厄年の女
今年も、いよいよ今日で終わりだ‥‥ってワケで、今年1年をザクッと振り返ってみると、あたしの場合、6月末までの前半はすべてが順調だったのに、7月の頭に、突如、右手の指が動かなくなり、あとは現在まで厳しい状況が続いてる。婦人科の病気も再発して、病院代がすごく掛かるのに、お仕事はすべてキャンセルしたから収入はゼロ。それでも、9月くらいまではギャラの振り込みがあったので、多少の蓄えと収入とでギリギリの生活を続けてきたけど、10月の半ばからは完全にヤバイ状態になり、あとはパチンコの収入だけで今日までサバイバルしてきた。
それでも、利き腕の右手が使えないから、得意のパチンコも思うように打てない。それに、今のパチンコは、当局の規制で連チャンしなくなったから、大勝ちすることが難しくなった。以前なら4~5時間もあれば簡単に5万円くらいは稼げたのが、半日もがんばっても2~3万円がいいとこになった。それで、あたしは、右手だけじゃなくて体調自体もよくないから、無理して半日くらいパチンコを打ってると、翌日は動けなくなってずっと横になってるような生活で、「体調が悪くて病院に行くことができない」なんていう本末転倒の日々を繰り返してきた。
3年前に歩道橋から落ちて大ケガした時は、歩けなくて松葉杖を使ってたけど、その代わりに両手が使えたから、パチンコに関しては順調だった。ホールが混んでる時に、松葉杖の置き場に困るくらいで、機種自体はそれなりに連チャンしてくれるし、何よりもRAMクリアしてるホールが少なかったから、朝イチで行けば確実に勝つことができた。パチンコ台は、前日の夜に潜確(潜伏確変)状態のまま閉店すると、次の日もその状態のままスタートするので、朝イチでホールへ行って台を端から見てけば、確変状態のランプがついてる台が見つかる。その台を打てば、すでに確変状態に入ってるから、すぐに大当たりするってワケだ。だけど、2年くらい前から、ほとんどのホールが、このランプでの判別をできないように、閉店時にすべての対象台をRAMクリアするようになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、3年前の時は、どこのパチンコ屋さんでも、朝イチで行けば潜確を拾うことができたし、引いた大当たりが連チャンしてくれる確率も高かったから、そんなに苦労しないで稼ぐことができた。だから、あたしは、パチンコの収入だけで、1年間、家賃から光熱費から生活費から病院代まで、すべてを作ることができた。でも、今は、3年前とは雲泥の差で、確実に勝つためには、まずはRAMクリアしてないホールの情報を集めることから始めなきゃなんない。だけど、パチンコ仲間が送ってくれたホールの一覧の中から目星をつけて、翌日の朝イチで行ったとしても、潜確が1台も拾えなかったり、その日に限ってなのかRAMクリアされてたりすることもある。
パチンコ屋さんは、朝10時からってとこが多いけど、ホールによっては朝9時からのとこもあるから、10時からだと思って初めてのホールに9時半に行ってみたら、すでに開いてて、潜確がみんな先に来た人たちに拾われてた‥‥ってこともあった。だから、朝イチの潜確を拾うためには、そうとうな苦労と努力が必要なんだけど、前日から情報を集めて、朝早く起きて、遠くまで寒い中、原チャリを運転してって、開店前から並んで、やっとのことで潜確を見つけても、大当たりを引くまでに100回以上も回さなきゃなんなかった上に、たった1回で終わっちゃったりすると、泣きたくなってくる。
あたしの場合は、他にも高確率で勝てる得意な機種がいくつかあるので、何も潜確だけに頼ってるワケじゃないけど、どんなに得意な機種でも、100%勝てるって保障はない。それに、もしも違法の遠隔操作をしてるホールだったら、あたしに勝ち目はない。だから、たとえ出玉は少なくとも、打てば100%勝てる潜確を軸にして立ち回るしかないんだけど、その潜確がこんな状況になっちゃったから、今はパチンコだけで生活することは極めて難しくなった。
‥‥そんなワケで、あたしは、数日前に今年最後のパチンコに行って、得意な機種で何とか大勝ちすることができて、月末の支払いをぜんぶ済ませた上に、5000円のお小遣いができた。これで、何とか借金せずに年を越せることになったけど、この勝ちは、完全に運によるものだ。メッタに5連チャン以上はしない機種なのに、5回目の時短を消化したら他の台に移動しようと思いながら打ってたら、時短が終わるギリギリに引き戻した。そして、そこから4連チャンした上に、また時短で引き戻して、途中、ラウンド中やラウンド後の昇格もありつつ、結局、一度も切れずに14連チャンして、出玉は2万玉を超えた。
だけど、こんなラッキーは奇跡みたいなもんで、きっと、あたしの必死な形相をみた神様が、あまりにも気の毒に思って、お歳暮代わりにプレゼントしてくれたんだと思う。とにかく、この勝ちのオカゲで、あたしは、家賃の不足分と、各種光熱費と、クレジットカードの引き落としぶんをすべて支払うことができた上に5000円も浮いたから、600円の予算で「トマトおでん」を作って食べて、自分へのベホイミにした‥‥ってワケで、わずかな蓄えも使い果たし、未だに右手が完治するメドも立たずに、言葉にできないほどの不安にさいなまれてたあたしは、当座の支払いができたってことで、一時的にしても、ものすごくホッとすることができた。やっぱり、借金したまま年越ししたくないもんね。
