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2010.12.17

浮世床の馬家

またまたおんなじような出だしでモウシワケナイザーなんだけど、日曜日に開催された「阪神ジュベナイルフィリーズ」は、3頭しかいない芦毛の馬が1着、2着、3着に入るっていう珍しい結果になり、去年の「エリザベス女王杯」とおんなじくらい忘れられないレースになった。馬券としても、いつもは1着から3着までのうちの2頭を当てるだけで精一杯なのに、今回は、着順は関係ない3連複とは言え、3頭すべてが的中したんだから、ものすごく嬉しかった。

それで、毎日のように3頭の芦毛の馬のワンツースリーを脳内スクリーンにリピートして楽しんでたら、あたしは、ふと、ある人の名前が浮かんだ。それは、江戸時代の作家の式亭三馬(しきてい さんば)だ。もちろん、これは、「3頭の馬」ってことから「三馬」の名前を連想しただけで、他には何のつながりもない‥‥ハズだった。だけど、久しぶりに式亭三馬のことを思い出したら、ここにも、ディープでインパクトなゼーレのシナリオが隠されてることが分かったのだ。

ま、それはおいおいご紹介するとして、まずは、式亭三馬を知らない人のために、フランク・ザッパに説明すると、式亭三馬は、安永5年(1776年)に生まれた江戸時代の作家で、多方面に活躍した人物だけど、特に才能を発揮したのが「滑稽(こっけい)本」て呼ばれてるジャンルで、落語の演目と一緒のタイトルの「浮世床(うきよどこ)」や、おんなじシリーズで先に書かれた「浮世風呂」なんかの作品が有名だ。

江戸時代、九尺二間の裏長屋に住んでた庶民たちは、現代の床屋さんにあたる「髪結床(かみいどこ)」と「銭湯」が憩いの場だった。髪結床も銭湯も、今と違って朝早くから開けてたから、お金のない庶民たちは、このどちらかに行き、くだらないおしゃべりをして時間を潰してた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、長屋の中にある髪結床を舞台にして、そこにやってくるお客や常連さんたちの面白おかしいエピソードを綴ったのが「浮世床」ってワケで、初編が上中下、二編が上下の合計5巻からなる。三馬が亡くなった後に、滝亭鯉丈(りゅうてい りじょう)が続編とて三編の上中下を書いてるので、ここまで入れると全8巻てことになる。そして、銭湯を舞台にした「浮世風呂」のほうは、初編と四編が男湯の話で、二編と三編が女湯の話で、全9巻だ。

で、もうちょっと説明すると、江戸時代の髪結床ってのは、さっき「現代の床屋さんにあたる」って書いたように、男性の髪を結うお店だった。じゃあ、女性の髪を結う「美容院」はどうだったのかって言うと、江戸時代には、女性の髪を結うためのお店をひらくことは禁止されてたのだ。そのため、女性の髪を結う「女髪結い」は、すべて、お客さんの家まで出かけてって仕事をする出張専門の「廻り髪結い」だったのだ。

だから、この「浮世床」ってのは、男性の「男髪結い」が経営してる男性専門の「床屋」ってワケで、当然、やってくるお客もみんな男性だし、周りでタムロしてる常連たちも男性ばかりだ。そのため、男湯編と女湯編がある「浮世風呂」と比べると、女性がほとんど登場しなくて、お色気に欠ける。でも、それはそれ、男性ばかりがタムロしてるワケだから、会話の中には女性の話題も出てくるワケで、その内容がお色気方面だったりするワケだ。

三馬は落語が好きだったから、「浮世床」にしても「浮世風呂」にしても落語みたいな会話形式で書かれてるし、落語のネタも登場する。登場人物も、無知で恥をかくキャラや知ったかぶりをするキャラなど、落語みたいになってる。だから、江戸時代の庶民の生活が垣間見られるだけじゃなくて、ひとつひとつのエピソードそのものを楽しむことができる。そして、何よりも面白いのが、それぞれのエピソードの流れ方だ。

