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2011.11.04

アラフォー女の脳内シアター

今月のお誕生日で30代最後の歳になるから、そろそろ40代の大台にもリーチが掛かりつつあるあたしだけど、人間、このくらい生きて来ると、寝てる時に見る夢の種類も完全にパターン化されて来て、なかなか新しい夢を見なくなるみたいだ。10代のころまでは、子どものころから何度も見て来た「いつも見るお馴染みの夢」と「初めて見る新作の夢」とが半々くらいだったんだけど、20代になると、「6対4」→「7対3」→「8対2」ってふうに、ジョジョに奇妙に「いつも見るお馴染みの夢」を見る割合が増えて来て、あたしの「脳内シアター」では、なかなか「初めて見る新作の夢」が封切られなくなって来た。

ま、これは、若いころに次々と上映されてた「初めて見る新作の夢」も、2回目からは新作じゃなくなり、3回、4回と見るうちに「いつも見るお馴染みの夢」のほうへと分類されるようになるから、物理的に「いつも見るお馴染みの夢」の本数が増えて来たってことなんだけど、どんなにたくさんのDVDを脳内にコレクションしてても、やっぱり、タマには新作を楽しみたくなるのが人情ってもんだ。

だけど、30代の半ばを過ぎたころからは、ほとんど「初めて見る新作の夢」は上映されなくなった。3日に1回くらい、1年に100回くらい夢を見るとすると、97回くらいは「いつも見るお馴染みの夢」で、新作は年に3本くらいしか上映されなくなった。それも、ちょっとでも気を抜いちゃうと、せっかく新作だと思って楽しんでたのに、途中から「どこかで見たことのある光景」へと流れてって、知らないうちに「いつも見るお馴染みの夢」の中の1本へと車線変更しちゃうのだ。だから、あたしの得意技の「夢コントロール」を駆使して、新しい道路の車線から外れないように、うまいこと進んでかないと貴重な新作を最後まで楽しめない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、3月中旬に東京を離れて以来、アッチへ行ったりコッチへ行ったり東京に戻ったりと、まるで遊牧民みたいな生活をしてるあたしだけど、一番長くお世話になってた農家でも、その前後にお世話になってた農家でも、単発でお世話になったお友達や知り合いのお家でも、どこで寝る時も、ほとんど夢は見なかった。横に母さんが寝てることに関しては、まったくノープラモデルなんだけど、それぞれのご厚意でお世話になってる「居候」的な立場の精神状態にプラスして、おんなじ屋根の下に他の人たちも寝てるっていう緊張感もあって、どうしても「100%のリラックス状態」にはなれなかったのが原因だと思う。

もちろん、まったく完全に夢を見なかったワケじゃなくて、断片的には何度も見てるんだけど、どの夢もブツブツとコマ切れになってて、ちゃんと最後まで楽しめたことはなかった。だけど、母さんと2人、水入らずで暮らせる今のお家に移ってからと言うもの、あたしの「脳内シアター」には、初日の夜から、一大スペクタクル巨編が堂々と上映されて、ちゃんといつものエンディングまで楽しむことができるようになった。そして、最初の2週間ほどで、あたしの脳内DVDの中のベストテン作品をすべて制覇しちゃった。どれも飽きるほど見て来た作品だけど、半年以上もゆっくりと夢を見る余裕がなかったから、ヒサビサに見たお気に入りの夢たちは、どれも新鮮さと懐かしさが同居した新感覚の味わいだった。

でも、ほぼ毎日のように夢を見てたのは最初の2週間ほどで、新しいお家の生活にも慣れて来ると、昔のように、夢を見るのは3日に1回くらいのペースに落ち着いた。きっと、最初の2週間に連続して夢を見たのは、あたしの心が夢に飢えてたからだと思う。それで、いっぱい夢を見て心が満足したから、通常のパターンに戻ったんだと思う。


‥‥そんなワケで、あたしの「夢欠乏症」が解消されて、通常の上映回数に戻ったと思ったのもトコノマ、今度は、不思議な現象が起こるようになった。それは、10代のころみたいに、ヤタラと「初めて見る新作の夢」が上映されるようになったのだ。ほとんどは、3月以降の疎開生活がベースになってる夢で、新幹線や大型フェリー、路面電車やワゴン車など、この期間に乗った乗り物が出て来たり、畑や裏山、川や漁港など、何度も行った場所が舞台だったりする。そして、登場する人たちも、お世話になった人たち、こっちに来てから知り合った人たちが出て来る。