で、どんな根拠があるんだか知らないけど、ニポンには昔から「厄年」ってものがある。一般的には、男性が25歳、42歳、61歳、女性が19歳、33歳、37歳で、男性の42歳と女性の33歳が「大厄」だって言われてる。だけど、あたしは、ずっと前から思ってるんだけど、これっておかしい。だって、男性の場合は、20代、40代、60代って、それなりに等間隔に厄年が配置されてるからいいんだけど、女性の場合は、33歳の次が37歳だなんて、あまりにも偏りすぎてるからだ。
だいたいからして、厄年には「前厄」と「後厄」ってのがあって、その年の前後も良くない年ってことになってる。つまり、女性の場合は、33歳が「本厄」で、翌年の34歳が「後厄」なのに、35歳になって、やっと厄を脱出してホッとしたのもトコノマ、翌年になると、もう次の厄年である37歳の「前厄」の36歳なのだ。ようするに、女性の場合は、32歳から38歳までの7年間のうち、ホッとしてられるのは真ん中の35歳の1年間だけど、残りの6年間はずっと厄年なのだ。これじゃあ、世の中の女性たちの30代は真っ暗闇だ。
一説によると、男性の「大厄」の42歳は「死に」の語呂合わせで、女性の「大厄」の33歳は「さんざん」の語呂合わせだって言われてるけど、もしもホントにこんな理由で決められたのなら、あたしの競馬の「コジツケ予想」よりもタチが悪い。だけど、実際に、あたし自身の人生と照らし合わせてみると、今年の7月に、突然、右手の指が動かなくなった時、あたしは37歳だった。そう、「本厄」の真っ只中だったのだ。さらには、3年前の2007年4月に歩道橋から落ちて大ケガした時も、34歳だったから、33歳の「大厄」の「後厄」だったのだ。
思い起こすと、当時は、とにかく母さんの手術費を作るために、1年365日、お元日から大晦日まで1日も休まずに働いてて、肉体的にも精神的にも限界だった。そして、その結果が、歩道橋からの転落事故だった。だから、事故自体は34歳の時のことだけど、その原因は、32歳、33歳の時から続いてたことになる。そして、そう考えると、この「厄年」ってシステムが、単なる語呂合わせだけじゃないようにも思えてくる。
だけど、世の中には、33歳の時に結婚して幸せになった女性もいるだろうし、42歳の時に仕事で大成功した男性もいるだろう。だから、すべての人が厄年の時にアンラッキーな出来事に見舞われるとは限らないし、逆に言えば、厄年じゃない時に事故に遭ったり病気になったりする人だってたくさんいる。だいたいからして、100人が100人とも、おんなじ年齢になった時に、おんなじような運命になるなんてことはアリエナイザーだ。人間の一生に、科学じゃ解明できない何らかの波みたいなものがあって、一定の周期とかで運が良くなったり悪くなったりする‥‥ってことはアリエールだけど、それが、すべての人に共通した波だって考えるのは乱暴すぎる。
‥‥そんなワケで、これは前にも紹介したけど、この「国別血液型比率」を見てもらえれば分かるように、人間の血液型の比率は、国や民族によっていろんな特徴がある。特に面白いのは、グァテマラ、ニカラグア、ボリビアあたりの国で、これらの国は、国民の90%以上がO型で、A型やB型はわずか数%、AB型に至っては1人もいないのだ。つまり、これらの国で「血液型占い」なんてやったら、国民の9割がみんなおんなじ性格や運勢になっちゃうのだ。
ニポンの場合は、O型が31%、A型が38%、B型が22%、AB型が9%って、4種類の血液型がそれなりの比率で分かれてるから、「血液型占い」なんていうデタラメが成り立ってるけど、「食べるコラーゲン」や「飲むヒアルロン酸」とおんなじで、こんな非科学的なペテンに騙されてるのは、先進国の中じゃニポン人だけだ。だから、あたしは、「厄年」に対しても、まったく信じてなかった。血液型がおんなじ人間が、みんなおんなじ運勢のワケがないのと一緒で、すべての女性が33歳になった時に、おんなじようにアンラッキーな出来事に見舞われるワケなんかないと思ってたからだ。
そして、現実にも、あたしの周りの女性たちは、20代でものすごい不幸に見舞われたり、30代の半ばに転機が訪れて成功したりって感じで、厄年とは関係なく生きてる。もちろん、あたしは、周りの女性たちのことを1から10まで知ってるワケじゃないから、もしかしたら、30代の半ばで成功した女性が、実は33歳の時に大失恋してたかもしれない。だから、一概には言えないけど、それでも、みんながみんな、厄年通りだとは思えない。
