やべち初体験
「明日、やべちだから」
「えっ?」
「やべちよ、やべち」
「やべっちって、ナイナイのやべっち?」
「はぁ?みんなで溝の掃除をするのよ」
‥‥ってなワケで、あたしが疎開してる村だけなのか、この地方全体なのかは分からないけど、この辺りでは、みんなで溝の掃除をすることを「やべち」って言うそうだ。詳しく聞いてみたら、「やべち」は漢字で「家別」って書くらしい。溝の掃除に限らず、ため池の掃除とか、土手の雑草刈りとか、こうした「みんなが集まって掃除すること」を「やべち」って言うらしい。だけど、一番多いのが、田んぼに水を引く水路や溝の掃除なので、ふだん「やべち」って言うと、たいていは「溝の掃除」を指すみたいだ。1~2ヶ月に一度、何軒かの農家の人たちだけで小規模に行なって、それを当番制で持ちまわりしてるのが「やべち」で、村の人たちが全員総出で大掛かりに行なうのが「総やべち」って言うそうだ。
それで、今回は、ホントは通常の小規模な「やべち」の予定だったんだけど、あたしたちみたいに関東や関西から疎開してきてる人たちがたくさんいるから、急きょ「総やべち」を行なうことになったそうだ。何しろ、村の人たちの人数の2倍もの人たちが疎開してきてる上に、疎開してる人たちは、それぞれがお世話になってる農家のお手伝いをしてるだけで、他には何もしてない。この村は、村をあげて疎開者を受け入れてくれてて、皆さんとってもやさしくて、「いつまでもいていいんだよ」って言ってくれてるんだけど、やっぱりお世話になってるばかりじゃ肩身が狭い。だから、こうして、少しでも村の役に立つことをさせてもらえると、あたしたちも嬉しくなる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、俳句には「溝浚へ(みぞさらえ)」って季語があって、これは、田植えの準備としての意味合いのものなので、カテゴリーとしては初夏の季語に分類されてる。そして、あたしが参加する今回の「やべち」も、これからの田植えのための準備なんだから、歳時記的には1ヶ月ほど早いけど、立派な「溝浚へ」ってことになる。そう思うと、俳句マニアのあたしとしては、東京で暮らしてたら一生経験できなかったであろう「溝浚へ」を体験できることに、少なからずウキウキしてた。
ひとつだけ心配だったのは、こっちに疎開してきてから一度も病院に行ってないので、右手の具合がイマイチで、今はお箸もうまく動かせない状態だってことだ。でも、あたしの右手が動かないことは、ここの人たちも理解してくれてるし、あたしは、できる範囲でできることをするしかないので、あとは、こっちに来てから元気マンマンになってパワーアップした母さんに期待したいと思う(笑)‥‥って感じだった。
で、今回の「総やべち」は、いくつものグループに分かれて行なわれたんだけど、あたしがお世話になってる農家は、山の中腹の気温が低いとこなので、皆さんには申し訳ないけど、午後からの作業だった。山のふもとのエリアを担当した人たちは、朝からの作業だったんだけど、山の中腹より上のエリアは、午前中は凍ってる場所が多くて作業が進まない。それで、お日様が高くなって、凍ってる場所が溶け始めてから、みんなで一気に掃除をしちゃうって作戦になった。
もちろん、これは、たくさんの疎開者がいるからこその特別な作戦で、村の人たちしかいない例年なら、山の中腹の農家の人たちは、山のふもとのエリアを朝から手伝い、午後になると、今度は山のふもとのエリアの人たちと一緒に、山の中腹の水路を掃除する。こうして、みんなで助け合うのが「やべち」の本意なんだって教えてもらった。
‥‥そんなワケで、あたしが初体験した「やべち」は、山の中腹部の「谷」にあたる部分にある田んぼへの水路の掃除だったんだけど、指導をしてくれる農家の男性が4人、周りのお世話をしてくれる農家の女性が3人、疎開してる男性が6人、疎開してる女性が、母さんとあたしを含めて8人、合計21人だった。それで、これを10人と11人の2つのグループに分けて、あたしのグループはその場に残り、もうひとつのグループは離れた場所の田んぼへと車や軽トラに分譲して移動してった。
