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2012.03.16

神々しい神々のお話

ニポンでは昔から数が多いことを表わす時に「八百」を使うことがある。「八百屋さん」の場合は、実際には800種類もの野菜は売ってないけど、「たくさんの種類の野菜がありますよ」って意味で「八百」を使ってるし、「嘘八百」の場合も、実際には800回も嘘をついてなくても、「これまでに何度も嘘をついてる」って意味で「八百」を使ってる。それから、おんなじように数が多いことを表わす時に「万」も使う。これは「万」て書いて「よろず」って読むワケで、ひとつの分野に特化しないで何でも扱ってるお店のことを「萬屋(よろずや)さん」なんて呼ぶ。これも「八百屋さん」とおんなじで、実際には1万種類もの商品は扱ってないけど、「いろんなジャンルのものを取り揃えてますよ」って意味で「万」を使ってる。

で、この数が多いことを表わす「八百」と「万」とを合体ロボさせちゃうと、神様もビックル一気飲みしちゃうほどの大きな数、「八百万(やおよろず)」の誕生だ。そう、「八百万の神」って言葉でオナジミの「八百万」てワケで、これにしたって、何もホントに800万人もの神様がいるって話じゃない。だけど、普通のレベルでの「たくさん」てことを言いたいのなら、八百屋さんや萬屋さんみたく、「八百」か「万」のどっちかでいいワケだ。「八百(やお)の神」と「万(よろず)の神」って言い方で、じゅうぶんに「たくさんの神」ってことは表現できる。

でも、そうせずに「八百万」としたのは、八百屋さんの店先に並んでる野菜の種類や、萬屋さんが扱ってる商品の種類よりも、遥かにたくさんの神様がいるってことを表現したかったってことになる。事実、ネットで検索してみたら、「日本の神の名の事典」てのが見つかって、ア行の「ア」の項だけでも、「アイカヒメノミコト」「アカフスマ イヌ オホスミヒコ サワケノミコト」「アジスキタカヒコネノカミ」「アシナヅチ」「アシハラノシコオ」「アシハラノシコオノカミ」「アタツクシネノミコト」「アチヒコ」「アマツキチカミタカヒコノミコト」「アマツクニタマ」「アマツクニタマノカミ」‥‥って、まだまだ他にもいっぱい、ぜんぶで60人もの神様の名前が並んでた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、ニポンの神様って、「ア」で始まる名前の神様だけでも60人もいるんだから、50音ぜんぶなら3000人‥‥ってワケでもなく、「ア」の他はもっと少ないだろうけど、それでもぜんぶで1000人くらいはいると思う。ま、数えてみればハッキリするんだけど、それはメンドクサイヤ人なので、一応、ザックリと「1000人」てことにしちゃおう。

で、「神様なのに仙人とはこれいかに?」なんてのも織り込みつつ先へ進んじゃうと、街の一般的な八百屋さんの扱ってる野菜の種類は、サスガに1000種類はないだろう。たぶん数十種類ってとこだ。それから、田舎の萬屋さんの場合も、100種類は超えるかもしれないけど、やっぱり1000種類はないだろう。つまり、八百屋さんよりも萬屋さんよりも遥かに多いから、神様の場合は「八百」と「万」を合体ロボさせて「八百万の神」って呼ぶんだろう‥‥っていうあたしの推測は、それなりに正解っぽい感じになってきた。

あたしの大好きな「ギリシャ神話」の場合は、自分の姉や娘や人妻とカタッパシからセックスして、挙句の果てには美少年にまで手を出しちゃう変態大魔王のゼウスを頂点に、ほとんどの登場人物が神様だ。ま、だから「神話」なワケだけど、ニポンの「古事記」や「日本書紀」だって「神話」だから、イザナギとイザナミやアマテラスオオミカミやスサノオノミコトみたいな有名どころを始め、さっきの「ア」で始まる名前のマイナーな神様たちにしても、みんな「神話に登場する神様」ってワケだ。だから、一般の人にはナジミのない「アイカヒメノミコト」や「アジスキタカヒコネノカミ」にしても、それぞれに固有名詞が付いてる以上、一部の神様マニアにとってはメジャーな神様ってワケで、それなりにファンもいるんだと思う。

一方、こうした「古事記」や「日本書紀」などの紙媒体とは違って、ニポン各地で口から口へと伝承されてきた「民話」の神様たちは、その大半に名前がない。もちろん、ちゃんと名前のある神様が登場する民話もあるけど、たいていの場合は「山の神様」とか「海の神様」とかっていうフランク・ザッパな呼び方をされてる。たとえば、秋田県に伝わる「赤神と黒神と十和田の女神」っていう民話がある。


‥‥そんなワケで、むかしむかしの遥かむかしのこと、陸奥(みちのく)の十和田という湖に、それはそれは美しい女神が住んでいた。女神は機(はた)織りを仕事にしていて、毎日毎日、キッコンパッタン、キッコンパッタンと機織りをしていた。機織りをしながら、女神は歌を歌った。美しい歌声は湖の対岸の森を抜け、ずっと遠くまで響き渡った。

