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2011.10.08

なでしこニポン

女子サッカーの「なでしこジャパン」が世界一になって以来、どんな分野でも女性が活躍すると「なでしこ」って言葉が多用されるようになった。たとえば、昨日の10月6日、現在開催中の競艇、全日本選手権の「平和島ダービー」の2日目が行なわれたんだけど、8Rで山川美由紀選手が勝ち、9Rで横西奏恵選手が勝ち、10Rで田口節子選手が2着になったことをニフティのボートレース特集では「なでしこ台風」って表現してた。

一方、あたしの好きな競馬でも「なでしこ台風」が吹き荒れた。10月2日の日曜日に開催された久しぶりのG1、「スプリンターズS」は、その名の通り、1200mという短距離の実力ナンバーワンを決めるレースなんだけど、今回はシンガポールからロケットマンていうチョー強力な刺客が送り込まれて来てて、単勝オッズが1.5倍っていうダントツの1番人気になってた。だけど、あたしは、3番人気のカレンチャンを応援してた。まだまだ色は黒いけど、一応は芦毛だし、男っぽい精悍な顔をしてるけど、一応は牝馬だし、「芦毛の牝馬」と来れば、レーヴディソールが療養中の今、カレンチャンを応援するっきゃない!

で、待ちに待ったレースが始まると、ビービーガルダンが騎手を振り落として脱走して、パカパカと3周も走っちゃう「ビービーガルダン大脱走事件」を繰り広げたりして、なかなか大変なことになりつつも、あたしの応援してたカレンチャンが、ミゴトに1着でゴール板を駆け抜けてくれた!感動のレースはこちらを観てもらうとして、胸にジーンと来るのが、実況アナの「これがニッポンのナデシコの力だー!」っていう最後の叫びだ。

あたしは、カレンチャンからサクラバクシンオーの子3頭、ダッシャーゴーゴー、ヘッドライナー、サンダルフォンへの馬単とワイドを買ってたから、こっちはダメだったけど、念のために書い足しといたカレンチャンの単勝と複勝を獲ることができた。この顔ぶれなら、本来は1ケタの配当なのに、ロケットマンていう刺客が来日してくれたオカゲで、単勝は1120円、複勝は420円もついて、大満足の結果だった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、競艇の女子選手どころか、とうとう競馬の牝馬にまで使われるようになっちゃった「なでしこ」って言葉だけど、「重箱の隅」的に言うと、これらはちょっとおかしな使い方なのだ。だって、この「なでしこ」のもともとの「大和撫子」って言葉は、「強いニポン女性」のことじゃなくて「清楚なニポン女性」を表現する時の言葉だからだ。ちなみに、「デジタル大辞泉」には「日本女性の清楚な美しさをほめていう語。」って説明してあるし、国語辞典には次のように書いてある。


【大和撫子】
日本人女性への賛辞。特に古来美徳とされた、清楚で凛とし、慎ましやかで、一歩引いて男性を立て、男性に尽くす甲斐甲斐しい女性像を指す。


「なでしこジャパン」の場合は、相手のチームもみんな女子なんだから、「世界の国々の女性」に対する「ニポン女性」って意味での「なでしこ」になるから、さほど問題はない。だけど、並み居る男性選手たちをまくり散らして女性の選手が1着になっちゃった競艇とか、強豪ぞろいの牡馬たちをぶっちぎって牝馬が1着になっちゃった競馬とかの場合は、どう考えても「一歩引いて男性を立て、男性に尽くす甲斐甲斐しい女性像」とは正反対だ。

サッカーのように、最初から男性と女性が分かれてる競技ならともかく、男性の中に女性が混じって「おんなじ土俵の上」で戦う競技の場合は、女性が男性に勝っちゃったら「大和撫子」にはならない。昨日の競艇で言えば、10Rで2着になった田口節子選手だけが、かろうじて「大和撫子」にあたるけど、8Rの山川美由紀選手と9Rの横西奏恵選手は「大和撫子」じゃない。しいて言えば「大和鉄砲百合」ってとこだ。


‥‥そんなワケで、「なでしこ」と言えば、淡いピンクや白の花で、花びらの先が女性の細い指のように分かれてる。だから、風に揺れてる様は、「撫でし子」という呼び名の通り、まるで幼い子の頭を撫でているかのように見える。とっても繊細で華麗なお花だから、「大和撫子」って言葉の本意のように「清楚で控えめな女性」を喩えるにはピッタリだけど、「並み居る男たちをバッタバッタとなぎ倒す強い女性」のイメージからは遠すぎる。

何しろ、「なでしこ」ってのは、皆さんご存知のように、「秋の七草」の中に含まれてるのだ。「春の七草」は食べるためのものだけど、「秋の七草」は観賞するためのものだから、「なでしこ」も「秋を代表する鑑賞のための花」ってことになる。ちなみに、「秋の七草」は、萩(はぎ)、桔梗(ききょう)、葛(くず)、藤袴(ふじばかま)、女郎花(おみなえし)、尾花(おばな)、撫子(なでしこ)ってワケで、「おばな」はアメリカの大統領じゃなくて「ススキ」のことだ。

