てるてる坊主とキャブレター
子供のころに疑問に思ったこと、納得できなかったことって、ほとんどは、大人になるまでに解決されるか、どうでもよくなって忘れちゃう。だけど、あたしの場合は、幼稚園の時に疑問に思った‥‥って言うか、幼稚園の時に納得できなくて、それから現在まで、ずっと30年以上も納得できずにいることがある。
それは「てるてる坊主」だ。明日は楽しみにしてた遠足だとか、運動会だとかって時に、雨が降ってたりすると、みんなで「てるてる坊主」を作って、幼稚園のお遊戯室の前の外通路のとこに先生に吊るしてもらって、「てるてる坊主~てる坊主~あ~した天気にしておくれ~♪」って歌ったりしてた。そして、お家に帰ってきてからも、また「てるてる坊主」を作り、イスに乗って軒に吊るして念を押したりしてた。さらには、小学生になると、どうしても雨が降ってほしい時に、逆さに吊るす「るてるて坊主」なんて裏ワザまで覚えちゃって、学校をズル休みしたい時とかに、ティッシュを丸めて作ったちっちゃな「るてるて坊主」を勉強机の上の本棚にコッソリと吊るしたりもした。
「てるてる坊主」を吊るして、ホントに次の日に雨がやんでお日様が顔を出したこともあれば、まったく効き目がなくてダメだった時もある。だけど、子供ながらに、これは科学じゃなくて「おまじない」の一種だってことが分かってたから、たとえ効き目がなくて雨がやまなかったとしても、別に「てるてる坊主」のセイにはしなかった。じゃあ、いったい「てるてる坊主」の何に納得できなかったのかって言うと、それは「吊り方」だ。
「てるてる坊主」って、ティッシュで作るにしても、レポート用紙みたいな薄い紙で作るにしても、まずは頭の中身にする部分を丸めて、それにもう1枚の紙をかぶせて、首のとこを絞って、糸や紐でグルグルと巻いて、そのまま吊るす。そうすると、必ず「お辞儀をしたような姿勢」になるけど、あたしには、これが「首吊り」に見えて仕方ないのだ。紙を丸めただけの単純なモノでも、一応は頭と胴体がある人形なワケで、その人形の首に紐を巻いて吊るすって行為に、子供のころから納得できずにいる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、子供のころのあたしは、「てるてる坊主」の首に糸や紐を巻いて吊るすことが、大切にしてたお人形さんやぬいぐるみの首に紐を巻いて吊るすのとおんなじように感じられて、最初から生きてないモノなのに、「そんなことしたら死んじゃう!」って思って、ものすごく抵抗があった。それも、仮にも「明日はお天気にしてください」ってお願いをする対象なのに、それを首吊りさせるなんて、子供ながらに「これじゃあ、絶対にお天気になんてしてくれないよ」って思ってた。
だけど、あたしには、「首吊りに見えるから苦しそうでかわいそう」ってことだけじゃなくて、もう1つ、この吊り方に納得できない理由があった。それは、見た目のバランスの悪さだ。マクラのとこで「お辞儀をしたような姿勢」って書いたけど、少しでも頭を大きく作りすぎたり、紙の大きさが足りなくてスカートの部分が短くなっちゃったりすると、吊るした時に完全に横向きになっちゃって、「てるてる坊主」なんだか「るてるて坊主」なんだか分からなくなることもあった。
今年の3月14日の日記、「シンメトリーな女」にも書いたけど、あたしは、シンメトリーなものが好きで、アシンメトリーなものが嫌いだ。これは、単なる好みとかってレベルじゃなくて、ある意味、病的なほどだ。だから、最近の一部のお笑い芸人がやってるアシンメトリーのヘアスタイルを見ると、もう全身がプルプルと小刻みに震え出すほどイライラしてきて、長いほうの髪をバリカンで刈り上げて左右対称にしたい衝動に駆られる。そして、この感情は、子供のころからなのだ。
