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2012.06.29

原発マフィアの原発マフィアによる原発マフィアのための株主総会

6月27日、沖縄電力を除く電力会社9社の株主総会が開催された。北海道から九州まで、どこの会場の周りでも「再稼働反対」のデモや抗議行動が行なわれ、すべての総会で良識ある株主たちから「脱原発へ向けた議案」が複数提出されたが、各電力会社が事前に用意していた多数の仕込みの参加者とカネで集めた白紙委任状によって、すべての議案が否決された。

そして、東京電力以外の8社の社長は、口をそろえて「原発推進」「原発再稼働」を公言した。以下、北から順番に、それぞれの社長の発言をダイジェストでお届けするので、あまりの厚顔無恥ぶりに開いた口からエクトプラズムが抜け出て幽体離脱しちゃわないように、口を押えながら読んでほしい。


北海道電力の川合克彦社長 「泊原発が動いていない今は非常事態。通常の状態に戻すために、泊原発1、2号機の再稼働を最優先課題として取り組み、11月までには再稼働したい」


東北電力の海輪(かいわ)誠社長 「女川原発の再稼働に向けて、地域の皆さまの理解をいただけるよう粘り強く取り組みたい」


北陸電力の久和進社長 「原子力は供給安定性、経済性に優れ、発電時に二酸化炭素を排出しないので、ベース電源として今後も引き続き重要。志賀原発の安全強化策を実施して、再稼動を実現する」


中部電力の水野明久社長 「引き続き原子力を重要な電源として活用する。浜岡原発の再稼働は中部電力にとって不可欠だ」


関西電力の八木誠社長 「大飯原発以外の原発もできるだけ早期に再稼働したい。脱原発は絶対にない」


中国電力の苅田知英社長 「当社の原発比率は全国平均より圧倒的に低いので、原発比率を上げて他社とのバランスを取りたい。島根1号機は廃炉にせず再稼働を進める。上関原発の計画も引き続き進めていく」


四国電力の千葉昭社長 「伊方原発の再稼働が大幅に遅れているため、創業期以来の赤字決算となり極めて厳しい状況が続いている。これでは経営が成り立たない。9月に規制庁が発足してからでは間に合わないので、その前に伊方原発の運転正常化を早期実現したい」


九州電力の瓜生道明社長 「原子力の重要性は(福島の事故後も)エネルギー安全保障や地球温暖化対策の面から変わらない。このまま原発を再稼働できない状態が続くと、来春には経営が厳しくなり電気料金の値上げの可能性も出てくる」


‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」は割愛してスタートしちゃうけど、各電力会社のあまりの自分勝手ぶりに、口を押えて読んでても指の隙間からエクトプラズムが抜け出て幽体離脱しちゃった人もいるだろう。北海道みたいに道知事がエネルギー庁とベッタリ癒着してるような地域はともかくとして、福島第一原発の大事故の被害で未だに自宅に帰れない人たちが何万人もいる東北電力でさえも、女川原発を再稼働させるために「地域の皆さまの理解をいただけるよう粘り強く取り組みたい」なんて抜かしてる。

北陸電力にしても、今どき「原子力は供給安定性、経済性に優れ、発電時に二酸化炭素を排出しない」なんていう3.11以前の妄言を繰り返してるし、中部電力なんて、あの「日本一危険な原発」として悪名高い浜岡原発を再稼働させると鼻息を荒くしてる。中国電力は「電力不足」でも「燃料代」でもなく「全国平均よりも原発比率が低い」ってことを理由にして、老朽化で廃炉にすべきと言われてる島根1号機を再稼働し、まったく必要のない上関原発の計画も進めると言う。

四国電力に至っては、電力は有り余ってるのに、9月に規制庁が発足してからじゃ再稼働の手続きに時間が掛かりそうだからって、是が非でもその前に強引に再稼働しようとしてる。そして、すべての電力会社を総括する電事連の会長でもある関西電力の八木社長は、これほど全国で、世界で、大飯原発の再稼働に批判が集中してるのに、そんな声などどこ吹く風で、平然と「大飯原発以外の原発もできるだけ早期に再稼働したい」などとノタマッた上に、「脱原発は絶対にない」などと世界の流れに逆行する時代錯誤なセリフまで付け足す始末。もはや厚顔無恥を通り越して支離滅裂だ。

結局、玄海原発を再稼働させるための「やらせメール」が発覚した九州電力だけが、さすがに具体的な再稼働計画は口にできなかったけど、それでも「原発を再稼働できなければ電気料金を値上げする」という表現でヤンワリと圧力をかけてる。唯一、福島原発の大事故という世界最悪の人災を起こした東京電力だけは、強気の姿勢での「原発推進」は口にしなかったけど、良識ある株主や猪瀬副都知事が提出した「脱原発」や「経営正常化」に関する議案は、すべて否決された。

ちなみに、翌28日の文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」で、実際に東電の株主総会に出席したというリスナーからのメールが紹介されたので、あたしが記憶してる範囲でご紹介する。


リスナーからのメール 「昨日、東電の株主総会に行ったのですが、東電が事前に用意したと思われる参加者が大半を占めていて、どんな議案も否決されてしまいました。猪瀬副知事の発言中も酷いヤジばかり。これが東電体質なのですね」
(文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」6月28日)


実際には、もっと長いメールで、東電が仕込んだ参加者たちの酷い妨害について具体的に報告されてたけど、フランク・ザッパな主旨としては、こんな感じだった。東電だけでなく、どこの株主総会でも「脱原発」に関する議案にはチンピラヤクザさながらの酷いヤジが飛びまくったみたいだから、すべての電力会社が、仕込みの参加者を日給いくらかで大量に雇ったんだろうね。もちろん、利用者から徴収した電気料金で。


‥‥そんなワケで、東電の株主総会では「原発の輸出事業から事実上撤退」という報告があったと報じられ、ツイッターでは「その点だけは評価できる」としたつぶやきが散見された。だけど、あたしは「そんなこたーないだろう」って思ってた。だって、東電が政府に提出した再建計画書には、柏崎刈羽原発の再稼働を筆頭に、これまで通り「原発推進」の計画がてんこ盛りだからだ。つまり、株主総会に来た「脱原発派」の株主たちのガス抜きをするために、心にもないことを口にしただけだってことだ。

で、翌28日のこと、27日の株主総会を最後に退任した勝俣恒久会長と西沢俊夫社長のアトガマ、新会長の下河辺(しもこうべ)和彦と新社長の広瀬直己が就任の挨拶をした。社長に就任した広瀬直己は東電の常務だった人だからエスカレーター式に繰り上がっただけだけど、会長に就任した下河辺和彦は「原子力損害賠償支援機構」の運営委員長だったバリバリの推進派だ。だから、就任の挨拶で、こんなことをノタマッた。


東京電力の下河辺和彦会長 「柏崎刈羽原発の再稼働は総合特別事業計画に盛り込んだ新生東電の根幹のひとつ。再稼働できなければ極めて悪い方向でのインパクトがある。電気の安定供給の面からいっても、原発に頼らない東電など考えられない」


そして、前日の株主総会で報告された「原発の輸出事業から事実上撤退」については、社長に就任した広瀬直己が見解を述べた。


東京電力の広瀬直己社長 「原発の輸出事業については、福島第一原発事故の対応で人員などの制約があるが、可能な範囲で引き続き国と協力して進めていく」


‥‥そんなワケで、この新会長と新社長の挨拶を見れば分かるように、東電は原発計画を見直す気なんて毛頭ないどころか、反省の「ハ」の字もないってワケだ。そして、今回の大事故を引き起こした元凶の勝俣恒久は、とうとう一度も福島県に謝罪に行かないまま、東電の会長の座から解放されたのだ。以下、29日付の「福島民報」の記事を引用させていただく。


「勝俣前会長は謝罪せず 事故後、一度も本県来訪なし」

原発事故当時から会長を務め、27日の東京電力の株主総会で退任した勝俣恒久氏は一緒に謝罪に訪れなかった。記者団から「忙しいから訪問できないというのは理由にならないのではないか」との質問があった。これに対して広瀬社長は「新体制のわれわれが今まで以上に足を運ぶ。新生東電として福島を最優先課題として取り組む」と答えた。勝俣氏は会長時代から一度も本県に謝罪に訪れていない。
「福島民報 6月29日付 WEB版より引用」
http://www.minpo.jp/news/detail/201206292211


ちなみに、26日付の「河北新報」には、もっと厳しい論調で書かれてる。


「東電・勝俣会長、あすの株主総会で退任 事故後福島入りゼロ」

東京電力の勝俣恒久会長(72)が福島第1原発事故後、一度も福島県に入らないまま27日の株主総会で退任する。社長時代は原発再稼働の地元同意を取り付けるため、何度も福島県庁や原発立地地域を訪れた。「地域との共生」を強調しながら、事故後は一転して現地入りしない態度は、避難生活や風評被害で苦労する福島県民にどう映るのだろうか。勝俣氏が事故後、記者会見に応じたのは昨年の3、4月の2回だけだ。東電は、勝俣氏が表に出ない理由を「多忙」と説明してきた。
「河北新報 6月26日付 WEB版より引用」
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/06/20120626t61003.htm


ここで再読してほしいのが、過去にも何度か紹介したけど、2007年7月に日本共産党の福島県議会議員団や「原発の安全性を求める福島県連絡会」などが連名で送った東電への申し入れ書、「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ」だ。

これを読めば分かるように、日本共産党は今回の事故の4年前に、福島第一原発と第二原発が「大地震による津波によって原子炉が冷却できなくなり大事故が起こる可能性」があると指摘し、早急に対策を講じるようにと東電に申し入れをしてたのだ。そして、この申し入れ書の宛て先には、次のように明記してある。


「東京電力株式会社 取締役社長 勝俣恒久様」


しかし、当時の社長だった勝俣恒久は、「福島原発の安全対策は万全だ」として、この申し入れを突っぱねたのだ。今さら「たら・れば」の話をしても遅いけど、責任の所在を明確にするためにあえて言わせてもらうと、この時、勝俣恒久がキチンと対応して安全対策を講じていれば、今回の事故は回避することができたかも知れないし、事故が起こったとしても被害を最小限に食い止められたかもしれない。

そして、ここからがさらに呆れ返る話なんだけど、この申し入れを突っぱねた翌年の2008年2月、勝俣恒久は、柏崎刈羽原発のトラブルの責任を取って社長を引責辞任する。で、引責辞任してどうしたのかって言うと、皆さんご存知の通り、東電の会長に就任したのだ。こんな「引責辞任」なんて聞いたことがないよ、まったく!

