「語学力」、3位が「行動力」、4位が「忍耐力」、5位が「コミュニケーション力」だったんだけど、「女子力」ってのは、女性にとってトランプのジョーカーみたいなもので、「語学力」も「行動力」も「忍耐力」も「コミュニケーション力」も含まれてるんだから、1位になって当然だろう。
でも、そうした内容よりも、このアンケート結果で注目すべきは、「女子力」っていう造語が、昔からある「語学力」や「行動力」っていう言葉と一緒に並んでるって点だ。このアンケートでは、他にも、「恋愛力」とか「スルー力」とかの造語や流行語もあがってたけど、ランクインした造語は「女子力」だけだった。つまり、それだけ一般的に使われる言葉に昇格したってワケだ。
マクラに書いた「女子プロ」って言葉は、えてして差別用語にみなされる場合がある。あたしはそこまでうるさくないけど、過度に「女性の権利」とかを主張してるグループの場合には、こうしたことに目クジラを立てたりする人たちもいる。たとえば、ゴルフの場合には、「女子プロ」って言葉を使うとともに、「男子プロ」って言葉も使う。これは、フィギュアスケートとおんなじで、「男子フィギュア」と「女子フィギュア」が並んでるんだから、これは「差別」じゃなくて「区別」だ。
だから、ゴルフやフィギュアスケートは問題ないんだけど、プロレスの場合には、「女子プロレス」とは言うけど「男子プロレス」とは言わない。何も付けずに「プロレス」と言えば、それは男性のプロレスのことで、女性のプロレスの場合だけ「女子プロレス」と呼ぶ。これが、「女性を下に見てる」「女性を差別してる」ってことになるらしい。
こうした言葉はたくさんあって、役者のことも、男性の場合は「俳優」なのに、女性の場合は「女優」と呼ぶことが多い。女性を「女優」と呼ぶなら、男性は「男優」と呼ばなきゃバランスが取れないと思うんだけど、男性を「男優」って呼ぶのは「AV男優」の時くらいだ。小説家にしても、女性の場合は「女流作家」って呼ぶことがあるけど、男性を「男流作家」とは呼ばない。俳句の世界でも、男性の俳人はそのまま「俳人」なのに、女性の場合は「女流俳人」なんて呼ばれちゃう。将棋や囲碁の世界でも、男性はそのまま「棋士」だけど、女性は「女流棋士」になる。決して男性を「男流俳人」とか「男流棋士」とは呼ばない。
ようするに、ニポンの社会は男性が基準、男性がスタンダードであって、女性は男性に順ずる者‥‥っていう感覚なんだろう。事実、スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」が毎年行なってる各国の女性の社会的地位の調査、「男女格差報告」によると、最新の2010年度版でも、ニポンは134ヶ国中の94位で、先進国の中では最低水準なのだ。ちなみに、1位のアイスランドを始め上位にはヨーロッパの国々が並んでて、アジアではフィリピンの9位が最高位だ。そして、中国は61位。ニポン人の中には、フィリピンや中国を国としてニポンより下に見てる人もいるみたいだけど、「男女格差」って点だけで比較すれば、フィリピンや中国のほうがニポンよりも遥かに先進国なのだ。
‥‥そんなワケで、男性が行なう場合には、「男子」とか「男流」とかって言葉は付けないのに、おんなじスポーツや競技や芸術でも、女性が行なうと「女子」とか「女流」とかって言葉が付けられちゃうのは、ニポンの歴史的な背景が大きく影響してることとは言え、サスガに21世紀になってもこんなことをやってると、国際社会から「時代錯誤で封建的な国」だって思われちゃうことウケアイだ。
ま、あたしはそれほど気にしてないから、そんなに強くは主張するつもりはないんだけどね。あたしの場合は、こうした肩書きみたいなことよりも、モノゴトは内容のほうがずっと重要だと思ってるから、女性の俳人を「女流」と呼んで差別するのなら、勝手に差別してればいいと思ってる。あたしは男性の俳人よりも遥かに優れた俳句を詠み、その作品で勝負してやる‥‥って思ってるから、「女流」だろうが「韓流」だろうが「対馬海流」だろうが、肩書きなんてどうでもいいと思ってる。