ようするに、3月までは、ずっと東京でおんなじことの繰り返しのような生活をしてたのに、この7ヶ月間で、それこそ一生ぶんくらいアチコチを回ったり、今までに経験したことのない体験をいっぱいしたもんだから、あたしの脳みそに新鮮な刺激が次々とスパークして、動きが鈍くなってた「脳内シアター」の映写機が活性化したんじゃないかと思う。もっとザックリ言っちゃえば、新作の夢の元となるネタが切れてたとこに、新しいネタがドッと流れ込んで来たからだと思う。

それで、どんな感じの新作なのかって言うと、5回のうち4回は、あたしが子どものころに戻ってるのだ。母さんとあたしは、こっちに来てから、山の中腹の農家と山のふもとの農家にお世話になってたけど、たとえば、山の中腹の農家が舞台の夢の場合、母屋も、離れも、段々になった畑も、細い道路も、農家のご夫婦も、すべてが現在の姿のままなのに、そこにお世話になってる母さんとあたしだけが、30年くらい前の姿に戻ってるのだ。

つまり、今のあたしよりも若かったころの母さんと、小学校3年生くらいのあたしが、どこかの田舎の農家に遊びに来てる‥‥っていうシチュエーションだ。新幹線の中でも、あたしは子どもに戻ってて、若いころの母さんの隣りの席にチョコンと座ってるし、こっちに来てからは、子どものあたしが1人で畦道を歩いてたり、裸足で川に入ってサワガニを獲ってたり、畑の段々のところに腰掛けて夕焼けを眺めてたり、ひんやりする薄暗い竹林の中を彷徨ってたり、なんか、夏休みの思い出のアルバムを見てるような、オムニバス形式の夢が多い。それで、最後に農家に帰ると、庭に面した広い縁側で、農家のご夫婦と若いころの母さんが楽しそうにお素麺や焼きおにぎりを食べてて、あたしに気がついた母さんが、大きな声であたしを手招きする。

だから、夢って言っても、あたしが何かに変身して空を飛んだり、巨大な何かと戦ったりするようなハリウッド映画バリのSFモノじゃなくて、分かりやすく言えば、トトロやねこバスの出て来ない「となりのトトロ」の世界みたいな夢なのだ。もしかしたら、東京の渋谷に生まれて、中学に上がるまで渋谷で育ったあたしだから、心のどこかに「もっと自然に囲まれた場所で子ども時代を過ごしたかったな~」っていう潜在意識を持ってて、それが夢に現われてるのかもしれない。

何しろ、あたしの「脳内シアター」のベストテン作品は、どれも次から次にハプニングが起こるSFモノばかりで、一瞬たりとも気を抜けないものばかりなのに、今回の新作は、子どものころのあたしが、ただ畦道を歩いてたり、ただ夕日を眺めてたり、ただ星空を見上げてたりって、そんなのばかりなのだ。もしかすると、潜在意識だけが原因じゃなくて、長年暮らしてた東京から、とっても静かな田舎に来たこと、つまり、周りの環境が大きく変わったことも原因のひとつなのかもしれないけど、あまりにも「ナニゴトも起こらない夢」ばかりなので、今までみたいに夢を映画にたとえて楽しむってよりも、心地よいBGV的に映像を味わってる感じになる。

夢の中のあたしは、姿だけじゃなく、感性や感覚も子どものころに戻ってて、ただの夕日も、ただの星空も、大人になってから見る今の感覚よりも、何倍も美しく、何倍も壮大に感じられる。子どものころの汚れのない純粋な感覚に戻ってるから、美しく見えるだけじゃなくて、夢の中なのに実際の夕日や星空よりも感動できる。だから、何も起こらない夢なのに、ぜんぜん退屈もしないし、わざわざ「夢コントロール」を使ってチャンネルを替えることもしない。自然に身を任せて楽しんでる。