「春の七草」でも、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)のうち、「すずな」は「カブ」のこと、「すずしろ」は「ダイコン」のことだ。ま、「おばな」に関しては、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」っていう有名な松尾芭蕉の句があるから、何となく「ススキのことかも?」って思ってた人も多いだろう。で、「なでしこ」だの「おばな」だのが入ってる「秋の七草」だけど、いつ誕生したのかって言うと、ナナナナナント! 今から1300年も前の奈良時代、つまり、万葉の時代ってワケで、生み出したのは山上憶良(やまのうえのおくら)だ。


秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花  山上憶良

萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花女郎花また藤袴朝貌(あさがお)の花  〃


これは、「万葉集」の巻八の1537と1538の歌で、この2首によって、今日の「秋の七草」が誕生したってワケだ‥‥って、おいおい! 「萩の花」「尾花」「葛花」「瞿麦(なでしこ)の花」「女郎花」「藤袴」までの6つはいいけど、最後の「朝貌(あさがお)の花」ってのは何だよ!‥‥ってツッコミもあると思うけど、前に、「昔はコオロギのことをキリギリス、キリギリスのことをコオロギって呼んでた」ってことを紹介したように、昔はお花の名前も現在とは違ってたものもあって、この「朝貌の花」ってのが、今で言うところの「桔梗(ききょう)」のことだったのだ‥‥ってなワケで、「古今和歌集」には、こんな歌がある。


我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕かげの大和撫子  素性法師


これは、「小倉百人一首」でもオナジミの素性(そせい)法師の歌だけど、この人は坊主だから、「坊主めくり」だと嫌われ者の1人だ(笑) ま、それは置いといて、この歌に登場する「キリギリス」こそが「コオロギ」のことで、鳴き声はもちろん「リーリーリーリー」ってことになる。だけど、いくら「リーリーリーリー」って鳴かれても、あんまり1塁から大きくリードしちゃうと、牽制球で刺されちゃうから、その辺の湯加減はホドホドにしといたほうがいいだろう。

ちなみに、この歌の「我のみや」の「や」は、俳句の切れ字の「や」なんかに多い「感嘆」とかじゃなくて、「疑問」の助詞だ。だから、この「我のみや」は、「私だけ?」っていう、だいたひかる的な意味になる。そして、「きっこの日記」を昔から読んでる人ならご存知のように、「あはれ」は現代の「哀れ」じゃなくて「いとおしい」って意味だ。つまり、ザックリと訳せば、こんな感じになる。


私だけだろうか?コオロギの鳴く夕刻の薄暗い中に大和撫子の花を見て「いとおしい」という気持ちになるのは。


これが「和歌」だってことを踏まえると、素性法師は純粋に撫子の花を「いとおしい」と思ったんじゃなくて、恋する女性の仮の姿として「いとおしい」って思ったってことも考えられるけど、そうすると「坊主のくせにやるなあ!」ってことになっちゃうので、さっきの「朝貌の花」は「桔梗」のことだったのだ‥‥ってとこに、話をクルリンパと戻すけど、もうちょっと正確に言うと、この「朝貌の花」に関しては、そのまま現在の「朝顔」のことだって言う説もあるし、いやいや「昼顔」のことだろうって説もあるし、「槿(むくげ)」のことなんじゃないかって説もある。だけど、諸説ある中で、もっとも有力なのが「桔梗」って説なので、ほとんどの「万葉集」の解説書には「桔梗のこと」って書かれてるし、そこから、現在の「秋の七草」が決められてるってワケだ。


‥‥そんなワケで、もしも、1300年前に詠まれた山上憶良の歌の「朝貌の花」が、「桔梗」じゃなくて「朝顔」だったとしても、「昼顔」だったとしても、「槿」だったとしても、「撫子」に関しては1300年前も「瞿麦(なでしこ)の花」だったんだから、「なでしこジャパン」としては何も問題ない。明日から「あさがおジャパン」に変更する必要もないし、午後になったら萎む必要もない。だけど、「犬夜叉」のかつての恋人の「桔梗」は、ヘタすると「朝顔」って名前になってた可能性もアリエールなワケで、そしたらイメージが大きく変わってた。どれくらい大きく変わってたのかって言うと、それこそ、「清楚で控えめな女性」にピッタリな「なでしこ」が、「並み居る男たちをバッタバッタとなぎ倒す強い女性」に変わっちゃうほどだ。


秋さらば見つつ偲(しの)へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも  大伴家持


これも「万葉集」に収められてる「なでしこ」の歌だけど、これは大伴家持(おおとものやかもち)が奥さんを亡くした直後の天平11年6月に詠まれた歌だ。そうしたバックボーンを踏まえて鑑賞すると、作者の思いが胸に迫って来る。


「秋になったら一緒に眺めて楽しみましょう」、そう言って妻が植えた庭の撫子が咲いています。


これが、この歌の直訳だけど、この後には、「でも、もうあなたはいないのですね」という「言わずに感じさせる思い」が余韻として流れ続けてる。そして、ここまで読み取れば、この「なでしこ」という花の本意が、単に「清楚で控えめな女性」ってだけじゃなくて、最初に紹介した国語辞典の解説の「日本人女性への賛辞。特に古来美徳とされた、清楚で凛とし、慎ましやかで、一歩引いて男性を立て、男性に尽くす甲斐甲斐しい女性像を指す。」ってことだって理解できたと思う。


