年内立春
毎年、おんなじことを書いてるような気もするけど、ついこないだ年が明けたと思ったら、もう12月だ。あと1ヶ月で今年も終わり、また新しい年に変わり、また、ついこないだ年が明けたと思ってるうちに、たぶん12月になっちゃうだろう。で、これも毎年、書いてるかもしれないけど、12月と言えば「師走(しわす)」ってワケで、先生やお坊さんも走り回るほどバタバタとした月ってワケだ。
だけど、あたしは、この呼び方は曖昧すぎると思ってる。だって、「師走」ってのは、あくまでも「旧暦の12月」の別名であって、現在の新暦で言えば、ホントは1月の下旬から3月の上旬くらいまでの1ヶ月間のことだからだ。もちろん、これは、他の月もぜんぶおんなじで、1月の「睦月(むつき)」、2月の「如月(きさらぎ)」、3月の「弥生(やよい)」、4月の「卯月(うづき)」、5月の「皐月(さつき)」、6月の「水無月(みなづき)」、7月の「文月(ふみづき)」、8月の「葉月(はづき)」、9月の「長月(ながつき)」、10月の「神無月(かんなづき)」、11月の「霜月(しもつき)」、これらはみんな「旧暦」の呼び名だから、本来の季節とは2ヶ月近くもズレてる。
たとえば、「A月」「B月」「C月」みたいに記号みたいな呼び名なら、昔は旧暦の1月のことを「A月」って別名で呼んでたとして、新暦に変わってからも1月のことを「A月」って呼んでも何も問題はない。だけど、この「睦月」だの「如月」だの「弥生」だのって呼び名は、それぞれにちゃんと意味がある。バタバタと忙しい12月を「師走」って呼ぶことや、親戚が集まって睦む1月を「睦月」って呼ぶことは問題ないけど、四季折々の自然に関する呼び名、たとえば「弥生」なんてのは、「弥(いや)」が「いよいよ」、「生(おい)」が「生い茂る」ってことで、春に芽が出た草花が、いよいよ本格的に生い茂る月って意味だ。だから、現在の5月にあたる旧暦の3月ならピッタリだけど、現在の3月には似合わないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、誰かの俳句を鑑賞する上でも、自分が俳句を詠む上でも、いつも、この旧暦と新暦のズレに迷惑してる。暦そのものは旧暦から新暦に変わったのに、かつての旧暦のままの「立春」「立夏」「立秋」「立冬」を使ってるから、1年でもっとも寒い2月の頭に「立春」、梅雨の前の5月に「立夏」、真夏の一番暑い8月の頭に「立秋」になっちゃう。これが、かつての旧暦なら、桜が咲き始める時季に「立春」、梅雨が明けての「立夏」、夏が過ぎて朝晩の涼しさを感じるころに「立秋」ってふうに、ちゃんと気候や草花ともマッチしてたのだ。
たとえば、旧暦の「立春」を2月4日だとして、これを今の暦、新暦に対応させると、3月19日になる。だから、人間が感じる四季折々の気候や草花に合わせるのなら、3月19日を「立春」にしなきゃおかしいワケだ。もちろん、「立夏」「立秋」「立冬」も、おんなじように、約45日ほどズラさなきゃなんない。そして、そうすれば、桜の咲き始める3月の下旬に「立春」、梅雨が明けた6月の下旬に「立夏」、夏の猛暑がやわらいだ9月の下旬に「立秋」、寒さが身にしみてくる12月の下旬に「立冬」っていう、旧暦通りの正しい季節感を味わうことができたのだ。
それなら、なんで、旧暦から新暦に変える時に、実際の季節に合わせて、これらの「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の日付を移動しなかったのかって言えば、それは、いろんな部分でツジツマが合わなくなっちゃうからだ。12月の下旬を「立冬」にしちゃったら、冬になったトタンに大晦日がきてお正月になっちゃうワケで、そうなると、「桃の節句」や「端午の節句」を始め、1年の数々のイベントがみんな狂っちゃう。つまり、これは、気候や草花などの「自然」と、人間の生活に密着したイベントなどの「人事」とのズレなのだ。
‥‥そんなワケで、俳句の季語には、四季折々の気候や草花などを始めとした「自然」の季語と、人間の生活に密着した「人事」の季語がある。今の時季で言えば、「北風」や「落葉」なんてのは「自然」の季語で、「クリスマス」や「お歳暮」なんてのは「人事」の季語だ。だから、「大晦日」も「お正月」も人間が作った「人事」の季語ってワケで、旧暦の時は、現在の1月の下旬から2月の上旬に「大晦日」や「お正月」があったのだ。そして、「立春」こそが1年のスタートだったってワケだ。
