カムイ!パパイヤ!アホーイヤ!
今日は「皆既月食」だった。フランク・ザッパに言えば‥‥ってよりも、お月様のことだから、フランク・ザッパの娘のムーン・ザッパに言えば、太陽、地球、月が一直線になって、地球の影がお月様を暗くしちゃうワケだ。一直線がちょっとズレてて、お月様の一部が暗くなる「部分月食」ならワリとよく起こる。今年は3回もあった。だけど、完全にお月様が隠れちゃおう「皆既月食」は珍しくて、今日は3年ぶりだったから、あたしは楽しみにしてた。
だけど、ゆうべは天上に煌々と輝いてたお月様も、今日になったら一面の曇り空で、お月様どころかお日様も見えない。天気予報の通り、本州はほとんど曇りになって、せっかくの「皆既月食」が観られなくなった。あたしは、ゆうべ、空に向かって「カムイ!パパイヤ!アホーイヤ!」って3回唱えたのに、晴れになるおまじないは効き目がなかった‥‥ってワケで、今は便利な世の中だから、あたしは、「ウェザーニュース」のライブ中継と、Ustreamのライブ中継で「皆既月食」を観ることができたんだけど、それにしても、この「カムイ、パパイヤ、アホーイヤ」って、いったいどんな意味なんだろう?
「カムイ」はアイヌの言葉で「神」や「自然」のことだからナニゲにおまじないっぽいけど、「パパイヤ」の意味が分からない。無理やりにコジツケれば、「パパイヤ」は南の島っぽくてお日様のイメージがあるけど、最後の「アホーイヤ」が完全に意味不明だ。もしかしたら、どこかの国の言葉なのかもしれないけど、ぜんぜん分からない。ま、おまじないの言葉や合言葉、呪文みたいなものは、何かの意味が隠されてるものと、何の意味もない言葉を羅列しただけのものとがあるから、この「カムイ、パパイヤ、アホーイヤ」に何の意味もなくても不思議じゃないけど、謎解きが大好きな迷探偵キッコナン的には、何かの意味が隠されててほしいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、古今東西、おまじないや呪文は数え切れないほどあるけど、やっぱり、何の意味もない言葉を羅列しただけのものよりは、何かの意味が隠されてるもののほうが、効き目がありそうに感じちゃうことウケアイだ。たとえば、これは、たぶん世界で一番有名な呪文だと思われる「千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)」の「ひらけ~!ゴマ!」にしても、英語版の「オープン!セサミ!」と同様に、原文のアラビア語の「イフタフ!ヤー!シムシム!」を直訳したものだ。「イフタフ」は「ひらけ」、「ヤー」は掛け声、「シムシム」は「ゴマ」で、これは、ゴマの実が弾けてひらく様子から考えられた呪文だって言われてる。ま、これは、何か意味が隠されてる‥‥っていうんじゃなくて、単なる直球だけど、それでも、「ひらけ~!ネギ!」とか「ひらけ~!トマト!」とかって、何の意味もない作物の名前が使われてるよりは遥かにいい。
で、もうちょっと複雑になってくると、今度は国内的に有名だけど、「ひみつのアッコちゃん」だ。アッコちゃんが変身する時の呪文、「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」は、「テクニカル・マジック・マイ・コンパクト」を略したものだし、元の姿に戻る時の「ラミパス ラミパス」は、「スーパーミラー」を逆から読んだものだ。これらの意味は、誰かに教えてもらえば「なるほど!」って思うけど、知らない人もそれなりにいる。今はインターネットがあるから、こうした情報もアッと言う間に調べられるし広まっちゃうけど、あたしがちっちゃいころに「ひみつのアッコちゃん」の再放送を観てた時には、こんな意味があるなんてぜんぜん知らなかった。中学生になってから、クラスメイトの1人が「ひみつのアッコちゃんの呪文には意味があるの知ってる?」って言って教えてくれて、みんなで「なるほど!」って感心した。