ここまでの流れを整理すると、勝俣恒久が社長時代に日本共産党の申し入れを突っぱねたことが今回の大事故の原因の1つになっている可能性が濃厚ミルクなのに、会長時代の2011年3月11日に起こった歴史的人災に対して、とうとう会長を退任する2012年6月27日まで、ただの一度も福島県へ謝罪をしに行かなかった!‥‥ってことなのだ。

たとえば、自分は何も関与してなくて、顔も名前も知らない末端の社員が起こした事故だったとしても、企業のトップとして謝罪に行くのが普通の感覚だろう。それが、今回の事故は、自分自身が原因の1つを作ってる可能性があるんだから、何を置いても真っ先に福島へ謝罪に行くのが人として最低限のモラルじゃないのか?事故直後には「自分が福島へ出向くとマスコミが殺到して現場がパニックになるから」などと苦しいイイワケをして、当時の清水社長だけを謝罪に行かせてたけど、あれから1年3ヶ月、結局はずっと謝罪から逃げ回ってたってことじゃん!


‥‥そんなワケで、この「勝俣ヒストリー」を見れば分かるように、今回の退任劇のカラクリも、答えは簡単だ。ようするに、勝俣恒久を会長の座に据えたままでは、さすがに原発の再稼働や他国へのセールスは難しい。今もなお大被害を受けている福島の人たちの目があるからだ。そこで、勝俣恒久を退任させ、新たな原発推進派の下河辺和彦をアトガマに据えたってワケだ。ちなみに、勝俣恒久は、去年の事故後の2011年6月に「日本原子力発電」の取締役に就任してるので、東電の会長を辞めても原発マフィアの中枢に居座り続けてることになる‥‥ってなワケで、これほどツラの皮の分厚い人たちなら、毎時1万ミリシーベルトの場所でも防護服なしで半日くらい作業できそうだから、とりあえず福島第一原発に行って収束作業に従事してもらうのが一番いいと思った今日この頃なのだ。


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2012.06.25

百代の過客しんがりにネコパンチ

今日のブログは競馬のことからスタートするけど、競馬に絡めて子どものころの思い出とか俳句のこととかいろいろと綴ってるので、よかったら競馬に興味のない人も読んでみてちゃぶだい♪‥‥ってなワケで、昨日の阪神の「宝塚記念」で今年前半のGⅠは最後になり、9月下旬の中山の「スプリンターズS」まで3ヶ月ほどGⅠがない。だから、昨日の「宝塚記念」はどうしても的中させたかったんだけど、あたしの応援してるネコパンチが見せ場を作ってくれたのは3コーナーまでで、最後には力尽きて最下位に沈み、16頭中16着という、ある意味、1着とおんなじくらい貴重な記録を作ってくれた。

いつもなら、1コーナーを1番手で通過→2コーナーを1番手で通過→3コーナーを1番手で通過→4コーナーを1番手で通過→最後の直線でドヤドヤと差されてゴール板を5番手で通過‥‥ってのがネコパンチなんだけど、今回は強豪ぞろいで、江田照男ジョッキーもイチかバチかの高速逃げまくりを仕掛けたもんだから、4コーナーまでスタミナが持たなかったみたいだ。「あしたのジョー」的に言えば「真っ白に燃え尽きたぜ」ってワケで、ホエールキャプチャは「芦毛なのに紅一点」だったけど、ネコパンチは「黒鹿毛なのに真っ白に燃え尽きたぜ」ってワケで、ここまでがんばってくれたら負けて悔いなし!ありがとうネコパンチ!‥‥って感じの今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、ネコパンチからの馬単を5点と、オルフェーヴル→エイシンフラッシュ→トゥザグローリーという3連単を1点、合計600円で「宝塚記念」を楽しんだ。オルフェーヴルが勝つことは最初から分ってたから、夢を見るための馬単5点と、現実路線での3連単てワケだ。で、なんでオルフェーヴルが勝つってことが分かってたのかって言うと、例によって例のごとく、その秘密はレース直前の石川喬司先生とのメールの中にあった。

6月17日の「父の日」に、あたしは、競馬の師匠である石川喬司先生にお馬さんのカードを贈った。そしたら石川先生は、お返しにと寺山修司さんの『パドックで幻の父を待つ男』という短編の競馬エッセイを送ってくださった。母親と2人で暮らしている男が、ある日、競馬場のパドックで、自分が子どものころに蒸発してしまった父と再会する。でも、こちらからは自分の父であることが分かるのに、相手は成長して立派な大人になっている自分を息子だとは気づかない‥‥っていうストーリーなんだけど、これを読んで、あたしは、自分がちっちゃかった時に、父さんに連れられて行った渋谷の場外馬券売り場のことを思い出した。

東急本店の右手の道をずっと入って行った神山町ってとこに住んでたあたしは、父さんに手を引かれて渋谷駅まで歩き、駅の反対側に出て、今度は渋谷警察の前をずっと歩き、場外馬券売り場までの長い道のりを何度か往復した。おばあちゃんに手を引かれて、駅の反対側の映画館のビルの屋上にあるプラネタリウムに行く時も、駅まではおんなじ道を通ったから、特に駅までの道沿いにあったお店は今でもボンヤリと覚えてる。

で、長いこと忘れてたんだけど、石川先生が送ってくださった寺山修司さんのエッセイを読んだら、今の「109」のある場所‥‥って言うか、正確に言うと今の「ヤマダ電機」がある場所なんだけど、そこにあった不思議なお店のことを思い出した。そこには「美美薬局」っていう薬屋さんがあって、その2階が何かのお店になってたんだけど、窓に大きく「有」「馬」「記」「念」て書いてあった。

あたしは、まだ小学校に上がる前か、小学校に上がったばかりか、それくらいの年だったから、当然、「有馬記念」なんて漢字は読めなかった。だけど、父さんの競馬新聞で「馬」っていう漢字だけは覚えてたから、初めてそのお店の文字を見つけた時、あたしは、手を引く父さんに「あそこにお父さんの好きな『馬』って字が書いてあるよ!」って報告した。

父さんはニコニコ笑って、あれはナンダカンダと説明してくれた。たぶん、「あれは『有馬記念』と言って1年を締めくくる大きなレースの名前なんだよ」とかって言ったんだと思うけど、何を言ったかなんてぜんぜん覚えてない。何しろ、父さんに「馬」の字を報告したことさえ、今までずっと忘れてたくらいだから。

そして、父さんとそのお店の前を通るたびに2階の窓を指さして「馬!」「馬!」って言ってたあたしは、これも記憶が曖昧なんだけど、一度だけ、そのお店に連れてってもらったような気がしてる。父さんがビールを飲んでて、あたしは大きなグラスでオレンジジュースを飲んでる記憶なんだけど、もしかしたら近くの別の喫茶店かもしれない。

そんなこんなで、あたしは、石川先生にお返事を書いた。先生が送ってくださった寺山修司さんのエッセイを読んで、ずっと忘れていた記憶が蘇りました。渋谷の「有馬記念」というバーのような喫茶店のようなお店のことです‥‥ってことを書き、父さんに「馬」の字を報告したクダリを書き添えた。そしたら、すぐに先生から「偶然の連鎖」という件名の返信が届いたので、その一部を抜粋する。


偶然ですが、渋谷の有馬記念の経営者は物故していますが、その未亡人・Fさんが「お洒落して競馬を楽しむレディの集まり」という会を作り、その会合でスピーチしたのがきっかけで顧問になっています。
和装したご婦人たちがズラリと背中を見せて馬券発売機に並んでいる写真をJRAの会長に見せて以来、オークスなどには観戦室を利用できるようになっています。


‥‥とのこと。奥様は馬主でもあり、競馬会では有名な女性なんだけど、念のためにお名前の部分だけイニシャルに変更させていただいた‥‥ってなワケで、驚いていろいろとググッてみたら、ホントにお着物やドレスで上品にオシャレしたセレブたちが、東京競馬場のVIPルームでオークスを観戦してるブログ記事が何件かヒットした。その中の1つのエントリーによると、Fさんは「愛馬をオークスに出走させ、女性陣みんなで華やかに着飾ってパドックに立つのが夢」って書いてあった。なんてステキな夢なんだろう!あたしもがんばって、せめて「一口馬主」を目指そうと思った(笑)


‥‥そんなワケで、今回の「宝塚記念」の直前に石川先生とやりとりしたメールは、渋谷にあった「有馬記念」というお店が鍵になって先生とシンクロすることができた。あたし自身、30年以上も忘れてた記憶が蘇ったワケだし、これは絶対に「宝塚記念」と「有馬記念」とがシンクロしてるに違いない‥‥ってなワケで、あたしは、前回の「有馬記念」を制したオルフェーヴルが、今回の「宝塚記念」も制するって理解したワケだ。

だけど、ここまで分かってたのに、あたしはオルフェーヴルからは買わなかった。ナゼって、そりゃあもちろん的中しても配当が低いからだ。オルフェーヴルが勝つってことは、先行馬たちが差されるってことで、これほどの顔ぶれなら、2着も3着も強くて人気のある差し馬が入着する可能性が高い。そうなると、オルフェーヴルからの馬単を買っても配当は期待できないし、的中しても大して嬉しくない。

そこで、あたしは、石川先生の言うところの「心理的配当」を選択した。ネコパンチからの馬単を買っておけば、少なくとも3コーナーまで、展開次第では4コーナーまでドキドキワクワクできるし、ミラクルが起これば万馬券が的中だ。あたしの場合、もともとが「的中しそうな馬券」よりも「的中したら大変なことになる馬券」を買うタイプだから、こうした買い方のほうが楽しく観戦することができる。

