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2011.01.03

をさをさも寝ない娘

毎年恒例の「歳旦三つ物(さいたんみつもの)」だけど、今年は、こんなのを詠んだ。


 歳旦三つ物

 初富士を鯉の背鰭の分けゆけり

 2DKに満ちたる淑気

 春の月うさぎ大きく跳ねるらん

 きっこ


「歳旦三つ物」ってのは、新年を迎えたお元日の朝に、その1年のスタートに対して詠む「ミニ連句」ってワケで、最初の「発句(ほっく)」が五七五、次の「脇(わき)」が七七、最後の「第三」が五七五で、このままずっと、五七五、七七、五七五、七七、五七五、七七‥‥って続いてく連句の、最初の3句だけを独立させたものだ。

細かい決まりごとは、5年前のお正月の日記、「歳旦三つ物」に書いてるけど、フランク・ザッパに説明すると、「発句」の五七五は、新年の季語を使い、「や」「かな」「けり」のどれかの切れ字を使う。「脇」の七七は、新年の季語を使い、句末を体言止めにする。「第三」の五七五は、春の季語を使うか無季にして、句末を「て」「に」「にて」「らん」「もなし」のどれかで止める。これが基本的なルールだ。

もっと細かいことを言うと、「第三」の上五を体言止めにするとか、「発句」に「脇」の内容を添わせた上で「第三」で飛躍させるとか、いろいろあるんだけど、ま、最初に書いた決まりごとさえ守ってれば、そこそこ恥ずかしくない「歳旦三つ物」が出来上がる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、小難しい説明をするよりも、実際の「歳旦三つ物」をいろいろと読んでもらったほうが分かりやすいと思うので、あたしが過去に詠んだものをいくつかご紹介しちゃう。


 2004年
 初釜やローズヒップの赤き湯気
 ごまめに並ぶ猫は六匹
 ハイヒールぴよんと春風とびこえて

 2006年
 多摩川の水ゆたかなる初日かな
 宝船には犬もあひのり
 紙ふうせん恋の吐息の満ちたりて

 2009年
 もうもうと湯気たちこめる初湯かな
 ぎゆうぎゆう詰めの手作りおせち
 恋の猫うししうししと顔なめて

 2010年
 寅さんの啖呵きこゆる恵方かな
 競馬とんとん歌留多そこそこ
 山さくら風は天へと昇るらん


2004年だけは干支の「サル」を詠み込んでないけど、2006年は「イヌ」、2009年は「ウシ」、2010年は「トラ」と、それぞれの年の干支を詠み込んでる。そして、2006年はダイレクトに「犬」を詠み込んでるけど、2009年の「ウシ」は、「もうもう」「ぎゆうぎゆう」「うししうしし」っていうオノマトペで表現してるし、2010年は「フーテンの寅さん」で表現してる。こんなふうに、いろいろと工夫して遊べるのも、この「歳旦三つ物」の楽しさってワケだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、中学2年生の時に俳句を始めたから、ナンダカンダで、もう25年も俳句を続けてきた。だけど、まだまだヒヨッコで‥‥って、こう言う時、どうして「ヒヨコ」のことを「ヒヨッコ」って言うのか分からないんだけど、それは置いといて、とにかく、あたしは、25年も俳句を続けてきたのに、まだまだ中級者レベルだ。何でかって言うと、俳句は限りなく奥が深いから、どんなに必死になって勉強したとこで、たかだか20年くらいじゃ、一人前にはなれないからだ。

それでも、あたしは俳句が大好きなので、毎年の年賀状や暑中見舞いに一句添えるのは当然として、知ってる人は知ってることだけど、名刺の裏にも俳句を印刷してる。それも、春夏秋冬それぞれの俳句を印刷してて、春には春の句が印刷してある名刺、夏には夏の句が印刷してある名刺‥‥ってふうに、その時の季節に合わせた名刺を使うようにしてる。だから、普通は、その人の名刺を「いつころ受け取ったか」なんて覚えてないだろうけど、あたしの名刺を持ってる人は、名刺を受け取った季節だけは分かるようになってる。