それに、女性の場合は、最初の厄年が19歳だから、高校を卒業して現役で大学へ進学した女性は、みんな18歳の「前厄」ってワケで、2年生で「本厄」、3年生で「後厄」ってことになる。つまり、現役で大学へ進学した女性は、大学生活4年間のうち3年間がアンラッキーな時期にあたるハズなのに、ハタから見てるぶんには、女子大生の多くは楽しそうに見える。中には、必死でバイトして学費を稼ぎながら、自分の夢のためにがんばって勉強してる子もいるだろうけど、多くの女子大生は、衣食住に困らずに、ノンキに楽しく暮らしてるように見える。とても、厄年の真っ只中にいるとは思えない。
‥‥そんなワケで、あたしは、「血液型占い」はまったくのデタラメだと思ってるけど、「血液型による性格判断」や、この「厄年」に関しては、結局は統計学的なものが根拠になってるんじゃないかと思った。血液型がO型の人、A型の人、B型の人、AB型の人を10人ずつ集めて、おんなじテストや実験みたいなことをして、偏屈な人が一番多かったのはB型とか、優柔不断な人が一番多かったのはAB型とかってふうに調べてけば、調査人数が100人、1000人、1万人‥‥って増えるに従って、それなりに信憑性のあるデータができるんじゃないかと思った。
たとえば、それぞれの血液型の人を100人ずつ集めて、「自分の恋人の浮気を許せるか?」っていう質問をした時に、A型、B型、AB型の人たちは、100人のうち90人以上が「許せない」って答えたのに、O型の人だけが、100人のうち75人が「許せない」、25人が「許せる」だったとする。そうすると、O型の人は、「許せない」のほうが多いことは変わらないけど、他の血液型の人たちよりも、少し「ゆるい感覚」ってことになり、結果、「O型の人は心が広い」とか「O型の人は許容量が大きい」ってことなるんじゃないかと思う。
それでも、100人のうち75人は、自分の恋人の浮気を「許せない」って言ってんだから、その人がO型だってだけで「心が広い人」だとは言えない。つまり、正確に言えば、「O型の人は心が広い」じゃなくて、「O型の人は他の血液型の人よりも心が広い人が若干多い」ってことなのだ。あたしは、こうした把握の仕方なら、ある程度の信憑性はあるんじゃないかと思った。だから、「厄年」に関しても、長年に渡ってたくさんの人たちの人生を調査してきた人が、男性の場合は42歳を頂点にして、その前後1年くらいの範囲で悪いことが起こるケースが多いし、女性の場合は33歳だな‥‥なんてふうに出した年齢なら、それなりの信憑性があると思った。
だけど、これにしたって、調査した100人の女性のうち、80人とか90人とかが33歳の時に不幸になったワケじゃなくて、ビミョ~な違いなんだと思う。「30代で不幸な体験をした女性」ってのを100人集めたとすれば、30歳で不幸な体験をしたのが7人、31歳が6人、32歳が11人、33歳が17人、34歳が12人、35歳が5人、36歳が11人、37歳が15人、38歳が10人、39歳が6人‥‥っていう感じだ。つまり、33歳と37歳だけが突出してるんじゃなくて、なだらかなフタコブラクダの背中みたいになってるんだと思う。だから、「すべての女性が33歳と37歳の時に不幸なことが起こる」「それ以外の年齢の時は大丈夫」ってことじゃなくて、どの年齢の時にも不幸なことは起こりえるけど、統計的に見ると、33歳と37歳の時が、他の年齢の時より少しだけ確率が高くなる‥‥ってことなんだと思う。
別の言い方をすると、どんな人の人生にも、運のいい時と悪い時が交互に訪れる波があって、その波長は男女によって違うんだけど、男性の場合は25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳に「運の底」が来るタイプの波長の人が比較的多い‥‥ってことだ。こうした考え方なら、厄年の通りに不運と幸運とが巡って来なくても、「厄年なんてものはデタラメだ」ってことにはならない。そして、あたしの場合は、19歳の時はコレと言ってアンラッキーの波は来なかったけど、33歳と37歳の時には厄年の通りにアンラッキーの波が来てるから、ワリと世の中に多いタイプの波長なんだと思う。
‥‥そんなワケで、ナニゴトも自分に都合よく考えちゃうあたしだから、これほどラッキーなことはないと思った。何がって、もちろん厄年のことだ。だって、もしも、厄年なんていう非科学的なものが存在するとしても、あたしの厄年は今回で終わりだからだ。今は38歳だから「後厄」だけど、この1年さえ乗り切っちゃえば、あたしは一生ぶんの厄を消化したことになる。つまり、これから死ぬまで、ずっと、アンラッキーな出来事は訪れずに、幸せに暮らせるってことなのだ。そして、もしも厄年が単なる迷信みたいなものだとしても、これほど短期間にアンラッキーなことが続いたあたしには、もう当分はアンラッキーなことなんて起こらない。これは、パチンコで培った確率論による推測だ。だから、どっちにしても、来年からのあたしは、スーパーラッキーが連発しちゃうマリンちゃん状態になることウケアイって感じの今日この頃なのだ!(笑)‥‥ってなワケで、厄年の人も、厄年じゃない人も、皆さん、良いお年をお迎えくださ~い♪
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