肉まんと智恵子抄
「僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る」ってのは、教科書に載ってるから誰でも知ってる高村光太郎の『道程』だけど、先生がこの詩を読み上げると、クラスのお笑い担当の男子が「童貞」にカケたダジャレを飛ばして、男子はドッと笑い、女子は「男子って嫌ねえ」って顔をして眉をしかめる‥‥ってのがお約束のパターンだ。ちなみに、高村光太郎には「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」でオナジミの『智恵子抄』もあるから、本職が「詩人」だと思ってる人も多いみたいだけど、高村光太郎の本職は彫刻家で、詩は彫刻の合間に書いてたものだ。
で、高村光太郎の前に道はなく、高村光太郎の後ろに道が出来たワケだけど、その出来た道を半世紀後に車で走ってるあたしの前には、たいていの場合、誰か他の人が運転してる車が走ってる。乗用車だったり、商用のバンやワゴンだったり、タクシーだったり、トラックだったり、路線バスだったり、車種はその時その時で違うけど、たいていの場合、誰か他の人が運転してる車が走ってる。たとえば、あたしの前の車が黄色の信号を無理やりに直進して、あたしがその交差点で止まれば、一時的にあたしが先頭になるから、この時だけはあたしの前に他の車はいなくなる。だけど、信号が青に変わって車を発進させると、アッと言う間に、あたしは何らかの車の後ろにつくことになる。
西のハズレに疎開してる今は、あたしの前にも後ろにも車が1台もいないってこともあるけど、東京にいた時は、99%の確率(当社比)で、あたしの車の前には誰かの車がいた。だから、ちょっと渋滞気味だったりすると、えんえんとおんなじ車の「後ろ姿」を見続けることになる。もちろん、これは、あたしだけが特別なワケじゃなくて、あたしの前の車の前にも別の車が走ってるし、その前にも別の車が走ってる。あたしの後ろにも走ってるし、そのまた後ろにも走ってる。
だから、東京に限らず、都市部を走ってる車の多くは、まるでカルガモの親子のように数珠つながりになって走ってるワケで、全国的に見れば、それこそ数え切れないほどの数のドライバーが、日夜、自分の前の車の「後ろ姿」を見てることになる。そして、こうしたニポンの道路事情を逆手に取ったのが、タクシーのリアウインドウに貼る広告だ。運転中の眠気覚ましのドリンクの広告など、ドライバーを対象にした商品の広告だから、費用対効果はバツグンだと思う今日このころ、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、車の運転をしながら、ついつい前の車を観察しちゃう癖がついちゃったあたしは、この癖が夢の中でも出ちゃうことを発見した。今、あたしは、ずっと借りてた軽トラックを返して、ポンコツの原チャリを足にしてるんだけど、遅くて寒い原チャリを足にしたトタン、夢の中でまでおんなじポンコツの原チャリに乗ってる自分の貧乏性が悲しくなった。だけど、原チャリに乗ってる夢なんかメッタに見ないから、あたしの得意技の「夢コントロール」でフェラーリに変えたりせずに、そのまま見続けてた。
そしたら、あたしの50メートルくらい先に、スーパーカブかヤマハメイトが走ってるのが見えた。あたしの原チャリは遅いから、車のジャマにならないように道路の左端を走ってたんだけど、そのバイクも遅くて、道路の左端を走ってた。それも、あたしよりも遅いみたいで、「後ろ姿」が、ジョジョに奇妙に近づいて来た。距離が10メートルくらいになったとこで、テールランプの形とかでスーパーカブだってことが分かり、乗ってるのが小太りのおじさんだってことも分かった。
道路は空いてたけど、たまに乗用車やトラックがビューン!って右側を追い越してくから、あたしはおじさんのバイクの速度に合わせて、おじさんの10メートルくらい後ろをのんびりと走り続けた。周りには何もない田舎の道だから、あたしの視点はどうしてもおじさんのバイクの「後ろ姿」に集中しちゃって、ついつい「観察」が始まっちゃった。
「あのジャンパーの感じと言い、後ろのキャリアに積んでる黒い皮のカバンと言い、農家の人じゃなくて銀行員さんとか保険屋さんかもしれないな」