だけど、先生とのメールのやりとりで浮上した「勝ち馬サイン」を見逃すのも悔しい。そこで、あたしが選択したのが、前回の「有馬記念」とまったくおんなじ組み合わせ、オルフェーヴル→エイシンフラッシュ→トゥザグローリーという3連単を買い足しておくことだった。これなら100円だけの出費で済むし、もしも的中したら「金銭的配当」だけでなく「心理的配当」も得ることができる。逆に、この馬券を買わずにこの組み合わせが来ちゃったら、悔やんでも悔やみきれない。これが、今回、あたしが買った馬券の秘密だ。


‥‥そんなワケで、「宝塚記念」の結果は、皆さんご存知の通り、1着が1番人気のオルフェーヴル、2着が2番人気のルーラーシップ、3着が6番人気のショウナンマイティ‥‥っていう、ある意味、あたしの予想通りの結果になり、あたしはと言えば、これまた予想通りに、3コーナーまではドキドキワクワクすることができた。そして、応援してたネコパンチは、ハレの舞台で全力疾走して真っ白に燃え尽きて「最下位」、別の言い方をすれば「ビリ」、さらに別の言い方をすれば「シンガリ」ってワケで、あたしは、すぐにこの俳句が頭に浮かんだ。


 百代の過客しんがりに猫の子も  楸邨


これは、猫が大好きだった俳人、加藤楸邨(しゅうそん)の有名な句なんだけど、残念なことに、俳句をやってない人は、ほとんどの人がこの句を正しく読むことができない。たいていは「百代の過客」を「ひゃくだいのかきゃく」と読んでしまう。これは、正しくは「はくたいのかかく」と読む。俳句をやってる人なら、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭でオナジミだろう。


 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」


もちろんコレも「つきひは『はくたいのかかく』にして、いきかうとしもまた、たびびとなり」と読む。で、問題の「百代の過客」だけど、「百代」ってのは「百代先まで」が転じて「とても長い期間」、これがまた転じて「永遠」という意味で、「過客」ってのは「通り過ぎて行く客人」、つまり「旅人」という意味。だから、芭蕉の序文は、「月日というものは私の前を次々と通り過ぎて行く永遠の旅人のようなもの、来ては去って行く年というものもまた同じ旅人のようなもの」って感じの意味になる。

ようするに楸邨は、この芭蕉の序文を踏まえた上で「猫の子」の句を詠んだワケだけど、実は芭蕉も、中国の唐の時代の詩人、李白の詩を踏まえて、この序文を書いてる。ちなみに、「楸邨」「芭蕉」と書いて「李白」と来ると、「楸邨」が「加藤楸邨」で「芭蕉」が「松尾芭蕉」だから、「李白」も「田中李白」みたいに何かの苗字がありそうに思うかもしれないけど、「李白」は名前じゃない。「李」が名字で「白」が名前なのだ‥‥っていうプチ情報も織り込みつつ先へ進むけど、この李白に『春夜宴桃李園序』っていう詩がある。日本語だと「春の夜、桃李園(とうりえん)に宴(えん)するの序」って読む。


 『春夜宴桃李園序』

 夫天地者萬物之逆旅 (それてんちはばんぶつのげきりょにして)
 光陰者百代之過客 (こういんはひゃくだいのかかくなり)
 而浮生若夢 (しこうしてふせいはゆめのごとし)
 爲歡幾何 (かんをなすこといくばくぞ)
 (以下略)


意味がチンプンカンプンな人でも、1箇所だけ気づいたことがあると思う。そう、「百代之過客」を「ひゃくだいのかかく」って読んでる点だ。ようするに、もともとの李白の詩では「ひゃくだいのかかく」だったんだけど、言葉の美しさを追求する芭蕉が「だ」という濁音を嫌い、おんなじ漢字でも「はくたいのかかく」という透明感のある読みに変えたってワケだ。だから、その芭蕉の序文を踏まえて詠まれた楸邨の句も、芭蕉とおんなじに「はくたいのかかく」と読むのがスジってことになる。

で、もともとの李白の詩だけど、これは、ザックリ言うと、「この世のすべてのものは仮の宿であり、月日というものは永遠の旅人である。人生とは夢のようなもので、楽しいことなどたいしてない」って感じの意味だ。この部分だけだと、ナニゲに投げやりっぽく聞こえちゃうだろうけど、この先もずっと続いてて、自分の弟子たちを集めて酒宴を楽しんでる様子を詠い、人生を謳歌する喜びを表現してる。

つまり、李白は、「この世のすべてのものは仮の宿であり、月日というものは永遠の旅人である。人生とは夢のようなもので、楽しいことなどたいしてない」、だから、「大いに楽しまなくちゃね」ってことを言ってるのだ。そして、この李白の詩を踏まえて書かれた芭蕉の序文、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」は、次のように続いてる。


 「舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。」


前半はさっき説明したけど、後半は「舟の上で生涯を過ごす船頭や、馬の轡(くつわ)を引きながら年老いて行く馬子などは、毎日が旅をしているようなものであり、旅そのものが家のようなものである」って感じの意味だ。だから、ザックリと言っちゃえば、「月日は永遠の旅人のように過ぎ去って行くのだから」っていう前提から、李白は「だから人生を謳歌しなくちゃね」って結論を引き出してるけど、芭蕉は「月日も旅人なら人生もまた旅である」っていう結論だ。

これぞ、自分の人生そのものを旅とした漂白の旅人、芭蕉ならではの解釈だけど、この芭蕉の序文を踏まえた楸邨の句も、おんなじように深い。楸邨は、俳人として自らが俳句を詠むだけでなく、国文学者として長年、芭蕉の研究も続けてきて、芭蕉に関する研究書も書いてるし、芭蕉の研究で「紫綬褒章」や「勲三等瑞宝章」を叙勲してるほどの芭蕉マニアだ。そんな楸邨が、芭蕉の代表的な『おくのほそ道』の序文を踏まえて詠んだ句なんだから、そこにはディープでインパクトな意味がある。


 百代の過客しんがりに猫の子も  楸邨


季語は「猫の子」で晩春になる。猫は2月から3月にかけての早春に発情期を迎えて、約2ヶ月で子どもを産む。だから、発情期を迎えた猫を指す「恋の猫」「猫の恋」って季語は初春で、生まれた「子猫」「猫の子」って季語は晩春になる。フランク・ザッパに言えば、どっちも春の季語なんだけど、立春を過ぎたばかりの寒々しい初春と、夏の到来を目前にした晩春では、そのイメージは大きく違ってくる。で、楸邨の句だけど、芭蕉の序文を踏まえてるってことは、キーワードはもちろん「人生は旅」ってことになる。

句の意味は、「つい、この前、立春を迎えたと思ったら、あっと言う間に桜が咲き、桜が散り、山の木々が青々としてきて、春も終わりを迎えようとしている。あれほどやかましく鳴いていた恋の猫たちが静かになったと思ったら、もう子猫が生まれたようだ。私の家の庭を通り過ぎて行く月日という旅人を眺めていたら、そのしんがりに生まれたばかりの子猫の姿が見えた」という感じ。

そして、芭蕉の序文を踏まえた句の鑑賞としては、「月日という永遠の旅人のあとをついて行く子猫もまた、これから人生の荒海へと旅立つ小さな旅人なのだ。いつどこで果てるとも知れぬ一度きりの旅が、今、始まったところなのだ」という感じだ。もちろん、これはあたしの鑑賞だから、あたしと感性の違う人が別の鑑賞をしても間違いじゃない。俳句は、読み手の数だけ鑑賞がある。


‥‥そんなワケで、あたしは、力尽きて最下位に沈み、最後にポツンと離れてゴールに向かってるネコパンチを見て、この楸邨の句が頭に浮かんだワケだけど、逆に1着でゴール板を駆け抜けたオルフェーヴルや2着のルーラーシップ、3着のショウナンマイティたち上位馬を見て、この競走馬たちこそが「百代の過客」なんじゃないかと思った。ゴール板を一瞬で駆け抜けて行く競走馬たちは、この世という仮の宿に遣わされた「旅人」なんじゃないか?

わずか2歳でデビューして、5年間ほどレースをして、引退して行く競走馬たち。中には10歳を過ぎても現役でがんばってる馬もマレにいるけど、反対にデビューしたばかりで故障してしまい、引退や安楽死になる馬もいる。現役時代に好成績を残せれば、引退後も繁殖馬としての保障された生活が待ってるけど、レース中や調教中の故障で、儚く旅を終える競走馬も多い。だけど、長くても、短くても、楽しくても、辛くても、すべては一度きりの「旅」なのだ。

西暦だけで言うと、李白は700年代前半の詩人で、芭蕉は1600年代後半の俳諧師で、楸邨は1900年代の俳人だ。つまり、李白の詩を1000年近く後の芭蕉が踏まえて序文を書き、その芭蕉の序文を300年近く後の楸邨が踏まえて俳句を詠んだってことになる。この繋がりを「百代の過客」と見るならば、多くの競馬ファンの瞼に思い出を焼きつけた名馬たちの子どもが活躍し、またその子どもが活躍している競馬の世界も、主役である競走馬が「百代の過客」ということになる。


‥‥そんなワケで、ディープインパクトの子どもたちが大量にデビューして、優秀な馬と期待ハズレな馬が振り分けられてる昨今だけど、今年はネコパンチの半弟のネコタイショウと、血縁はないけど馬主さんがおんなじネコイッチョクセンがデビューした。ネコタイショウはデビュー戦の途中で走るのをやめちゃったけど、幸いにも大きな故障じゃなかったからすぐに復帰できそうだし、ネコイッチョクセンはデビュー戦で4着に入賞した。東京シティー競馬には「ネコグンダン」「ネコダイスキ」「ネコセンプー」っていう馬がいるから、JRAでも「ネコ軍団」を作り、ネコパンチにはリーダーとして、ますますがんばってほしいと思う今日この頃なのだ!


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2012.06.21

ホッピ!ステッピ!ジャンピ!