あたしたちのグループは、男性3人が溝の中に溜まった枯葉や泥を汲み出す作業をして、男性2人が長いバーの先に回転する刃がついてる草刈機で畦や土手の雑草を刈る作業をした。生まれて初めて草刈機を使った東京からの疎開者は、すごく楽しそうだった。あたしもやってみたかったんだけど、母さんやあたしの女性陣は、男性陣が汲み出した溝の枯葉や草刈機で刈った草を何ヶ所かに集めるっていう、あんまりパッとしない作業だった(笑)
母さんとあたしともう1人の女性は、溝から汲み出した枯葉や草刈機で刈った草を集めて、10メートルおきくらいに点々と小山を作ってく。見た目はジミな作業なのに、ふだん使わない腰やヒザの曲げ伸ばしの繰り返しで、あたしは、1時間もしないうちに体がつらくなってきた。オマケに、右手に力が入らないから、ドジョウすくいのザルみたいなやつも、先が四角くなってるスコップも、どれも右手は添えてるだけで、ほとんど左手だけで作業してたから、左腕もつらくなってきた。
だけど、母さんはと言えば、鼻歌を歌いながら楽しそうに作業してる。おんなじ距離なのに、あたしが2往復する間に、母さんは3往復してる。あたしが必死で水気を含んだ重たい枯葉を運んでる横を、あたしの2倍くらいの枯葉をザルに入れた母さんが鼻歌を歌いながら追い越してく。あたしは、自分が情けないのと、母さんが元気になってくれたことが嬉しいのとで、何とも言えない複雑な気分になった。
結局、へタレなあたしは、人数が余ってることをいいことに、母さんともう1人の女性が運んできた雑草を手押しの1輪車で集めて回るっていう、比較的ラクチンな作業をやらせてもらったんだけど、この1輪車が右に左に蛇行しちゃって何度もひっくり返り、そのたびにみんなが爆笑して、ヨケイに仕事が増えちゃった。でも、何度か笑われてるうちに、そこそこコツをつかんだあたしは、ヨタヨタしながらも何とかひっくり返らずに進めるようになって、そのうち体力も回復したので、また最初作業に戻った。
‥‥そんなワケで、午後1時すぎから始めた「やべち」は、担当するエリアの3分の2ほどが終わった3時半に、休憩タイムになった。畦道に横長にビニールシートを敷いて、農家の奥さんたちが持ってきてくれた魔法瓶の温かいお茶と手作りのおはぎをいただいた。おはぎは汚れた手でも食べられるように、1個ずつラップに包んであって、あたしが今まで食べたおはぎの中で一番美味しかった。こうして、みんなで一緒に田植えの準備をして、畦道に座ってのんびりとお茶を飲んでると、原発事故の恐怖と不安で夜も眠れなかった東京での生活が遠い過去の出来事のように錯覚できて、「これも現実逃避なんだろうな」って思えた。
30分ほど休憩して、温かいお茶と美味しいおはぎのベホイミでHPが回復したあたしたちは、残りの作業をサクサクと1時間半ほどで終えて、それぞれがお世話になってる農家へと順番に送ってもらった‥‥ってワケで、何よりも驚いた上にアリガタイザーだったのは、あたしは、お世話になってることに対する当然の義務としてお手伝いさせてもらったつもりだったのに、ナナナナナント! 1人3000円ずつ手間賃をいただけたのだ! ちなみに、朝からお手伝いしてた山のふもとのグループは、1人5000円だったそうだ。何でも、村の共同作業の場合は、人手が足りなくて他の地域の人たちに手伝いを頼むと、こうして規定の手間賃を払うことが決まりになってて、ちゃんと村の経理から人数分のお金が出るそうだ。
ここに来てから、母さんとあたしは、他の疎開の人たちと一緒に、何度か村の共同作業を手伝わせてもらったんだけど、どれも午前中だけか午後だけの短時間の作業で、その都度、1人2000円の手間賃をいただいた。お世話になってる上にお金までいただくなんて、最初はリトル困惑したんだけど、お金のない状態で疎開してきたあたしたちに少しでも現金が入るようにしてくれてるみたいなので、感謝して受け取ることにした。そして、あたしは、母さんと相談して、手間賃をいただいた時には、半分の1000円をお世話になってる農家へ、せめてもの気持ちとして渡すことにした。