‥‥そんなワケで、ほとんどがBGV的な新作の夢ばかりだったのに、ゆうべ初めて、ちょっとしたストーリーのある変な新作を見ちゃった。他の新作と同様に、舞台は山の農家で、あたしも子どもに戻ってたから、最初は「今日のあたしはどこに行くのかな?」って思って、自然に流れて来る夢の世界に身を任せてた。そしたら、農家の前の坂道を曲がったあたしは、左右を高いブロック塀にはさまれた幅1.5メートルくらいの細い砂利道に迷い込んだ。こんな場所、実際にはないのに、どこかで見たような気がした。それで、これは、目が覚めてから思い出したんだけど、小学生の時に住んでた渋谷のお家から学校へ行く途中にあった私道だった。

子どものあたしは、砂利道の真ん中に小さなスミレが咲いてるのを見つけて、駆け寄ってしゃがんだ。すると、そこに、1匹のシジミチョウが飛んで来た。ちなみに、チョウチョって正しくは「1頭」「2頭」って数えるんだけど、ちっちゃなチョウチョには似合わないから、分かった上で「1匹」って書いてる。で、虫は苦手だけど、チョウチョはワリと好きで、特にちっちゃくて可愛いシジミチョウが好きだったあたしは、スミレにとまったシジミチョウを両手でそっと捕まえようとした。だけど、一瞬遅くて、スッと飛び立ってしまった。

あたしは、すぐに立ち上がってシジミチョウを追いかけた。そしたら、今度は、ベニシジミが飛んで来た。地味なグレーのシジミチョウでも可愛いのに、オレンジ色の混じったベニシジミは、とてつもなく可愛い。それで、あたしは、今度はベニシジミを追いかけた。

気がつくと、広い草原みたいな場所に出て、たくさんのモンシロチョウが飛んでた。右を見ると大きな川が流れてて、よく見ると多摩川だった。ここは、中学生と高校生の時によく来た多摩川の河原だった。モンシロチョウは、あたしの背丈くらいの草むらの上、手を伸ばせば届きそうな高さを横に広がるように100匹くらい飛んでて、その中に3~4匹、モンキチョウが混じってた。あたしは、子どものころも、大人になった今も、モンシロチョウよりモンキチョウのほうが好きだから、ふらふらとモンキチョウのほうへ両手を伸ばしながら近づいてった。

そして、あと3メートルくらいでモンキチョウ‥‥って瞬間、目の前を一陣の風が右から左へと横切り、モンキチョウの姿は消えちゃった。一瞬、何が起こったのか分からなかったけど、すぐに左の空を見たあたしの目に映ったのは、モンキチョウをくわえて飛び去って行くシジュウカラだった。シジュウカラは雑食性で、木の実や果実の他に昆虫もよく食べるけど、それは土の中にいるミミズや木にとまってる虫を食べるのがほとんどで、こんなふうに飛んでるチョウチョを狩ることはメッタにない。これは、夢ならではの映像だ。

あたしは、子どものころから、小鳥の中ではスズメが一番好きだったけど、シジュウカラも大好きだった。つまり、あたしの目の前で繰り広げられたのは、あたしの大好きなシジュウカラが、あたしの大好きなモンキチョウを襲って食べちゃうっていう残酷な光景だったのだ。自然界の過酷さや非常さを知り、精神的にも鍛えられた「大人になってからのあたし」なら、実際にシジュウカラがモンキチョウを襲って食べるシーンを目撃したとしても、それほどショックは受けないと思う。だけど、夢の中のあたしは、さっきも書いたように、姿だけじゃなくて感性や感覚も子どものころに戻ってるから、ものすごくショックを受けた。

なんて言うか、大好きな母さんと大好きな父さんが激しいケンカをしてるとこをフスマの隙間から見てるような、「大好きなもの同士が争ってる」「大好きなものが大好きなものを攻撃してる」っていうシーンを目の当たりにしてる悲しさと、「子どもの自分には大人のケンカを止めることができない」「空を飛べない自分にはモンキチョウを助けることができない」っていう自分の無力さに対する気持ちとで、夢の中なのに、幼いあたしの心は傷ついた。