現代小説で、床屋さんを舞台にしたオムニバスを書くとしたら、それぞれのお客と床屋の主人との会話や関係をメインにした短編が何話か続き、それぞれは独立した話になっていながら、最終話ですべての登場人物やエピソードがつながる‥‥って形にすると思う。あたしの大好きな加納朋子さんの「ななつのこ」みたいなスタイルだ。だけど、この「浮世床」はそうじゃない。さっき、「初編が上中下、二編が上下の合計5巻」だって書いたけど、1巻がひとつの長い話になってるから、5巻で5話ってことだ。だけど、1巻に収められてる長い1話の中に、いくつもの短編が並んでるのだ。

どんなことかって言うと、まず、長屋の一角にある鬢五郎(びんごろう)さんの髪結床に1人の客、Aがやってきて、その人とのやり取りがある。そして、そこに次の客、Bがやってきて、鬢五郎さんとAとBの会話が続き、オチがついたとこでAが帰ってく。すると今度は部屋の隅で一服してたCが話し始めて、BとCとの会話が盛り上がってきたとこに、新しいお客のDがやってきて会話に加わる。そしてBが帰ってくと、今度は‥‥ってふうに、いろんな人たちがひっきりなしに出入りしてて、その場その場で長短いろんな会話が繰り広げられて、それぞれが短編として成り立つような内容だってワケだ。

たとえば、初編の中巻では、まずは髪結床に上方(大坂)の馴染みの商人(あきんど)がやってきて、北国を回ってきた土産話を始める。そして、鬢五郎さんや長屋の人たちといろんなやり取りをするんだけど、鬢五郎さんや長屋の人たちは江戸弁で、上方の商人は関西弁で、会話の内容が北国のことだから、なかなか楽しめる。そして、その商人が帰ってくと、それまで座敷に座ってみんなの話を聞いてた長六(ちょうろく)さんが、自分の懐に手を入れてゴソゴソしてるのを見て、短八(たんぱち)さんが声を掛ける。そして、次のエピソードが始まるってワケだ。


短八 「長六、手めへ(てめえ)懐に何を入居(いれて)る」

長六 「新道の八百屋から猫を貰つて来た」

短八 「小猫か」

長六 「ムム、何とか名を号(つけ)やうと思ふが、駒(こま)だの、福(ふく)だのといふも古いから、なんぞすてきに強い名を工面するが、どうもねへ」


‥‥ってなワケで、ここから2人で子猫の名前を考え始める。とにかく強そうな名前がいいってことで、最初に短八が「弁慶」はどうかって言うと、長六がメス猫だって言う。それで今度は「巴御前(ともえごぜん)」はどうかって言うと、それは長くて呼びにくいって言う。それで「虎」なら強そうでいいんじゃないかって言うと、「竜虎梅竹(りゅうこばいちく)」って言葉があるように、「虎」よりも「竜」のほうが強いんじゃないかってことになる。だけど、空を飛ぶ「竜」も「雲」がなきゃサマにならない。じゃあ「雲」って名前にするかって言うと、「雲」は「風」が吹いたら飛ばされる。「風」は「障子」を閉めたらひとたまりもない。「障子」は「鼠(ねずみ)」に齧られる。「鼠」より「猫」のほうが強い。よし、この猫の名前は「猫」にしよう!‥‥ってことになる。

猫に強い名前をつけようとして、結局は「猫」って名前になるオチの小咄(こばなし)は、安永7年(1778年)に発表された「落話花之家抄」にも収められてるから、作者の三馬にとっては、子供のころから親しんできたネタなんだろう。だけど、サスガは三馬ってワケで、ここからの流れにオリジナリティーがある。猫の名前を「猫」と決めるのに苦労したと、長六は懐で寝てた子猫に声を掛ける。


長六 「おきやアがれ。大きに苦労したぜ」

トいふ時ふところにて猫「ニヤア」トなく

長六 「なんだニヤアだ。古風に泣くぜ。あんまりおさだまりだ。ワンとでも泣(ない)てくれりやア、見せ物師に売(うっ)てお釜を越(おこ)すに」

短八 「うさアねへ。いつその事ニヤンと号(つけ)るがいゝ」

長六 「ウムこいつアいゝ。ニヤンとせう」

短八 「ニヤンとせうでは、五大力(ごだいりき)のやうだ」


‥‥ってなワケで、細かいポイントをサクッと解説すると、まず、猫が「鳴く」じゃなくて「泣く」とか、釜を「起こす」じゃなくて「越(おこ)す」ってのは、当時の表記だ。そして、この「お釜を越(おこ)す」ってのは、文脈から想像がつくと思うけど、「竈(かまど)を築き上げる」ってことから「財産を作る」って意味の言い回しだ。それから、短八の「うさアねへ」ってのは、「嘘はねえ」、つまり、「間違いないぜ」ってことだ。