意味を知らないで聞いてるなら、「テクマクマヤコン」が「テクマヤマクコン」でも、「ラミパス」が「ラパミス」でもおんなじことだ。言いやすいか言いにくいかの違いはあっても、「なんとなく不思議な感じがする呪文」てワケで、どっちでも似たようなもんだ。でも、この呪文の中に何かの意味が隠されてるってことになると、たった1文字変わっただけでも、意味を成さなくなっちゃう可能性もある。
‥‥そんなワケで、おまじないや呪文とは違うけど、昔の和歌は、歌の中に別の意味を暗号みたいに織り込んでるケースがあった。これは、当時の和歌自体に言葉遊びの傾向が強かったことと、当時の人たちが直接は言わずに密かに伝えるってスタイルに美意識を感じてたからだ。2005年11月22日の日記、「和歌の心」でも紹介したけど、こんな歌がある。
小倉山峰たち鳴らしなく鹿のへにけむ秋を知るひとぞなき 紀貫之
この歌を平仮名にして、五七五七七で区切って書くと、「をぐらやま/みねたちならし/なくしかの/へにけむあきを/しるひとぞなき」ってことになり、それぞれのパーツの最初の1文字を並べると「をみなへし」、現代の仮名にすると「おみなえし」、つまり「女郎花」ってワケだ。
唐衣(からころも)きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ 在原業平
おんなじように、こっちの業平の歌には「杜若(かきつばた)」が詠み込まれてる。正確に言うと「かきつはた」になってるけど、回文の「ルールのゆるいバージョン」みたいに、濁音に関しては「意味が分かれば、ま、いいじゃん」て感じなのだ‥‥ってワケで、こうして、一見、普通の和歌でありながら、別の言葉が隠してあるものを「折句(おりく)」って言うんだけど、この2首はそれぞれのパーツの最初の1文字を前から後ろへ読むと言葉が現われるタイプなので、「冠(かむり)」っていうパターンだ。
そして、この逆で、それぞれのパーツの最後の1文字を後ろから前へと読むのが「沓(くつ)」っていうパターンだ。これは、作るほうも難しくなるけど、そのぶん、人にも気づかれにくくなる。そして、もっとも難しいのが、「沓冠(くつかむり)」って言って、「冠」と「沓」の両方の詠み込んでるパターンだ。これも、過去ログの「和歌の心」の中で紹介してるけど、ものすごいレベルの高さだ。
夜も涼し寝覚めの仮庵(かりほ)手枕(たまくら)も真袖(まそで)も秋に隔てなき風 吉田兼好
夜は憂しねたく我が背子果ては来ずなほざりにだにしばしとひませ 頓阿法師
これは、「徒然草」の作者としてもオナジミの吉田兼好が、親友の頓阿(とんあ)法師に送った歌と、頓阿法師からの返歌なんだけど、これが「沓冠」の名歌なのだ。吉田兼好の歌は、「よもすずし/ねざめのかりほ/たまくらも/まそでもあきに/へだてなきかぜ」だから、「冠」は「よねたまへ」、つまり、「米給え」ってことで、「食べ物に困ってるからお米を分けてくれ」って頼んでるのだ。そして、「沓」はと言えば、「ぜにもほし」、つまり、「銭も欲し」ってワケで、歌だけ読むと風流な秋の景なのに、そんな歌の中に「すごく困ってるから、お米とお金を貸してくれ!」っていう本心を忍ばせてるのだ。
そして、この歌に対する頓阿(とんあ)法師の返歌が、「よるはうし/ねたくわがせこ/はてはこず/なほざりにだに/しばしとひませ」ってワケで、「冠」が「よねはなし(米は無し)」、「沓」が「せにずこし(銭少し)」、つまり、「お米はないけどお金なら少しだけ工面できるよ」って答えてるのだ。「せにずこし」が「ぜにすこし」ってのはリトル苦しいけど、さっきも言ったように、「意味が分かれば、ま、いいじゃん」て感じで、これくらいは大目に見てほしい。
‥‥そんなワケで、「日本三大随筆」のひとつにも数えられてる「徒然草」の作者の吉田兼好でさえも、お米やお金に困る生活をしてたワケだから、あたしがお米やお金に困るのは当たり前なワケだ‥‥って、変な部分で納得しつつも、「徒然草」と言えば、62段にこんな歌が収められてる。
二つ文字牛の角文字直な文字歪み文字とぞ君は覚ゆる 延政門院悦子