でも、これは、これから起こる惨劇の序章に過ぎなかったのだ。次にあたしが見たものは、何十羽というシジュウカラの群が飛んで来て、モンキチョウもモンシロチョウも片っ端から食べちゃうシーンだった。あたしは、自分の目の前で繰り広げられてる残酷な光景を直視することができなくて、両手で目をふさいで、その場にしゃがみ込んだ。だけど、あたしの耳には、「バサバサバサッ!」っていうシジュウカラの羽音と、それに混じった「ピピーッ!」っていう金属的な鳴き声が聞こえ続けてて、とっても恐かった。

そして、ホントの惨劇は、ここからだった。今まで聞こえてた羽音の何倍も激しい羽音が聞こえて、思わず目をふさいでた手を離したあたしの網膜に飛び込んで来たのは、高い空から急降下してシジュウカラを襲うトンビたちの姿だった。シジュウカラは3~40羽、トンビは7~8羽だったけど、ものすごいスピードで四方八方からヒュンヒュンと飛んで来るトンビたちの攻撃に、シジュウカラたちは成すすべもなく、なんとか逃げられたのは数羽だけで、ほとんどのシジュウカラは殺されてしまった。もちろん、これも、夢ならではの映像で、実際にはアリエナイザーな光景だ。


‥‥そんなワケで、最初は「大好きなシジュウカラが大好きなモンキチョウを襲う」ってシーンだったから、あたしは、悲しい気持ちになったり、自分の無力さにさいなまれたりはしたけど、襲ったほうのシジュウカラに対して、憎しみの気持ちは起こらなかった。だけど、次に現われたのは「特に好きでも嫌いでもないトンビが大好きなシジュウカラを襲う」ってシーンだったから、悲しい気持ちよりも、トンビに対する憎しみの気持ちがメラメラと湧き起こった。そして、怒りのパワーによってなのか、ここからの展開は、どんどん現実離れしてくことになる。

いったん農家に戻ったあたしは、シジュウカラたちの復讐をするために、トンビたちをやっつける道具を探した。母屋のすぐ横にある納屋を覗くと、長さが2メートル以上もある竹の熊手があったので、これでトンビをやっつけることにした。あとは、捕まえたトンビを縛るための麻のヒモと、トンビを入れる麻袋を持った。そして、高い空から急降下して来るトンビに頭を攻撃されたら大ケガをしちゃうから、何かないかとウロウロしてたら、外の水道のとこに小型のアルミの両手鍋を見つけた。溜まってた水を捨てて、タオルで中を拭いて頭にかぶってみたら、ちょうどいいサイズだったので、これをかぶることにした。

でも、そのままだと頭が痛かったので、4つに折ったタオルを頭の上に乗せて、その上からお鍋をかぶり、両方の取っ手に麻のヒモを通して、アゴのとこで結んだ。これで防御はバッチリだ。そして、準備万端のあたしが出発しようとしたら、ちょうど農家のおじさんが農作業から軽トラで戻って来た。運転席の窓から顔を出したおじさんは、あたしのカッコを見て「どうした?」と聞くので、あたしはこれまでのことを身振り手振りを交えながら説明した。すると、おじさんは、「トンビだったら、この先の橋のとこに巣があるから、そこへ行ってみるといい」って教えてくれた。

あたしは、準備だけは万端だったけど、どこへ行ったらいいのかがサッパリ分かってなかったから、さすがはストーリーが都合良く進む夢の世界ってワケで、意気揚々と橋へと向かった。そしたら、これが、農家のある山の中の実際の小さな橋とは違って、アニメの「荒川アンダー ザ ブリッジ」みたいな巨大な橋だった。ここまでは、軽トラが1台通るのがやっとの細い道だったのに、突然、片側2車線の巨大な橋が現われて、両側にはたくさんの鋲を打った太い鉄骨の支柱が何本もそびえ立ってた。

あたしは、「きっと、この鉄骨の上のほうにトンビの巣があるんだろう」と思い、上を見ながら、左側の歩道をズンズン進んで行くと、橋の中央の、道路がゆるやかに盛り上がったとこの歩道の上に、何か白っぽいボーリングのピンみたいなものが、横向きに何本も並べてあるのが見えて来た。あたしは「なんだろう?」と思って早足で進むと、ナナナナナント!それはトンビたちだった。トンビたちは、首の下から胴体ぜんぶを白っぽいビニールのヒモでぐるぐる巻きにされて、それこそボーリングのピンみたいな姿にさせられて、歩道の上に並べられてたのだ!

