千年の尾
今年の「ふたご座流星群」のピークは、12月14日の午後8時だって言うから、あたしはずっと楽しみにしてた。何でかって言うと、この時期のお月様は深夜には沈むから、深夜を過ぎると東京でも夜空が暗くなって流星を観やすくなるからだ。それに、先月11月半ばの「しし座流星群」は、等級はお天気が悪くて、インターネットのライブ中継でしか観ることができなかった。だから、あたしは、今回の「ふたご座流星群」をすごく楽しみにしてた。
冬の天体観測は寒いから嫌だって人がいるけど、あたしは逆で、夏のほうが苦手だ。だって、夏の夜は蚊が出るし、変質者も出るからだ。あたしは、たいてい1人で多摩川の土手に寝転がって眺めてるから、蚊はガマンできても変質者は困る。あたしが夜空を眺めるポイントは、多摩川を10分ほど上流へ移動した人気(ひとけ)の少ない場所だから、変質者や引ったくりの出没ポイントでもある。実際、あたしも、自転車のカゴに入れたバッグを2人乗りした原チャリのクソガキに追い抜きざまに盗まれそうになったこともあるし、土手で変質者に襲われたこともある。1年くらい前には、ホームレスのおじさんが殺された事件もあった。
だけど、冬なら、あたしはモコモコに着膨れてるし、ニットの帽子もかぶってるから、パッと見ても性別が分かりにくい。夏の夜に、キャミソールとショートパンツで誰もいない深夜の土手を歩いてれば、遠くから見ても女だって分かっちゃうけど、冬なら分からない。それに、夜中に女性を襲おうなんて考える変質者は、たいてい根性ナシのクズ野郎だから、寒い冬の夜は部屋から出てこない‥‥ってワケで、あたしは、冬なら1人でも安心して夜空を眺めることができる。それに、息が真っ白になるほどの寒い夜に、じっと夜空の星を眺めてると、心の中が浄化されてくような気がして、とってもリフレッシュできるのだ。冬の夜空のたくさんの星を眺めてると、「この地球だって無数の星の中のひとつにすぎない」ってことが実感できて、どんな悩みがあっても、すべて地上のちっぽけな出来事に思えてくる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、「12日の日曜日は阪神ジュベナイルフィリーズで、14日の夜はふたご座流星群で‥‥」って思って楽しみにしてた。そして、「阪神ジュベナイルフィリーズ」では芦毛の馬の3連複を的中させることができて、気分上々で「ふたご座流星群」を迎えることなった‥‥と思ったのもトコノマ、13日の月曜日にはお天気が崩れちゃって、夜になっても雨はやまない。それで、あたしは、「先月のしし座流星群の二の舞かよ!」って思ってガッカリしたんだけど、インターネットで天気予報を見てみたら、14日の朝には雨がやんで、午前中には晴れるってことだったので、Fカップの胸をホッと揉み下ろした‥‥じゃなくて、撫で下ろした。
だけど、14日の朝になっても、雨は上がらない。9時ころから小降りになって、10時ころには何とか雨はやんだんだけど、空一面が雲に覆われたままで、晴れるどころか、また雨が降り出しそうな雰囲気だった。それで、あたしは、てるてる坊主を作るほどのエネルギーはなかったので、てるてる坊主の絵を描いて、ベランダのガラス戸に貼った。名づけて「手抜き坊主」だ(笑)
そして、ベランダに出て、「カムイ!パパイヤ!アホーイヤ!」って、晴れになるおまじないを3回唱えた。ホントは、これは前日の晩に唱えるおまじないなんだけど、当日でも唱えないよりは唱えといたほうがいいと思って、一応、ダメモトでやってみた。それに、ものすごくタイトに言わせてもらえば、深夜0時を過ぎれば「翌日」なワケだから、14日に唱えたおまじないの効果は、深夜0時から現われるってことになる。
でも、「手抜き坊主」&「1日遅れのおまじない」の効果は、やっぱりそれなりで、午後になっても、雨こそやんでるけど、空はどんよりと雲が広がってて、まるで四面楚歌の仮免総理の心情を映してるみたいな空模様だった。あたしは、気になって気になって仕方なくて、病院の行き帰りの他にも、1時間おきくらいに空をチェキしてたんだけど、南の空の雲がひらいて青空が少しだけ覗いたかと思えば、さっきまで少しだけ日が差してた西の空に雲が広がってきたりして、一進一退の状況が続きながら日暮れを迎えちゃった。
夜の7時になったので、あたしは猫たちのご飯を持って駐車場へ行き、食後の猫たちと遊びながら、「ふたご座流星群」が極大になる午後8時を迎えた。東西南北、どの方角も雲に覆われてたけど、天上だけはポッカリと大きな穴が開いたように雲がひらけてて、上弦の月が煌々と輝き、すぐ近くに木星も輝いてる。駐車場は明るいので星は見えにくいけど、目をこらすと他の一等星や二等星もいくつか見えた。このぶんなら、深夜にお月様が沈めば、きっと流星が観られると思って、あたしは嬉しくなった。