だけど、いくらあたしが良くても、2010年にもなると、世の中的には、こうしたことにうるさくなってくる。20年も30年も前なら、一部の女性グループとかがヒステリックに主張してただけだったけど、今やグローバルな視点から自分の国を客観的に見る時代になったから、さっきの「世界経済フォーラム」による「男女格差報告」みたいなものも、それぞれの国のレベルや国民の民度を表わす指標みたいになってくる。だから、スチュワーデスが客室乗務員になったりキャビンアテンダントになったりフライトアテンダントになったりしてるワケだ。
細かいことを言えば、男女の性別による「性差別」と、仕事の内容に関する「職業差別」があるんだけど、あたし的には「そんなに大騒ぎするほどのことなのかな?」って感じなので、両方がゴッチャになっちゃってる。飛行機の客室乗務員なら、男性をスチュワード、女性をスチュワーデスって呼ぶことが、どうして差別になるのかが理解できない。レストランなら男性はウエイターで女性はウエイトレスだし、役者なら男性はアクターで女性はアクトレスだし、これらは「男子フィギュア」と「女子フィギュア」みたいに、「差別」じゃなくて「区別」だと思う。
‥‥そんなワケで、イマイチ分からない部分もある男女の呼び名の違いだけど、あたしの個人的な基準としては、男性のほうの名称に「男」って言葉が付いてるなら、女性のほうの名称に「女」って言葉が付いてても、これは「差別」じゃなくて「区別」だから問題ない。でも、男性のほうの名称に「男」って言葉が付いてないのに、女性のほうの名称にだけ「女」って言葉が付いてるケースは、男性をスタンダードとした女性蔑視に当たるから「差別」になると思う‥‥って感じだ。そして、ひの「差別」に関して、差別されてる側のあたし自身は、さっきの俳句の例のように、それほど気にはしてない。ただ、時代の流れとして、対外的には多少は気にしたほうがいいんじゃないかと思ってる‥‥ってことだ。
で、話を大きくクルリンパと戻して、カンジンの「女子力」だけど、この言葉が日常的に使われるようになって久しい現在でも、未だに「男子力」って言葉は使われてない‥‥って言うか、「女子力」と対比させて使ってる人もいるけど、一般的にはほとんど使われてないし認知されてない。男性向けのファッション誌とかで使われてる場合もあるけど、男性の能力や魅力のことは、「男子力」って言葉は使わないで、普通の言葉で表現するほうが遥かに多い。一般的な認知度で言えば、「女子力」を100としたら「男子力」は1程度で、限りなくゼロに近い。
つまり、状況としては、アンコウみたいなもんだ。体長が60センチくらいあるメスのアンコウに、わずか数センチのオスが寄生してるような状態で、これが「女子力」と「男子力」っていう言葉の認知度であり流通度ってワケだ。男性の魅力に関しては、「男子力」って言葉がほとんど使われてなくて、通常の言葉で「ファッションセンス」とか「経済力」とかって表現してる一方で、女性の魅力に関しては、「女子力」って言葉が全国的に使われてるんだから、これは、今まで書いてきた「差別」に該当する形ってことになる。
だけど、この言葉に関しては、男性を基準としてるために女性のほうに「女子」って言葉を付けたワケじゃない。先に「女子力」って言葉が生まれて、そこから「男子力」って言葉が派生したんだけど、こっちはぜんぜん流行らなかった‥‥ってのが実情だ。だから、女性のほうにだけ「女子」って言葉を付けて「差別」してるような形でありながら、実際には正反対で、この言葉だけは、「女子プロレス」とも「女流作家」とも違って、女性ならではの魅力を引き出すための魔法の言葉として使われてるのだ。
‥‥そんなワケで、女性だけに与えられた女性ならではの特権が「女子力」なんだから、あたしは、1人でも多くの女性が「女子力」をアップさせることこそが、ひいてはニポンの男女格差を縮めることにもつながると思ってる。キレイな女性、スタイルのいい女性が増えれば、それだけで街も職場も明るくなる。さりげない気配りができる女性、いつも穏やかで笑顔を絶やさない女性が増えれば、それだけで世の中はギスギスしなくなる。頭のいい女性、語学の堪能な女性が増えれば、それだけで女性の社会進出の機会も広がる。女性たちがどんどん「女子力」をアップさせれば、世の中もどんどん良くなると思う‥‥ってワケで、これからは、子供や孫たちに核廃棄物という史上最悪の遺産を押しつける「原子力」なんかじゃなくて、何よりも地球の環境にやさしい「女子力」の時代だと思った今日この頃なのだ。
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