そんなことを思いながら走り続けてたんだけど、減速する必要のないゆるやかなカーブでおじさんが減速して、あたしとの距離が5メートルくらいに縮まった時、おじさんのキャリアの黒いカバンの上に、何か分からない半透明のものが乗ってることに気づいた。だけど、すぐにカーブが終わって直線になり、おじさんはまた少しスピードを上げちゃったから、あたしとの距離は元の10メートルに戻り、その物体が何だったのかは分からずじまいだった。
‥‥そんなワケで、あたしは、その不思議な半透明の物体が何なのかを見定めるべく、少しでも車間距離を縮めようとがんばったんだけど、アクセル全開なのになかなか縮まらない。さっきまでよりも道路が広くなったからなのか、おじさんは若干スピードを上げたみたいで、どんなにがんばっても時速50キロくらいしか出ないあたしのポンコツは、車間距離を縮めるどころか、10メートル以上に広がらないように着いてくのが精一杯だった。
それでも、あたしは、少しでも空気抵抗を減らすために上半身を低くして、10メートル先のおじさんのキャリアの黒いカバンの上あたりを凝視したまま走り続けた。道が少しでも下りになると、車間距離は一時的に7メートルくらいに縮まるので、その時は全神経の9割くらいを両目に集中させて、その物体を凝視した。そしたら、何となく見えて来た。
キャリアの上に黒い皮のカバンが平たく置かれてて、両端にフックの付いたキャリア用の太いゴムみたいので留めてあって、そのゴムの2本くらいが、カバンの上の半透明の物体にも掛けてある。大きさはソフトボールくらいで、おにぎりを大きくしたような形で、色は半透明。でも、半透明に見えるのは光の加減で、実際には透明みたいだ。
東京なら、ちょっと走ればすぐに信号があるから、赤信号で止まる時に近づいて確認することができる。でも、田舎は信号が少ない上に、こうした交通量の少ない道路の信号は、何故だかいつも「青」ばかりで、なかなか止まる機会がない。それで、あたしは、モヤモヤしながら必死で追跡を続けた。もはや、あたしの目的は、おじさんのカバンの上の不思議な半透明の物体の正体をつきとめることになってた。つーか、それ以前に、何のために、どこへ向かって原チャリを走らせてたのか、トンと見当もつかなかったけど。
だけど、夢ってのは都合よくできてるもんで、あたしのモヤモヤがイライラに変わる寸前に、目の前に大きな交差点が現われて、待ちに待った「赤信号」に変わった。前を走るおじさんのバイクのテールランプも赤く点灯し、ブレーキを掛けたことが分かった。あたしは、ついに謎が解明される喜びにFカップの胸をドキドキさせつつ、ハタから見て不自然にならないように気をつけて減速し、おじさんのすぐ後ろに停車した。そして、両目が飛び出るほど凝視したら、その不思議な物体の正体は、ナナナナナント!‥‥‥‥来週へ続く!‥‥‥‥ってのは嘘で、その物体は、肉まんを電子レンジでチンするための「専用の容器」だったのだ!
‥‥そんなワケで、あたしは、しばらく前にここらへんで唯一の大型スーパーに行った時に、電子レンジでチンして食べるヤマザキの肉まんやあんまんが4個入ってるお徳用の袋が山積みにされてるワゴンを見た。縦長の袋に、肉まんが4個入ってたり、肉まんとあんまんが2個ずつ入ってたり、肉まんと、あたしの知らないラー油まんとか言うのが2個ずつ入ってたりしてて、どれでも300円ちょいだった。
あたしは、コンビニの井村屋の肉まんが大好きで、毎年、冬になってレジの横に保温器が設置されるのを楽しみにしてたんだけど、数年前にお肉を食べるのをやめてからは、一度も食べてない。あんまんならお肉は入ってないけど、あんまんよりは鯛焼きや今川焼きのほうが好きだから、地元の玉川高島屋の地下の「御座候(ござそうろう)」で、1個80円の今川焼きを買ってばかりいた。
で、ヒサビサに肉まんを見たあたしは、初めて見るラー油まんの味を想像してみたり、実際には買わないけど、もしも買うとしたら肉まん4個のにするか、肉まんとラー油まんが2個ずつのにするか、脳内シミュレーションしたりして楽しんでた。そしたら、ワゴンの端のほうに肉まんが5個入ってる袋もあって、それもおんなじ値段で売られてることに気づいたのだ。
おんなじメーカーのおんなじ肉まんの4個入りと5個入りがおんなじ値段で売られてるんだから、誰だって5個入りのほうがいいに決まってる。だけど、これには、大きなワナがあった。5個入りのほうは、ただ単に肉まんが5個入ってるだけだったんだけど、4個入りのほうは、あと1個入るスペースのとこに、肉まんを電子レンジでチンするための肉まん型の「専用の容器」が入ってたのだ。袋の外から見た感じだと、上下に分かれるみたいで、これに肉まんやあんまんがピッタリと入って、そのまま「電子レンジで40秒」って袋に書いてあった。