で、いったん「猫」と名づけられた子猫は、とうとう「ニャン」て名前になっちゃったワケだけど、どっちかって言えば、「猫」よりは「ニャン」のほうがマシだよね。ま、その辺はいいとしても、このクダリで、古典マニアじゃないと分からないのが、最後の「ニヤンとせうでは、五大力(ごだいりき)のやうだ」っていうオチだ。これは、「五大力恋緘(ごだいりき こいのふうじめ)」っていう源五兵衛と小万との悲恋をテーマにした有名な歌舞伎の演目があるんだけど、この中の小万が手紙をしたためるシーンで流れる長唄の一種、「めりやす」の曲が「五大力」って曲なのだ。短八が「五大力のやうだ」って言ったのは、この曲のことで、それは、この曲の歌詞を読めば分かる。


「いつまでぐさのいつまでも、なまなかまみえ物思ふ。たとひせかれて程経るとても、縁と時節の末を待つ。なんとせう、たがひの心うちとけて、うはべはとかぬ五大力~」


「いつまでぐさ」ってのは、常緑の蔦(つた)のことで、冬にも枯れないことから‥‥って、ぜんぶ説明してると長くなっちゃうから、ここはザクッとハショらせてもらうけど、問題なのは、この歌詞の中の「なんとせう」の部分だ。現代表記なら「なんとしよう」ってことだけど、これを「ニヤンとせう」にカケたのが、短八のセリフとして使われてるオヤジギャグなのだ。「五大力恋緘」は有名な演目だから、当時の庶民は誰もが知ってただろうし、名シーンで流れるこの歌も有名なので、短八が「ニヤンとせうでは、五大力のやうだ」って言えば、みんなすぐに意味が分かってクスクスと笑ったってワケだ。

‥‥そんなワケで、このオチのあとは、またすぐに次の登場人物が現われて、次のエピソードへと続いてく。こうした短い話が鎖のようにつながって、1巻になってるのだ。だから、ものすごく面白いんだけど、仮にも古典だから、それなりの知識がないと読めない上に、当時の庶民の文化を当時の江戸の話し言葉で書いてるから、そうした専門知識もないと意味が分からない箇所も多い。もちろん、たいていの古典の本は、欄外に細かい注釈が書いてあるから、メンドクサイヤ人じゃなければ、分からない言葉や表現を確認しながら読むことはできる。だから、マニアックな人にはオリジナルを、古典は苦手だけど読んでみたいって人には現代語に訳されてるバージョンをオススメする。

あたしは古典が大好きなので、「浮世床」も「浮世風呂」もオリジナルを読んでるけど、この「浮世床」の初編の上巻の最初のころの話に、長屋に住んでる儒学者の孔糞(こうふん)先生ってのが登場する。貧乏でも学者としてのブライドがあるから、学のない庶民のことを小バカにしてて、髪結床でも自分の知識をひけらかそうとする。だけど、自分の専門の儒学には詳しくても、誰もが知ってるような一般常識には疎くて、トンチンカンなことを言い出す。1本何万円もするようなワインの銘柄は知ってても、カップ麺の値段を知らなかったり、ホッケの煮付けとか言い出すような人ってワケだ。

で、その孔糞先生が髪結床にやってきて、主人の鬢五郎さんに髪を結ってもらってる時に、目の前の壁に貼ってあった芝居や寄席のチラシを見て、「訓読み」すべき漢字を「音読み」に、「音読み」すべき漢字を「訓読み」にと、おかしな読み方をしちゃうのだ。チラシには、浄瑠璃や落語の出演者や演目なんかが書かれてるんだけど、孔糞先生は、「今昔物語(いまむかしものがたり)」のことを「こんせきぶつご」、落語家の「朝寝坊夢羅久(あさねぼう むらく)」のことを「ちょうしんぼう ぼうらきゅう」、「林屋正蔵(はやしや しょうぞう)」のことを「りんおく せいぞう」、「風流八人芸(ふうりゅうはちにんげい)」のことを「かぜながれはつじんげいす」なんて読んじゃう。