今は「立春」って聞くと「春が来た」ってイメージになっちゃうけど、昔は「立春=お正月」って言うか、正確に書くと「立春≒お正月」だった。だから、1年でもっとも寒い時季にお正月を迎えて、あとはどんどん暖かくなっていき、桜が咲き、木々が青々としてきて、夏を過ぎ、秋、そして、冬になり、1年でもっとも寒い時季に1年が終わってた。そのため、人間が体感する気温の変化としても、ちょうどいいサイクルになってた。「春夏秋冬」っていう四季の流れが、そのまま1年間の流れになってて、自然の移ろいと人間の生活とが寄り添ってた。
だけど、2ヶ月近くも日付をズラしちゃった現在の新暦だと、「お正月」って言うと完全に「冬」のイメージになっちゃった。だから、旧暦の時には「春」から1年がスタートしてたのに、今は「冬」の途中から1年がスタートして、お正月が過ぎてから寒さが厳しくなってくっていう、ヘンテコな状況になっちゃった。これは、2ヶ月近くも日付をズラした新しい暦に、無理やりに「人事」を合わせたからで、その2ヶ月近くのズレが、そのまま「自然」の流れとの間のギャップになっちゃったのだ。
‥‥そんなワケで、さっき、旧暦の時は「立春≒お正月」だったって書いたけど、1年を24に分けた「二十四節気」では、「立春」が1年のスタートの「正月節」にあたる。じゃあ、なんで「立春=お正月」じゃなくて「立春≒お正月」なのかって言うと、ここからはリトル難しい話になっちゃうんだけど、前にも書いたから覚えてる人もいると思うけど、現在の太陽暦と違って、旧暦は、お月様の満ち欠けが暦になってた。お月様が見えない「新月」から1ヶ月がスタートして、お月様がだんだん太っていき、まん丸の満月になるのが15日あたり。そして、それから痩せ始めて、完全に見えなくなる「新月」の1日前で1ヶ月が終わる。
で、旧暦の1月ってのは、「二十四節気」の「立春」の次の「雨水」が含まれる月って決まってた。現在の新暦で言えば、「立春」を2月4日だとすると、「雨水」は2月19日、「立春」の15日後になる。だけど、旧暦では、この「雨水」が含まれてる月を1月と決めてたから、その年によって、「立春」がお正月じゃなくなっちゃう時もあったのだ。たとえば、その年の「雨水」が1月16日だったとすると、その15日前が「立春」になるから、1月1日が「立春」てワケで、おめでたいお元日になる。そして、その年の「雨水」が1月17日や18日だったとしても、1月2日や3日が「立春」になるワケで、たいした問題じゃない。
だけど、その年の「雨水」が1月15日よりも前だった場合には、その15日前の「立春」は、12月31日とか、30日とか、12月中になっちゃう。つまり、まだ年が明けてない12月のうちに、1年のスタートである「立春」がやってきちゃうってワケだ。3月3日の「桃の節句」が2月28日に繰り上がったり、5月5日の「端午の節句」が4月30日に繰り上がったりしても、そんなに大騒ぎするほどは困らない。だけど、1年のスタートである「立春」が、まだ年が明けない年内のうちに訪れちゃったら、志村けんじゃなくてもダッフンしちゃうことウケアイだ。
でも、実は、これは「年内立春」て言って、よく起こった現象だったのだ。だって、その年の「雨水」の日が、1月16日よりも後なら「立春」も1月だけど、15日よりも前なら「立春」は12月になっちゃうんだから、2分の1の確率で「年内立春」が起こってたことになる。そのため、俳句の歳時記にも、歳末の季語として「年内立春」が掲載されてて、こんなふうに解説されてる。
「年内立春」
旧暦では、年のうちに立春になることがある。「古今集」に、「年の内に春は来にけりひととせを去年(こぞ)とや言はむ今年とや言はむ」(在原元方)とあって、実際と観念との矛盾に興じていた。俳諧でも季題として立てられ、冬としている。「年の春」「冬の春」「年の内の春」
年の内に春は来にけりいらぬ世話 一茶