‥‥そんなワケで、これは一種のフェチなのかもしれないけど、あたしは、中身にピッタリの入れ物に何とも言えない喜びを覚える。たとえば、ギターケースの場合、ストラトもムスタングもテレキャスも入るような万能型のハードケースとかは好きになれない。でも、フライングVみたいな特殊な形のギターに対して、それ専用に作られてるハードケースとかがたまんない。フライングVの形をしたハードケース開けて、そこにフライングVがピッタリと収まると、なんとも言えない喜びがある。
あたしが、Aラインのスカートよりタイトスカートを好むのも、ボディラインにピッタリしたスーツを好むのも、おんなじ理由からだ。中身にピッタリの入れ物って、その中身のためだけに特別に作られたっていう贅沢感があって、あたしの美意識を刺激してくれる。だから、逆に、長方形のコタツに正方形のコタツ用のお布団を掛けた時のズレ具合とかにイライラしちゃう。お稲荷さんを作ってタッパーに入れてった時に、中途半端なスペースができるとガマンできなくなっちゃう。ナニゴトもピッタリ収まらないと気がすまないのだ。
だから、あたしは、肉まんを電子レンジでチンするための肉まん型の「専用の容器」を見た時に、どうしても自分の手でその容器に肉まんをピッタリと入れてみたい衝動に駆られた。だけど、食べることのできない肉まんを買うのは無駄だし、食べることはできても食べたくないあんまんを買う気にもなれなかった。でも、どうしても自分の手で入れてみたい。
何よりもあたしの琴線に触れたのが、その容器が透明だったってことだ。フライングVの形をしたハードケースにフライングVを入れたら、ピッタリ収まって気持ちがいいけど、ケースのフタを閉めたら見えなくなる。だから、あとは、脳内で「ピッタリ収まってる様子」を想像して悶々と楽しむしかない。だけど、この肉まんの容器の場合には、全面が透明だから、ピッタリ収まってる様子を見続けていられる。そして、電子レンジに入れれば、ピッタリ収まったまま、スポットライトを浴びて回転までしてくれる。まさに、至福の40秒を味わうことができるのだ。
‥‥そんなワケで、あたしは、不必要なものを欲しくなっちゃった時のいつものパターンで、さんざん悩んだ挙句に、後ろ髪を引かれながら帰って来たワケだけど、これが数日前のことだったから、それが夢に登場しちゃったんだと思う。それも、追いかけても追いかけても、なかなか確認することができないシチュエーションだなんて、あまりにも痛々しい。だけど、そんな痛々しい夢を忘れるために夜空を見上げれば、東京じゃ考えられないほどの星たちが輝いてる。
「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」
じゃあ、「ほんとの空」ってどこにあるの?
「智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出てゐる青い空が、智恵子のほんとの空だといふ」
「阿多多羅山」ってのは、今の「安達太良山(あだたらざん)」のことで、福島県の北部にある山だ。高村光太郎の奥さん、智恵子の実家は福島県の酒蔵なので、この『智恵子抄』の中には、2人で訪れた福島県の美しい自然が詠まれてる。「樹下の二人」という詩には「みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ」という和歌が添えられてて、「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」と、智恵子が故郷の山や川を指し示した様子も詠われてる。
‥‥そんなワケで、今日は原発のことを書く気にはなれないので、ここで終わりにする。最後に、智恵子が愛した故郷の大自然と、その智恵子を愛した光太郎のことを知ってもらえれば、取り返しのつかない事故を起こしてしまったあたしたちが、これからどんな道へ進んで行くべきかってことが自ずと分かるだろう。子どものころに学校で習ったのは、『智恵子抄』のほんの断片だけなので、ぜひ、以下のリンクから全編を読んでみてほしいと思う今日この頃なのだ。
『智恵子抄』(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/46669_25695.html
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