日本列島も西から順に梅雨入りして、蒸し暑い日が続くようになってくると、あたしはキンキンに冷やしたホッピーが飲みたくなってくる。だけど、あたしが疎開してる西日本の西の端のほうって、あたしの大好きなホッピーがない。居酒屋さんに行っても、スーパーに行っても、酒屋さんに行っても、どこもホッピーを置いてない。ホッピーの「ホ」の字もない。

知らない人のためにザックリと説明しとくと、ホッピーってのは、焼酎を割るためのノンアルコールビールみたいなもんだ。茶色の可愛い330mlの小瓶に入ってて、スーパーとかで120円前後で売られてる。黒ビールの味がする黒ホッピーってのもあって、たいていは2種類が並んでる。

ホッピーは東京の港区赤坂にある会社が扱ってるから、東京では激しくメジャーな飲み物だ。特に東京の下町エリアでは、たいていの飲み屋さんにホッピーが置いてある。浅草には「浅草ホッピー通り」っていう飲み屋街もあるほどだ。下町のお店で飲むと、だいたい1杯300円くらいだ。安いお店は250円くらいだし、高くても350円くらいだから、ビールよりは遥かに安い。まさに「庶民の味方」だ。

ホッピー専用の中ジョッキには、下のほうに星のマークで3段階の印が付いてて、これを目安に焼酎を入れる。「濃い目」を注文すると、たいていはサービスで一番上の星マークよりもちょっと上まで焼酎を入れてくれる。もちろん料金は変わらない。通常のラインまで焼酎を入れると、ホッピー1本がちょうど入るんだけど、「濃い目」だとホッピーが入りきらなくて少しだけ瓶に残る。だから、まずはヒトクチ飲んで、少し減ったとこに残ったホッピーを注ぎ足す。

キンキンに冷やしたジョッキに、キンキンに冷やした25度の甲類焼酎を入れて、ここにキンキンに冷やしたホッピーを注ぐ。これがホッピーを飲む時の作法、「三冷の法則」だ。あたしが好きなのは、サワー用の大き目のグラスに焼酎を3分目くらいまで入れておき、これをホッピーと一緒にフリーザーに入れてキンキンに冷やしておく方法だ。こうしておくと、グラスの焼酎が0度以下になるから、ホッピーを注いだ時に泡の部分がシャーベット状に凍り、グラスの水面が流氷みたいになる。蒸し暑い夏の夜にはサイコーだ。

それなのに、嗚呼それにのに、それなのに‥‥ってなワケで、ここで冒頭に輪廻しちゃうけど、あたしが疎開してる西日本の西の端のほうって、あたしの大好きなホッピーがない。居酒屋さんに行っても、スーパーに行っても、酒屋さんに行っても、どこもホッピーを置いてない。ホッピーの「ホ」の字もない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、去年の夏、姫路でもホッピーを飲んだし、岡山でもホッピーを飲んだけど、広島で行ったお店ではビールを注文したし、そのお店のメニューにはホッピーがなかった。だから、兵庫県と岡山県にホッピーがあることは確認してるけど、広島県にはあるのかないのか分からない。そして、山口県には、あたしの知る限りどこにもないし、九州の福岡県にもないし、長崎県にもないし、大分県にもない。もちろん、これは、「あたしの知る限り」の話なので、置いてるお店もあるとは思うけど、少なくとも東京みたいに「どこに行っても置いてる」ってほどメジャーじゃない。

それで、あたしは、どうしてもホッピーが飲みたくなって、とうとう通販で注文しちゃった。330mlのホッピーの24本入りが2500円ちょい、送料が500円ほどで、合計3000円くらいだったから、1本あたり125円、東京のスーパーで買うのと変わらない値段だった。ちなみに、あたしが注文したとこは「2ケースまで送料500円」だったので、2ケース注文すれば1本あたりの単価は安くなる。

で、やっと届いたホッピーをキンキンに冷やして、焼酎もキンキンに冷やして、グラスもキンキンに冷やして、刻んだミョウガをたっぷりと乗せた冷奴をおつまみにして、クイッと1杯!もう、たまんない!母さんも「懐かしい味!」って言って喜んでくれて、2人で久しぶりの晩酌を楽しんだ。

あたしはもともと、焼酎を第3のビールや発泡酒で割って飲むのも好きなんだけど、ホッピーはその名の通り「ホップ」の味と香りが売り物だから、第3のビールや発泡酒で割るよりもビールっぽい味になる。ホップの味が濃いから、焼酎を濃くしてもクイクイと飲める。そして、焼酎を濃くすれば大量に飲まなくても酔えるから、結果的に安上がりってワケだ。


‥‥そんなワケで、数日前のこと、お風呂上りにホッピーを飲もうと思って、冷蔵庫に入れておいたホッピーを1本、フリーザーに移した。お風呂は30分くらいでササッと済ませるつもりだったんだけど、グラスに焼酎を入れたのまでフリーザーに入れると冷えすぎて凍っちゃうかも知れないと思って、とりあえずホッピーだけをフリーザーに移したのだ。

だけど、これがすべての「終わりの始まり」だった。湯舟に浸かってのんびりと本を読んだあたしは、お風呂から上がったと同時に母さんから用事を頼まれて、その用事のために知り合いに電話して、そのあとにメールのチェックをしてるうちに、フリーザーに移したホッピーのことを完全に忘れちゃったのだ。そして、翌日の朝、普通に朝ごはんを食べて、お昼に近くなったころにアイスコーヒーを作って飲もうと思って、ナニゲなくフリーザーの扉を開けたあたしは‥‥ってなワケで、ここから先は、その瞬間の衝撃を正確にお伝えするために、その時のつぶやきを紹介する。


「きっこさんのつぶやき」
冷凍室の下の段に溶けて固まった熔岩みたいな不気味な物体を発見!ゆうべお風呂上りにキンキンに冷えたホッピーを飲もうと思って冷蔵室から冷凍室へホッピーを1本移動したのに、お風呂で本を読んでるうちに忘れちゃって、夜中にホッピーが凍って爆発して、泡とガラス片が一体化した新型ポケモン誕生!
2012.06.18 10:59


冷凍庫のホッピーの瓶、瓶の底が抜けるように割れてるのに、首のほうも根本から折れて木端微塵になってた。胴の部分だけが5cmくらい筒状に残ってたから、たぶん上下が一度にふっ飛んだんだと思う。恐るべし!あたしのウッカリ!
2012.06.18 12:47


‥‥そんなワケで、あたしは、何年か前に、フリーザーで冷やしておいた「のどごし生」のことをコロッと忘れちゃって、翌日にパンパンに膨れ上がった500mlの缶を発見して、「あちゃ~!」って思いつつ冷蔵庫へ移動して、完全に溶けてから飲んだことを思い出した。そして、「菅はまだマシだけど野田は最悪」‥‥じゃなくて、「缶はまだマシだけど瓶は最悪」ってことを学習した。そして、二度と同じアヤマチを繰り返さないように、学習したことを脳内のジャポニカ学習帳にシッカリと書き込んだ。

それなのに、嗚呼それにのに、それなのに‥‥ってなワケで、本日二度目の俳句調の嘆きが飛び出しちゃうほど、あたしのウッカリは止まらなかった。脳内のジャポニカ学習帳にシッカリと書き込んだのにウッカリが止まらないなんてスッカリ雲行きが怪しくなってきた今日この頃なので、これまた今日のつぶやきをご紹介しようと思う。


「きっこさんのつぶやき」
スーパーに行きたいんだけど雨だしなあ‥‥と思ってたら雨がやんだ→買い物に行くチャンス!と思ったがお財布には千円札が1枚しかない→先にコンビニに行ってATMでお金をおろしてからスーパーに行くことにする→原チャリで出発したトタンにコロッと忘れてコンビニに寄らずにスーパーへ→
2012.06.21 14:21


→千円札が1枚しかないことなど忘れて必要なものをどんどんカゴに入れていく→レジでお会計の段になってようやくコンビニに寄るのを忘れてたことに気づく→ピッ!ピッ!ピッ!っとレジの金額が上がっていきとうとう1000円を突破!カゴの中にはあと2つの商品→祈るような気持ちで金額を見続ける→
2012.06.21 14:22


→合計1325円!→お財布には千円札が1枚と小銭が少々→あせって小銭を数えると320円!なんてこった!5円足りないオーマイガー!→そうだ!クレジットカードで支払えばいいんだ!→レジにVISAのシールが貼ってあったのでVISAカードをお財布から引き抜こうとする→
2012.06.21 14:23


→カード入れに何かがはさまってるような変な感触→カードの入ってたとこを見ると中に5円玉が!→無事に現金で支払い完了!→スーパーを出て「帰りにコンビニに寄ってお金をおろそう」と思いながら駐輪場へ→原チャリで出発したトタンにコロッと忘れてコンビニに寄らずに帰宅←今ココ
2012.06.21 14:24


こないだはお風呂上りに飲もうと思ってホッピーをフリーザーに入れたことを忘れて爆発させちゃったし、今日はコンビニに寄るのを2回も忘れちゃったし、あたし、ちょっとヤバイかも?でも、国民に約束したことをぜんぶ忘れて正反対のことばかりしてる野田よりはマシか!(笑)
2012.06.21 14:57


‥‥そんなワケで、「野田よりはマシか!(笑)」なんて言って余裕を見せちゃってるけど、野田の場合は忘れてるんじゃなくて「忘れたフリ」をしてるだけなんだから、ある意味、あたしのほうがヤバイ。40歳になるまで、まだ半年もあるのに、すでに30代のうちからボケ始めちゃったのか?これはマジでヤバすぎる!