なるほどね。本来は「立春」の日からを「春」とするんだけど、12月のうちに「立春」が訪れた「年内立春」の場合は、「春」じゃなくて「冬」の季語にするってワケだ。それにしても、傍題の「冬の春」ってのが面白いね。俳句の季語って「春」「夏」「秋」「冬」って言葉が入ってても、そのままの季節の季語じゃないものがある。オナジミのとこでは、冬の暖かい日を指す「小春日和」が有名だし、他の木と違って夏に葉を落とす竹の場合は、「竹の秋」ってのが夏の季語で、「竹の春」ってのが秋の季語になってる。また、夏に黄色く色づく麦も、その色を秋の葉の色に見立てて、「麦の秋」なんて呼んで夏の季語としてる。
それから、これは季節はそのままだけど、「秋の暮」と「暮の秋」って季語がある。「秋の暮」は、読んで字のごとく、秋の1日の日暮れのことを指す季語だけど、「暮の秋」は、秋っていう季節自体の「暮」、つまり、「秋の終わり」を指す季語だ。俳句では、こんなふうに、ちょっと分かりにくい季語が多いんだけど、この「冬の春」なんてのは、その最たるものだろう。俳句をやってない人に「冬の春」なんて言っても、おそらく意味が分からないと思う。
‥‥そんなワケで、「立春」と言いながらも「春」じゃなくて「冬」の季語になってる「年内立春」だけど、歳時記に引いてある在原元方(ありわらのもとかた)の歌は、「古今集」の巻頭にあげられてる歌だから、目にしたことのある人も多いと思う。
年の内に春は来にけりひととせを去年(こぞ)とや言はむ今年とや言はむ 在原元方
ちなみに、この在原元方ってのは、平安時代の福山雅治、在原業平(ありわらのなりひら)の孫だ。で、この歌には、「ふるとしに春たちける日よめる」って詞書がついてる。「まだ年が明けていないのに春がきてしまった。昨日までの一年を去年と呼ぶべきか、それとも今年と呼ぶべきか、それが問題だ。ブルータス、お前モカ? じゃあ俺はブルーマウンテンにする」‥‥って、コーヒーのクダリは余計だけど、とにかく、この歌は、歳時記の解説にも書いてあるように、「年内立春」ていう実際と観念との矛盾を面白がってる。そして、松尾芭蕉は、この歌を踏まえた上で、こんな句を詠んでる。
春や来し年や行きけん小晦日 宗房
「宗房」は、まだ「芭蕉」や「桃青」を名乗る前、本名を俳号に使ってた時代で、この句は、芭蕉が19歳の時の作品だ。12月31日の「大晦日」は「おおみそか」だけど、その前日の30日を指す「小晦日」は「こみそか」じゃなくて「こつごもり」って読む。ようするに、芭蕉が19歳だった寛文2年(1662年)は、年内の12月30日に「立春」が訪れたってワケで、芭蕉は、そのことを面白がってるのだ。
だけど、まだ俳諧を始めたばかりとは言え、頭の回転の速さと独特のセンスを持ち合わせてた芭蕉のことだから、分かる人には分かるネタが仕込んである。この句の表面上の意味は、「今年はまだ小晦日だというのに立春が訪れた。ひと足早く春が来てしまったのか、それとも、ひと足早く古い年が行ってしまったのか」って感じで、さっきの在原元方の歌をベースにしてる。だけど、古典マニアなら、この句を見た瞬間に「もしや?」って思ったように、この句は、「伊勢物語」の中のオナジミの歌の本歌どりになってるのだ。
君や来し我や行きけん思ほえず夢か現(うつつ)か寝てかさめてか
これは、「伊勢物語」の第六十九段の「斎宮なりける人」と「狩の使」との情愛のシーンでの歌なんだけど、「斎宮なりける人」ってのは伊勢斎宮恬子(やすこ)内親王で、「狩の使」ってのはプレイボーイの在原業平だ。ザクッと説明すると、在原業平が宮中の宴会用の鳥を捕るための「狩の使」として派遣されてきて、斎宮の宮に泊まることになる。すると、「ギリシャ神話」におけるゼウス並みの「据え膳食わぬは~」的なラテン気質の業平だから、こともあろうに、恬子内親王にチョッカイを出しちゃうのだ。
恬子内親王のほうも、ステキな男からチョッカイを出されてマンザラでもないんだけど、立場が立場だから、2人で会ってるとこを誰かに見られたら大変なことになる。それで、普通は男のほうが女の寝室へ夜這いするのが通例なんだけど、この時は、周りが寝静まった夜の11時ころに、恬子内親王のほうが業平の寝室へと出かけていった。だけど、お互いに相手に好意を持ってたのにも関わらず、それから3時間、深夜2時ころまで一緒にいたのに、何もなく終わっちゃったのだ。どんなに好き同士でも、タイミングの合わないこともある。平安時代には、バイアグラがなかったからだ。それで、翌朝、ガッカリしてる業平のとこへ、何もなく帰ってっちゃった恬子内親王から歌が届く。それが、この歌だ。