これは、後嵯峨天皇の皇女の延政門院悦子内親王が、まだ12歳の時に詠んで、院御所に参上した人に伝えて、お父様の後嵯峨天皇へと送った歌だ。「徒然草」的には、あまりにも有名なエピソードなので、知ってる人には「今さら」だろうけど、頭脳は子供でもベッドでは大人、迷探偵キッコナンとしては、この歌を紹介しないワケには行かない。知らなかった人のためにザックリと説明すると、この歌は、「二つ文字」「牛の角文字」「直(すぐ)な文字」「歪(ゆが)み文字」っていう4つの文字が並んでて、これらが何を意味してるのかが暗号になってる。
まず、「二つ文字」ってのは、漢字の「二」みたいな形の文字ってことで、平仮名の「こ」を指してる。そして、「牛の角文字」ってのは、これまた牛の角みたいな形の文字ってことで、平仮名の「い」のことだ。それから、「直な文字」、すなわち「真っ直ぐな文字」ってのは、平仮名の「し」のことだ。今の「し」は釣り針みたいにカーブしてるけど、当時の「し」は真っ直ぐだった。そして、最後の「歪み文字」ってのは、平仮名の「く」のことだ。だから、この4文字を並べると「こいしく」になり、これを最初の歌に当てはめると、「こいしくとぞ君は覚ゆる」ってワケで、離れて暮らすお父様を恋しく思っています‥‥っていう、12歳の少女の切ない思いを詠ってるのだ。
で、こんなに面白い歌があれば、本歌どりしなきゃ気がすまないのが江戸の俳諧師や狂歌師ってワケで、江戸時代の天明期を代表する狂歌師の蜀山人(しょくさんじん)こと、大田南畝(おおた なんぼ)は、さっそく、こんな歌を詠んだ。
二つ文字牛の角文字二つ文字ゆがみ文字にて一つ飲まばや 蜀山人
この歌は、「二つ文字」「牛の角文字」「二つ文字」「歪み文字」ってふうに並んでるから、元の歌の方式で解読すると、「こ」「い」「こ」「く」になる。つまり、「鯉こくをつまみにして一杯やりましょう」って詠ってるのだ。そして、この蜀山人の狂歌に対抗して、「二つ文字牛の角文字生けづくり」なんていう川柳まで生まれちゃった。「鯉の生けづくり」ってことだ。川柳は俳句とおんなじで五七五の17音しかないから、31音もある和歌や狂歌みたいにたくさんのことは言えないけど、少ない音数でも何とかがんばってみたってワケだ。だけど、遊び心が旺盛な江戸の粋人たちは、調子に乗ると止まらなくなっちゃうみたいで、こんな川柳まで生まれちゃった。
あれさもう牛の角文字ゆがみ文字
「牛の角文字」は「い」、「歪み文字」は「く」だから、「イクー!」ってワケで、完全に下ネタ全開のバレ句だ。「こ」「い」「し」「く」の4文字から、「こいこく」を思いついた蜀山人の腕前はなかなかだけど、サスガに「イクー!」は低俗すぎる。ま、バレ句は低俗で当たり前だけど、下ネタよりもギャンブルが好きなあたしの場合は、こんなふうに詠む。
二つ文字牛の角文字二つ文字牛の角文字いざ勝負かな きっこ
花札の「こいこい」で勝負!って意味だ。これなら、東京都のアホな条例にも引っかからない(笑)‥‥ってなワケで、こうして昔の言葉遊びを見てくると、マクラに書いた「カムイ、パパイヤ、アホーイヤ」っていうおまじないにも、何らかの意味が隠されてるように思えてならない。だけど、この3つの単語、「カムイ」「パパイヤ」「アホーイヤ」を、「冠」で読んでみても、「沓」で読んでみても、ローマ字にして逆から読んでみても、何の意味も現われない。他にも、文字を並べ替えるアナグラムをやってみても、「カムイ」は「ムカイ(向かい)」や「ムイカ(六日)」や「カイム(皆無)」になるけど、「パパイヤ」と「アホーイヤ」は何にも変わらない。
‥‥そんなワケで、まだ「カムイ、パパイヤ、アホーイヤ」の謎は解けないんだけど、あたしが特に気になってる点は、「カムイ」が3音、「パパイヤ」が4音、「アホーイヤ」が5音と、1音ずつ増えてく点と、「パパイヤ」と「アホーイヤ」が「イヤ」で韻を踏んでる点だ。だから、このあたりを手掛かりにして、迷探偵キッコナンの力も借りて、何とか解明してみたいと思う。だけど、その前に、何よりも重要な「有馬記念」があるから、「カムイ、パパイヤ、アホーイヤ」の謎解きは、「有馬記念」が終わってからお正月にゆっくりと‥‥って、ああっ!1月5日には「金杯」がある!‥‥って感じの今日この頃なのだ(笑)
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