そこで、あたしは、おトイレの中の本棚に置いといたパンフレットを取ってきた。今年の1月ころだったか、郵便局に行った時に、大好きな「ちびまる子ちゃん」の絵が描いてあるパンフレットがあったから、内容に関係なくもらってきたものだ。表紙には、まるちゃん一家が並んでて、「単なるもの忘れと認知症は違います」ってタイトルが大きく書いてあって、その下には、こんなことが書いてある。


「食べたメニューを思い出せないのは、もの忘れ」

「食べたこと自体を思い出せないのは、認知症の疑いがあります」


ようするに、公共機関が発行してる認知症に関するパンフレットだ。あたしは、このパンフレットをもらってきた時、今朝食べたもの、ゆうべ食べたもの、昨日のお昼に食べたもの、昨日の朝食べたもの、一昨日の夜、一昨日の昼、一昨日の朝‥‥って思い出してってみたんだけど、3日前までは思い出すことができた。だから余裕だった。今だって、今日食べたもの、昨日食べたもの、一昨日食べたもの、ぜんぶ言える。

それなのに、嗚呼それにのに、それなのに‥‥って、すでに本日三度目だけど、なんでフリーザーに入れたホッピーを忘れちゃったのか?なんでコンビニに寄るのを行きも帰りも忘れちゃったのか?それに、「フリーザーに何かを入れたんだけど、何を入れたのかが思い出せない」とか「コンビニに寄ることは覚えてるんだけど、どんな用事だったのかが思い出せない」とかなら「食べたメニューを思い出せないのは、もの忘れ」ってことになるけど、「フリーザーに何かを入れたこと自体を忘れた」とか「コンビニに寄ること自体を忘れた」とかってのは「食べたこと自体を思い出せないのは、認知症の疑いがあります」って風味がする。

「認知症」や「アルツハイマー」は高齢者だけの病気じゃなくて「若年性」のケースもある。だから、まだまだ見かけは20代後半(当社比)のあたしだって、こうした病気を発症する可能性はゼロじゃない。そこで、あたしは、このパンフレットに書いてあった「認知症 早期発見のめやす」ってのをやってみた。以下の20の項目で、自分が思い当たるものに印を付けていくってものだ。せっかくだから、皆さんもやってみてほしい。これは、自分のことだけじゃなくて、自分の家族に「もしかしたら‥‥」と思う人がいたら、その人のことを思い浮かべてやってみることもできる。


「認知症 早期発見のめやす」
1.今切ったばかりなのに電話の相手の名前を忘れる。
2.同じことを何度も言う、問う、する。
3.しまい忘れ置き忘れが増え、いつも探し物をしている。
4.財布・通帳・衣類などを盗まれたと人を疑う。
5.料理・片付け・計算・運転などのミスが多くなった。
6.新しいことが覚えられない。
7.話のつじつまが合わない。
8.テレビ番組の内容が理解できなくなった。
9.約束の日時や場所を間違えるようになった。
10.慣れた道でも迷うことがある。
11.些細なことで怒りっぽくなった。
12.周りへの気づかいがなくなり頑固になった。
13.自分の失敗を人のせいにする。
14.「このごろ様子がおかしい」と周囲から言われた。
15.ひとりになると恐がったり寂しがったりする。
16.外出時、持ち物を何度も確かめる。
17.「頭が変になった」と本人が訴える。
18.下着を替えず、身だしなみを構わなくなった。
19.趣味や好きなテレビ番組に興味を示さなくなった。
20.ふさぎ込んで何をするのも億劫がり、いやがる。


ちなみに、これは、「いくつまでならOK」とか「いくつ以上は認知症の疑い」っていう明確な答えがあるワケじゃない。パンフレットに書いてあるのは、「日常の暮らしの中で以下のいくつかに思い当たることがあれば、最寄りのお医者さんや地域包括支援センターに相談しましょう」って書いてあるだけだ。だから、たとえ1つだけしか該当しなくても、それが14番や17番なら、当然、お医者さんに相談したほうがいいと思う。

あたしの場合は、完全に「○」が付く項目は1つもなかったけど、「△」が付くのが1つあった。3番だ。あたしは「しまい忘れ置き忘れ」も増えてないし「いつも探し物をしている」ワケでもないけど、今回の「ホッピー爆発事件」は「しまい忘れ」の反対の「出し忘れ」だし、「コンビニ連続スルー事件」は「置き忘れ」に似た「寄り忘れ」なんだから、ナニゲに「△」が付くと思う。

あとは、計算が苦手でミスが多いのはモトモトだし、新しいことがなかなか覚えられないのもモトモトだし、話のつじつまが合わないのもモトモトだし、慣れた道でも迷っちゃうのもモトモトだから、これは病気じゃなくてあたしの「個性」だ。だから、項目に該当するけど印は付けなくていいと思う。

でも、11番の「些細なことで怒りっぽくなった」に関しては、思い当たるフシがある。3.11以降、あたしは確実に怒りっぽくなった。もちろん、これは、原発事故によって仕事や生活やこれまで積み上げてきたものの大半をメチャクチャにされた怒り、そんな犯罪者の東電を守り、被害者である国民をナイガシロにする野田政権への怒りが原因だから、認知症の兆候じゃないと思う。

つまり、この「認知症 早期発見のめやす」によれば、あたしはセーフ!どう見てもセーフ!完全にセーフ!‥‥ってワケで、何の心配もいらないことになる。だけど、「ホッピー爆発事件」と「コンビニ連続スルー事件」の衝撃が、この「認知症 早期発見のめやす」の結果だけで解消されるワケがない。ふだんから「もの忘れ」や「ド忘れ」が多くて、毎日のようにウッカリミスを連発してる人だったら「いつものことね」で済んじゃうだろうけど、あたしはそれほど忘れっぽくない。どっちかって言うと、記憶力はいいほうだ。


‥‥そんなワケで、あたしは、「もともと計算が苦手」とか「原発事故のせいで怒りっぽくなった」とかみたいにハッキリとした理由がない限り、「ホッピー爆発事件」と「コンビニ連続スルー事件」ていう2つの大事件をオザナリにすることはできないのだ!‥‥って思って不安になってたら、母さんが心配して「どうしたの?」って聞いてきたので、あたしは「最近、ひどいもの忘れが続いてて‥‥」って打ち明けた。そしたら母さんは、「こないだ冷奴にミョウガをたくさん乗せて食べたからじゃない?」って言って笑い出した。あたしもおかしくなって一緒に大笑いしたら、不安だった気持ちがフッと軽くなった。人生の大先輩の母さんにかかると、あたしの悩みなんて、お豆腐に乗った薬味程度のものだと分かった今日この頃なのだ(笑)


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2012.06.08

「豚に真珠」か「豚と心中」か

大飯原発の再稼働に反対する抗議行動は各地で行われてるけど、目下のところ、首相官邸前での抗議行動が一番大きなウネリになってる。やっぱり、野田首相が「私が判断する」と言ったことが原因だろう。

昨日の6月7日は「原発いらない福島の女たち」が首相官邸前に横たわる「ダイイン」で抗議を行なった。加藤登紀子さんや社会学者の上野千鶴子さんたちも応援に駆け付け、詩の朗読や踊りなど女性らしいパフォーマンスで「脱原発」や「再稼働反対」を訴えた。あたしはUstreamの中継を観てたけど、福島からきたお母さんの1人が、「野田首相!私たちは1年以上も、辛く、苦しく、悲しい日々を送ってきました!この苦しみは、これからもずっと続いて行くんです!こんな思いをするのは私たちで最後にしてほしい!」と涙ながらに訴えた言葉が胸に突き刺さった。

そして今日、6月8日は、野田首相が夕方の会見で再稼働を宣言すると予告したもんだから、先週の6月1日の2700人を大きく超える4000人が集まった。午後6時になり、スピーカーから野田首相の会見の音声が流れ始めると、最初は静かに聞き入っていた人たちも、すぐに騒然とし始めた。野田首相が「福島を襲ったような地震、津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています」と言った辺りからだ。

そして、「もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています」と言ったところで、あちこちから「嘘をつけ!」「ふざけるな!」「恥を知れ!」という罵声が飛び出し始め、アッと言う間に「再稼働反対!再稼働反対!」というシュプレヒコールが巻き起こった。野田首相の会見は始まったばかりだったが、もはやその声は誰の耳にも届かない。4000人のシュプレヒコールが首相官邸前を席巻した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、首相官邸前に集まった4000人を始め、全国の数えきれないほどの人たちを大激怒させた野田首相の会見の全文を披露する。だけど、最初に断っとくけど、血圧の高い人は読まないほうがいいと思う。低血圧のあたしでさえ、あまりの怒りに脳の毛細血管が何十本かブチ切れたから、もともと血圧の高い人の場合は、大変なことになっちゃう可能性があるからだ‥‥ってなワケで、ちょっと長いけど、コレがツッコミどころ満載で、支離滅裂で、矛盾と詭弁が入り乱れてる野田首相の会見の全文だ。


【野田首相が棒読みした官僚の作文】

本日は大飯発電所3、4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。

4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体の御理解を得るべく取り組んでまいりました。夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければならない時期が迫りつつあります。国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。

その具体的に意味するところは2つあります。国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています。

これまで1年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。

その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進展することを強く期待をしています。

こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。その間、専門職員を要する福井県にも御協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置いたします。

なお、大飯発電所3、4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります。

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかもしれません。しかし、関西での15%もの受給ギャップは、昨年の東日本でも体験しなかった水準であり、現実的には極めて厳しいハードルだと思います。

仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。東日本の方々は震災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。計画停電がなされ得るという事態になれば、それが実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱をしてしまいます。

そうした事態を回避するために最善を尽くさなければなりません。夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。更に我が国は石油資源の7割を中東に頼っています。仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります。

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費時に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。その上で、特に立地自治体の御理解を改めてお願いを申し上げたいと思います。御理解をいただいたところで再起動のプロセスを進めてまいりたいと思います。

福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よくよく理解できます。しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。

一方、直面している現実の再起動の問題とは別に、3月11日の原発事故を受け、政権として、中長期のエネルギー政策について、原発への依存度を可能な限り減らす方向で検討を行ってまいりました。この間、再生可能エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。

これは国の行く末を左右する大きな課題であります。社会の安全・安心の確保、エネルギー安全保障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、政府として選択肢を示し、国民の皆様との議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

また、原子力に関する安全性を確保し、それを更に高めていく努力をどこまでも不断に追及していくことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。

私からは以上でございます。


‥‥そんなワケで、あまりの支離滅裂さに、開いた口からエクトプラズムが抜け出して幽体離脱しちゃった上に窓から恐怖新聞が届きそうなイキオイなんだけど、ここまでメチャクチャだと1つ1つツッコミを入れてるヒマがない。だからザックリと行くけど、まずは首相官邸前に集まった4000人を激怒させた問題の部分だ。


「国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています」


この部分でのポイントは、「国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります」っていう前置きから入れば、普通は「だから原発は再稼働しません」「脱原発を目指します」ってなるのが当たり前の流れなのに、この前置きから強引に「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています」っていう大嘘へと繋げたことだ。