フロッピー麻生じゃあるまいし、仮にも学者だってのに、「物語」を「ぶつご」だの「風流」を「かぜながれ」だのってのはおかしすぎる。髪結床の主人からお客の若い衆まで読めるのに、学者がこんな簡単な漢字も読めないなんて、ちょっと理解できない。でも、これには理由があるのだ。この孔糞先生は儒学者だから、すべての漢字の熟語は、音読みか訓読みに統一すると思ってるのだ。だから、「物語」だけ、「風流」だけならちゃんと読めるのに、他の漢字もくっついちゃうと、どうも読み方が分からなくなっちゃう。

だから、「咄家(はなしか)」って読み方にもケチをつけ出す。孔糞先生いわく、「咄(はなし)は訓読みで家(か)は音読み、これは湯桶(ゆとう)読みだ」って言ってケチをつける。「湯桶読み」ってのは「重箱読み」とおんなじことで、熟語の漢字を訓読みにも音読みにも統一しないでバラバラに読むことだ。そして、孔糞先生は、挙句の果てには「咄家(はなしか)などという言い方をする者は無学なのだ」って言い出す始末で、原文だとこんな感じだ。


孔糞 「(前略)咄家咄家と、何でも家(か)の字さへ付ければよいことと思ふが、咄家と云(いっ)ては湯桶訓(ゆとうよみ)だ。咄(はなし)は訓なり。家(か)は漢音だ。呉音では家(け)とよむてな。すべて儒学は漢音、国学は呉音でよむが、また坊主の方なども呉音でよむ。それは格別、笑話家(しょうわか)とか、或(あるい)は落句(らっく)におかしみを取るゆゑ、落話家(らくわか)ともいへばよいに、咄家とはイヤハヤ実に絶倒。ハハハハハ。すでに古方家(こほうか)後世家(こうせいか)は漢音、二条家(にじょうけ)万葉家(まんようけ)は呉音で唱える。是等(これら)のことを弁(わきま)へぬとは、ハテ残念閔子騫(びんしけん)」


解説しなくても、だいたい分かると思うけど、最後の「残念閔子騫」てのは、孔糞先生の口癖でオリジナルのギャグだ。孔子の高弟10人、「孔門十哲」を並べた時に、「顏淵(がんえん)」「閔子騫(びんしけん)」「冉伯牛(ぜんはくぎゅう)」‥‥って言ってくんだけど、この最初の2人の「がんえん・びんしけん」の部分を「ざんねん・びんしけん」に変えたオヤジギャグだ。孔糞先生は、その名前からも分かるように孔子をリスペクトしてるから、何かにつけて、この「残念閔子騫」を使う。ようするに、「君たち庶民とは違って私は教養のある儒学者だから、ギャグひとつでも教養にあふれたものを使うのだ」ってことを自慢してるワケだけど、長屋の住人たちは「またビンシケンが出たよ」なんて言って鼻で笑ってるラフィン・ノーズ‥‥ってなワケで、この孔糞先生の弁に髪を結ってた鬢五郎さんが返して、そこに常連の伝さんも口をはさんで、ちゃかし始める。


鬢五郎 「しかし、今のきいたふうは何でも家(か)の字を付けたがるよ」

孔糞 「口を能(よく)しやべるものを多弁家(たべんか)、物を多く食ふ者を食乱家(しょくらんか)、或(あるい)は飽食家(ほうしょくか)」

伝 「酒をよく飲む者を酒家(のみか)と云(いっ)ちやア、夏うるさがるやうだの」

孔糞 「それが則(すなわち)湯桶訓(ゆとうよみ)だて。酒を呑むものを酒客(しゅかく)、酒屋を酒家(しゅか)」

鬢五郎 「ハハア酒屋が酒家(しゅか)ならば、豆腐屋は豆腐家(とうふか)だの」

伝 「堤燈屋が堤燈家(ちょうちんか)で、煎餅屋は煎餅家(せんべいか)」

鬢五郎 「馬によく騎(の)る人を馬家(ばか)と云(いっ)たら腹を立つだらう」


‥‥そんなワケで、とうとうここで「ディープでインパクトなゼーレのシナリオ」、つまり、石川喬司先生の登場ってワケだ。『馬家物語/人はなぜ競馬をするか』(現代評論社)、『紳士は競馬がお好き/馬家先生、世界を駆ける』(現代評論社)、『競馬聖書 馬家物語』(ミデアム出版社)などの著作を見れば分かるように、「馬家」と言えば石川先生の代名詞だ。前にも書いたけど、これは石川先生が若かりしころに、SF仲間だった手塚治虫さんと星新一さんからつけられたアダ名で、競馬に目がない仲間内でも、誰よりも石川先生が競馬に夢中になってた様子がうかがえる。