淡い黄緑色で裏に春の句が印刷してある名刺、淡い水色で裏に夏の句が印刷してある名刺、淡いカラシ色で裏に秋の句が印刷してある名詞、淡い桃色で裏に冬の句が印刷してある名刺。あたしの名刺を持ってる人は、このうちのどれかだから、持ってる名刺を見れば、あたしと最初に会った季節だけは忘れない‥‥ってシステムになってる。そして、もちろん、これらの名刺に印刷してある句は、俳句を知らない人が読んでも、ちゃんと意味が通じるように、シンプルで分かりやすい句を選んである。ま、あたしの場合は、「できるだけ簡単な言葉で、できるだけ分かりやすく詠む」ってことを心掛けてるから、ほとんどの句がシンプルなんだけど、その中でも、特に分かりやすいものを選んで、名刺の裏に印刷してる。

‥‥そんなワケで、俳句って、季語ひとつ見てもいろいろで、子供にも分かる「桜」や「名月」から、俳句を勉強してる人じゃないと意味が分からない「亀鳴く」や「蚯蚓(みみず)鳴く」なんてのまで、その難しさは様々だ。新年の季語にして、「正月」「元旦」「元朝」なら誰でも分かるだろうし、「初詣」「お年玉」「年賀状」も子供でも分かる。だけど、子供にも分かる「かきぞめ」でも、漢字で「書初」って書くと、とたんに大人でも読めない人が出てくる。他にも、「買初(かいぞめ)」「読初(よみぞめ)」「掃初(はきぞめ)」「縫初(ぬいぞめ)」「織初(おりぞめ)」‥‥ってふうに、新年になって初めて行なうことが季語になってるけど、普段、あんまり目にしない言葉だから、パッと出されると読めない人も多い。

新年になって初めて料理をする「俎始(まないたはじめ)」、お元日の朝に初めて汲む水を指す「若水(わかみず)」、初めて顔や手を洗う「初手水(はつちょうず)」、初めてお湯を沸かす「福沸(ふくわかし)」、お元日に聞く松に風が通る音を指す「初松籟(はつしょうらい)」、お元日に降る雨や雪を指す「御降(おさがり)」、他にもいっぱいあるけど、俳句をやってない人には、読み方も分からないものや、読めても意味が分からない季語が目白押しだ。だけど、せっかく年賀状に俳句を添えるんだから、相手が読めなかったり、意味が分からなかったりしたら、それこそ意味がない。

だから、あたしは、年賀状を出す相手を「俳句をやってる人」と「俳句をやってない人」とに分けて、添える句を変えてる。今年の場合は、「きっこのブログ」にも画像を貼ったけど、「俳句をやってない人」に向けた年賀状に添えたのは、次の句だ。


 髭ぴんと立てて御慶の姿かな  きっこ


工事現場で見かけた野良猫の写真に、この句を添えたから、俳句を知らない人でも、これが猫のことを詠んでることが分かったはずだ。そして、「御慶(ぎょけい)」って季語にしても、たいていの人なら読めるだろうし、意味も分かると思う。もしも、分からない人がいたとしても、辞書で引けばすぐ分かる。ようするに、人間なら、背筋をピンと伸ばして、普段よりも厳かな気持ちで新年の挨拶をするけど、猫は猫背だから、そのぶん、ヒゲをピンと立てて、猫なりの「新年の挨拶の姿勢をした」っていう意味の句だ。で、「俳句をやってる人」への年賀状に添えたのは、次の句だ。


 裏白のさかさかさかと吟じけり  きっこ


「裏白(うらじろ)」ってのは、お正月のお飾りにつける羊歯(しだ)のことで、葉の裏が白いことから、こんな別名で呼ばれてる。これは、新年の季語なんだけど、あたしは、暮れに藁(わら)をよって輪飾りを自分で作ったので、あとから羊歯を採ってきて輪飾りにくっつけた。それで、大晦日にマンションのドアに飾った時には、もう羊歯の葉はカラカラに乾燥してて、風で「かさかさかさかさ」って音がした。

ここで、「かさかさかさと」って詠んじゃうと、一瞬の風で短く音がしたことになる。だけど、反対にして「さかさかさかと」って詠むと、長い風になる。何でかって言うと、「かさかさかさかさ‥‥」って音がずっと続いてると、そのうちに「か」が先なのか「さ」が先なのか分からなくなってくるからだ。だから、通常は「かさかさかさと」って書くオノマトペを意図的に逆に使い、長いこと風が吹いて音が鳴ってたってことを表わしてるワケだ。そして、長いこと音がしてたので、まるで羊歯の葉が詩を朗読してるように聞こえた‥‥ってことを表現するために、「吟じけり」って擬人化したワケだ。