だから、子供のころのあたしは、首に紐を巻いて、ナナメに吊るされてる「てるてる坊主」を見るたびに、何とも言えないイヤな気分になった。頭のてっぺんに糸をつけて吊るせば、どの方向から見ても真っ直ぐなのに‥‥って、いつも思ってた。それで、小学3年生か4年生ころからは、できるだけ頭のてっぺんに糸をつけるようにしたんだけど、首にシッカリと糸を結んで吊るしたクラスメートたちの「てるてる坊主」と違って、頭のてっぺんにセロテープで糸の端を貼っただけのあたしの「てるてる坊主」は、次の日に学校に行くと、ポツンと床に落ちてたりした。
そして、このあとに、あたしは、布で作られてて、ちゃんと頭のてっぺんに吊るすための紐がついてる本格的な「てるてる坊主」と出会ったり、ビニール製の「てるてる坊主」と出会ったりしながら大人になった。ホントの「てるてる坊主」のやり方は、顔を描かずに吊るして、願い通りに次の日がお天気になったら、そこで初めて顔を描き込んでお礼を言う‥‥ってことを知ったのも大人になってからだった。
‥‥そんなワケで、子供のころのあたしは、体が弱かったクセに正義感が強くて、気が弱かったクセに筋の通らないことが大嫌いだった。だから、クラスの男の子が女の子をいじめてたりすると、すぐに止めに入りたい自分と、恐くて止めに入れない自分とが頭の中で葛藤してて、そんな自分にイライラしたり情けなく思ったりしてるうちに、誰かが止めに入ったり、先生が来たりして、ホッとする‥‥なんてことも多かった。
だけど、いつのころからか、気の弱さよりも正義感の強さのほうが大きくなってきて、ある日のこと、体育の着替えの時に、クラスの障害を持った子がイジメられてるのを見てられなくなって、それまで溜まってたものが一気に爆発しちゃって、相手は女子のイジメグループのボスだったのに、思わず止めに入っちゃった。それが原因で、それからはあたしもイジメの対象にされたんだけど、この時の経験が、あたしの「筋の通らないことが大嫌い」「理不尽なことが大嫌い」って性格をより強いものにしたんだと思う。
だから、あたしが、ナナメに吊るされた「てるてる坊主」を見た時に感じるイヤな気分、だんだんにガマンができなくなってくるイライラ感てのは、「真っ直ぐに吊るされてない」っていう物理的な要素と、「お天気にしてくれるようにお願いする相手に対して首を吊るすという理不尽さ」っていう精神的要素とのダブルパンチなワケだ。
そして、大人になってから、正しい「てるてる坊主」の方法は「顔を描かずに吊るして、願い通りに次の日がお天気になったら、そこで初めて顔を描き込んでお礼を言う」ってことを知ってからは、ナナメに吊るされた「てるてる坊主」に顔が描かれてることにもガマンができなくなってきた。本来は願いが叶ってからお礼として顔を描き入れるのが筋なのに、いくら知らなくてやってることとは言え、最初から顔を描いてると、なんだか「絶対に晴れにしろよな!」「晴れにしなかったら許さないぞ!」って強要してるみたいに感じるからだ。
‥‥そんなワケで、たいていの女の子は、中学生の時に思春期を迎えると、思春期特有の過剰の潔癖性が頭をもたげてくる。お父さんのパンツや靴下を自分の下着と一緒の洗濯機に入れられることを嫌がったりするのは、「臭いからイヤ!」「汚いからイヤ!」ってことだから、別に思春期じゃなくてもイヤだろうけど、もっと些細なことでも気になるようになってくる。中学や高校のクラスメートは、「お兄ちゃんのものを触るのはいいけど、お父さんのものを触るのはキモい」なんて言ってた。「お父さんの履いたスリッパは絶対に無理」なんて子もいたし、洗面所のコップに刺してる自分の歯ブラシとお父さんの歯ブラシの先が触れるのがイヤだからって、わざわざ別のコップに刺すようにした‥‥なんて子もいた。
こうした行動って、お父さんにしてみたらショックだと思うけど、ホントに心から「お父さんのものは汚い」って思ってるワケじゃなくて、思春期特有の一過性のものだ。ようするに、自分の体が大人へと変化してく過程で、本能的に「大人の男性」に対して過敏に反応しちゃってるのだ。あたしは、ひとりっ子だし、中学の時にはすでに母さんと父さんは離婚してて、母さんとふたり暮らしだったから実感はないけど、その代わりに、もともと持ってた「筋の通らないことが大嫌い」「理不尽なことが大嫌い」って性格が過剰になった。
