母さんと「梅まつり」/後編
‥‥ってなワケで、昨日の続きだけど、2月27日の日曜日、あたしは母さんと羽根木公園の「せたがや梅まつり」へと出発した。東京のことを知らない人のために説明しとくと、東京都は横に長くて、東の端が東京湾に面してる。で、東京湾に面してる東側のエリアが「東京23区」で、西側のエリアが「三多摩地区」ってふうに分かれてて、あたしが住んでるのは「東京23区」の中のひとつの「世田谷区」ってとこだ。
世田谷区は、23区の中で一番多くの人が住んでて、人口は約87万人だ。これだけ聞いてもピンと来ないと思うけど、ニポンで人口の少ない都道府県は、鳥取県が約59万人、島根県が約72万人、高知県が約76万人、徳島県が約78万人、福井県が約80万人、佐賀県が約85万人、山梨県が約86万人‥‥ってワケで、これらの県よりも、あたしの住んでる世田谷区のほうが人口が多いのだ。狭い東京の3分の1ほどの「23区」の中のひとつの区である世田谷区に、これらの県よりも多くの人が住んでるんだから、どれほどギュウギュウ詰めなのかが分かると思う。
で、ヒトクチに「世田谷区」って言っても、そこそこ広いワケで、世田谷区の中で移動するとしても、三軒茶屋から千歳船橋へ行くとか、下北沢から桜新町へ行くとかって、車じゃないとワリとメンドクサイヤ人なのだ。特に、あたしが住んでるニコタマは、世田谷区のハズレの多摩川に面してて、川を渡れば神奈川県だ。だから、電車1本で行ける三軒茶屋とかなら10分で行けるんだけど、下北沢とか、経堂とかになってくると、なかなか苦労しちゃって、思わず「経堂に行くんだけど、今日どう?」なんてオヤジギャグも炸裂しちゃう今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしの住んでるニコタマから、「せたがや梅まつり」をやってる羽根木公園に行くには、いろんな行き方がある。たとえば、ちょっとマニアックなルートだと、ニコタマ(二子玉川)からサンチャ(三軒茶屋)までシンタマ線(田園都市線)で行って、サンチャから2両編成の可愛い世田谷線に乗って山下駅で降り、山下駅の目の前にある小田急線の豪徳寺駅まで15秒ほど歩き、小田急線の梅が丘駅で降りるっていうルートだ。これだと、「ちい散歩」の電車バージョンみたいで、楽しいことウケアイだ。
だけど、できるだけ安い交通費で、できるだけ早く目的地に到着したかったあたしは、ニコタマからバスで小田急線の成城学園駅まで行って、そこから電車で梅が丘駅まで行くルートを選択した。日曜日だったけど、バスはニコタマが基点なので、乗ってた人たちはニコタマで全員降りるから、母さんとあたしは余裕で座れた‥‥って、この調子で書いてると、またまた長くなっちゃうから、サクッと割愛して、約40分後、母さんとあたしは、梅が丘駅に降り立った。
ちなみに、あたしの大好きなMAXのメンバーは、4人とも沖縄の出身てことになってるけど、玲奈ちゃんは、ここ、世田谷区の梅が丘の幼稚園に通ってた。だから、玲奈ちゃんがちっちゃかったころは、お父さんのお仕事の都合か何かで、この辺に住んでたんだろう。そう思うと、玲奈ちゃんもこの道を歩いてたのかな~って思えてきて、何だか嬉しくなってくるライドンタイムな今日この頃だ。
‥‥そんなワケで、日曜日で、それも「せたがや梅まつり」の最終日だってことで、すでに駅の周りから、なかなかの人出だった。もちろん、地元の人たちだけじゃなくて、あたしたちみたいに、ヨソから来た人もいっぱいで、あたしたちと一緒に電車を降りた人たちのほとんどは、ゾロゾロと羽根木公園に向かって歩いてく。母さんとあたしも、あちこちに「せたがや梅まつり」の幟(のぼり)の立ててある道を通って、おんなじように歩いてく‥‥って言っても、梅が丘駅の商店街とは逆のほうに出ると、目の前の道路を横断すれば、もう羽根木公園だ。戦場カメラマンの渡部陽一でも、1分も掛からずに到着できる距離だ。
前にも書いたと思うけど、羽根木公園は、昔は「ねず山」って言って、その名の通り、山‥‥って言うか、こんもりとした丘みたいになってる。巨大な前方後円墳みたいな感じで、その一部が梅林になってて、約650本の梅の木が植えてある。水戸の偕楽園は約3000本だから、規模はずっと小さいけど、子供のころから何度も来てる梅林だし、あたしが勝手に決めた「あたしの梅」もあるから、あたしにとってはかけがえのない大切な場所だ。
母さんは、入り口の階段を上る前に、丘を見上げて、「久しぶりに来たね」って言って、ニッコリと笑った。あたしも、何よりも母さんと一緒に来られたことは嬉しかったんだけど、そこそこ青空なのに部分的に嫌な雰囲気の雲が広がってることとか、入り口から見える梅の木の咲き具合がイマイチなこととか、そして、ジョジョに奇妙に体調が悪くなり始めてることとか、いろんな不安要素を抱えてた。だけど、とにかく今は楽しもうと思って、ゆっくりと階段を上り始めた。