俳句では、擬人化はあんまり褒められない手法だけど、これは年賀状に添える挨拶だから、ある程度の遊び心が許される。あまりにも四角四面のご立派な俳句よりも、ちょっと遊び心のある俳句のほうが、相手に対しての親愛の気持ちが伝わるのだ。

そして、この句を五七五に分解して、それぞれの頭の1文字を並べると、「裏白の」の「う」、「さかさかさかと」の「さ」、「吟じけり」の「ぎ」‥‥ってことで、今年の干支の「うさぎ」が現われる。前にも紹介した和歌の「折り句」の手法で、こうした楽しい仕掛けをしておけば、相手にも発見の楽しみがあるし、何年も経ってからこの句だけを思い出しても、「うさぎ年の時の句だな」ってことが分かるのだ‥‥ってワケで、あたしは、「俳句をやってる人」への挨拶として、今年はこんな句も詠んだ。


 をさをさも寝ない娘や去年今年  きっこ


「去年今年(こぞことし)」ってのは、俳句をやってる人にはお馴染みの新年の季語で、「慌しく年が去って新しい年がくる」って感じの意味だ。で、この句には、さっきの「裏白」の句みたいな仕掛けはないけど、そのぶん、もっとディープな仕掛けがしてある。和歌が好きな人なら、すぐにピンとくるはずだけど、これは、「万葉集」の巻十四に収められてる次の歌を下敷きにしてる。


 等夜(とや)の野に兎(をさぎ)狙(ねら)はりをさをさも寝なへ子ゆゑに母に嘖(ころ)はえ  詠み人知らず


「等夜の野」は、現在の千葉県にあった「鳥矢郷」のことだとか、現在の福島県にある「鳥谷野」のことじゃないかとか、いやいや、地名じゃないんじゃないかとか、複数の説があるんだけど、一応、地名ってことにして進むことにする。で、「をさをさ」ってのは、否定形の言葉の上にくっつける副詞で、その否定の度合いを強調するものだ。この場合の「さをさも寝なへ子」なら、「ほとんど寝ない子」ってことだけど、この「子」は子供のことじゃなくて、年頃の女性のことだ。

つまり、「まるで野原で兎を狩るように、息を殺してお目当ての彼女の寝室に夜這いしてったのに、相手だってほとんど寝ずに男を待ってるような子だってのに、お袋さんに見つかっちゃって、こっぴどく叱られちゃったよ」って感じの意味になる。ちなみに、最初に読みを書いてるように、万葉の時代は「うさぎ」のことを「をさぎ」って呼んでた。だから、この「をさぎ」の「をさ」が、このあとの「をさをさ」って言葉を引き出す形になってるのだ。

あたしは夜更かしなので、大晦日にも母さんからそのことを注意された。「体調を崩してるんだから、もう少し睡眠をとりなさい」って言われた。それで、母さんから見た自分のことを「をさをさも寝ない娘や」って詠んだのだ。そして、何よりのポイントが、4500首以上もの歌が収められてる「万葉集」の中で、今年の干支である「うさぎ」が登場してる歌は、この歌だけ、たった1首しかないってことだ。つまり、「万葉集」のマニアなら、あたしの句の「をさをさも寝ない」ってフレーズから、たった1首しかない「うさぎ」の歌を思い出すワケで、そこで初めて「なるぼど!」ってなるワケだ。

‥‥そんなワケで、あたしの理想は、すべての日本人が俳句や和歌を好きになってくれて、こうした挨拶の句の意味を誰もがピンと分かってくれることだ。そして、あたしに対しても、こうした楽しい仕掛けがしてある挨拶の句を送ってくれたりすると、ホントに楽しくなる。でも、実際には、俳句や和歌どころか、単純化、簡略化された現代語ですら、マトモに読み書きできない人たちが増殖してて、行間を読むどころか、そこに書かれてる文章の意味すら正しく解釈することができなかったり、自分の伝えたいことを正確に文章で表現することができない人が蔓延してきた。だから、あたしの理想はともかくとして、まずは、最低でも中学生レベルの読み書きができる人の中から総理大臣を選んでほしいと思った今日この頃なのだ。


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