弱い者イジメをする大人、電車の中のマナーの悪い大人、人を騙してお金儲けをしてる大人、ようするに、体は大人なのに内面がガキのままの自分勝手な大人、こうした肉体と精神のバランスがとれてない大人たちのことを心の底から憎むようになった。これが、あたしがシンメトリーにコダワリ続けてる根幹で、現在の性格の基本形が形成されたのが、中学生の思春期だったんだと思う。そして、それから、ホントにいろんなことがありつつ、今のあたしになったワケだけど、あたしのシンメトリーに対するコダワリは、完全に病的だと思う。いや、病的じゃなくて病気だと思う。
たとえば、さっき紹介した過去の日記、「シンメトリーな女」の中に書いてるけど、あたしがフィアット・パンダを好きな理由の1つに、「ワイパーが真ん中に1本しかない」って理由がある。これは、ワイパーが2本だとアシンメトリーに動くから、運転してるうちにジョジョに奇妙にイライラしてきて、1時間もしないうちに窓を開けて「わーーーーっ!!」って叫びたくなっちゃうからだ。最近だと、日産のキューブが前を走ってると、あのアシンメトリーのリアビューにイライラしてきて、思わずアクセルを踏み込んでぶつけてやりたくなる気持ちを抑えるのに必死になってる。もちろん、これは、日産のキューブには何の罪もなくて、100%あたしの問題だ。
‥‥そんなワケで、ここまでくると、「シンメトリーなデザインが好き」とか「アシンメトリーなデザインが嫌い」とかっていう好みの問題とかは完全に超越してて、もっと深層心理的な部分に原因があるワケで、それが、あたしが自己分析した上では、子供のころからの「筋の通らないことが大嫌い」「バランスのとれてないものがガマンできない」っていう、あたしの「コア」に由来してるんだと思う。だから、絶対に治しようがないし、治すつもりもないし、それ以前に「治す」とかって考えるべき対象じゃないと思ってる。適切な表現が見つからなかったから「病的」とか「病気」って言葉を使ったけど、あたし自身、別に「治さなきゃいけない病気」だとは思ってない。
で、昨日のこと、ずっとキャブの調子が悪かったから、久しぶりに同調の調節をした。あたしのパンダは、もともとはインジェクションの車だけど、あたしが買った時から、ウエーバーのツインキャブになってる‥‥って言うか、エンジン自体が排気量の大きいフィアット・プントのエンジンに積み換えてあるんだけど、とにかく、インジェクションをキャブに換えるってことは、フランク・ザッパに言えば、デジタルをアナログに戻すようなもので、味わいは深くなるけど、そのぶん、手間が掛かるようになる。
インジェクションなら、コンピューター的なものが自動的にガソリンや空気の量を調節してくれるワケだけど、キャブだと手動で調節しなきゃなんない。それも、シングルキャブならマイナスのドライバー1本でチョチョイのチョイだけど、ツインキャブの場合は、2つのキャブの吸気の量をピッタリと同調させなきゃなんない。ようするに、キャブのバランスをとるってことだ。それで、あたしは、昨日の午前中、久しぶりに工具箱を出して、久しぶりに軍手をはめて、久しぶりにボンネットを開けた。そして、まずはプラスのドライイバーでスポーツクリーナーを外して、キャブを剥き出しにした。
前は、ストラットタワーバーを組んでたから、スポーツクリーナーを外すのが大変だったけど、ボディーが硬くなりすぎててコーナーで跳ねるから、今はストラットタワーバーは外しちゃってる。だから、スポーツクリーナーを外すのも簡単になったし、キャブの調整をするのもラクになった。
エンジンを掛けて、暖まって安定したら、アイドリングを1000回転に上げてから、シンクロテスターを片方のキャブに当てて、吸気を計測する。これで、左右のキャブの吸気バランスをとってくワケだけど、あたしは見よう見まねのドシロートだから、ものすごく時間が掛かる。シロートが鏡を見ながら自分で髪を切ってると、右のほうが短くなっちゃって、それに合わせて左を切ると、今度は左が短くなっちゃって‥‥っていうネタがあるけど、そんな感じで、右の吸気を絞れば左の吸気が足りなくなり、左を開けば右がバラついたり、なかなかシックリこない。