到着したのは、午後1時を回ってたから、この日の目玉の「こども体験乗馬」も、いつもの「野点(のだて)」の受付も終わってて、あとは梅を見るだけだった。ま、特設の売店とか苗市とかは出てたけど、とにかくものすごい人出で、梅の数よりも人の数のほうが遥かに多かった。その上、ほとんどの梅の咲き具合がイマイチで、ぜんぜん華やかじゃなかったから、ヨケイに人出のほうが際立ってた。売店の前の広いスペースにレンタルのゴザを広げて休憩してる人たちが、まるで何かの天災で小学校の体育館に避難してきた人たちにみたいに見えた。
それでも、久しぶりの母さんとのデートだし、思い出がいっぱいある羽根木公園に来られたから、あたしはとっても楽しかった。それで、あたしは、「去年も母さんと来たけど、梅まつりの期間に一緒に来るのは何年ぶりかしら?」って言ったら、母さんは、「何言ってんのよ。去年も梅まつりの時に来たじゃない」って言った。「ええっ?去年は梅まつりが終わってから来たんじゃなかったっけ?」「違うわよ。あの赤い幟が並んでたし、苗木市もやってたし、売店ですいとんを買って食べたじゃない」「ん?‥‥そうだ!そうだった!」‥‥ってワケで、あたしは、完全に忘れてた。
去年は、「せたがや梅まつり」を狙って行ったワケじゃなくて、たまたまあたしがお休みになったので、その場の思いつきで行ってみたら、まだ梅まつりをやってた‥‥って流れだったのだ。その上、去年は平日で人出も多くなかったから、あたしは、てっきり、梅まつりが終わってから行ったつもりになってた‥‥ってことは、「母さんを梅まつりの時期に連れてってあげたい」っていう、あたしの今回の作戦は、すでにコンプリートされてたってワケで、何も体調の悪い時に無理することはなかったのだ。
でも、この「母さんを梅まつりの時期に連れてってあげたい」って作戦の本質は、「人出が多くて賑やかな梅まつりの時期に」ってことで、去年はあたしが梅まつりだったことを忘れちゃうほど人出が少なかったんだから、本質的にはコンプリートされてない。こんなに人出の多い賑やかな場所に、母さんと来るのは10年ぶり以上なんだから、その意味では、一応、今回の作戦は成功したってことになる。
‥‥そんなワケで、長いことあたしは、母さんと人ゴミを歩いたりしたかった。東京に住んでる母子なら誰もが普通にやってるように、日曜日の銀座とかを母さんと腕を組んで歩いて、ウインドウショッピングをしたり、ちょっと贅沢をして美味しいランチを食べたりって、そんなことがしたかった。ワイドショーのファッションチェックのコーナーとかで、銀座の街角で声を掛けたお母さんと娘さんとかを見るたび、とっても羨ましく思ってた。だから、ホントの気持ちを言うと、「人出の多い賑やかな場所に母さんを連れてってあげたい」ってことじゃなくて、あたしのほうが、そうした場所を母さんと歩きたかったのだ。
銀座でも、渋谷でも、表参道でも、人ゴミを掻き分けて歩いてると、仲の良さそうなお友達同士や、腕を組んだカップルがいっぱいいる。そして、そうした人たちを見ても何とも思わないのに、50代から60代くらいのお母さんと、20代から30代くらいの娘さんに見える「母子らしきカップル」を見ると、あたしは、ものすごく羨ましかった。銀座にお買い物に来てるんだから、2人とも完璧にオシャレしてて、仲良くショーウインドウを覗きながら笑いあったりしてるのを見て、あたしは、いつも母さんと自分に重ねてた。そして、母さんが元気になったら、こんなふうにオシャレして、人出の多い場所を2人で歩きたいって思ってた。
だから、銀座じゃなくて世田谷区の羽根木公園だし、オシャレな街じゃなくて地味な梅林だけど、それでも、あたしは、ものすごい人出の中を母さんと歩くことができて、何とも言えない幸せな気分になれた。その上、体調がイマイチだったこともあって、いつもなら「あたしが母さんを守る!」って気持ちで腕を組んでるのに、この日は、あたしのほうが母さんを頼ってるような、甘えてるような感覚で腕を組んでた。だから、子供のころに戻ったみたいで、ずっとガマンしてた感情を少しだけ開放することができた。
‥‥そんなワケで、母さんとあたしは、いつものように、「母さんの梅の木」と「あたしの梅の木」を見たり、中村汀女の「外(と)にも出よふるるばかりに春の月」の句碑を眺めたり、苗木市を冷やかしたりして、ひと通り歩いてから、楽しみにしてたお弁当を食べることにした。だけど、売店の前のメインのスペースは、それこそ足の踏み場もないほどにレンタルのゴザが敷き詰められてて、数え切れないほどの家族がお弁当を広げてる。当然、数少ないベンチとテーブルは満席で、どの売店にも「売り切れ」の札が並んでるほどだった。