関電がたった2日で作った安全対策の工程表には、外部電源が喪失した場合の予備の電源を作る計画だの、原子炉にベントフィルターを設置する計画だの、地震や津波に強い免震事務棟を造る計画だの、他にもいろいろな安全対策に関する計画が書かれてる。だけど、その大半は「これからやります」っていう予定の話であって、現時点では「絵に描いた餅」だ。

たとえば、外部電源が喪失した場合の予備の電源については「平成25年12月完了予定」って書かれてる。つまり、来年の12月までに、もしも外部電源が喪失するような事故が起こったらお手上げ状態になるワケだ。原子炉にベントフィルターを設置する計画にしても「27年設置予定」、つまり、3年後までに福島第一原発と同様の事故が起こったら、ベントで原子炉内の圧力を下げることができずに、福島第一原発を超える大爆発が起こることになる。

そして、事故が起こった場合に最も重要になる免震事務棟に至っては、「平成27年に運用開始できるように検討を進めていく」って書かれてるだけだ。「平成27年に運用開始予定」でも遅すぎるのに、これから「検討を進めていく」ってんだからシャレにならない。今、福島第一原発が何とか持ちこたえてるのは、この免震事務棟を作業員たちの前線基地として使っているからで、これがなければ始まらないのだ。

こんな状態なのにも関わらず、野田首相は、平然とこうノタマッた。


「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています」


その上、こんなことまで付け足した。


「もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています」


もう、完全に意味が分からない。安全対策の工程表に書かれてる内容の大半は「これから何年後かまでに対応する」ってワケで、今現在は「工程表に書かれた安全対策のほとんどができていない状態」なのに、野田首相は胸を張って「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています」と言い切った。去年の12月に、溶け落ちた核燃料がどこにあるのかも分からない状態で、大量の放射性物質を垂れ流してる状態で、「福島第一原発の原子炉の事故そのものは収束しました」って宣言したのとおんなじフレーバーだ。

その上、「もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています」と来たもんだ。すべての電源が失われても炉心が無事だって言うのなら、福島第一原発の1号機から3号機までの炉心は何が原因で溶け落ちたんだよ?それ以前に、「確認されています」って、いつどこで確認されてるんだよ?だいたいからして、すべての電源が失われても炉心は損傷しないって言うのなら、非常用電源なんか必要ないじゃん。

そして、このトンチンカンな安全宣言に続くのが、次の責任転嫁だ。


「勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています」


おいおいおいおい!今「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています」って言い切ったばかりなのに、今度は「最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています」って、電力会社に丸投げして、これから実施するように指示をしたってこと。つまり、今はまだ何も実施してないってことじゃん!

そして、トドメのひとことが炸裂!


「こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります」


なんじゃこりゃ~!さっきは胸を張って「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています」って断言したクセに、その自分の断言を「政府の安全判断の基準は暫定的なもの」だから「新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していく」って、ふざけんのもタイガイにしろってんだよ!ようするに、これで再稼働して大地震が起こって福島を超える大惨事になった場合に、「野田首相は地震や津波が起こっても事故を防止できる対策と体制が整っていると言ったじゃないか!」って文句を言うと、「私はあくまでも政府の安全判断の基準は暫定的だと言っておいたはず」って言って逃げることができるってスンポーだ。この自己防衛のための布石、シビレちゃうねえ。


‥‥そんなワケで、他にもツッコミどころは満載だけど、とにかく「再稼働ありき」のシナリオに沿って進められてきた茶番劇だから、「電力不足」も「経済の問題」もすべてはアトヅケの理由でしかない。だいたいからして、関電は企業秘密だからとデータの詳細を公表せずに「15%の不足になる」って言ってるワケで、その前には「20%の不足になる」、その前には「12%の不足になる」、その前には「7%の不足になる」って言ってた。去年の暮れから5月までの半年間に、5回も数字を変更してるのだ。こんなもん信用できるか!

それ以前に、関電は、もともと「今年の夏が一昨年並みの猛暑になった場合、真夏のピーク時に15%ほどの電力不足になる可能性がある」って言ってたはずだ。そして、そのあとに、気象庁が今年の夏の長期予報を発表した。気象庁によると今年の夏は「東日本は例年並みか例年以下、西日本は例年並み」ってことだそうだ。つまり、この時点で、もう電力不足は回避されたってことになる。ま、予想はあくまでも予想だから、この通りにはならないかもしれないけど、少なくとも「一昨年並みの猛暑」になる可能性は極めて低くなったワケだ。

仮に、今年の夏が一昨年並みの猛暑になったとして、関電のインチキ試算を鵜呑みにしたとしても、15%ほどの電力不足になるのは真夏のピーク時、昼間の2~3時間だけの話だ。それなのに、今日の会見で野田首相は「仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます」って、アホか?朝から晩まで何日間も停電してれば多くの人が困るだろうけど、1日のうち事前に分かってる時間帯の2~3時間だけの停電で「働く場がなくなってしまう人もいます」ってバカじゃないの?

原発事故のせいで、働く場どころか、家も故郷も奪われてしまった人たちが数えきれないほどいるのに、よくもまあこんなセリフを口にできたもんだよ、まったく!いくら官僚が書いた作文を棒読みしてるだけだからって、ほんのわずかでも原発事故の被害者たちのことが頭の片隅にでもあれば、こんな無神経なセリフなんて口にできるワケがない。


‥‥そんなワケで、「原発依存からの脱却という野田政権の大きな目標は決して揺るがない」と言いつつ、手を変え品を変え原発を推進してる野田首相だけど、今日の会見で一番言いたかったことは、次の部分に尽きると思う。


「夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません」


大阪市の橋下徹市長が「電力不足になるという夏場だけの再稼働なら容認する」って言ったことに対して、野田首相は、今度は「電力不足」じゃなくて「燃料費の問題」を引っ張り出してきて、夏場だけじゃない「今まで通りの通年稼働」をゴリ押ししてきたってワケだ。昔から「きっこのブログ」を読んでる賢明なる読者諸兄なら、「火力よりも原子力のほうが発電コストが安い」ってのは原発推進派によるトリックだってことをご存知だと思う。原発の発電コストは、膨大な量の使用済み核燃料の処分費用を計上しないで計算してるから火力よりも安くなってるだけで、10兆円とも20兆円とも言われてる使用済み核燃料の処分費用もプラスして試算すると、発電コストは火力よりも高くなる。

福島第一原発がお手上げ状態なのにも関わらず、こんな子ども騙しのトリックを使ってまで大飯原発を強引に再稼働しようとしてる意味は、今日の会見の次の言葉にすべて集約されている。


「なお、大飯発電所3、4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります」


そう、野田政権が目指しているのは、大飯原発の再稼働ではなく、日本中すべての原発の再稼働であり、大飯原発はその免罪符に過ぎないのだ。とにかく、どれほど強引なやり方でも構わないから大飯原発を再稼働させ、次に四国の伊方原発、次に北海道の泊原発、次に九州の玄海原発と、ドミノ倒しのように再稼働して行き、ゆくゆくは青森の大間原発や山口の上関原発の建設計画も復活させようと目論んでいるのだ。これは、経産省の内部資料に明記してあることだ。こんなことを水面下で計画しているクセに、国民に対しては平然と「原発依存からの脱却という野田政権の大きな目標は決して揺るがない」と言ってのける二枚舌ぶり。


‥‥そんなワケで、あまりにもミゴトな「再稼働ありき」の茶番劇だけど、すべては経産省の官僚が書いたシナリオだから、少しでもシナリオをジャマするものが現われると、身内を総動員して潰しにくる。たとえば、2日前の6月6日のこと、こんなニュースがあった。


「大飯原発、地表ずれる可能性 「早急に現地調査を」 専門家指摘」
再稼働問題で注目される関西電力大飯原発(福井県)で、敷地内を走る軟弱な断層(破砕帯)が近くの活断層と連動して動き、地表がずれる可能性があるとの分析結果を渡辺満久東洋大教授(変動地形学)と鈴木康弘名古屋大教授(同)が6日まとめた。渡辺教授は「原子炉直下を通る破砕帯もあり、早急に現地調査すべきだ」としている。原子炉直下の破砕帯が動いて地表がずれると、安全上重要な設備を損傷させる恐れがあるため、原発の立地場所として不適格となる可能性もある。
http://www.47news.jp/47topics/e/230072.php


原子力ムラの懲りない面々にしてみれば、ようやく野田首相の再稼働宣言にまでこぎつけたとこなのに、こんなことでジャマされたらシナリオが台無しになっちゃう。そこで経産省は子分の原子力安全・保安院を使い、ソッコーでこの発表を潰しに出た。


「大飯原発地下の断層、保安院が活動の可能性否定」
政府が再稼働を目指す関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の敷地の地下にある断層が活動する可能性を専門家が指摘した問題で、経済産業省原子力安全・保安院は7日、「断層の上にある地層は変形しておらず、活動性はない」と否定した。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120608-OYT1T00293.htm


6日に発表したら翌日の7日に否定、まさに電光石火の神業で、これも「6月8日に野田首相が再稼働宣言をする」っていうシナリオを成立させるための強引な手法だ。だって、専門家たちは「敷地内を走る軟弱な断層(破砕帯)が近くの活断層と連動して動き、地表がずれる可能性がある」って指摘してるのに、原子力安全・保安院の反論は「断層の上にある地層は変形しておらず、活動性はない」って、よく読むとおかしくない?専門家は「地表がずれる可能性がある」って「将来的な可能性」を指摘してるのに、保安院は「地層は変形しておらず、活動性はない」って「現在までのこと」を言って否定してるんだよ。どう考えてもおかしいじゃん。

その上、保安院は、全国の原発の中で事故が起こる可能性が高いワースト5に数えられてる美浜原発2号機についても「40年を超えて運転しても問題ない」って言うトンデモ認可まで出しちゃった。これは、敦賀原発を立地する敦賀市の市長で、「全国原子力発電所所在市町村協議会」の会長で、原発関連の議員に公費でカニを贈ってたことでもオナジミの河瀬一治が、自分のとこの敦賀原発1号機が40年を超えて使えなくなっちゃったために、「特例を認めろ!」って騒いでたことに由来してる。ようするに、この「老朽化した原発の特例措置」ってのも、1つを認めて、あとはナシクズシ的に認めちゃおうって腹なのだ。