君や来し我や行きけん思ほえず夢か現か寝てかさめてか 恬子内親王
「昨夜は、あなたが来てくれたのでしょうか、それとも私が行ったのでしょうか。あなたとのひとときは、夢だったのでしょうか、それとも現実だったのでしょうか」って意味で、これに対して、業平は、次の歌を返した。
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとはこよひさだめよ 業平
「私も、あなたへの思いで心を惑わせていました。今夜こそ夢か現実かを確かめましょう」って意味で、ぶっちゃけて言えば、「ゆうべはうまく合体できなかったけど、今夜はがんばるどー!」ってワケだ(笑)
だけど、結局、ワクワクして夜を待ってた恬子内親王に対して、業平はと言えば、この日は業平を歓迎するための宴会がひらかれたために、恬子内親王とのリベンジマッチを繰り広げることができなかったのだ。だから、数々の恋愛を成就させてきたプレイボーイの業平にしては、思いを遂げることができずに終わっちゃったってワケで、「弘法も筆の誤り」的な、「猫も木から落ちる」的な、「きっこも競馬に的中する」的な、ようするに、メッタにないケースだったワケだ。
そして、19歳の松尾芭蕉は、年が明ける前の12月30日に「立春」を迎えた面白さを俳句に詠む上で、この業平へ送った恬子内親王の歌の「君や来し我や行きけん」てフレーズをパロッた上で、業平の孫の元方の「年内立春」の歌のフレーバーをも散りばめたってワケだ。これによって、「伊勢物語」を知ってる人には、ただ単に芭蕉が「年内立春」という矛盾を面白がってるだけじゃなくて、その奥に、愛し合ってる男女がひとときを同衾していながら、その思いを遂げられなかったように、年が明ける前に「立春」が訪れてしまったという、寂しさのように、切なさのような、なんとも言えない感情が見え隠れしてくる。そして、これらの背景を踏まえて読むと、芭蕉の句の味わいも変わってくる。
春や来し年や行きけん小晦日 宗房
歳時記の例句として小林一茶の句を引き、そのあとに芭蕉の句を引いたけど、この「年内立春」を詠んだ俳句は、与謝蕪村にもある。そして、この3人の句を比べてみると、それぞれのキャラがよく分かって面白い。
年の内の春ゆゆしきよ古暦 蕪村
年の内に春は来にけりいらぬ世話 一茶
春や来し年や行きけん小晦日 宗房
蕪村は、年内に「立春」がくるとは「ゆゆしき事態じゃ!」って怒ってるのだ。それに比べて、一茶はと言えば、「いらぬ世話」だと我関せず。そして芭蕉は、眼前の現実をそのまま受け止めてる。ようするに、蕪村は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の信長タイプ、一茶は「鳴かぬなら鳴かせてみよう ホトトギス」の秀吉タイプ、芭蕉は「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」の家康タイプに近い感じがする。だけど、こうして「年内立春」の句を俳人たちが自由に詠めたのも、暦が旧暦だったからで、暦が新暦に変わると同時に、「年内立春」はほとんど詠まれることがなくなった。
‥‥そんなワケで、明治5年(1872年)に明治政府が新暦を採用したことによって、あたしたちが今使ってる暦ができて、この年から「年内立春」はなくなったってワケだ。だから、現代の歳時記にも季語として掲載されてるけど、「机上の空論」ならぬ「歳時記上の空季語」ってことになる。歳時記には、もう絶滅しちゃった動物だの、もう廃れちゃった風習や行事だの、すでに実際に見ることができなくなった季語がチラホラと残ってるけど、この「年内立春」も、そんな中のひとつなのだ。で、暦が新暦になってからの俳人と言えば、なんと言っても「俳句」を作った正岡子規だけど、子規は「年内立春」ていうタイトルでこんな句を詠んでる。
春立て花の気もなし年の内 子規
春立て鴉も知らず年の内 〃
1句目の「花」は、「桜」じゃなくて、万葉になぞらえて「梅」と見るんだと思う。「立春だって言うのに、梅の便りも聞こえてこない。ふと暦を見てみたら、旧暦だと今日はまだ12月。そうか、年内立春だったんだ」って感じだ。そして、2句目は、「今日が立春だと言うことを鴉(からす)も気づいてない」って詠んでる。客観て言うよりも、なんだか「年内立春」を不愉快に思ってるみたいだ。