‥‥そんなワケで、深夜0時、ベランダから身を乗り出して天上の様子を見ると、8時の時点とおんなじように雲がひらけてたから、あたしは急いでモコモコに着込んで、マンションの屋上へ上がった。マンションの屋上は、周りの明かりがジャマで星が見にくいんだけど、給水タンクの陰に座ると、周りの明かりが遮断されるのでグッと見やすくなる。夜でも明るい都市部は星が見えにくいって言うけど、これは、自分の視野に余計な光が入ってくるからで、厚紙で自分の頭がスッポリと入るような筒を作り、それをかぶって真上を見れば、周囲からの光が遮断されて、今までは見えなかった小さな星まで見えるようになる。ただし、誰かに見られたら怪しさ満点で、ヘタしたら警察に通報されちゃうかもしれないけど(笑)
たとえば、深夜の新宿だの六本木だのの昼間みたいに明るい繁華街で真上を見ても、よほど明るい星じゃないと確認できないけど、一歩、ビルの裏手の薄暗い場所に入ってから真上を見ると、驚くほどたくさんの星が見えたりする。これは、周囲からのジャマな光が遮断されたからで、東京で星を見るポイントがここにある‥‥ってなワケで、「誰もいない深夜のマンションの屋上の給水タンクの陰に座り、口をあけたまま真上を見てる着膨れたアラフォー女」っていう、客観的に見たらソートー危ない感じのあたしは、久しぶりに大好きな星空を楽しむことにした。
まずは、天頂から20度くらい南に見えた「オリオン座」を基点にして、その左下にある白くて一番明るい星、「おおいぬ座」のシリウスと、ずっと左にポツンと光ってる「こいぬ座」のプロキオンを見つけて、オリオン座の右肩(向かって左上)の赤っぽい星、ベテルギウスとで、「冬の大三角」を見つけた。
さえざえと南に冬の大三角 きっこ
冬の夜空は、この「冬の大三角」を見つけることがスタートで、すべてはここから始まる。そして、次に、ずっと上にある「ぎょしゃ座」のカペラから右回りに、「おうし座」のアルデバラン、「オリオン座」の向かって右下のリゲル、「おおいぬ座」のシリウス、「こいぬ座」のプロキオン、「ふたご座」のポルックスで、「冬の大六角形」、通称「冬のダイヤモンド」の出来上がりだ。
田舎に行った時に見える「満天の星空」は、言葉も出ないほど美しいけど、ハッキリ言って、ちいさな星までぜんぶ見えちゃうから、こうした「冬の大三角」や「冬のダイヤモンド」を見つけるのにオロオロしちゃう。だけど、空気の汚れてる東京だと、ちゃんと見える星座は「オリオン座」くらいで、他の星座は、その星座の中の代表的な星くらいしか見えない。だから、逆に、そうした星をつないでできる「冬の大三角」や「冬のダイヤモンド」を見つけやすいのだ。もちろん、これは、都会もんの負け惜しみだけど(笑)
‥‥そんなワケで、「オリオン座」から「冬の大三角」を見つけ、「冬の大三角」から「冬のダイヤモンド」を見つけた瞬間、「オリオン座」とアルデバランの真ん中あたりに、向かって左から右へと星が飛んだ!ものすごく明るくて、大きくて、長くて、まさに「ザ・流れ星」って感じで、あたしは大感動! 慌ててケータイで時間を確認すると、0時23分だった。この時期、全天で一番明るい星がシリウスだけど、この流星はシリウスの2倍以上も明るかった。こんなに素晴らしい流星を観たのは、ホントに久しぶりだ。明るい流星は何度も観てるけど、こんなに長く飛んだのは久しぶりだった。
口あけて見上げる冬の流れ星 きっこ
まだ、夜空を観始めて5分も経ってないのに、あまりのサイサキの良さに、なんてラッキーでクッキーで八代亜紀なあたし‥‥って、アラフォーならではのギャグも織り込みつつ、「さあ、本格的に楽しむぞ!」って思ったのもイタノマ、南から怪しげな雲がワラワラと流れてきて、アッと言う間に「オリオン座」が隠れちゃった。雲の流れるスピードから、上空の風はケッコー速いみたいだったから、またすぐに星が見えるかと思ったんだけど、雲は白い竜みたいにクネクネと流れてきて、なかなか途切れない。それで、あたしは、いったんコマーシャル‥‥じゃなくて、いったん退散することにした。
それで、お部屋に戻ってきて、コーヒーをいれて、ツイッターにつぶやいたりしてたら、15分ほどで雲がひらけたので、あたしは、また屋上へ行った。「オリオン座」は、やっぱり天頂から20度くらい南なので、「冬のダイヤモンド」が天頂を中心にして夜空に輪を描いたように配置されてる。分かりやすく言うと、「ぎょしゃ座」のカペラを時計の12時の位置だとすると、「おうし座」のアルデバランが2時、「オリオン座」のリゲルが4時、「おおいぬ座」のシリウスが6時、「こいぬ座」のプロキオンが8時、「ふたご座」のポルックスが10時の位置で、この六角形が天頂を中心にして夜空に輪を描いてるってワケだ。
いま冬のダイヤモンドを頂(いただき)に きっこ(キャッツアイ)