最初、断られたらどうしようかと思ったんだけど、茶封筒に入れた2000円を「せめてもの気持ちなので、食事代の足しにでもしてください」って言って渡したら、農家の奥さんは、ニコッと笑って受け取ってくれたので、あたしはホッとした。だけど、それから何日かして、村で集めた被災地へ送る物資の仕分け作業のお手伝いをしてたら、その奥さんがあたしのとこへ来て、「この下着と靴下はきっこさんとお母様が出してくれたお金で調達したものよ」って言ったので、あたしは「えっ?」って驚いた。その奥さんは、あたしが渡したお金を使わずに取っておいて、被災地へ送る物資を買うために使ってくれたのだ。あたしは、ありがたくて涙が出そうになった。
‥‥そんなワケで、去年の夏に右手が動かなくなり、ほとんどお仕事ができなくなったあたしは、左手でパチンコを打ちに行ったりして何とか生活費を稼いでたんだけど、冬には再発した婦人科の病気が悪化して、パチンコに行くこともできなくなった。それで、元気だった時にコツコツと貯めてた虎の子の貯金を切り崩して、何とかギリギリの生活をしてたんだけど、そのお金もとうとう最後の1万円を銀行から引き出してしまい、「さあ、明日からどうしよう」って思ってた時に、今回の大震災が起こった。そして、あとは、こないだの日記に書いたように、全財産が8000円しかないけど、母さんを連れて、とにかく西へと向かったってワケだ。
で、それから3週間、母さんとあたしは、今は西の果てのほうの農家にお世話になって暮らしてるんだけど、ここに到着した2週間前には、あたしの全財産は3000円ちょいになってた。だけど、ここに来てからは、こうした共同作業のオカゲで、少しずつ手持ちのお金が増えてきて、今日の「やべち」で、ついに1万円になった。農家の奥さんには、母さんとあたしの2人ぶんとして3000円渡したんだけど、残りの3000円を母さんが「きみこが持ってなさい」って言って、ぜんぶあたしに渡してくれたからだ。
ホントのことを言うと、東京のマンションの来月ぶんの家賃だとか、モロモロの支払いだとか、ここに来るまでにクレジットカードを使って乗った新幹線代の引き落としだとか、目の前に迫ってる金銭的な不安は目白押しなんだけど、そんなのは「命あってのモノダネ」ってワケで、もしも支払うことができなくたって殺されはしない。最悪の場合には、クレジットカードの支払日の前にキャッシング枠でお金を借りて、それで一時的に支払っておいて、それから先のことはのんびり考えればいいって思ってる。そんなことよりも、今は「いつどうなるか分からない不安」から遠く離れて、毎晩グッスリと眠ってる母さんの顔を眺めることができる喜びに浸ってる。
‥‥そんなワケで、あたしは、原発の不安からは少しだけ遠ざかることができたけど、その代わりに背負い込んだ今月のモロモロの支払いっていう不安や、通院やお薬を中断してる自分の病気に対する不安を抱えながら、中途半端な現実逃避生活を続けてるワケだ。だけど、どんな不安だって、来る日も来る日も原発に怯えながら生活しなきゃなんない不安に比べたら、天と地の差だ‥‥ってワケで、東京から離れた場所で、どんなにノンキに暮らしてても、あたしは東京生まれで東京育ちだから、故郷は東京だ。だから、今回の東京都知事選は、ここに来てすぐに、世田谷区のホームページから不在者投票に必要な書類をダウンロードして、すぐに手続きをして、ようやく2人ぶんの投票用紙が送られてきたから、母さんと2人で、こっちの役場に行って投票してきた。もちろん、東京都民の最低限の良識として、原発反対を強く訴えてる候補者に投票してきた。そして、今日の「やべち」で、待ちに待ってた「桜花賞」のタネ銭もできたから、週末は久しぶりに「エヴァンゲリオン予想」を楽しんで、大好きな芦毛の馬に投票しようと思ってる今日この頃なのだ。
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