ちなみに、「バカ」ってのは、一般的には「馬鹿」って書くけど、他にも「莫迦」とか「馬稼」とか「破家」とかって表記もある。もちろん、これらはすべてアテ字で、もともとは梵語(サンスクリット語)で「愚」を意味する「moha」が語源だ‥‥ってワケで、石川先生の「馬家」は、堂々たる「競馬の大家(たいか)」ってイメージだけど、通常の表記だと、「馬稼」と「破家」とを足して2で割った形になる。そして、この「馬稼」と「破家」の表記を並べて「馬稼破家しい」って言葉にすると、ナニゲに漢詩の一部みたいになる。意味はもちろん「競馬で稼ごうと思ったら家が破産してしまった」ってことだ(笑)

で、ちょっと戻って、念のためにさっきの会話を簡単に解説しとくけど、最初の鬢五郎さんの「きいたふう」ってのは、ご想像通りに「知ったかぶり」のことだ。そして、伝さんの「酒をよく飲む者を酒家(のみか)と云(いっ)ちやア、夏うるさがるやうだの」ってのは、「のみか」を「蚤」と「蚊」にカケてるオヤジギャグだ。つまり、「酒をよく飲む奴のことを酒家(のみか)だなんて言ったら、蚤と蚊になっちまうから夏はうっとうしくていけねえや」って言ってるワケだ。

あとは、「のむ」って漢字が「飲」だったり「呑」だったりしてたり、人を指す「者」が平仮名だったり漢字だったりしてるけど、これらはすべて原文のまま書き写したものだ。そして、カッコの中の振り仮名は、本来なら旧仮名で書くべきなんだけど、そうすると説明が二度手間になっちゃうので、分かりやすいように新仮名で書いた‥‥って解説も織り込みつつ、話をクルリンパと戻すけど、この「浮世床」に登場する「馬家」は、競馬ファンのことじゃなくて、「馬によく騎(の)る人」のことだ。だから、厳密に言ったら、石川先生の「馬家」とは意味が違う。

だけど、当時は今みたいな競馬はなかった。お祭りの神事とかで、2頭の馬を競わせる「競(くら)べ馬」ってイベントはあったけど、毎週の土日に開催して馬券を売ってたワケじゃないから、この「競べ馬」に没頭してる庶民なんてメッタにいなかったと思う。だから、髪結床に集まる長屋の連中のくだらない会話に登場させるなら、やっぱり「馬によく騎(の)る人」ってのが自然の流れだろう。そして、誰よりも馬のことが大好きで、どこへ行くにも馬に乗っちゃうような人が「馬家」なら、競馬を観戦するためにニポン全国どころか海外にまで行っちゃう石川先生も「馬家」ってワケで、時代背景や状況はまったく違っても、馬を愛する気持ちは共通してるってワケだ。

‥‥そんなワケで、3頭の芦毛の馬が1着から3着までを独占した「阪神ジュベナイルフィリーズ」から、あたしは「3頭の馬」をペンネームにした式亭三馬のことを連想し、三馬の代表作である「浮世床」の冒頭の話に、石川先生の代名詞の「馬家」が登場するってことに気づいたのだ。「浮世床」の初編の上巻が発表されたのは、文化10年(1813年)なので、今から約200年も前のことだけど、まだ競馬もなかった江戸時代に、馬によく乗る人、馬に夢中になる人のことを「馬家」と呼ぶっていう発想があっただなんて、これこそがゼーレのシナリオだと思った。そして、この「浮世床」を書いたのが式亭三馬なら、上方落語の「浮世床」を東京で初めて演じたのが初代柳家小せんで、その後、三代目三遊亭金馬によって広められたのだ。「三代目」の「三遊亭」の「金馬」だなんて、まさしく3頭の馬の金メダルって感じで、あたしのコジツケ心にライト・マイ・ファイヤーな今日このころなのだ(笑)


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