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2011.03.16

心の糸電話

今回の災害で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りするとともに、被災した方々にお見舞いを申し上げます。また、現在も孤立している被災者の方々のもとに、1分1秒でも早く救援の手が届きますよう、お祈りしております。どうか皆さん、がんばってください。


‥‥というワケで、しばらく日記をお休みしちゃって、皆さん、ご心配をおかけしました。金曜日の大地震と津波、そして福島第一原発の大事故で、次々と飛び込んでくる悲惨なニュースに精神的にまいってて、とても日記を書く気持ちの余裕がありませんでした。ツイッターだけはつぶやき続けてましたが、あたしの親友や知り合いも何人も被災してて、未だに連絡の取れない人も何人かいて、それだけでも胸が押しつぶされそうに苦しいのに、予断を許さない原発の問題があるから、今も、ものすごくまいってます。

だけど、いつまでも日記をお休みしてるワケにも行かないので、何とか無理して書こうと思ったのですが、何か書こうと思っても、これまで言い続けてきた原発の危険性についてとか、今回の政府の後手後手にまわった最悪の対応とか、そんなことしか思いつきませんでした。あたしは、昔から原発反対だし、今の菅内閣にも不満がマウンテンですが、こんな状況の時に、それに乗じて反原発を訴えたり、政府を批判したりするのは、あたしの主義に反します。とにかく、今は、被災してる人たちを救うことと、原発の事故をこれ以上は拡大しないようにすることが最優先ですから、こうしたことは書きたくありません。

だから、どこかの誰かに「不謹慎」て言われるかも知れませんが、あたしは元気にいつもの調子で、いつもの「きっこの日記」を書いて行こうと思います。ホントは悲しいけど、つらいけど、恐くて不安で震えが止まらないけど、カラ元気を出して、くだらない日記を書いてこうと思います。そして、こんなあたしのバカバカしい日記が、少しでも誰かの心をホッとさせることができたらって思います。


‥‥そんなワケで、サスガに今回は「いかがお過ごしですか?」は自粛するけど、まだ、ケータイがなかった時代には、電話って、何の前ぶれもなく、突然、掛かってきた。だから、その時に自宅にいれば電話に出られるけど、いなかったら出られなかった。逆に、こっちから誰かに掛ける時もおんなじだったから、なるべく相手が自宅にいそうな時間を見計らって電話を掛けるんだけど、たまたまコンビニとかに出掛けてて留守だったりとか、電話には出たんだけど、ちょうど何かの取り込み中で、「あとで掛け直すから」って言われちゃうこともあった。

だけど、今はケータイが普及してるし、メールなんて無料でやりとりできるプランも多いから、お友達とかに電話する時って、まずはメールで「今、電話で話せる?」って送信して、「大丈夫だよ」って返信が来たら電話する‥‥って人も多いと思う。ようするに、相手の状況を確認してから、電話できる時代になったってワケだ。ケータイが一般に普及し始めた15年前には、ケータイを持ってる人は5人に1人、普及率は20%ほどだったけど、現在はほとんどの人がケータイを持ってて、普及率は90%に達しようとしてる。だから、相手の自宅や会社に電話するよりも、相手のケータイに電話する人のほうが、遥かに多くなったと思う。そして、その中には、まずはメールで「今、電話で話せる?」って送信して、相手の状況を確認する人も多いと思う。

あたしの母さんでさえ、よっぽどの急用じゃない限り、まずは「今、電話で話せる?」ってメールを送ってくる。今、あたしは、病気でほとんどお仕事ができない状態なので、メールしないで電話を掛けてきても困らないって言ってるんだけど、それでも、律儀にメールで確認してくる。でも、そんな母さんなのに、深夜の1時とか早朝の5時とかのとんでもない時間に、メールで確認しないで、突然、電話を掛けてくることがある。

で、去年の12月のこと、その日は昼間から体調がすぐれなくて、ずっとベッドで横になってたんだけど、夜になったらもっと具合が悪くなって、自力で起き上がることもできなくなった。だけど、今に始まったワケでもないし、次の日は病院に行く日だったから、何とかガマンして横になってた。でも、いつもは半日もすれば多少はラクになるのに、この日は違った。目を開けても視点が定まらなくて、ベッドに横になってるのにマクラごと頭をグルグルと回転させられてるみたいで、だんだん意識がボンヤリとしてきた。