秋田の男鹿(おが)半島に、それはそれは心のやさしい赤神が住んでいた。山の動物たちの守護神である赤神は、毎日毎日、鹿の群とともに野山を駆け巡って暮らしていた。ある日のこと、赤神が雪解け水のあふれる能代川に沿って山々を越えていくと、遠く東の雲の切れ間に、キラリと光る湖が見えた。その湖の光に引き寄せられるように進んでいった赤神の耳に、美しい歌声が聴こえてきた。

その歌を聴いたトタンに赤神の胸は高鳴り、光に向かってどんどん進んでいくと、湖のほとりで美しい女神が、キッコンパッタン、キッコンパッタンと機織りをしていた。春の若草色の衣をまとった女神は、濡れた黒髪を輝かせ、機織りをしながら歌を歌っていた。赤神は、ひと目で女神のことが好きになってしまった。女神の美しさの虜になった赤神は、それから毎日のように、献上品の鹿を持って女神を訪ねてくるようになった。

八甲田山の遥か先の竜飛(たっぴ)岬に、それはそれは猛々しい黒神が住んでいた。荒れ狂う風と波の中、空と大地の間を治めていた黒神は、毎日毎日、イバラの髭と氷で研いだ剣を武器にして山々を見回っていた。ある日のこと、黒神が岩木山から八甲田山へ渡ると、遠く南の雲の切れ間に、キラリと光る湖が見えた。その湖の光に引き寄せられるように進んでいった黒神の耳に、美しい歌声が聴こえてきた。

その歌を聴いたトタンに黒神のイバラの髭は柳のように枝垂れてしまい、光に向かってどんどん進んでいくと、湖のほとりで美しい女神が、キッコンパッタン、キッコンパッタンと機織りをしていた。女神のあまりの美しさに、黒神も一瞬で恋に落ちてしまった。女神の美しさの虜になった黒神は、それから毎日のように、献上品の魚を持って女神を訪ねてくるようになった。


キッコンパッタン、キッコンパッタン、キッコンパッタン、キッコンパッタン‥‥。


機を織る女神の衣が、淡い若草色から濃い新緑の色へと変わり、十和田の湖にも夏がきた。しかし、なぜだか女神の表情は暗かった。この春、訪ねてきてくれた心やさしい赤神に惹かれながらも、そのあとに訪ねてきてくれた猛々しい黒神にも惹かれてしまい、女神の心は揺れ動いていたのだ。

昨日、大きな竜にまたがった黒神が訪ねてくれば、今日は立派な牡鹿にまたがった赤神が訪ねてくる。どちらにも惹かれてしまった女神は、ひとりになると悲しみの涙をホロホロと落とした。十和田の湖に女神の涙が落ちると、水鳥たちもホロホロと鳴いた。

赤神も黒神も女神のもとへとセッセと通い続けたので、そのうち2人は顔を合わせるようになってしまった。そして、お互いに女神が目当てだということが分かると、赤神は黒神を憎み、黒神は赤神を憎み、自分たちが神だということも忘れて争い始めてしまった。


「十和田の女神は俺のものだ!」

「なんだと!俺のものだ!」

「俺が先に目をつけたのだ!」

「ならばどちらが女神にふさわしいか、戦(いくさ)で勝負だ!」


大きな竜に飛び乗った黒神は、幾重にも雲を巻きつけて空へと上っていく。一方、赤神は、牡鹿の群を呼び寄せ、野山を埋め尽くして迎え撃つ。空の高きより襲いかかってきた竜と、牡鹿の群とが激しくぶつかり合う。四方の山々は轟々と鳴り響き、十和田の湖に高波が立った。

この騒ぎに集まってきた陸奥の八百万の神たちは、津軽の岩木山の頂上から赤神と黒神の戦を眺めていた。赤神が勝つと思った神たちは山の左手に、黒神が勝つと思った神たちは山の右手に陣取り、それぞれを応援し始めた。赤神が勝つと思った神たちは3~4割、黒神が勝つと思った神たちは6~7割、右手に陣取った神たちは数も多く、足を踏み鳴らして応援したため、この時に岩木山の右肩は低くなってしまったという。

さて、戦はと言えば、空から自由自在に攻撃してくる黒神の竜に対して、いくら数は多くとも飛ぶことのできない赤神の牡鹿の群は苦戦していた。竜が山肌に沿って尾を払うと、牡鹿たちは遠くへ飛ばされていく。赤神は次々と牡鹿を繰り出したが、ことごとく吹き飛ばされてしまい、赤神も大きな傷を負ってしまった。野山は赤神の血で赤く染まり、木々は紅葉に包まれ、十和田に秋が訪れた。

戦に敗れた赤神は、無念の涙を流しながら、遠く西の果ての男鹿半島へと戻っていき、荒波の寄せるクジャク岩の洞穴に身を隠した。戦に勝った黒神は、両腕を突き上げて勝どきを上げた。その声は雷鳴となり、四方の山々へ鳴り響いた。