子規が「年内立春」を嫌いなのかどうかは分からないけど、少なくとも「古今集」の巻頭に掲載されてる在原元方の歌に関しては、シャレにならないほど嫌ってた。明治31年に書いた「歌よみに与ふる書」の中で、次のように、完膚なきまでに批判してる‥‥って言うか、けなしてる。
「先づ『古今集』といふ書を取りて第一枚を開くと直ちに「去年(こぞ)とやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る、実に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外国人との合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしやれたると同じ事にて、しやれにもならぬつまらぬ歌に候。この外の歌とても大同小異にて駄洒落か理窟ツぽい者のみに有之候。」
子規は、現代なら差別用語に該当する言葉まで使って、元方の歌をボロクソにけなしてる。元方は、「年内立春」という矛盾した現象を素直に面白がって、まだ年内なのに今日が「立春」なら、昨日までの1年は、「立春」に合わせて「去年」と呼ぶべきなのか、それとも暦通りに「今年」と呼ぶべきなのか‥‥って詠ったワケだけど、子規に言わせると、そもそも「年内立春」てものがそういうものなのだ、それをわざわざ説明されても面白くも何ともない‥‥ってことなのだ。
そして、こうした子規の言いぶんを聞いてから、子規が詠んだ2句を読み直してみると、さっきまではどこが面白いのか分からなかった句だったのに、ひとつの気づきに出会うことになる。今日は「立春」だって言うのに、まだ梅の便りも届かない。おかしいなと思っていたら、なるほど、今日は旧暦だとまだ12月だったんだ!‥‥っていう視点の流れ、つまり、最後に「年内立春」だと気づいたことによって、わずか17音の中に起承転結が生まれてるのだ。一方、元方の歌は、最初から暦を見て、今日が「立春」であり「年内立春」だと言うことも知った上で、そのことについて自分の感想を述べてるだけなのだ。
フランク・ザッパに言えば、元方の歌は頭の中で考えて作った歌、子規の句は感覚で詠んだ句ってワケだ。もちろん、これは、平安時代の和歌と明治時代の俳句っていう、まったく別物の短詩形だから、どちらかの方法論だけで優劣を決める子規のやり方は乱暴すぎる。でも、子規の方法論で俳句を詠み続けてるあたしとしては、子規の言わんとしてることがとってもよく分かるのだ。そして、そんな子規の弟子の高浜虚子の弟子の富安風生は、こんな句を詠んでる。
年の内に春立つといふ古歌のまま 風生
風生は、明治から昭和にかけての俳人だから、当然、暦は新暦を使ってた。だから、この句は、新暦をベースとして生活してる上で、子規のように、ふと「もしも旧暦なら今年は年内立春だったのだ」ってことに気づいたって言ってる。そして、その「気づき」に対して、古人に対するリスペクトも忘れずに、ちゃんと「古歌のまま」って添えている。これは、もちろん、子規がボロクソにけなした元方の歌のことだ。「年内立春なんていうものが本当にあったんだなあ。本当な昔の歌の通りだなあ」ってワケで、ここには、風生ならではの「心」がある。それは、1000年の前の元方を始め、「年内立春」という実際と観念との矛盾に興じてきた数え切れないほどの古人たちへの「挨拶の心」なのだ。
‥‥そんなワケで、旧暦ってホントに面白い。去年の2009年は、旧暦で言うと、2009年1月26日から2010年2月13日までが1年間だったので、2009年2月4日の「立春」の他に、2010年2月4日の「立春」も「年内立春」で、1年に「立春」が2回もあった。そのセイで、今年の2010年は「立春」がなかったのだ。今年の2010年は、旧暦で言うと、2010年2月14日から2011年2月2日までなので、来年の2月2日が「ホントの大晦日」になり、その2日後の2月4日が「立春」、つまり、1年のスタートってことになる。だから、来年は、旧暦で見ても、「年内立春」じゃなくて、ちゃんと年が明けてからの「新年立春」てワケで、今年はパッとしなかった人たちも、きっと素晴らしい1年になると思う今日この頃なのだ♪
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