‥‥そんなワケで、あたしは、またまた屋上の給水タンクの陰で真上を見上げて、雲のひらけた夜空に浮かぶ「冬のダイヤモンド」を確認してたら、スーーーッて、また飛んだ! 今度は、さっきのよりもずっと北で、天頂より少し北、時計の12時のカペラの下を向かって左から右へ、大きくて明るいのが飛んだ! 急いでケータイで時間を見たら、0時58分だった。ちなみに「向かって左から右へ」ってのは、体を「オリオン座」のほうに向けたまま上を見てるからで、方角で言えば「東から西へ」ってことになる。長さは、さっきのよりも少しだけ短かったけど、それでも、シリウスの2倍以上も明るくて大きな流星だった。
二子玉川の双子座流星群 きっこ
それにしても、最初の流星も2個目の流星も、真上を見上げて5分もしないうちに観られたってことは、あたしがラッキーなんじゃなくて、それだけたくさん飛んでるってことなんじゃないのか?あたしがケータイで時間を確認してる間にも、頭上でピュンピュン飛んでるんじゃないのか?‥‥って思ったあたしは、次に流星が観えても、ケータイで時間を確認しないで、そのままずっと真上を見上げ続けてようと思った。だけど、そう思ったトタン、5分、10分、15分と、流星はぜんぜん飛ばなくなり、首が限界になってきた。
首が痛くて下を向きたいんだけど、ナニゲに下を向いた瞬間に流星が飛びそうな気がしちゃって、なかなか下を向く決心がつかない。それで、あたしは、顔を上に向けたまま立ち上がり、顔はそのままで体の向きだけを少しずつ変えてみた。つまり、顔は上を向いたままだけど、首をひねった体勢になるから、ずっとおんなじ体勢をしてたさっきよりは、少しだけラクになる。でも、こんなのは、所詮は付け焼刃で、30秒もしないうちに首の痛さが戻ってきた。
それで、あたしは、意地でも下を向かないように、体だけを右にひねったり左にひねったりしたんだけど、「深夜1時のマンションの屋上の貯水タンクの陰で、顔だけ上を向いて体を左右にひねってるモコモコに着膨れたアラフォー女」っていう、すでに客観的に想像することすら許されないレベルに達しちゃったから、あたしは諦めて、一度、下を向くことにした。そして、下を向いて、首の後ろのとこをモミモミして、ふうっとひと息ついてケータイを見ると、もう1時半になるとこだった。それで、ふと上を見上げた瞬間、スーッ! また飛んだ! さっきの半分くらいの短いのだったけど、おんなじくらい明るくて大きいのが天頂を飛んだ! あまりにも突然だったから、あたしは反射的に「有馬記念!」って祈っちゃったよ(笑)
‥‥そんなワケで、あたしは、深夜0時15分くらいから1時45分くらいまで、だいたい1時間半くらい「ふたご座流星群」を観察してたんだけど、途中で2回、お部屋に戻ったから、結局、実質的には小1時間くらいしか夜空を見上げてなかった。それでも、大きな流星が3つ観られた他に、小さくて短いのが4つ観られた。大きな流星は、尾の長さを説明するのが難しいけど、最初の流星の尾を10cmだとしたら、2つめのが8cm、3つめのが5cmって感じだった。流星自体の大きさや明るさは、3つともおんなじくらいで、どれもシリウスの2倍以上もあって素晴らしかったけど、「尾の長さ=見えてる時間」みたいなもんだから、やっぱり最初に観たのが一番感動した。だけど、昔の人は‥‥って言うか、清少納言は、「枕草子」の中にこんなことを書いてる。
ニ三六段 「星は、すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」
「枕草子」のこのあたりの段は、月はどんな月がいいか、空から降るものはどんなものがいいか‥‥ってことを順番に書いてるんだけど、この236段では「どんな星がいいか」ってことを書いてる。で、清少納言いわく、星の中で素晴らしいのは、「すばる(昴)」「ひこぼし(アルタイル)」「ゆふづつ(宵の明星/金星)」だって書いたあとに、「よばひ星、すこしをかし。」って書いてる。「よばひ星」は「夜這い星」、すなわち「流星」のことで、「すこしおかし」ってのは「少し趣(おもむき)がある」ってことだ。「いとおかし」だったら「とっても趣がある」ってことだから褒め言葉だけど、ここでは「すこしおかし」だから、前の3つの星よりも流星は劣るってワケだ。
そして、何よりのポイントが、そのあとの「尾だになからましかば、まいて。」の部分だ。最後の「まいて」は「まして」の音(おん)が変化してもので、「さらに」「よりいっそう」って意味になる。ようするに、「尾さえ引かなければもっと良かったのに」ってことで、こともあろうに清少納言は、「流星は趣があるけど尾を引くとこが好きじゃない」って抜かしてるのだ。ちなみに、ごくマレに清少納言のことを「清少/納言」だと思い込んでる人がいるけど、「清/少納言」だから間違えないように‥‥なんてのも散りばめつつ、いくら1000年前の人だとは言え、おんなじ女性なのに、どうしてあたしがこんなに感動した流星の尾の美しさや余韻が理解できないんだろう?