時計を見ると、深夜の1時を回ったとこだった。だから、誰かを呼ぶこともできないし、サスガに救急車を呼ぶワケにも行かないし、だけど、このままじゃヤバイな‥‥って思った瞬間、ケータイが鳴った。こんな時間に誰だろうと思いながら、何とかケータイを取って画面を見ると、母さんからだったので、急いで出た。そしたら、母さんは、「きみこ、何かあったんじゃない?大丈夫?」って言ってきた。それで、具合が悪いことを伝えると、すぐに母さんは自転車で駆けつけてくれた。不思議なことに、あたしは、母さんの顔を見たトタンに体が動くようになって、それまで苦しんでたのが嘘みたいにラクになった。

母さんは、この日は夜の11時くらいに寝たそうだ。そしたら、あたしが苦しんでる夢を見て、体がビクン!てなって目が覚めて、夜中の1時過ぎだったけど、心配して電話してきてくれたそうだ‥‥ってワケで、この話を聞いても、あたしは特に驚かなかった。何でかって、いつものことだからだ。突然、母さんが電話してくる時って、そのほとんどが、あたしの具合が悪くて苦しんでる時とか、あたしに何らかの危険が迫ってる時とかの、あたしがピンチの時だからだ。

‥‥そんなワケで、母さんは、これを「虫の知らせ」って呼んでるんだけど、一度、こんなことがあった。車の運転中にケータイを使うと罰金をとられるようになった直後だから、2004年の暮れのことだけど、当時のあたしはメチャクチャ忙しくて、1日に何本もお仕事をカケモチしてた。それで、1本目か2本目のお仕事が終わって、次の現場へと急いでた時、都内の幹線道路はどこも渋滞してたから、あたしは裏道を駆使して車を飛ばしてた。そしたら、ダッシュボードのケータイホルダーに挿してたケータイが鳴って、パッと見たら「母さん」て表示されてた。

事前にメールをしないで電話を掛けてきたんだから、きっと急用だろうと思った。だけど、ちょっと前に、運転しながらのケータイは罰金をとられることになったばかりだったから、あたしは、急いでたんだけど、すぐにハザードを点けて、車を左の路肩に寄せて、車を停めてから電話に出た。そしたら、母さんは、「きみこ、車の運転は気をつけてね。なんか虫の知らせで、きみこが事故を起こすような気がしたのよ」って言ったんだけど、その瞬間、キキーッ!!ドン!!

左に寄せて停めたあたしの車を追い抜いてったタクシーが、目の前の交差点で、左から来た大型バイクに突っ込まれたのだ! バイクはそうとうスピードを出してたみたいで、タクシーの助手席のドアは大きく凹んで、バイクのライダーはタクシーの屋根を超えて反対側まで飛ばされた。幸いにも、大ケガはしなかったみたいで、ライダーはすぐに立ち上がった。

あたしは、目の前で事故を見たことよりも、もしも母さんから電話が掛かってこなかったら、あたしが大型バイクに突っ込まれてたかも?‥‥って思って、背スジがゾッとした。この十字路は、こっちが優先道路で、バイクの走ってたほうに停止線がある。つまり、バイクが一時停止を無視して突っ込んできたワケで、もしもあたしが車を停めずにそのまま直進してたら、あたしがタクシーとおんなじことになってたのだ。

それどころか、あたしの車は左ハンドルだから、あたしの乗ってる運転席が直撃されてたのだ。その上、パンダのドアは薄っぺらだから、タクシーよりも絶対にダメージが大きかったと思う。あんなスピードで大型バイクに突っ込まれたら、車が凹むだけじゃなくて、あたしが大ケガしてた可能性も高い。もちろん、これは、あくまでも「もしかしたら」っていう推測だけど、あたしが車を停めた瞬間に追い抜いてったタクシーが事故に遭ったんだから、あたしが車を停めずに直進してたら、タクシーとほとんどおんなじタイミングで交差点に進入してたことだけは事実なのだ。

この時は昼間だったので、母さんは寝てて何かの夢を見たワケじゃなくて、ベランダに洗濯物を干してたそうだ。それで、何かの洗濯物を洗濯バサミで留めようとしたら、その洗濯バサミが劣化してたみたいで、プラスティックの本体がパキッて割れて壊れちゃったそうだ。それが、ブルーの洗濯バサミだったそうで、その時に、母さんは、あたしのブルーの車が事故を起こす映像が頭に浮んだそうで、それがあまりにもリアルだったのと、何とも言えない焦燥感みたいなのを感じて、あたしに電話してきたって話してくれた。