その上、ずっと書いてきたように、あたしは、シンメトリー、つまり、左右対称ってことに病的なコダワリを持ってるから、普通の人なら「こんなもんでいいか」ってOKにしちゃうレベルでも、あたしはぜんぜん納得できない。もう、電子顕微鏡で見ても1ピコグラムの誤差もないほどピッタリと左右対称になってないとガマンできないから、結局、さんざん調整したけど、昨日は納得できないままボンネットを閉めることになった。
そして、今日、いつもお世話になってるチューニングショップに電話してアドバイスをお願いしたら、「まずはキャブの掃除をしてから同調したほうがいい」って言われたので、あたしは、ずっと前にもらったクレ工業のキャブクリーナーを探し出して、言われた通りに掃除することにした。クレ工業のキャブクリーナーは、CRC-556を長くしたみたいなスプレーで、赤くて長いノズルがついてるので、どんな向きにキャブがついてても使えるようになってる。これは、3年くらい前にもらったものなので、ガスが抜けてて噴射しないか心配だったけど、普通に出たから大丈夫だった。
で、エンジンを掛けながらキャブクリーナーをスプレーすると、一瞬、回転が落ちてエンストしそうになるので、左手でスロットルを調節しながら、ちょっと吹かし気味にして、シューシューとスプレーした。これを右、左、右、左‥‥ってやってくんだけど、シンメトリーにコダワってるあたしとしては、できる限り左右のキャブをおんなじ比率で掃除したいから、サスガに時計の秒針までは見なかったけど、頭の中で、右に「1、2、3、4、5」、左に「1、2、3、4、5」って数を数えながらスプレーした。
さらには、右から始めたのに右でスプレーが終わっちゃったら、左のキャブが「1、2、3、4、5」のぶんだけ少なくなっちゃうから、スプレーが軽くなってきてからは、右に「1、2」、左に「1、2」ってふうにして、いよいよ残りもわずかな感じになってからは、右に「1」、左に「1」、右に「1」、左に「1」、右に「1」、左に「1」‥‥って、我ながら自分のコダワリに呆れるほどの徹底ぶりだった。とにかく、これで、キャブの中はそれなりに掃除されたワケで、このあと、昨日とおんなじにシンクロテスターで吸気を同調させたら、意外にもアッと言う間にバッチリと安定した。
最後にアイドリングを下げて、しばらく様子を見たけど、すごく安定してたので、あたしは安心して、安室奈美恵のCDを聴きながら、安産のお守りを握りしめた。これは、ただ単に「安」の字がつく言葉を並べてみただけだけど、安産のお守りに関して言えば、「交通安全のお守りの代わりに安産のお守りを車に乗せとくと、車内に妊婦さんがいると思って神様が絶対に事故を起こさないように守ってくれる」っていう先輩のジョークを真に受けたあたしが、実際にやってることだ。
‥‥そんなワケで、おんなじキャブが2つ並んでて、スロットルを開けると、左右が同時におんなじ角度でカコーッ!カコーッ!って開く姿は、この上もなく美しい。そして、この姿を目に焼きつけとけば、スポーツクリーナーを装着して、ボンネットを閉めて、運転席に座ってステアリングを握っても、アクセルを踏むたびに、頭の中に左右のキャブが同時に開く映像が浮かび上がる。キャブのバランスが狂ってた時は、なんとも言えないイライラ感につきまとわれてたけど、バッチリと同調した今は、体の中に爽やかな風が吹きぬけるようにスッキリとした。まるで、ナナメに吊るされてた「てるてる坊主」を外して、頭のてっぺんに糸をつけて、真っ直ぐに吊り直したかのように、あたしの心は安定した。だから、これからも、あたしの精神衛生上の問題として、あたしが直感的にイライラ感や嫌悪感を覚えたものに対しては、キチンとバランスを正してこうと思ってる今日この頃なのだ。
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