ま、人の感性は人それぞれだから、あたしが清少納言の感性に文句を言ってもジンジャエールなんだけど、尾のない流星なんて、政権交代したのに公約を守らない政党みたいなもんで、少なくとも国民の支持率は得られないだろう。だいたいからしい、流星に尾がなかったら、ただ単に星が右から左へ動いてるだけで、想像してみてもぜんぜんウキウキもワクワクもしてこない。
でも、この清少納言の感性は、最初の「すばる」にも現われてる。「すばる」は、まさに今の時期の星だけど‥‥って言うか、正確に言えば「すばる」は複数の星の群れで、「プレアデス星団」て名前だ。さっき、「冬のダイヤモンド」で2時の位置にあるって書いたアルデバランとおんなじ「おうし座」の一部で、空気が澄んでれば肉眼でも5個以上の星が集まってるのが見える。だけど、今の時期の夜空と言えば、一番明るいシリウスを筆頭に、「冬の大三角」や「冬のダイヤモンド」を構成する明るくて美しい星がたくさんある。それなのに、清少納言は、そうした派手な星たちの陰に隠れてヒッソリと浮かんでる目立たない「すばる」を一番に挙げてるんだから、この辺の感覚が平安女性の「侘び」だったり「寂び」だったりするのかもしれない。
危険な原発まで林立させて、地球を壊しながら夜通し照明やネオンを照らしまくってる現代とは違って、地上の明かりがほとんどなかった1000年前は、晴れてさえいれば毎晩がプラネタリウムそのものの夜空だったハズだ。その上、排気ガスも大気汚染もなかったんだから、それぞれの星の明るさも、現代より明るかったと思う。
そう考えると、現代のあたしが美しいと感じてるシリウスなんて、1000年前には対向車のヘッドライトみたいに「派手なだけの眩しい星」って思われてたかもしれないし、そうした星がいっぱいある夜空では、等級の低い星がたくさん集まって、ぼんやりと控えめに浮かんでる「すばる」のほうが、味わいがあったのかもしれない。そして、人々がそんな感覚で夜空を見上げてた1000年前には、明るく長い尾を引く流星が、下品でやかましい暴走族の車みたいに思われてたのかもしれない。
‥‥そんなワケで、流星の光はリアルタイムだけど、星の光はうんと遠くからやってくるから、あたしたちが見てるのは「過去の光」だ。すごく近くにあるシリウスでも、地球からの距離は約4光年だから、あたしたちが見てるのは、4年も前の光なのだ。4年も前にシリウスを出発した光が、1秒も休まずにずっと飛びつづけて、4年後の今、ようやく地球に届き、それをあたしたちが見てるってワケだ。だけど、こんなのは序の口で、清少納言がナンバーワンに挙げた「すばる」なんて、地球から400光年の距離にあるから、あたしたちが見てる「すばる」は、400年も前の「すばる」ってワケで、豊臣秀吉や織田信長の時代に「すばる」を出発した光が、やっと今の地球に届いてるのだ。そして、「オリオン座」に至っては、構成してるほとんどの星が、地球から500~1000光年以上の距離にあるから、まさに、清少納言の時代の光をあたしたちが見てることになる。そう考えると、宇宙ってホントに不思議だと思うとともに、何百光年も離れたどこかの星から、この地球を「ひとつの星」として見てる誰かのために、もっと地球を大切にしなきゃいけないってことを改めて感じちゃう今日この頃なのだ。
千年の尾を曳く冬の流れ星 きっこ
| 固定リンク