母さんの、この「何とも言えない焦燥感みたいなの」ってのが、俗に言う「胸騒ぎ」ってワケで、母さんの場合は「虫の知らせ」って言葉をよく使う。あたしがビジュアル的に想像してるのは、蚊を大きくしたガガンボみたいな虫が、母さんのとこまでピュ~っと飛んでって、母さんの耳元であたしのピンチを知らせる‥‥って感じだ。もちろん、虫だから、人間の言葉を話すんじゃなくて、テレパシーみたいなので状況を伝える。そして、それが、母さんの脳みその中で、映像みたいに再現される。だから、寝てる時なら、夢の中に現われる‥‥ってふうに、あたしは推測してる。

‥‥そんなワケで、あたしが生まれた時から中学校に上がるまで住んでた渋谷の借家は、2階建てで、小さな庭もついてた。でも、1階と2階がおんなじ面積の2階建てじゃなくて、1階より2階のほうが小さかった。1階は、少し広い台所と四畳半と六畳の部屋が1つずつで、2階は、四畳半と六畳の部屋が1つずつ、だから、台所のぶんだけ、1階のほうが広かった。ようするに、大きな箱の上に中くらいの箱を乗せたみたいな2階建てだったんだけど、昔のお家だから、「ちびまる子ちゃん」のお家みたいに、庭に面したとこが廊下になってて、縁側としても使えるようになってた。そして、2階の窓から庭のほうを見ると、1階の瓦の屋根があって、その先が庭になってた。

で、あたしがちっちゃかったころのことなんだけど、この「1階の瓦の屋根」の部分が、お布団を干す定位置になってた。母さんは、お天気のいい日になると、2階の窓からお布団を出して、この瓦の屋根の上に並べて干してた。当時は、おばあちゃんもいたし、お家にはメッタに帰ってこなかったけど、一応、父さんもいた。だから、お天気のいい日には、瓦の屋根の上に何組ものお布団をズラーッと並んでて、すごく楽しい気分になれた。

そんなある日のこと、小学生になったばかりのあたしは、日曜日のお昼に、母さんの作ってくれた焼きそばを食べて、お腹もいっぱいになったとこで、楽しみにしてた本を読もうと思って、2階の部屋に上がってきた。2階の廊下から外を見たら、1階の屋根の上に、午前中に母さんが干したお布団が並んでて、お日さまの光をタップリと吸い込んで、ポカポカになってた。それで、あたしは、このお布団の上で本を読もうと思って、窓から屋根の上に出た。屋根は庭に向かって傾斜になってたけど、瓦の上にも出たことがあるし、ぜんぜん恐くなかった。

あたしは、並んでた4枚の敷布団の中で、最初は自分のお布団に寝転がろうと思ったんだけど、一番立派な父さんの敷布団に寝転がることにした。お布団はフカフカで、とっても気持ちが良くて、屋根の傾斜もちょうど良くて、本を読むにはサイコーだった。だけど、あまりにも気持ちよくて、お腹がいっぱいだったこともあって、あたしは、すぐにウトウトしてきちゃった。

どれくらいの時間が経ったのか分からないけど、どこか遠くで、「きみこー!きみこー!」って呼んでる声が聞こえた。それで、ハッと気づいたあたしは、自分がお布団ごと屋根から落ちそうになってることに気づいた。知らないうちに寝ちゃって、お布団ごと屋根の上を少しずつ滑り落ちてきて、あとちょっとで落ちちゃうとこだった。あたしを呼ぶ声は、庭にいる母さんだった。母さんは、ずっと1階の居間にいたんだけど、急に「虫の知らせ」がして、サンダルも履かないで庭に飛び出したそうだ。突然、2階からあたしが落ちてくる予感がしたんだそうだ。そして、そのオカゲで、あたしは、あと一歩のとこで屋根から落ちずに済み、こんなにセクシーなレディーに成長することができたってワケだ(笑)

‥‥そんなワケで、あたしは、母と子って、父と子よりも、こうした感覚が強いように思う。そして、それは、お母さんのお腹の中に10ヶ月も一緒にいるからだと思う。お母さんのお腹の中で、子供は、ヘソの緒で栄養分をもらってて、産まれた時にヘソの緒は切られるワケだけど、あたしは、そのあとも、ずっと、目に見えないヘソの緒がつながってて、どんなに離れても、糸電話みたいに心が通じてるんじゃないかと思ってる。もちろん、これは、母と子だけじゃなくて、兄弟でも、恋人でも、友達でも、ホントに相手と心が通じてるなら、心と心か目に見えない糸電話でつながってると思う。だから、今、これを読んでる人で、大切な人が被災地にいて連絡が取れない人は、ホントに心配だと思うけど、悲しみや不安に負けないで、心の糸電話で「がんばれ!」って応援し続けよう。思いはきっと届くから、みんな、負けないで!‥‥って感じの今日この頃なのだ。


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