みんな生きてはいたけど、もう完全にカンネンしてる様子で、鳴き声もあげずにおとなしくしてた。あたしは、いったいこれはどうしたことかと、一番手前のトンビに手を差し伸べようとした時、ものすごい勢いで飛んで来た大きなカラスが1羽、すぐ横の鉄骨の手すりの上にとまり、あたしを睨みつけて「カーーーッ!!」と威嚇した。そして、歩道へピョンと飛び降りると、あたしの足もとまでピョンピョンとやって来て、あたしが手を差し伸べようとしてたトンビをおもむろに頭から飲み込み始めた。それは、まるで、ヘビが獲物を飲み込んでくような光景だった。

驚いて声も出ないあたしを尻目に、カラスはぐるぐる巻きにしたビニールのヒモごと、トンビを飲み込んで行った。きっと、カラスが自分の食事にするために、トンビを捕まえて、ゴミ捨て場かどこかで拾って来たビニールのヒモで、逃げられないようにぐるぐる巻きにしてたんだろう。ボーリングのピンみたいなトンビの体が半分ほど飲み込まれた時に、ハッと我に返ったあたしは、「ダメーーーッ!!」と叫びながら、左手でカラスの体を抱えるように押さえ、右手でトンビの体をつかんで一気に引きずり出した。


「キャーーーーーーーッ!!」


あたしの悲鳴が橋の上にコダマした。あたしが引きずり出したトンビの体の前半分は、すでに消化されかかってて、羽毛はすべてなくなり、薄いピンク色の肉の中に、ところどころ白い骨が見えてたのだ。それでも、トンビは、まだ生きてて、苦しそうにクチバシをバクバクしてた。あたしは、あまりのことに、どうしていいか分からなくなった。もしも、すぐ目の前に動物病院があったとしても、この状態のトンビを助けることが不可能だってことくらい、子どものあたしにも分かった。だけど、まだ生きてる。苦しそうにクチバシをバクバクしてる。だからって、苦しみから解放するために、首を絞めて殺すことなんてあたしには無理だった。

あたしは、ものすごく後悔した。トンビは、カラスに捕まってビニールのヒモでぐるぐる巻きにされた時点で、もうカンネンしてたのだ。そして、今、カラスに頭から飲み込まれ始めた時点で、死を覚悟し、死を受け入れてたのだ。それなのに、あたしは、この世に引きずり戻してしまった。あたしの勝手な「残酷な光景は見たくない」っていう一方的な主観によって、トンビの覚悟を踏みにじってしまった。そして、さらなる肉体的苦痛を与えてしまったのだ。

鳥が昆虫を食べるのも、大きな鳥が小さな鳥を食べるのも、すべては自然界の食物連鎖の中のことで、そこには「残酷」だとか「かわいそう」だとかっていう人間の感情なんか持ち込むべきじゃなかったのだ。ましてや、人間が手を出して捕食をやめさせるなんて、神をも恐れぬ所業だったのだ‥‥だったのだ‥‥だったのだ‥‥(エコー&フェードアウト)


‥‥そんなワケで、あたしの夢は、ここでブツッと断ち切られて終了した。半分消化された瀕死のトンビのビジュアルが、あまりにも衝撃的だったので、あたしの潜在的な自己防衛本能が映像を強制終了しちゃったみたいだ。それにしても、あたしの脳みそと心が作り出してる「あたし発」の夢なのに、その夢から大事なことを学ばされるなんて、あたしってば究極の「自給自足学習システム」を内蔵してるサイボーグなのかも?‥‥って思っちゃった。そして、もしもホントにサイボーグなら、今月のお誕生日で39歳になっても、来年40代の大台を迎えても、外見はいつまでも歳を取らずに20代のまま‥‥って、こんなこと妄想してる時点で、すでにアラフォー全開なあたしだってことを自覚した今日この頃なのだ(笑)


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