しばらくして雷鳴が収まると、空を覆っていた雲が開け、眩しい日の光が十和田の湖に満ちあふれた。黒神は、いよいよ女神を妻に迎える時がきたと、湖のほとりへと向かった。しかし、広い湖の隅から隅まで見渡しても、どこにも女神の姿はなかった。女神は、大きな傷を負いながらも最後まで戦い続けた赤神の姿に胸を打たれ、赤神を追って男鹿半島へと旅立ってしまっていたのだ。

戦には勝ったのに女神を失ってしまった黒神は、肩を落として竜飛岬へと帰っていった。黒神の悲しみは木々の葉を散らし、それはやがて雪に変わり、十和田に冬がきた。後ろを振り返らずに歩き続けた黒神は、八甲田山に差し掛かった時、その頂から初めて十和田のほうを振り返った。降りしきる雪で何も見えなかったが、黒神のまぶたには美しい女神の姿が焼きついていた。

竜飛岬に帰りついた黒神は、十和田のほうに背を向けたまま、大きな大きな溜息をついた。あまりにも大きな溜息に、北の大地はミシミシと音を立てて裂け始め、そこへ東と西の海の水が左右から荒れ狂いながら一気に流れ込んできた。この時に津軽と蝦夷(えぞ)の大地は離れ、今の津軽海峡ができたという。おしまい。


‥‥そんなワケで、これが秋田に伝わる「赤神と黒神と十和田の女神」っていう民話なんだけど、このお話に登場した神様たちには名前がない。単なる「女神」じゃなくて「十和田の女神」だし、「赤神」も「黒神」も固有名詞フレーバーだけど、イメージとしては「青鬼」と「赤鬼」みたいなものだから、これを固有名詞とするのはリトル厳しい。少なくとも、アマテラスオオミカミやスサノオノミコトみたいな固有名詞と比べると、限りなくフランク・ザッパだ。

だけど、ニポンには、こうした神様が無数にいる。たとえば、山には「山の神」がいるし、その中でも火山には「火の神」がいるし、これはニポン中の山すべてにいる。川にも神様がいるし、湖や沼にも神様がいる。つまり、ニポン中の山、川、湖、沼の数だけ神様がいるワケで、これだけでもものすごい数になる。

さらには、ひとつの山の中にも、いろんな神様がいる。樹齢何百年なんていう古木にも神様がいるし、「もののけ姫」に出てきたイノシシの神様やオオカミの神様もいる。ま、細かいことを言えば、ニポンのオオカミは絶滅しちゃってるけど、それでも、山や森にはいろんな神様がいる。ジブリで言えば、「千と千尋の神隠し」では、いろんな神様がお風呂に入りにやってくる。

自然界だけじゃなく、人間の周りにも、いろんな神様がいる。何よりハッキリしてるのは、各地の神社に祀られてる神様で、そりゃあ「神社」なんだから当たり前だけど、全国には約8万もの神社がある。つまり、最低でも8万人の神様がいるワケだけど、複数の神様を祀ってる神社も多いから、神社関係だけで、少なくとも10万人以上の神様がいるってことになる。ちなみに、全国の神社の数は、「八幡(8万)神社」って覚えとくといい。何の役にも立たないと思うけど、一度覚えたら忘れないだろう。

それから、もっと身近な神様だと、それぞれの家にいる神様だ。昔から台所には「竈(かまど)神」がいるし、「トイレの神様」で有名になった「厠(かわや)神」もいる。これが全国の世帯数だけいるんだから、もはや「八百万の神」どころの騒ぎじゃない。最初に「何もホントに800万人もの神様がいるって話じゃない」って書いたけど、800万人どころか8000万人くらいいるかもしれない。その上、あたしん家なんて、さらに「貧乏神」もいるし(笑) これで野田ちゃんが消費税の増税だのTPPの参加だのと、次から次へと低所得者イジメの政策を推進してけば、全国の家庭の貧乏神の数も急増することウケアイだ。


‥‥そんなワケで、ここまで書いてきて今さらだけど、「八百万の神」って言い方はおかしいと思う。複数なんだから「八百万の神々」って言うのが正しいと思う‥‥ってなワケで、急に昔話に車線変更しちゃうけど、あたしが高校1年生の1学期の最初のころ、現国の授業で教科書を読まされたM君は、「神々しい」を「かみがみしい」って読んじゃって、クラスは大爆笑! M君のアダ名はソッコーで「カミガミ君」になっちゃって、夏休みに入るまで男子だけじゃなくて女子からも「カミガミ君」て呼ばれてたことを思い出した。もしも、この時に、あの「ガリガリ君」のCMソングがあったら、絶対にみんなで「カ~ミガミ君カ~ミガミ君カ~ミガミ君♪」て800万回くらい歌ってたと思う今日この頃なのだ(笑)


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