‥‥そんなワケで、「万葉集」に収録された歌では、男性が自分の愛する女性を投影させることが多かった「なでしこ」だけど、それから300年ほど経った平安時代の中期、「なでしこ」が大々的に登場するのが、紫式部の「源氏物語」だ。「源氏物語」における「なでしこ」の役割は、夕顔の娘の玉鬘(たまかづら)を語る上で絶対に外せない小道具って感じになってる。

誰でも読めるように、與謝野晶子の訳をリンクしとくけど、まずは、頭中将(とうのちゅうじょう)が愛人の夕顔のことを源氏に話すシーンが有名な「帚木(ははきぎ)」だ。あたしの好きなパチンコの「ひかる源氏」では、頭中将は源氏をライバル視してるチャラいホスト系の女たらしだけど、実際の「源氏物語」では、自身の恋愛に関してはほとんど語られない。だから、この夕顔とのエピソードは貴重なお話だ。で、どんなお話かって言うと、愛人の夕顔のところに長いこと顔を出さなかった頭中将のところへ、夕顔から撫子の花を添えて、こんな歌が送られて来る。


山がつの垣は荒るともをりをりに哀れはかけよ撫子の露  夕顔


この歌は、「山の家なのだから垣根が荒れるのは仕方ないわ。でも庭の撫子には露ほどの哀れを掛けてやってください」って意味で、この「撫子」は「幼い娘」のことを意味してる。つまり、夕顔は、「私のことはともかく、娘にだけでも会いに来てほしい」って歌ったのだ。だけど、これ対する頭中将の返歌が、あまりにもKYなものだった。


咲きまじる色はいづれと分かねどもなほ常夏にしくものぞなき  頭中将


「いろいろな花が咲くけれど、私が一番に思っているのは常夏に咲く君だけだよ」って、頭中将は娘のことをひと言も書かずに、夕顔のゴキゲンだけを取る作戦に出たのだ。そしたら、こんな返歌が夕顔から届いた。


うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり  夕顔


「あなたが来てくれないので、私は袖を涙で濡らしています。まだ夏の盛りなのに、もう秋の嵐が来てしまいました」‥‥って、この歌を読んで「おかしいな?」って思った頭中将が、夕顔の家を訪ねてみると、そこはモヌケのカラ。頭中将に愛想をつかした夕顔は、どこかへ行っちゃったってワケだ。そして、多くの男たちとおんなじように、頭中将も、失ってみて初めて、相手がどれほど大切だったのかってことに気づいたってワケだ。


‥‥そんなワケで、この「帚木」ではチョコっとしか登場しなかった「なでしこ」だけど、この後の「常夏」では、ナニゲに大々的に登場しちゃう。ここでは、すでに夕顔は亡くなってて、大きくなった夕顔の娘、玉鬘(たまかづら)を源氏が頭中将に内緒で引き取ってかくまってるって設定なんだけど、真夏の暑い日に涼んでる源氏の前には、こんな光景が広がってる。


「この前の庭には各種類の草花を混ぜて植えるようなことはせずに、美しい色をした撫子ばかりを、唐撫子(からなでしこ)、大和撫子もことに優秀なのを選んで、低く作った垣に添えて植えてあるのが夕映えに光って見えた。」


そして、源氏は、頭中将に娘の玉鬘をかくまってることを内緒にしてる後ろめたさから、こんな歌を玉鬘へ送る。


なでしこの常なつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねん  光源氏


「いつまでも美しい撫子(玉鬘)を見たら、頭中将は亡くなった母君(夕顔)のことを尋ねるでしょう」、そして、このあとに続く「言わない思い」は、「尋ねられると困るので、こうしてあなたをかくまい、頭中将の目に触れないようにしているのです。どうか分かってください」ってことになる。そして、この歌に対して、玉鬘が泣きながら返したのが、次の歌だ。


山がつの垣ほに生ひし撫子のもとの根ざしをたれか尋ねん  玉鬘


「山などで育った卑しい身分の撫子(私)の素性など、いったい誰が尋ねるものでしょうか」


‥‥そんなワケで、あまりにもディープな「源氏物語」の世界だから、こうして断片的に取り上げても全体像はイメージできないと思うけど、こと「なでしこ」って花に対する当時の人々のイメージだけは、何となく感じられたと思う。それは、単に「愛しい女性」と言うだけでなく、そこには、母親が自分の幼い娘に対して抱く愛情、まさしく「撫でし子」という思いが底流してたのだ。だから、1000年もの時を超えて、今や「並み居る男たちをバッタバッタとなぎ倒す強い女性」の代名詞としても「なでしこ」って言葉が使われるようになっちゃったけど、いろんな分野でがんばってる女性たちに対しては、あんまり厳しいことばかり言わずに、母親が幼い娘の頭を撫でるように、あたたかい愛情を持って見守ってあげてほしいと思う今日この頃なのだ♪


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