‥‥そんなワケで、まだまだ言いたいことはマウンテンだし、「再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います」ってセリフにも呆れ返ってるんだけど、これ以上書いてるとあたしの血圧も高くなりすぎちゃうから、今日はこの辺にしとこうと思う。とにかく、あたしが言いたいことは、こんな人のデタラメな判断の巻き添えになるのなんてマッピラだってことだ。軟弱な断層の真上にある、何の安全対策も行なってない原発を野田首相の判断なんかで再稼働して、もしも大地震が起こったら、「豚に真珠」じゃなくて「豚と心中」だ!冗談じゃない!‥‥ってなワケで、野田首相とおんなじ民主党の川内博史議員のツイートを紹介して終わりにしようと思う今日この頃なのだ。


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kawauchihiroshi (川内 博史)
総理は「電気代が上がると、中小企業や家計、産業に打撃がある。だから再稼動」と言った。消費大増税は、どうなんですか?総理の発言は、ご都合主義も極まれりだ。行政の長としての発言ではない。それぞれの担当の官僚の振付通りだ。だから発言に矛盾が生じる。目を覚まして欲しい。野田佳彦さん。
2012.06.08 22:22
http://twitter.com/kawauchihiroshi/status/211085674265313280


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2012.06.02

富士山が噴火する日

5年くらい前だったかな?当時のNHK教育テレビ、今で言うEテレの「高校講座・地学」の伊藤孝先生から、「ハワイは毎年数センチずつ日本に近づいている。これはハワイの乗っている太平洋プレートが北西の方向へ移動しているからだ」というお話を聞いた。「ひょっこりひょうたん島じゃあるまいし、島が動いてるなんて!」って、あたしは驚いたんだけど、これは、現在のハワイの地図を見れば一目瞭然の事実なのだ。

ハワイって、有名なのは、ハワイ島、マウイ島、オアフ島くらいだけど、他にもたくさんの島があって、ぜんぶで19の島と環礁で構成されてるので、正確には「ハワイ諸島」ってことになる。で、この19の島と環礁を地図で見ると、南東から西北に向かって、ミゴトなまでに一直線に並んでるのだ。これは、ハワイ諸島が、マントルから噴き出したマグマによって作られたことを表わしてる。

ものすごくフランク・ザッパに説明すると、海底にはホットスポットと呼ばれてる「マグマの噴き出しやすい場所」があって、そこから大量のマグマが噴き出して、海水で冷めて固まりながら火山ができ、どんどん噴火して1つの島が誕生した。しばらくして噴火はおさまったけど、ホットスポットの位置は変わらないのに太平洋プレートは北西の方角へ1年に数センチずつ移動してるから、気が遠くなるほどの長~~~~い年月を経て、誕生した島は最初の場所からずいぶん北西に移動しちゃった。

だけど、ホットスポットの位置は変わらないから、そこから次の噴火が起こって2つめの島が誕生すると、最初にできた島と次にできた島とが仲良く並ぶことになる。そして、また気が遠くなるほどの長~~~~い年月を経て、2つめの島がずいぶん北西に移動したころに、またまた次の噴火が起こって3つめの島が誕生し‥‥ってことが繰り返されてったワケだ。こうして、長い長い年月をかけて19の島と環礁が一列に作られたワケだけど、最初の島が誕生してから一番新しい島が誕生するまでにものすごい時間差があるから、最初に誕生した島が最も波の浸食を受けることになる。そのため、一列に並んだハワイ諸島は、誕生が古い北西の島ほど小さくて、誕生が新しい南東の島ほど大きくて、まるでカルガモの親子のように並んでるってワケだ。

で、少しずつ日本に近づいてきてるハワイだけど、いったい、いつごろ日本に到着するのかって言えば、ハワイから日本までの距離が約6000キロで、太平洋プレートの移動速度が100万年で50キロ前後って言われてるから、割り算をすれば「約1億2000万年後」ってことになる。でも、正確に言えば、ハワイは日本に到着する手前で、海へと沈んでく。日本が乗ってるユーラシアプレートよりも密度が高くて重たい太平洋プレートは、ユーラシアプレートの下へともぐり込むように沈んでく今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「日本」のことをずっと「ニポン」て書いてきたあたしだけど、最近は読者層もビミョ~に変わってきたし、新しい読者にいちいち説明するのもメンドクサイヤ人になってきたから、特別な場合を除いて、普通に「日本」て書くことにした。で、とっても面白いハワイ誕生の話だけど、これとよく似た話が、ナナナナナント! ニポンにもあったのだ!‥‥って、さっそく「ニポン」て書いちゃったけど、「驚きを表わす」っていう特別な場合なので許してほしい。

皆さん、ご存知の通り、この日本も火山の多い国で、火山の噴火によって作られた地形や変形した地形も多い。日本一の富士山だってレッキとした火山で、もともとは今よりも小さな小御岳(こみたけ)っていう火山だった。で、今から10万年くらい前に、この小御岳とお隣りの愛鷹山(あしたかやま)との間の大地から大噴火が起こり、これが今の富士山の原型の「古富士火山」になったのだ。

富士五湖にしても、もともとは富士二湖だった。古富士火山の北側に「古せの湖(せのうみ)」っていう巨大な湖があって、東側には「宇津湖(うつこ)」っていう2まわりくらい小さい湖があった。そんなある日のこと‥‥って言っても、今から1万年くらい前だけど、古富士火山の山頂から新富士火山の噴火が始まった。この噴火で、それまで3000メートルくらいだった富士山は現在の3776メートルにまで大きくなり、周囲に流れた溶岩流は、2つの湖にも流れ込んだ。これによって、巨大な「古せの湖」は4つに分かれて、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖ができあがった。「宇津湖」は2つに分かれて、山中湖と忍野ができあがった。

細かいことを言えば、一気に富士五湖ができあがったんじゃなくて、長い年月をかけてのアレコレがあるんだけど、そこまで説明してると長くなっちゃうから、ここではザックリした把握で先へ進もうと思う‥‥ってなワケで、ここまでに書いてきたことは、誰かがタイムマシンに乗って10万年前とか1万年前とかに行って見てきた話じゃない。伊藤孝先生みたいな専門の研究者が、地層とか溶岩流の跡とかを調べて導き出した推測だ。もちろん、ほぼ正解だと言えるほど精度の高い推測だから、「現実に起こったこと」として認識しといて間違いない。

ようするに、10万年前には富士山は存在しなかったワケで、10万年前から1万年前までの間に数々の噴火が繰り返されて、そして、今の富士山ができあがったってワケだ。もちろん、これは富士山だけの話じゃなくて、日本は火山列島なんだから、これとおんなじようなことは日本のあちこちで起こってきた。だから、あたしは、最低でも10万年は監視が必要な「使用済み核燃料の地層処分」に大反対してる。いつ噴火するか分からない火山だらけの国に深い穴を掘って大量の使用済み核燃料を埋めちゃうなんて、まるで自分の家の庭に地雷を埋めるような話だからだ。


‥‥そんなワケで、使用済み核燃料の話を始めちゃうと大幅にダッフンしちゃうから、サクッと元の話の車線を戻すけど、実際の富士山の誕生について軽く説明した上で突入しちゃうのは、やっぱりあたしの大好きな妄想の世界だ。現実の富士山の話から非現実の富士山の話へとパンサーチェンジしちゃう。あ、「パンサーチェンジ」ってのは「豹変」のことね(笑)‥‥ってなワケで、こないだもチョコっと書いたけど、日本には八百万(やおよろず)の神様がいるから、日本一の富士山には、当然、神様の中でもトップクラスの神様、神様オブ神様がいる。

日本の八百万の神様の中には、手のひらに乗るほどの小さな神様もいるけど、「ギリシャ神話」の巨神たちに負けないほど巨大な神様もいる。そうした大きな神様の中でも、日本一の富士山をツカサドッてる神様は、特に大きかった。ハッキリと「身長何百メートル、体重何万トン」なんて円谷プロの「怪獣図鑑」みたいには伝えられてないけど、神話の内容から感じられる雰囲気からすると、少なくとも東京スカイツリーとおんなじくらいか、それ以上はあったと思う。

だから、ここから先の話は、3776メートルの富士山に対して、身長が600~800メートルくらいある神様を想像しながら読んでほしい。で、富士山の神様ってことは、「山の神」であり「火の神」でもあるワケだから、その能力は絶大だ。そして、太古からいる神様だから、その主な仕事は「国造り」だ。神様による「国造り」の方法はいろいろあるけど、「火の神」である富士山の神様の場合は「国焼き」という方法を使う。


‥‥そんなワケで、ある日のこと、峰不二子から‥‥じゃなくて、富士山の峰から東の海を眺めていた神様は、太陽にキラキラと輝く海の美しさに心を奪われ、「この美しい海に新しい国を焼き出したら豊かで素晴らしい国になるだろう」って考えた。「国を焼き出す」ってのは、「火の神」による国造り、「国焼き」のことだ。

そして、神様は、片方の腕を海に入れると、海底を掴んでグイグイと引き上げた。海底は大きな山のように盛り上がり、海面に頭を出すと、そこから噴火を始めた。噴煙は空高く舞い上がり、真っ赤な溶岩が大量に噴き出し続けた。海に流れ込んだ溶岩は、ものすごい音と真っ白な水蒸気をあげながら固まっていった。とめどなく流れ出る溶岩は、沖へ沖へと陸地を作っていき、三日三晩が過ぎたころ、海へ突き出た大きな国が誕生した。「海より出づる国」、神様はこの国を「出づ(伊豆)の国」と名づけた。

国造りを終えた神様は、火口から噴き出していた火をフッと吹き消した。神様の息で流れた筋が天城山脈になり、火口には雨水が溜まって八丁の池が生まれた。この時、神様の息が強すぎたのか、小さな火種が1つ、東のほうへ飛んでいった。火種は海に落ち、それがまた火山になり、どんどん溶岩を噴き出し、島が誕生した。これが「伊豆大島」だ。