それで、母さんとあたしは、丘を下りて、お茶室の「星辰堂」がある広場へと移動した。こっちは、広いスペースの一部を仮設の駐輪場にしてて、たくさんの自転車が並んでたけど、丘の上よりも日当たりが良くて、白梅も紅梅もなかなかの咲きっぷりだった。ちなみに、この「白梅と紅梅」って言い方は、ホントは間違ってる。もともと、「梅」ってのは、「白梅」を指す言葉なのだ。白い梅の花のことを「梅」と呼んで、それに対して紅い梅の花のことを「紅梅」って呼んでたから、正しくは「梅と紅梅」って言わなきゃならない。ただ、これだと分かりずらいので、あとから「梅」のことを「白梅」って言うようになったのだ。つまり、もともと白い梅を指す「梅」って名前に、さらに「白」を付けたってワケで、この「白梅」って言葉は、「馬に乗馬」しちゃってるワケだ。
で、「星辰堂」の前の広場では、一角に何枚ものシートを広げて、20人ほどの外国の人たちが楽しそうにお弁当を食べてた。他にも、シートやゴザを広げてる人たちもいたし、それぞれの梅の木の周りには、デジカメやケータイで梅の花の写真を撮ってる人たちが何人もいた。母さんとあたしは、ゆっくりと梅を愛でてから、日当たりのいい段差のとこに腰掛けて、お弁当を食べることにした。あたしの右手の具合がイマイチなので、持って来たシートを段差のとこに広げるのも、魔法瓶からお茶を注ぐのも、ぜんぶ母さんがやってくれた。そして、タッパーを開けたら、母さんが握ってくれた俵型のおにぎりが並んでるから、あたしは、ずっと抑えてた「母さんに甘えたい」っていう感情がプチ爆発しちゃって、思わず涙がこぼれちゃった。
恥ずかしいから止めようとしたのに、ポロポロとこぼれる涙は止まらない。あたしの異常に気づいた母さんは、驚いて「どうしたの?」って聞くんだけど、あたしは、「母さんと一緒に来られて、何だか感動しちゃったよ。えへへ‥‥」って答えるのが精一杯だった。そして、このままだと、わんわん大泣きしちゃいそうでヤバイかったから、気持ちを落ち着かせるために、頭の中で「大崎、品川、田町、浜松町‥‥」って山手線の駅名を言い始めた。だけど、これがミゴトな逆効果で、「新橋、有楽町」のとこで銀座が頭に浮んじゃって、母さんと銀座を歩いてる自分の姿を想像しちゃって、あたしの涙はいよいよ止まらなくなっちゃった。それで、パニック状態になったあたしが、左手で必死にバッグからハンカチを出そうとしてたら、カバッ!って、一瞬、何が起こったのか分からなかったんだけど、母さんが、あたしを抱きしめてくれた。
もうダメだ。あたしは大泣きした。サスガに声は出さなかったけど、わんわんわんわん泣き続けた。だけど、抱きしめながら、あたしの背中をポンポンとやさしく叩いてくれてた母さんの手のひらのリズムが、だんだんあたしの気持ちを落ち着かせてくれて、しばらくすると、涙がピタッと止まった。そうなると、今度は、急に恥ずかしくなってきた。周りに人がたくさんいるのに、どうしよう。怖くて顔を上げられないよ。あたしは、気持ちが落ち着いて涙が止まったのに、母さんに抱きついたまま顔を上げられないでいた。
そしたら、母さんは、それまでやさしくポンポンと叩いてくれてた手でパンッ!と1回強く叩き、「はいっ!」って言って、しがみついてるあたしのことを押し離した。そして、「さあさあ、お弁当を食べよう!もう、お腹がペコペコだよ!」って言って、ニッコリと笑い、ハンカチを渡してくれた。あたしは、焦って周りをキョロキョロと見回したけど、みんなそれぞれの時間を楽しんでて、こっちを見てる人はいなかったから、あたしはホッとした。
‥‥そんなワケで、カリカリ梅のミジン切りと、ジャコと、白ゴマを混ぜた俵型のおにぎりは、見た目にも「梅まつり」にピッタリで、とっても美味しかった。だけど、美味しいおにぎりを食べながら、あたしは、「こんなことで涙が止まらなくなるなんて、あたしって情緒不安定なのかな? ずっと体調が悪くて、精神的にも弱ってきちゃったのかな?」って、ちょっと心配になった。そしたら、あたしの考えてることを見透かしたように、母さんが、「大丈夫だよ。半年も手が動かなくて不安だろうけど、きっと良くなるから。あたしだって、こんなに元気になれたんだから、絶対に大丈夫だよ」って言ってくれた。何の根拠もない「大丈夫」って言葉だけど、あたしにとって、母さんの言葉は、何よりも力強く感じられた。ふと見上げると、大きく枝垂れた白加賀が、3月の日差しを浴びて、ふくふくと微笑んでるように見えた今日この頃なのだ。
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