そして、「火の神」によって造られた「伊豆の国」は、地中に燃え盛る炎を宿していたので、熱海、熱川、伊東、湯河原、湯ヶ島などを始め、いたるところから温泉の湯が湧き出した‥‥ってなワケで、これが伊豆に伝わる神話の1つ、『伊豆の国焼き』っていうお話だ。ようするに、どうやって伊豆の国ができたのかっていうお話だけど、実際に富士山が誕生したのは1万年くらい前なんだから、この神話を実際にあったことだと仮定すると、1万年前よりもアトってことになる。

ま、人類の祖先が誕生したのが500万年くらい前だし、原人が言葉を話したり道具や火を使い始めたのが50万年くらい前だし、現代人とおんなじホモ・サピエンスが誕生したのだって30万年くらい前なんだから、こうした「人類誕生」や「人類の進化の歴史」と照らし合わせてみると、神様が国を作ったのが1万年前ってのは、ちょっと最近すぎる感じもする。でも、日本自体はとっくの昔にできてたワケで、今回のお話は「伊豆の国」、つまり、今で言う「伊豆半島」の誕生なんだから、日本を1軒のお家だとしたら、母屋の脇にプレハブの子ども部屋を建て増ししたようなもので、そう考えれば1万年前でも「ま、いっか!」って雰囲気になってくる。


‥‥そんなワケで、海底を掴んで持ち上げて、そこから噴き出した溶岩で伊豆半島を造っちゃったっていう、激しく豪快な話、今どきの言い方をすれば、激しくワイルドな話なワケだけど、実は、この神話には、まだ続きがあるのだ。ある日のこと、神様が富士山の峰から伊豆の国を眺めて、自分が焼き出した国の美しさにホレボレしていると、遠く沖のほうから伊豆の国に向かって進んでくる大男の姿が目に入った。大男は胸から上を海の上に出し、ゆっくりと歩いて近づいてくる。そして、とうとう伊豆の国の先端の浜辺に上陸すると、天にも届きそうなほど両腕を高く上げて、気持ちよさそうに伸びをした。その様子をずっと見ていた神様は、富士山の頂に仁王立ちして、その大男に声をかけた。


「おおい原発、再稼働反対~~!!」


‥‥じゃなくて、


「おおい!お前は何者じゃ~!?」


突然の声に驚いた大男は、辺りをキョロキョロと見回して、遠くに見える美しい山の頂に立つ神様を見つけると、こう返事をした。


「私は天竺(てんじく)を追われた者です。流れ流れてこの地に辿り着きました!私はとても長い旅を続けてきましたが、あなたが今お立ちになっている山ほど美しい山を見たことがありません!どうかあなたのおそばに、私が永住できる土地をお与えください!」


そう言って、大男は富士山の方角に向かって深々と頭を下げた。これを見た神様は、一瞬でこの大男の心が美しく澄んでいることを見抜いた。


「よろしい!それでは、今お前が立っている伊豆の国に住まうがよい!しかし大男のお前には少し狭かろう。その時は私の土を分けてやるから、これを使って海に島を焼き出すといい!」


神様の言葉を聞いて、大男はとても喜んだ。そして、さっそく伊豆の国を歩いてみたところ、瑞々しい木々をたたえた山々を縫うようにして清い川が流れ、その川は銀色の飛沫をあげて滝になり、最後には雄大な流れとなって光輝く海へと広がっていた。美しく豊かな土地に大男は感謝したが、やはり、体の大きな自分には少々狭く感じた。

そこで大男は、神様の言葉に甘えて島を造ることに決め、まずは手伝ってくれそうな仲間を探すことにした。伊豆の国をグルリと一周歩いてみると、小さな入江に1人の翁(おきな)と3人の若者がいたので、大男は話しかけてみた。翁は320歳で、百済(くだら)から流れてきたという。3人の若者は翁の子どもたちで、若宮(わかみや)、剣の宮(つるぎのみや)という2人の立派な息子と、見目(みめ)という美しい娘だった。大男の話を翁は快諾、こうして天竺からきた大男と百済からきた親子による島造りが始まった。


‥‥そんなワケで、若宮と剣の宮は、もっこを担いで富士山の神様のところに土をもらいにいった。「もっこ」と言うのは、縄や植物の蔓などで編んだ粗いネット状のものに重たい荷を乗せて、それを棒の真ん中に吊るし、棒の前後を2人で担いで運ぶ昔の運搬具のことだ。あたしの苦しい説明で分からなかった人は、こちらのイラストを見てもらえば一発で分かると思う。

で、もっこを担いできた2人の若者に、神様は「あそこの土を持っていけ」と言って、富士山の斜面が一箇所だけずんぐりと盛り上がっている部分を指さした。若宮と剣の宮は、神様にお礼を言い、そこの土を鍬(くわ)で浚ってもっこに積んだ。もちろん、一度では運べないので、何日も何日も往復し、富士山の土を運び続けた。ようやく運び終えた時には、ずんぐりと盛り上がっていた場所は平らになり、富士山の姿はさらに美しくなった。土が削られた場所には鍬の跡が残ったが、それが宝永山になった。2人が土を運んでいる途中で、もっこから小さな土の塊が2つこぼれ、それが箱根の双子山(二子山)になった。

一方、大男と見目は、2人が運んできた土を海へ投げ込み、伊豆大島の火山の火を借りて国焼きを続けていた。一昼夜でできた小さな島は、最初の島なので「初島」と名づけた。次に、神々が集まって国焼きの相談をした島を「神集島(こうずじま)」と名づけた。これが後の「神津島」だ。そして、若宮、剣の宮、見目、3人の自宅を建てた島を「三宅島」と名づけ、御蔵(みくら)を建てた島を「御蔵島」と名づけた。

遠い沖に焼き出した島を「沖ノ島」と名づけ、これが今の「八丈島」になった。それから、余った土で造った小さな島を「小島」と名づけ、大男の鼻の形に似せて造った島を「王鼻島(おうごじま)」と名づけた。これが今の「大野原島」だ。翁の考えで塩を焼いて造った島は、新しいので「新島(にいじま)」と名づけた。そして、最後の10番目に焼き出した島を「十島(としま)」と名づけ、これが今の「利島(としま)」になった。こうして、大男たちの国焼きは終わった。若宮、剣の宮、見目の3人は、後に伊豆の白浜に祀られた「三島明神」となり、三島大社と区別するために、今では「白浜明神」と呼ばれている。


‥‥そんなワケで、これが、伊豆に伝わる『伊豆の国焼き』っていう神話なんだけど、作り話とは言え、注目すべきポイントが2つある。1つは、若宮と剣の宮が土を浚った跡が宝永山になった‥‥っていうクダリだ。富士山最大の側火山である宝永山は、宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生したから「宝永山」と名づけられた。つまり、この歴史的事実と照らし合わせると、この神話は、わずか300年ほど前の出来事になっちゃうワケで、そうなると、伊豆や伊豆の島々では、すでに多くの人々が生活してたワケで、ツジツマが合わなくなっちゃう。

だけど、もう1つの注目すべきポイント、2人の担いだもっこからこぼれ落ちた土の塊が箱根の双子山(二子山)になった‥‥っていうクダリを歴史的事実と照らし合わせると、もっと大変なことになっちゃう。何故かと言えば、二子山を始めとした箱根の山々が誕生したのは、今から4万年くらい前のことだからだ。最初に書いたように、今の富士山ができたのは今から1万年くらい前なんだから、4万年くらい前には今の富士山は存在してない。4万年くらい前にあったのは、10万年くらい前にできた古富士火山だ。

つまり、2人の担いだもっこからこぼれ落ちた土の塊が箱根の双子山(二子山)になった‥‥っていうクダリに沿って『伊豆の国焼き』を検証すると、神様が立ってたのは古富士火山だったワケで、そうなると、さすがに大男も「なんと美しい山だ!ぜひこの地で暮らしたい」なんて思わなかっただろう。だって、古富士火山て、高さこそ3000メートルくらいはあったけど、姿かたちは今の富士山とは似ても似つかない、ギザギザでブカッコーな山だったからだ。

このギザギザでブカッコーな古富士火山の山頂から新たな噴火が始まり、新たな溶岩や火山灰によって今の富士山の原型ができたのが1万年くらい前のことなんだから、『伊豆の国焼き』は、これより後じゃないとツジツマが合わなくなる。ま、今の富士山がいつできたのかとか、箱根の二子山がいつできたのかとか、そんなことが科学的に解明される遥か昔に『伊豆の国焼き』っていう神話が作られて、人から人へと口頭で伝えられてきた‥‥って思えば、こんな検証は無意味になる。

だいたいからして、実際に山が誕生した時期がどーのこーのと言うのなら‥‥って、どーのこーの言ったのはあたしなんだけど、ま、それは置いといて、もっと根本的なこととして、身長が何百メートルもある神様だの、海底を引っ張り上げて火山になっただの、噴火を吹き消したら山脈ができただの、320歳の翁だの、最初から最後までツッコミどころのカーニバルだ。これらの点をすべてスルーしておきながら、富士山が誕生した時期にツッコミを入れるのは「木を見て森を見ず」だ。ちょっと違うか?(笑)


‥‥そんなワケで、日本各地には、こうした「国造り」の神話がたくさん残されてる。まだ電気もなかった時代に、その土地で暮らす人たちの中から神話が生まれ、お年寄りから若者へ、親から子へと、何代も何代も語り継がれてきたのだ。土地土地に残る神話の数々は、昔の人たちからの贈り物であり、さらなる未来へと伝えていくべき日本の貴重な文化だ。だけど、あたしたちが実際にやってることと言えば、日本各地に原発を林立させ、大事故を起こし、ご先祖様たちから受け継いできた大切な故郷を放射能で汚染し、未来の人たちには神話の代わりに大量の使用済み核燃料を押し付けるという、まるで正反対のデタラメだ。こんなことばかりしていたら、心の広い富士山の神様だって終いには堪忍袋の緒が切れて、宝永大噴火を超える平成大噴火を起こしちゃうかもしれないと思う今日この頃なのだ。


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